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インどイツ物語ドイツ編(32)【晴れのち晴れ=前編】

                96年晩夏

 遠くに黒い雲がのぞき、かすかに雷鳴も聞こえる。頭の上には、どうにか青い空が広がっている。

 グラウンドでは運動会がたけなわで、「人間ムカデ」がうごめいていた。白組の舞は1、2年複式クラスの同級生タロー君とのペアだった。ふたりのお腹と背中でドッジボールをはさみ、のろのろと進んで行く。「白組、ボールがはずれて苦戦しています」。ラジカセからBGMが流れ、低学年の担任で放送係のリカ先生が解説を入れて盛り上げる。

 「国語の先生なのにリカっていうんだよ」

 この春、新しい担任になった先生のことを舞は口をとがらせながら話していた。ジョークなのか本気なのか。舞の考えていることは、いつものように親にも分からない。

 舞とタロー君はよちよちながらどうにかコーンを折り返し、次の子どもたちにバトンタッチした。赤組の2番手で登場した優士はタカシ君、ドイツ人の女の子と3人で2つのボールをはさんで進んだ。3、4年の中学年クラスだから難易度が高い。最後の高学年と中学生のチームは4人で3つのボールを運んで行く。両組の人数が合わないので、一番若いオグラ先生が加わっている。

 8月最後の土曜日、ベルリン日本人国際学校の第4回運動会が、微妙な空の下で始まった。「皆さんが一生懸命がんばれば、お空の神様はきっと雨を降らすのを待ってくれるでしょう」。来賓代表の学校理事長があいさつした。

 小学5年のコージ君は、ちょうどこの日、日本に帰らなければならなかった。お父さんの研究留学にくっついて来て5か月ほどベルリンで勉強したが、楽しみだった運動会にはぎりぎりで間に合わなかった。前日、「来年は日本の夏休み中に開いてください。きっときます」と先生たちに言い置いて帰って行ったという。

 小中学生の数は、マイナスひとりで16人になった。あとひと月するとさらにふたり減る。入れ替わりが激しいから、きっとまた子どもたちは増えるはずだが、当分はさみしくなる。

 運動会でも、児童生徒以外の数の方がはるかに多かった。保護者、先生の家族に、理事長夫妻や日本総領事館からの来賓もいる。会場を貸してくれたドライリンデン小学校の子どもと親も20人ほど来て、オープン競技にどんどん参加してくれた。

 グラウンド脇のフェンスには、中学生たちが描いた万国旗が張られ、ささやかな大運動会に華をそえている。児童生徒会の体育委員が用意した横断幕も「全力をつくし、力を合わせてがんばろう!」と喝を入れている。

 1学期の終わりごろ、ひとりだけいた中3の男の子が帰国し、小1から中2までの8学年となった。プログラムの出場者欄を見ると、子どもたちの出番はすべて「全児童生徒」となっている。運動能力はまちまちなはずなのに、どうやってひとつの競技をさせるのだろう。「人間ムカデ」を見てうなずいた。工夫すれば何とかできるものだ。

 「なわとび」というあっさりしたタイトルのプログラムもあった。子どもたち全員が縄跳びをしながら登場し、低学年から順番にテクニックを披露していく。舞たちはふつうの縄跳び、優士たちは両手を体の前で交差させる「綾飛び」、高学年と中学生はその2重飛び「ハヤブサ」に挑戦する。

 先生が長縄をぐるぐる回すところへ小さい子から順に飛び込んで行く。1年坊主のカオル君がぴょこんと飛んで出ていくと、舞は長縄のリズムに合わせて飛びながら自分の両手に持った短縄で縄跳びをするという高等テクニックを見せてくれた。

 「とてもじょうずにリズムを取っていま~す」とリカ先生がマイクで声援してくれた。見物席から拍手が起こった。「よくあんなことできるわねえ」。妻が写真を撮るのも忘れて見ている。

 優士は長縄を飛びながらパートナーとバスケットのようにボールをパスをして見せた。その周囲を4、5年生の女の子たちが1輪車に乗りながら縄跳びをして回って行く。

 子どもたちのチームワークの良さには定評がある。1学期の最後、学校近くのヴァンゼー湖畔にある研修センターで、全校参加の「夏期学校」が2泊3日で開かれた。中学年の男の子が体調を崩し階段のところで戻してしまった。そばにいた子どもたちは、すぐにティッシュペーパーで後始末した。先生を呼びに行ったのはその後だった。

 4月のある昼休み、たったひとりの新入生サトル君が初めて1輪車に乗ったとき、2年生の女の子ふたりが両手を持って練習につきあっていた。九州から着任したばかりのアカミネ先生は、父親参観の日に保護者全員の前でわざわざその目撃談を披露した。

 2年生の女の子と言えば、そのひとりは舞のことだ。家ではお兄ちゃんと喧嘩ばかりしているのに、やるじゃないか。

 大きな子が小さな子の面倒を見る。困っている時は助け合う。当たり前のことが当たり前にできるのは、子どもたちも先生方も、日本の学校に比べずっとゆったりしているからだろう。

 89年11月9日、ベルリンの壁が崩れる現代史のドラマが起きると、ドイツに熱狂ムードが生まれた。日本などにも飛び火し、ベルリンがヨーロッパの中心都市になるような錯覚が生まれた。企業が相次いで殺到し、駐在員の数が壁のあったころとは比べられないほど増えた。

 家族を呼びよせるとなれば日本人学校がいる。できたばかりの日本商工会が設立準備を始め、日本政府に申請した。「統一ドイツの首都に日本人学校がないわけにはいかないだろう」と、あっさり認められた。子どもの数がどれくらいになるか予測もつかないままだった。統一の熱狂がハプニングのように生んだ学校だった。

 ベルリン市教育省が認可した私立の学校法人で、商工会の一組織、学校理事会が運営に当たる。日本からはプロの教師6人が派遣され、93年4月に開校した。

 子どもの数がさらに減って自然閉校になってしまう恐れもないわけじゃない。今日の空模様のように、いつも心配がつきまとう。唯一の希望は、首都機能がボンからベルリンへ移る世紀の変わり目に日本人家庭が一気に増えることだ。

 ――つづく

 〔短期集中連載〕

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