インどイツ物語ドイツ編(33)【晴れのち晴れ=後編】
96年晩夏
「日本の運動会みたいに、明け方から場所取りするなんてことなくていいわね」「日本では、校庭のフェンスを乗り越えて入って、厳重注意される人がいるくらいだものねえ」
お母さんたちがぺちゃくちゃやりながら、長机ひとつの「本部席」の横にシートを並べる。とはいえ、大人も出番が次々あり、席を暖めている暇がない。
「ラジオ体操第1」も全員参加だ。「30年ぶりくらいかなあ」と言いながら、体を動かすと、それだけで結構疲れる。ドイツ人親子も見よう見まねでぎこちなくやっている。
大人だけの競技では、わが夫婦がAチームの主将にさせられた。竹篭を背負って走っていき、ドッジボールを地面にワンバウンドさせて篭に入れる。コーンを折り返して帰ってきて、ボールを取り出し篭を次の人に渡す。
オグラ先生がお手本を見せてくれた。「先生、よく似合ってますよーぉ」。ぼくが声をかけると、妻が調子に乗って「お猿のかごやみたーい」と言う。「私もそう思ったけど、悪いから口にしなかったのに」とアヤコちゃんのママがつぶやく。
トップバッターはかなりのプレッシャーがかかる。何とか一発でボールが入り、内心「よかったーぁ」と叫びながら折り返した。Aチームの面々や子どもたちからの大歓声が快感だ。
つづいて妻も一発で決め、意気揚々と帰ってきた。Bチームの主将になったカオル君のパパは何回やっても入らず、すっかりあせっている。2番手のママも大苦戦だった。これなら、Aチームは圧勝しそうだ。
わが夫婦は、日本にいたとき、子どもの幼稚園の運動会でも「賞品稼ぎ」で鳴らした。優士が年小組の時、2人3脚縄跳びで1等賞になり本部席で受け取ったのは、なぜか醤油の小瓶2本だった。しばらくの間、わが家のキッチンにはのし紙を巻いた醤油瓶が誇らしげに飾られていた。
ベルリンの運動会で、わがチームはいつの間にか大逆転されてしまった。それでも体を動かしたから、お昼の缶ビールがうまい。隣の席はアカミネ先生一家で、奥さん手作りの豪華弁当を広げている。先生に缶ビールを渡そうとしてやめた。「勤務中ですもんねえ」と言うと「本当は飲みたいんだけど」と恨めしそうだ。
わが家の弁当も負けてはいない。妻はいつも行楽弁当に関しては、実家の母親の流儀を受け継ぎ、こだわりを見せる。巻き寿司、稲荷寿司、鶏の唐揚げに必ずおでんが付く。練り物はもちろんうずらの卵や筍の水煮など、外国では手に入りにくいものをどこかで見つけ、2、3日前から気合いを入れて仕込む。
「優士、アルミちゃんのお父さんに渡して」と1缶を持たせた。「“文部省後援”の行事だからアルコールはまずいかなと思って持って来なかった」と言っていた。金属の研究で博士号を取った人で、石部金吉かと思えばとんでもない。金属に入れ込むあまり、長女にアルミニュームからアルミと名付けた。本名はもちろん漢字で、とても可愛い感じの名前だ。次女が生まれ「ニューム」と付けようとして、さすがに奥さんに反対されたという。
子どもたちはさっさとお昼を済ませ、グラウンドで遊んでいる。ドイツ人の子どもたちは1輪車に挑戦しているが、そう簡単にはいかない。タロー君や舞が得意そうに乗り回している。
雷鳴が急に近くで聞こえ出した。遠くの雲も一段と黒くなったようだが、頭上の空はまだ青い。
午後の最初のプログラムは綱引きだった。参加者全員がふた組に分かれ、ドイツ製らしいちょっと細目のロープを持った。ちょうど日本総領事館のタカハシ大使夫妻が激励に来てくれた。「今ごろグリーン上かと思っていましたのに、わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
とても気さくなおふたりだから、ぼくが綱引きに誘うとふたつ返事だった。「えっ、いっしょに引いてくれるの!」。よその奥さんたちが驚いている。
理事長が「ツィーエン(引けっ)で引くんだよ」とぼくたちのチームに声をかける。日独合同だからかけ声はドイツ語だ。たかが綱引きでも、ホイッスルが鳴ればみんな真剣になる。3回戦い、1対2で負けてしまった。
次の子どもたちの競技の写真を撮ろうとして、手に力が入らない。「明日はひどい筋肉痛かなぁ」という声があちこちで聞こえる。
運動会の定番、玉入れ競争は今回初めて取り入れられた。先生たちがベルリン日本語補習校から借りてきてくれた。篭はひとつしかないから赤白対抗とはいかない。来賓もドイツ人親子もふくむ参加者全員をその場でふたつに分け、1回戦勝負となった。
「ひとおつ(アインス)」、「ふたあつ(ツヴァーイ)」と2か国語のカウントが続く。35対42。優士たちのチームから歓声があがった。
ハイライトはリレーだ。大人たちの参加を呼びかけるアナウンスがあると6、7人のドイツ人が、集合場所へ歩いていく。高めのヒールの靴をはいた女性もいる。日本人はひとりも出ない。日本人学校の運動会なのにドイツ人だけが走るのをながめるのは悔しい。しかも最後のプログラムだ。
全力疾走などしばらくしていないからひっくり返るかもしれないが、ひとりでも参加することにした。集合場所から保護者の応援席に手招きすると、タロー君とマユミちゃんのパパたちがきてくれた。アルミちゃんのパパも「ビールの借りがあるから」と加わった。
まず、日本人の児童生徒が紅白戦をした。人数合わせでシノハラ校長先生は舞と一緒に走った。マツノ事務局長も重そうな体で力走した。
いよいよドイツ人親子と日本人の大人の番だ。適当に分かれると、たまたまぼくが列の最後に立っていたのでアンカー用の青いベストを渡された。係りのセンダ先生が白鉢巻をたくさん持っている。ぼくは「どうせなら雰囲気を出したいから」と1本もらい頭を締めた。
スタートのホイッスルが鳴り、ドイツ人のちびっこが飛び出していく。しゃがんで順番を待っている間、じわっと緊張感が湧いてくる。リレーで走るなんて中学校以来か。
ぼくたちの組は快調でぐんぐんリードしている。気がつくとタロー君のパパが走っている。次がアルミちゃんのパパで、もうアンカーにくる。
バトンを受け取った時、相手チームは最後から2番目の選手がまだゴールラインで待っている。何かおかしいな、と思いながら走りだした。若いころのイメージで走ると下半身がついていかずころんでしまうと言われる。7割ぐらいの力で、と言い聞かせ走っていると意外に早くゴールが近づいてきた。
「もう1周、もう1周」という声が聞こえる。え、やっぱり人数が合ってなかったのか。ゴールに飛び込んだままもう一度コーナーを回った。胸が痛い。2周も走るんならやめておけばよかった。振り向くと差は詰められていない。ゴールではセンダ先生たちが白いテープを張って待っている。万歳しながら走り込むと足がよろけそうになった。子どもたちの歓声が初めて耳に入った。
閉会式で校長先生があいさつしていると、雨が落ち始めた。空はなんとか持ってくれた。学校もどうにか続けていけるだろう。人口350万人を抱えるヨーロッパ屈指の大都会の片隅に、大人たちもドイツ人も巻き込んだこんな寺小屋のような学校があった。伝説になる日はそう遠くないだろう。
〔短期集中連載〕
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