インどイツ物語ドイツ編(35)【焼き鳥注意報】
97年早春
「国際映画祭のパーティがあるんだけど、いっしょに行く?」
どちらかと言えばミーハー系の妻は、「行く、行くっ!」と叫んだ。
当日、子どもたちも連れて出かけると、ベルリンに10数件ある日本レストランの中でもっとも大きい店だったが、東京の終電くらいに込んでいる。
店内のどこにどう行けばいいか分からない。
「こんな所で迷子になったらみっともないよ」
子どもたちの手を引いて進んで行った。人混みにぽっかりあいた穴の中へ迷い出ると、タカハシ大使夫妻が目の前に立ち、隣に浅黄色の和服を着た女性がいた。そこへ何台ものカメラが向けられている。あわてて脇へどくと、フラッシュがいっせいに光った。
和服の人は、女優の岩下志麻さんだった。妻は知り合いにわが家のカメラを手渡し、岩下さんといっしょに撮ってもらおうと必死だ。でも、あたりはミーハー系であふれかえっている。
テーブルには食べ放題の日本食が並んでいるが、ここもラッシュだった。優士と舞は、かろうじてタレつきの焼き鳥を手に入れてもどってきた。
やっと岩下さんの横があくと、子どもたちがつつーと近づいた。
「焼き鳥、焼き鳥ッ!!」。
妻が岩下さんの顔のまん前で、押し殺した声で叫ぶ。いかにも上等そうなお召し物にタレでもつけられたらたまらない。
ぼくが映画関係者に取材をしているあいだ、妻はマネージャーらと食事をしていた岩下さんに頼み込んで、舞との写真を撮らせてもらった。
妻は、今度は飲み物、食べ物の確保で忙しい。いつのまにかそばを離れた子どもたちを探すと、トイレに通じる廊下でだれかとおしゃべりをしている。
「日本人学校のこと聞かれたよ」「あのおじさん、とてもやさしそうだった」
最近の日本のテレビ・ドラマなど見る機会もないから、優士も舞も相手がだれか全然知らない。「やさしいおじさん」は、俳優の長塚京三さんだった。長塚さんも、子どもたちとの写真におさまってくれた。
パーティは、ベルリン国際映画祭に参加した篠田正浩監督作品『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』のキャンペーンの一環だった。
翌日曜日の朝、上映会を観に繁華街の映画館へ行った。日本人学校のアカミネ先生一家といっしょになった。ゲートで招待券を見せたが、細身の若い女性係員は「ちょっとここで待って」と通してくれない。しばらく立ったまま待つ間に、ドイツ人らがどんどん中へ入っていく。
「どうして入れてくれないんだ」
詰め寄ると、女性係員はドイツの典型的接客調でそっけなく言った。
「18歳未満は、指定映画以外は観られないと法律で決まってますから」
日本の映画配給会社が雇っていたドイツ人通訳もいっしょになって交渉してくれた。
「きのうの上映会では、子どもも入れたじゃないですか」
「きのうのことは知りません」
こうなると、ドイツ人はテコでも態度を変えない。アカミネ夫人が「子どもたちはうちであずかってますから」と申し出てくれた。
作品が、もしグランプリの「金熊賞」でも獲得すれば、ぼくは記事を送らなければならない。そのとき、どんな映画か観もしないで書くわけにもいかなかった。結局、アカミネ先生とわが夫婦だけが中に入った。
日本では、原則として誰でも映画館に入れ、「成人向け」が例外としてある。ドイツはまったく反対で、未成年向けの指定映画があるらしい。いわゆる教育上よくない作品を子どもたちから遠ざけるためだが、民放テレビを観れば、そんなルールがあるとは信じられない。
週末の深夜に限られてはいるとはいえ、下のヘア丸出しの過激番組がいくつもある。いわゆる本番のバッチリ映った番組が流れることもある。夜のパーティに親が出かけた後、子どもたちがこっそりチャンネルを合わせているかもしれないではないか。男女の愛欲の極地を描いたとされる日仏合作映画『愛のコリーダ』が、ノーカットで放送されたこともある。
庭の芝刈りは昼寝時間帯はだめ、洗濯は夜8時まで、と何でもかんでも法律で決められている。もともとはドイツ式合理主義から生まれたのだろう。その合理性が時の流れとともに失われても、一度決めたことはちょっとやそっとで変えようとしない。
逆に、社会でいろいろ不都合があっても、「法律にないから」と変な理由であまり問題にならないことも少なくない。
『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』は、篠田監督渾身の力作で、戦後の混乱期に戦死した長男の遺骨を郷里に埋葬するため、家族で旅に出る物語だ。描写はノスタルジックで、成人向けどころか文部省推薦にさえなりそうな作品だった。
日本での一般公開より3か月近くも早く、しかも招待券で観ることができた。前夜のパーティでは「ミーハー写真」を撮り、おいしい日本食までごちそうになった。それでも、映画館を出るとき、未成年締め出しですっきりしないものが残ったのは事実だった。
ぼくたち一家は、もうすぐドイツでの任期を終え、日本に帰ることになっていた。ボンとベルリンでの日々は、文化のちがいは痛感しながらも、実に面白く楽しかった。
引越しと後任への引継ぎ準備でほとんど寝る暇もないある日、タカハシ大使夫妻が、ぼくたち夫婦を大使公邸でのさよなら昼食会に招いてくれた。タカハシ夫妻とは、もともと、ボンの週末テニス仲間で、いっしょにテニス合宿に行ったこともある。そして、偶然、同じ時期にベルリンへ転勤になった。
昼食会のメインディッシュはフォアグラのソテーだった。大使に、ドイツでの取材と生活の感想を聞かれた。ぼくは赤ワインのグラスを手にしたまま、即座に答えた。
「ひと言で総括すれば、“Nicht schlecht”ですね」
この言葉が大使夫妻に大受けした。「そうですか。ニヒト・シュレヒトですか。言い得て妙だな」
英語で言えば“Not bad”、悪くない、という意味だ。
正直に言って、かつてインドを離れるときには、これでやっと日本へ帰れる、と思った。今回は、子どもたちも「もう2、3年はいた~ぃ」と言っている。いろいろあったが、さまざまな人たちと知り合い、親切なドイツ人もたくさんいた。ドイツ暮らしは、確かに、悪くはなかった。
〔短期集中連載〕
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