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インどイツ物語ドイツ編(36・終章)【愛兎RAB、絶体絶命】

      97年春

 ドイツを離れる日をXデーとし、わが家はてんてこ舞いの毎日を送った。仕事の引き継ぎの資料を作り、荷造りをし、車2台の処分も考えなければならない。

 妻が子どもたちの送り迎えとショッピングなどに使っていた仏ルノー社製の赤いクリオを、まず、中古車ディーラーで査定してもらった。最初のディーラーは、車が盗難未遂事件に遭い配線カバーがちょっと傷ついていることに難癖をつけてきた。

 そんな値段か、とちょっとがっくりしながらも、翌々日、別のディーラーに妻を連れて訪れた。すると、ろくにチェックもしないで「クリオは、何と言ってもヨーロッパのカー・オブ・ザ・イヤーになった人気車ですからねぇ」と、最初のディーラーの2倍近い買い値をつけてくれた。

 妻とぼくは顔を見合わせ、即、売ることに決めた。なんと、営業マンはぼくたちを待たせ、金庫からキャッシュの束を持ってきた。その場で愛車を引き渡して、取引はすぐに終わった。

 ボンで買い3年間乗りつづけた車だけに愛着もあったが、別れを惜しむ間もなかった。ぼくたちには、まだ、山のように処理すべきことが残ってもいた。

 95年の夏に買ったメルセデス・ベンツは、意外にも、売りさばくのがむずかしかった。ディーラーが言うには、サンルーフがついていないことと色がポーラーホワイトなのがネックという。ドイツ人は、日本人とちがって白い車はあまり乗りたがらないそうだ。

 「それだったら、どうせ日本でも車がいるんだから、持って帰ればいいんじゃない」

 妻のひと言が背中を押して、引越し業者に日本への個人輸出の手配を頼んだ。そのコストは、日本で改めて車を買うことを考えれば、数分の一ですむようだった。

 国際引越しの最大の難題は、またも、わが家のスーパースター、ウサギのRABだった。ボンからベルリンに移ったときも、結果として、こっそり飛行機のキャビンに乗せて運んだ。

 今回もその手でいくしかない。うわさに聞くと、まともに持ち帰れば、成田空港で検疫のために数日間、預けなくてはならないようだ。その手間とお金がもったいない。

 いよいよXデー当日、RABを小さ目のダンボール箱に入れ、それをバッグに納めた。ベルリン・テーゲル空港で、日本人学校のシノハラ校長とマツノ事務局長などに見送られ、国内線に搭乗した。ここでのセキュリティではX線にばっちり映ってしまったが、無事通過した。

 そして、フランクフルト空港で成田行きの国際便に乗る時だった。ぼくは持ち込み手荷物のノートパソコンのチェックを受けるため、家族とは別のカウンターへ行っていた。妻によると、大柄でがっしりした体格の中年のおじさん係官が、バッグの中にウサギが入っていることに気づいた。

 妻や子どもたちがどきどきしていると、係官はナイフかハサミのような刃物をどこからか持ってきた。

 わっ、RABちゃんが殺されちゃう!

 胸がどきんと鳴ったとき、警備員は、RABのダンボール箱に、ブスッ、ブスッと穴を開けた。

 なんだ、息がしやすいようにしてくれたんだ。親切なドイツ人はここにもいた。

 RABは無事、成田空港に着いた。税関では、子どもたちが問題の“密輸バッグ”を乗せたカートを押してすーっと通り抜けた。1歳と8か月のRABは、ついに日本の土を踏んだのだ。

 RAB用の大きなケージは、船便で運んだ。東京近郊に新居が決まり、ケージもやがて到着して、RABは元気な日々を送った。

 優士は、自宅から1キロ以上離れたところにある公立の小学4年生となった。東京のベッドタウンで人口急増地帯のため、クラス転入生は他に5人もいて、自然に溶け込んだ。「ベルリン日本人学校から来ました」と自己紹介したら、みんなエーッと驚いた。

 舞は3年生のクラスに転入した。あこがれのランドセルをしょって通学するのがうれしくてたまらなかった。

 ドイツからの生きたお土産となったRABは、のちにピーターラビット種の真っ白なお嫁さんをもらい、6人の子をもうけ、10歳と半年も生きて大往生した。

 ――完

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