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『人は死なない』を読み、ジョン・レノンを思う=前編

 ♪想像してごらん 天国はないと
  …下に地獄はなく 上にあるのは空だけ♪

 ジョン・レノンの『イマジン』は、世界平和を祈って作られたものだ、と人は思っている。まちがいではないが、その前提として、キリスト教などを否定した歌でもある。

 歌詞の2番には、♪そして宗教もない♪というフレーズもある。ジョン・レノンは、天国と地獄という観念を創出し、「神の名において」異教徒を殺害してきた一神教を否定しようとしている。

 人びとが宗教を作り出したのは死への恐怖からだった、とする見方が強い。では、死後にも安らかな世界があり、死など怖くはないことを知れば、ときに残虐な振る舞いをする宗教などなくてもいいことになる。

 ふと、そんな思いを抱かせる一書が『人は死なない』だ。霊魂不滅をテーマとする、と書けば抹香臭い本だと思われるかもしれない。だが、この本はちっとも抹香臭くはない。内容が斬新か、と聞かれればそうでもない。だが、東京大学医学部の現役の教授で、いまは救急治療に当たっている矢作直樹氏が書いたものだけにインパクトがある。

 「まさに生と死の交差点ともいえる場所」とする病院で、日々、人の死を看取っている。「生命とは我々が考えるほど単純なものではなく、自然科学としての現代医学が生命や病気について解明できているのはほんのわずかな部分でしかない」「私自身、実際の医療現場に身を置いていると、机上で科学的に考えてすべてが解決するほど現実は単純ではないことを痛感しています」

 矢作氏は、代替医療のひとつとして、気功の講習会に参加し衝撃の体験をする。中腰になった気功の先生を力づくで押さえ込もうとすると、一瞬のうちに体が宙を舞った。力学の第三法則(作用、反作用)ではまったく説明できない技だった。

 北京への気功ツアーにも参加した。パーキンソン病患者は歩幅の小さいヨチヨチ歩きを特徴とするが、70歳の男性患者は、治療後、ほぼふつうに歩けるようになり、患者の奥さんは涙を流して喜んでいた。

 大手の知的障害者施設に勤めているぼくの息子(24)も、利用者への薬漬けの治療に疑問を感じ、代替医療を研究しはじめた。その一環として、ミクシィによる遠隔ヒーリングというのを知り、月額3,000円を払ってみずから試している。

 あらかじめ生年月日や本名を伝えてあるので、たとえばアレルギー性鼻炎の症状がひどいとき、ヒーラーにメールを送って症状を伝える。ヒーリングといえばふつう手かざしをするのだが、相手は遠隔で気(?)を送ってくれ、症状がすぐに和らぐのだという。つい先日も、風邪で喉が痛かったので送ってもらうと、翌朝にはすっかり治っていたそうだ。 自己暗示によるものといえばそれまでだが、ITを利用した新しい形の代替医療かもしれない。息子はそれを施設利用者に広まらせようとしているのだが、頭の固くて古い上司を説得するのが大変のようだ。

 著者の矢作氏は、マンションの8階から転落した20歳代の女性の例をあげている。全身を打撲、骨折していながら「意識が異様に清明」で、入院25日目、「飛び降りは、自殺しようとしたものではなく、霊に乗り移られたためです」と語った。

 女性には向精神薬の服用暦はなく、統合失調症、短期精神性障害、心因反応の3つの可能性があげられたが、確定診断には至らなかった。

 数年後、その女性は結婚して子どももできた。矢作医師は、その女性宅を訪ね、引っかかっていたものを確認しようとした。ジャーナリスティックな手法だ。

 女性は、生来、金縛りにあいやすい体質だった。「ある女性が『あなたの体を借りたい』と私の頭の中に話しかけてきました。その女性に『出て行って』と言おうとすると、泣き落とされてなかなか毅然と追い出すことができませんでした」

 転落したのは元の自宅のマンションで、どうやってそこまで来たのか記憶はなく、「気付いたときには落下するところでした」

 矢作氏は触れていないが、症状としては解離性同一性障害に似ているのではないか、とぼくは思う。いわゆる多重人格で、本人にとって堪えられない記憶などを切り離して忘却しようとし、切り離した感情や記憶が成長し別の人格となって表に現れるものだ。24人もの人格が入り乱れていたとされるアメリカ人男性ビリー・ミリガンのケースが有名だ。

 精神医学的な解釈では、あたかも独立した人間の人格のように見えてもそれらはその人の「部分」である、とされる。常識にとらわれればそうとしか説明できないだろう。

 くだんの女性の夫は、妻に「他人」が入ってきたときにはわかるようになった。妻が知るはずのない夫の事情についてふだんとはちがった話し方で話すからだという。つまり、本人以外の体験や知識を持つ人格が入り込む憑依現象と考えたほうが自然だ。

 ふつうは、ひとつの体に対し人格はひとつだ。それが1対複数となる現象がある以上、体と人格は本来別々のものだと言えなくはないだろうか。神のいたずらか、1対1対応がときに崩れる。人から独立した別の人格としての霊、あるいは死後の存在を想定するなら、いちおうの説明はつく。

 ――つづく

 --毎週木曜日に更新--

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