« インどイツ物語ドイツ編(36・終章)【愛兎RAB、絶体絶命】 | トップページ | 命とは、記憶とは 赤ちゃんの不思議 »

カレーライス

 あるエッセイを読んで、半世紀以上前の記憶がまざまざとよみがえった。郷里・出雲の母がファクスで送ってきた。タイトルは『恩師』とあった。

 <今朝もいつもの通り新聞のお悔やみ欄を見る>

 こう始まる文章には、筆者の古川精次さん(72)が、その欄で高校時代の恩師の名前を見つけ、長女の訃報が載っていたことが書かれている。

 恩師とはぼくの父であり、長女は姉だった。父は、島根県立出雲産業高校などで教員をしていた。産業高校は、のちに商業高校と工業高校に分かれる。

 <長女とあるから先生は健在なのだ。卒業してから五十数年が過ぎている今、こんなことでそれを知った>

 姉は長年、パーキンソン病と闘ってきた。頭はしっかりしているのに、手が振るえ、足元がおぼつかなくなって、言語障害もしだいにひどくなっていった。

 それでも、ごく軽い一眼レフカメラを買い、不自由な体で花の写真を撮るようになった。母や妹、ヘルパーさんに体を支えられるようにして撮影をつづけた。四季折々、花の輝きを一瞬で切り取るため、その場に長い時間たたずんで撮影することもよくあった。

 毎年、12の作品を選んで卓上カレンダーに印刷し、人に買ってもらうようになった。その作業をつづけるうち、花のカレンダーは評判を呼び、メディアでたびたび紹介されるようになった。カレンダー作りは、体がついていけなくなるまで10年間つづけた。その間、作品をパネルにして各地で展示会も開かれた。

 症状は一進一退で、しだいに重くなっていった。入退院を繰り返し、2011年9月20日、ついに帰らぬ人となった。古川さんが目にしたのは、その死亡記事だった。後日、姉の作品を母と妹がまとめた写真集が完成し一般にも販売されるという記事を読み、ぼくの実家に写真集を買いにきてくれた。そのとき、母に手渡したのが自作のエッセイだった。

 「このエッセイについて、ブログに書いてよ」と、母は言ってきた。ぼくは古川さんの自宅に電話を入れ、いきさつを聞いた。

 昭和33年3月、当時の出雲産業高校を卒業した。学校では、父から商法と民法を教わったという。「堅くてまじめ、冗談も少なく面白みのない授業でした」。たしかにそういう父だった。エッセイにはこんなエピソードがつづられている。

 <ある日の授業の時だった。黒板に歌の詞を書かれた。『これは自分の卒業した旧制三高の寮歌だ』と言われた。『琵琶湖周航の歌』の歌詞だった>

 歌詞は6番まであるが、父は教室で1、2番を歌い、授業をつぶしてクラスの生徒全員に合唱させたそうだ。

 ♪われは湖(うみ)の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと♪

 <まだ蛮カラな気風が残っていたその当時の私たちが、特に二番の歌詞 ♪雄松(おまつ)が里の乙女子は・・・はかない恋に泣くとかや♪ のフレーズに『乙女だと』、『恋だと』と男子生徒も、女子生徒も照れと気恥ずかしさでワーワー騒いだ>

 それがきっかけとなり、生徒たちは父に親しみを覚えた。卒業式の数日後、古川さんは男子4、5人と連れ立ってぼくの実家へ遊びに来た。

 <若い奥様、先生となにを話しただろう。そのまわりを走ったりしていた子供がいた。女の子もいた。その子がそのお嬢さんだったのだろう>

 昭和33年の春といえば、姉が6歳、ぼくが4歳のころだ。妹はまだ生後4か月だった。古川さんが覚えているのは、まちがいなく姉とぼくだった。当時7歳の兄は、お客さんのまわりを走るような子ではなかったはずだ。

 このエッセイを一読したぼくのかみさんは、「文章が上手ね」と言った。聞けば、古川さんは、地元のエッセイ同好会に参加していて、月に1回、先生の指導のもと、各自の作品を批評しあっているという。仕出し料理の会社を経営していたが、息子に譲って会長職に退き、悠々自適の日々を送っている。

 新聞のお悔やみ欄を目にする1週間前、古川さんは、親鸞聖人750回御恩忌法要で京都の西本願寺に参拝し、バスでホテルへ向かった。琵琶湖の湖畔に差しかかり、ガイドさんが『琵琶湖周航の歌』を歌った。

 <私も大きな声で歌った。となりの家内が「よう知っているね」という。その時、昔の話をしたばかりだった。湖上を中秋の満月が照らしていた>

 卒業生さんたちは、ぼくの実家に泊まったという。母も、それは覚えていないそうだが。

  <夕食は子供向きの甘いカレーだった>

 古川さんは言う。「そのころ、カレーはまだ珍しかった。それに、とっても甘口だったので記憶に残ったのかもしれません」

 教師の家に生徒が遊びにいく牧歌的な時代だった。

 母は、生徒さんが来ると、たいていカレーライスを大量に作って出していた。表座敷で学生服姿のお兄さんたちが大声でおしゃべりをし、カレーを食べていた情景を、ぼくもはっきり覚えている。

 父は学校で“カレーライス”というあだ名をつけられたのだった。

 --毎週木曜日に更新--

|

« インどイツ物語ドイツ編(36・終章)【愛兎RAB、絶体絶命】 | トップページ | 命とは、記憶とは 赤ちゃんの不思議 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/540025/53660433

この記事へのトラックバック一覧です: カレーライス:

« インどイツ物語ドイツ編(36・終章)【愛兎RAB、絶体絶命】 | トップページ | 命とは、記憶とは 赤ちゃんの不思議 »