« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年2月

アトランティックサーモンが日本にやってきた

 「魚介類は天然モノに限る」という信仰が日本にはある。だが、天然サーモンには寄生虫がいて、それをハイテクのエサで排除した養殖物だからこそ生で食べられるのだという。ちなみに、牛や豚だって“天然モノ”は堅くてまずくて食えやしない。

 わが家の近所のスーパーで、毎週日曜日、ノルウェー産アトランティックサーモンの解体・即売ショーをしている。マグロで言えば大トロに当たる腹身の部位が、100gで400円くらいする。ショーを見守り口内に唾をためた主婦や家族連れが、先を争って買っていく。

 日本でも、ついにアトランティックサーモンが一般化してきた。ぼくには感慨深いものがある。日本で輸入サーモンといえば、チリ産がほとんどだった。たいていのスーパーで100g200円くらいから売っている。何度か買ったことはあるが、脂身が少なくうまみに欠けるのが残念だった。

 実は、ぼくの“包丁人生”とアトランティックサーモンは、切っても切れない。

 1990年代前半、ドイツへ赴任することが内定し、かの地の諸事情を調べた。そのなかで、「ヨーロッパでは、自分でさばけば結構うまい魚が食べられる」というのがあった。ヨーロッパは肉類の本場で魚介類はそんなにいいものがないのではないか、と勝手に思い込んでいたのだが。

 まずは、いい包丁だ。それまでにも、かみさんの出刃包丁と刺身包丁で魚介類をさばくことを一種の趣味としていた。今回は、わが家の食生活のクオリティがかかってる。

 ある日曜日、妻子を連れて浅草のかっぱ橋道具街へ出かけた。食器からおでんやラーメンの屋台まで売っているプロ御用達の商店街だ。店を一つひとつのぞいているだけでも楽しい。レストランなどがショーケースに並べるろう製サンプルの店先では、子どもたちが歓声をあげた。「ねぇ、見て。本物のお寿司そっくりだね」

 ぼくはそんな子どもたちを引きずるようにして、刃物専門店へ飛び込んだ。中年の店主は、壁際のガラスケースに陳列されていた銘入りの出刃包丁を取り出した。いかにも業物といった感じだった。

 他のちょっと安いのもみせてもらったが、最初の1本がやはりいい。思わず「うちで使うのにはちょっと大きいかなぁ」とかみさんにつぶやいたら、店主が驚いた。「えっ、自宅で使うんですか!?」

 たしかに、調理の素人がわざわざこんなところまで来て包丁を求めたりは、あまりしないだろう。でも、どうせなら一生モノのいいのを、と心に決めていた。刺身包丁と合わせン万円を払って店をでた。

 それから数か月後、ボンへ赴任した。公私ともに落ち着いたある週末、知り合いの日本人に聞いていた鮮魚の卸売市場へ車を飛ばした。ボンのスーパーでも魚介売り場はもちろんあるが、鮮度も品揃えもお話にならない。

 ドイツの卸売市場では一般客も買える。「サーモンありますか?」と聞くと、黙って冷蔵室を指差した。ここでは、自分で直接、冷蔵室で品定めして買っていくルールらしい。ノルウェーから直輸入されたアトランティックサーモンが、発砲スチロールの箱に氷詰めされ、積み上げられている。エラと内臓は取り出してある。

 先日、書斎を整理していたら、その市場のサーモンの領収書が出てきた。1995年11月25日付けで僕の誕生日前日だ。自らさばいてホーム誕生パーティをするためだった。

 3.58kgで税込み45.77マルクとなっている。日本円でざっと3,500円くらいだ。グラムでは98円ほどになる。もちろん、頭や骨を入れての計算だが、サクで考えれば日本でいま買うのより3分の1くらいだろう。ときには、7kgや8kgの大物を買ったこともある。

 サーモンを抱えて持ち帰り、鱗を落とすのに20~30分はかかる。3枚におろすため魚体をひっくり返すだけでもかなりの力仕事だった。しかしその分、鮮度抜群のが食べられる。子どもたちは調理見物を兼ねてお手伝いをし、刺身の切れ端をその場で食べるのを何よりの楽しみにしていた。

 誕生パーティでは、頭と背骨をそのままにして巨大な姿造りにした。お客さんたちに大うけしたのは言うまでもない。

 日本に帰国して、サーモンといえば淡白なチリ産しか売っていないのが不満だったが、いまやアトランティックサーモンが買えるようになったのだ。

 そういえば、2012年1月14日、フジテレビ系『潜入! リアルスコープ』で、ノルウェーのサーモン養魚場を紹介していた。コンピューターで管理された巨大な円形いけすで、2万匹を育てている。4~5kgのサーモンにスタンガンの一種を当てて脳死状態にし、オートメーションで3枚におろす!。その機械だけで3,400万円するそうだ。日本とちがい、動物を生きたままさばくことは法律で禁止されているのだという。

 日本へは冷蔵で空輸される。だから、生の美味しいアトランティックサーモンが、日常的にぼくらの胃袋へ収まるようになったのだ。

 ドイツ人はふつう、油こてこてのムニエルにして食べるが、日本人だからやっぱり生がいい。回転寿司で、うちの子どもたちは真っ先にサーモンに手を出す。ドイツでの美味しんぼ体験と無縁ではないだろう。

 --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (0)

平成の竜馬は日本を動かせるか

 ベルリンの壁が崩れ、西ドイツと東ドイツの再統一にいたる高揚も冷めたころだった。国のなかで東西格差が目立ち、西から「東は遅れている」とみられるようになった。そして、オスタルギーという言葉が生まれた。ドイツ語で東を表すオストと英語のノスタルジーとおなじ郷愁を意味するノスタルギーを合わせた造語だ。

 再統一から4年後の1994年、ぼくは特派員として赴任した。そのころ、旧西ドイツ人は1級市民で、旧東ドイツ人は2級市民あつかいされていた。

 たしかに、旧東の暮らしもインフラも水準が低かった。連邦政府は、「連帯付加価値税」という名の消費税を国民に課し、東を西並みに引き上げようとしてきた。東が西から“生活支援”を受けてきたのは事実だが、それは経済、財政にかぎったことだ。

 ぼくはあるとき、旧東ドイツのヴァイマールを訪れ、AP通信の若いドイツ人カメラマンと知り合った。ゲーテの生家がある文化の香り豊かな都市だ。お互いに仕事が終わると、「時間はありますか?」と、彼は自分の支局に招いてくれた。そこには中年の記者も駐在していて、ぼくを歓迎してくれた。

 カメラマンは「ちょっと待っててください」と言って出かけていき、クッキーをどっさり買ってきた。東の言葉には独特のなまりがあるが、カメラマンと記者はぼくのために、努めて標準ドイツ語を話してくれた。

 ドイツの政治や、東西格差、お互いの家族、そして車の話などをした。「どんな車に乗っているんですか?」「今回は列車で来たけど、ふだんはメルセデスに乗ってます」。ふたりはため息をつき、「ぼくらの憧れはフォルクスワーゲンです。まだ、メルセデスを買う力は東の誰にもありませんから」と言った。その言い方には嫌味もなにもなかった。

 ぼくがオフィスを去る時間になると、カメラマンは残ったクッキーを手渡してくれた。「列車のなかででも食べてください。奥さんやお子さんへのお土産にもなるかな」。ふたりは実に誠実で純朴だった。はっきり言って、西ではあまりお目にかからないタイプだ。

 東は、第2次世界大戦でヒトラー独裁が倒されると、今度はソ連に支えられたドイツの共産党が独裁体制を敷いた。社会主義の国になり、言論や報道の自由はきびしく制限された。一方で、西の資本主義社会とはちがい、激しい競争もなく、人びとは穏やかに暮らしてきた。そのプラス面をあえて強調すれば、人情味のある社会だった。

 いろいろ問題もあったけど東ドイツ時代のほうが良かったな、と東の人びとが再統一後に考えるようになった。それがオスタルギーだ。

 朝日新聞が2012年2月12日朝刊に載せた橋下徹・大阪市長のロングインタヴューを読み、この言葉を思い出した。

 20世紀後半の日本は、良くも悪くも旧東ドイツのような社会だった。戦後ほぼ、政権を独占していた自民党は、保守政党でありながら社会主義的政策を推し進めた。よく言われたことだが、自民党はマルクスとエンゲルスが書いた『共産党宣言』(原題は『共産党のマニフェスト』)のうち8割がたは実現させた。ぬるま湯の島国社会で、国民の9割は中流を自任した。人びとは気づいていなかったが、準社会主義国だった。

 しかし、バブルははじけ「失われた20年」とも呼ばれる長期不況に陥り、巨大な財政赤字で年金制度の行く末も危うい。昔は良かったな、と人びとが思いはじめている。良きジャパンへのノスタルジー、つまりジャパタルジーという言葉でも生まれそうだ。

 そのいま、橋下氏は『大阪維新の会』を創設し、『維新政治塾』に3,000人もの塾生を集めて国を変えようとしている。「維新」という言葉を使い、総選挙公約を「船中八策」と呼び、「国会議員にはならない」と宣言している。

 つまり、坂本竜馬を気取っている。インタヴューでは、東アジアや東南アジアの急成長を引き合いに出し、こう断言した。

 「日本人がラグジュアリー(贅沢)な生活を享受しようとするなら『国民総努力』が必要です。競争で勝たないと無理です」

 朝日の記者は食い下がる。――橋下さんは強い人ですが、世の中は強い人ばかりではない。そういう人にはどう言葉をかけますか。

 橋下氏は言い放つ。「では、日本の生活のレベルを落としますか? 東南アジアレベルにしますか? 今の日本を維持しようと思えば、そりゃ努力をしないといけないですよ」

 ぼくが3年間駐在していたインドは、社会主義的政策という<インドの壁>が21年前に崩され、経済もメディアもちがう国のようになった。東南アジアもよく取材で回ったが、いまのバイタリティーは日本の戦後復興期を思わせる。

 橋下氏は海外暮らしをしたことはないのに、国際的な視点をしっかり持っている。永田町のセンセイたちのほとんどに欠けているのは、そうした視野の広さや冷徹な目であり、国民に本当のことをはっきり言う勇気だ。ぼくたちは容赦ない国際競争のただ中にいる。

 いまは第2の幕末であり、TPPという黒船などにも永田町の力学では立ち向かえない。

 朝日は「独断的な手法には怖さも感じずにはいられない」と書く。橋下氏とそのグループはなにをしようとし、なにができるのか、たしかにまだ未知数だ。でも、平和ボケ、繁栄ボケ、ジャパタルジーに水をぶっかけて暴れる“平成の竜馬”をみてみたい気もする。

 --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (0)

日本のマスメディアは“東スポ化”している

  連合赤軍による「あさま山荘立てこもり事件」から、まもなく40周年を迎える。

 連合赤軍は、学生運動が下火になった1971年、金融機関からの強奪などによって資金が潤沢な共産主義者同盟赤軍派と、武器を入手していた日本共産党(革命左派)神奈川県委員会の、それぞれの軍事組織が合体して結成した極左過激グループだ。

 警察に追われていた連合赤軍のメンバー5人は、1972年2月19日、軽井沢にあるあさま山荘に侵入し、管理人の妻(31)を人質にとって立てこもった。10日後の28日、警官隊が強行突入し、犯人は全員逮捕され人質は無事保護された。この事件では民間人と警察官計3人が亡くなり、27人が負傷した。逮捕後、同志の凄惨なリンチ事件も明らかになった。

 忘れもしない、ぼくはわずか4日後に第1志望大学の受験をひかえていた。立てこもり以来、マスメディアは大々的な報道をつづけ、警察が突入する模様はテレビ各局が生中継した。ぼくは一日中、テレビの前から離れることができなかった。視聴率はNHKと民放を合わせ、最高約90%にのぼった。

 ぼくの高校でも、大学生の影響を受けて学生運動らしきものが盛り上がったことがあった。学生らはもともと大学の制度、ひいては政治と社会を改革するために立ち上がったはずだった。最盛期には革命の高揚もあった。しかし、各過激派は暴力やテロに走り、なかでも連合赤軍は最悪の帰結だった。

 固唾を飲んでテレビ中継を見守り、学生運動とはなにか革命とはなにか、と受験生なりに考えさせられた。第1志望の大学には落ちた。あさま山荘事件のせいだとは言わないが、ぼくの人生を大きく変えた出来事にはちがいなかった。

 それから40年の歳月が流れた。朝日新聞は2012年2月5日の朝刊読書のページ『ニュースの本棚』欄で、新右翼団体『一水会』顧問の評論家・鈴木邦男氏によるコラムを載せた。長い文章の最後でこんなことがつづられている。

 <40年前は、ただの「悪」だったし「犯罪」だった。だが、その中には、革命への夢も希望もあった。愛もあった。<<全て>>があった。それが極端に走ったが故の悲劇だった>

 <しかし今、それらは忘れられ、「負の遺産」だけが受け継がれている。閉鎖的、排外主義的で、人の話を聞かず、異なる存在を許さず、感情的に罵倒し、小さな同一性だけを守ろうとする社会。まさに現代は、「連合赤軍化する日本」ではないか>

 あの事件の総括を、いまだに左翼っぽさが抜け切らない朝日が、新右翼の筆に任せるとうのも変な話ではある。いち評論家がいまの日本社会をどう見ようと勝手だが、朝日が「『連合赤軍化』する現代日本」と見出しをつけているのには首をかしげる。はっきり言って、このコラムの説明だけでは意味不明であり、竜頭蛇尾だ。

 ぼくは、こういう記事や新聞社の姿勢を“東スポ化”と呼ぶことにしている。東京スポーツ新聞社が発行する夕刊スポーツ紙、略称「東スポ」は、“飛ばしの東スポ”と呼ばれる。プロレス、競馬、風俗などで強みを発揮し、しばしば「宇宙人化石発掘!」「遠野で河童を発見!」など、とんでもないヨタ話を一面にどでかく載せる。

 “飛ばし”というのは新聞業界用語で、先走った記事や針小棒大の記事をいう。東スポへの好き嫌いは分かれるだろうが、そういう新聞もあっていい。ヨタを承知で人びとはスタンド買いし、お笑いとして楽しむのだ。

 しかし、まじめな読者が多い朝日が、しかも自分たちで権威があると思っている読書欄にヨタ話を載せ、ヨタ見出しをつけて“東スポ化”していいのだろうか。拙著の解説をトップで扱ってくれたこともある欄だけに、なんだか悲しく空しい。

 ところが、もっとひどい“東スポ化”があった。読売は1月23日の朝刊1面トップで「首都直下型 4年内70%地震活発 切迫度増す」と報じた。東大地震研究所の平田直教授への取材にもとづくものだとした。他の新聞、テレビも一斉に追随し、「4年内70%」をおそらくほぼ全国民が信じた。ぼくだってそのひとりだ。

 その大ニュースの舞台裏はどうだったか。週間ポスト2月17日号は、当の地震研がホームページで報道の打ち消しに走っていたことを明らかにした。えーぇ、そうなの!?

 地震研のホームページをすぐに調べたが、それについての記載はもうなかった。だが、ポストによると、1月23日から31日まで、こんなメッセージが掲載されていたという。

 <(この試算は)発表以外に専門家のレビューを受けていません。また、示された数字は非常に大きな誤差を含んでいることに留意してください>

 それだけではなく、無責任としか言いようのないメッセージもあったらしい。

 <このサイトに掲載されたからといって、地震研究所の見解となるわけではまったくありません>

 実は、政府が昨秋「30年以内」と発表したのと同じデータに基づいている、とポストは伝える。じゃ、地震研のホームページは誰がどんな責任で書いているのだろう。平田教授は地震研内の「地震予知研究センター長」という肩書きを持つというのに。

 一番の問題は読売であり、その報道のウラもろくに取らず追随した他のメディアもひどい。「同じデータで、なぜこうも予測がちがうのか」こそ追究すべきことの本質なのに。 こぞってこんなセンセーショナリズムに走るとは、東スポよりたちが悪い。

 --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (0)

列島これでいいのか 草花だって子孫を残す

 草花にも劣る若者があふれている。うちの息子は、彼女がいたりいなかったりだからまだましだ。息子のある友だちは、「女の子と一緒にいるより、ちいさい子と遊んでいたほうがいい」と言い切る。ぼくも面識があるが、イケメンですらっと背が高く、優しくて運動神経もいい申し分ない好青年なのに。こういうタイプは、息子の周囲にいくらでもいるらしい。

 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が2012年元日に発表した調査結果は、いまさらではあるが、やはりショッキングだ。18~34歳の未婚者を対象に調べた。

 男性の61%が「交際している異性がいない」と答え、2005年の前回調査から9.2ポイント増えた。交際している異性がいない女性は50%だった。

 少子高齢化が深刻化する日本でさらに深刻なのは、交際相手のいない男女のうち45%が、「異性との交際をとくに望んでいない」と答えた事実だろう。

 「別に恋人なんかいなくてもいいもん」から「恋人なんていないほうがいいもん」まで、青年男女の草食化、非動物化はますます進んでいる。

 ぼくらが若いころには、女の子に興味・関心・欲望がない男なんておかま、ゲイ以外にはいなかった。とくに大学へ入ると、男女のカップルが雨後のたけのこのようにぼこぼこ出来た。まだ相手のいない者は、男でも女でも、せっせと合コンなどに顔を出した。そのころ、王様ゲームなんていうものはなく、いまでもぼくはどんなことをするのかよく知らないのだが。

 日本家族計画協会がやはり2012年初めに公表した数字では、16~19歳の若者のうち、セックスに「関心がない」「嫌悪感がある」と答えた男性は36%、女性は59%いた。前回2008年調査から、男性が19ポイント、女性も12ポイント増えた。

 去勢された宦官でもあるまいに、恋愛やセックスに興味を示さない童貞・処女が、ぐんぐん増えているわけだ。女性に関心のない息子のイケメン友だちはたしかに例外でもなんでもないことを、こういうデータは示している。

 たとえば韓国では、若者の草食化現象など見られないという。その他の国ではどうなっているのか。元特派員として言わせてもらえば、日本のマスメディアは、国際政治の薄っぺらい報道にかまけているより、もっと深刻なこういうテーマの海外取材に力を入れ、打開策を探ったほうがいいのではないか。

 当然ながら、日本で生まれてくる赤ちゃんの数も確実に減っている。社人研が1月30日付で発表した推計によると、50年後に人口は3割減り、高齢者が全体の4割を占めることになる。いま以上の超高齢化社会になるわけだ。

 日本はシングルマザーやシングルファザーが少なく、「結婚して子どもが生まれる国」とされている。社人研の推計では12年の婚姻件数も過去最低の67万組となる見込みで、この点でも出生数が減少するのは避けられない。

 だから、できちゃった結婚などは国をあげて奨励すべきことだ。

 ITの発達でこれだけ手軽にポルノグラフィが見られる時代になったからこそ、男は去勢がちに、女性はセックス忌避がちになるのだろうか。学校で性教育に加え「ポルノとの正しいつきあいかた」「簡単な子どもの作りかた」を必修科目にすべきかもしれない。

 そもそも、草食系という言葉自体に問題がある。草食動物は草を食べて子孫を作るし、花にだってオシベとメシベがありそこら辺にはびこってDNAを残す。それさえできない人類のある種族は、もはや草食動物でも草花でもなく枯れ木に近い。作りたくて作れない人たちは別として。

 日本はお先真っ暗な感がある。それは先進国共通の悩みでもある。高齢化率の将来見通しのグラフを見ると、日本が最悪だが、ドイツ、フランス、スウェーデンなども大変だ。

 一方で、英誌エコノミストは、経済的繁栄の指標はひとり当たりのGDPだから人口減少を気にする必要はないとしている。

 <労働力が不足し、労働効率を高めるため最新技術を導入する圧力が増すので、生産力はより速く上がるはずだ。労働力供給を増やすため、定年を引き上げることもできる。高齢化、人口減という新たな人口統計は祝うべきたぐいのものなのだ>

 <人類はかつて多産多死の落とし穴にはまった。いま、少産少死の自由な世界に逃れてきたのだ。政治家たちは国家の経済力の凋落を恐れるかもしれない。しかし、国民は新たな人口統計を黄金時代の到来を告げるものとして祝うべきなのだ>

 そううまくことが運ぶだろうか。

 異性に興味がない、セックスをしない、結婚をしない、子どもを作らない若者たち。しかも、男性の約5人にひとりが“美白願望”を抱いているとするデータもある。

 ぼくは、未知の“環境おかま型去勢ホルモン”が列島を覆っているとにらんでる。それに、漫画やアニメがいくところまでいき、集団アイドルもはびこって、生身の異性と1対1で相対し悪戦苦闘する動物としての本能が、ますます退化しているのではないか。

 嗚呼、放射能ではなく男性ホルモン、女性ホルモンをそこらじゅうにばらまく方法はないものだろうか。

 --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (0)

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »