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受験生は読まないほうが無難だが 『宇宙に外側はあるか』

 ε-δ (イプシロン‐デルタ)論法というものがある。ぼくは、大学は文系だが高校時代は理系だった。高校2年の冬、クラスでは数学の教科書がとっくに終わってしまい、担任でもある数学のA先生は言った。「ちょっと早いかもしれないが、大学の数学科で習う《関数の極限の定理》について教えてあげよう」

 それが、ε-δ 論法だった。高校の数学では微分と積分を習う。しかし、それは厳密な定義や論理を省略して教えられており、解析学としてきちんと基礎を体系づけるのがこの論法だ、と先生は説明してくれたように記憶している。

 黒板に見慣れない数式を書き連ね、口角泡を飛ばして授業する先生の迫力に押され、ぼくはその論法が理解できたように思った。クラスの大半は「うーん、むずかしい」とうなっていたが。

 しかし、それからがぼくにとっては大変だった。やがて春休みに入り、そろそろ大学入試のための勉強に本腰を入れなければならないのに、ぼくの頭のなかではε-δ 論法の数式が飛び交って消えなかった。

 春休みを利用して、おなじ部活の男女数人で東洋一の高さの灯台がある出雲の日御碕へ遊びにいったのだが、ぼくは友だちとまったく会話できなかった。いま考えれば、一種のうつ状態になっていたのかもしれない。ぼくが岬から日本海へ飛び込むのじゃないか、と友人らはずいぶん心配したと後で聞いた。

 何かひとつのことを考えつめるというのは、かくのごとく恐いものだ。『宇宙に外側はあるか』(松原隆彦著、光文社新書)を読んで、あの春休みのつらい日々を思い出した。

 この本は、タイトルから想像されるとおり宇宙について書いている。<なぜ、宇宙は存在するのか、と考えたことはありますか。…現代の宇宙論は、そんな大それた疑問にも科学的な答えを見つけようと、少しずつではありますが歩みを進めています>

 本の前半は、ふつうの宇宙論本と大差ない。われわれが認識できるのは縦・横・高さの空間に時間をあわせた4次元だが、ストリング理論(超ひも理論)では10次元あると考え、M理論では11次元と考えられていることなどを紹介する。宇宙論のおさらいと言ってもいいかもしれない。

 <この宇宙を生み出す土壌ともいうべき「無」には時間という存在はなく、空間や物質などとともに時間も一緒に現われ出てきたということになります>

 <この考えに立つと、宇宙の始まる前に何があったかを問うことはちょうど、地球上で南極よりも南に何があるかを問うようなものです>

 南極よりも南に何があるかという発想は、地球が丸い、つまり3次元であると知っている現代の人類には意味がない。でも、人類はせいぜい4次元までしか認識できないから、宇宙の始まる前に何があったかとつい疑問を抱いてしまうのだろう。

 では、宇宙はいくつあるか。ストリング理論、M理論とも、当初はこの宇宙を唯一絶対の存在として想定していたそうだ。しかし、研究、推論を進めると、逆に、膨大な種類の宇宙があり得るという可能性が導かれた。<論理的に可能な宇宙の数は、1兆を41回1兆倍して、さらに1億倍したほどの数(10の500乗)ほどもあるといいます>

 宇宙Universeに対して多宇宙Multiverseという考え方がうまれた。欠点は、それをあるかどうかを確かめる手段が、いまのところ見当たらないことだ。

 とほうもない話だが、まあ何となく理解できなくもない。だが、本の後半はほとんど哲学書となり、受験生などには“危険水域”になってくる。

 <現在は次々と過去になっていき、現在は次々と未来からやってきます。未来が過去へと押し流されている、その境目が現在だというように感じます。このような感覚は明らかに、私たちが現在という時間しか一度に認識できないことから来ています>

 著者によれば、物理学において時間は単にラベルのようなもので、出来事の順序を表す数字にすぎず、現在、過去、未来という絶対的な区別はない。<人間がこの世界を論理的に把握して生き抜いていくために、そういう概念を作り上げているのかもしれない>

 この世がどうなっているか、宇宙がどうなっているかというのは、個々人の認識の問題になってくるらしい。つまり、主観の問題であり古典哲学に回帰する。

 著者は問いかける。<あなたは次のどの段階まで「存在する」と言えると思いますか>

 ①自分の目で実際に見ることのできる宇宙の範囲 ②人類がこれまでに観測したことがある宇宙の範囲 ③まだ人類には観測されていないが、原理的には観測できる宇宙の範囲――これが⑦論理的に存在不可能な別の宇宙、まであげられている。

 この本を熟読して、「群盲象を撫ず」という言葉を連想した。目の見えない大勢の人びとが象を撫で、ああだこうだと象の姿を主張して互いに譲らなかったという故事だ。宇宙という象はあまりに大きく複雑怪奇で、触っても匂いを嗅いでも全体像など想像を超える。

 ちなみに、数学教育界では高校でε-δ 論法を教えるべきだとする意見が根強い一方、大学ですら不要とする意見もあるという。まあ、高校ではやめておいたほうが無難だが、あえて挑戦させる教育もありか。

 この本なども、“禁書”にしないで、若者が大いに考え悩むのがいいかもしれない。

 --毎週木曜日に更新--

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