« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月

ブータン 97%「幸せ」の表と裏

 しあわせは いつも じぶんの こころが きめる

 相田みつをに、こんな言葉があるそうだ。息子の誕生日祝に、あるギフトショップが持参したハンドタオルに書いてあった。

 やはり、幸せと言えばブータンのことを思う。ぼくは、ニューデリー特派員をしていた1988年と89年に、あのヒマラヤの王国を訪れた。当時33歳という若き国王に、王宮の執務室で会見した。

 イギリスに留学しきれいなキングズイングリッシュを話す、りりしい君主だった。すでに1970年代、自国の伝統文化の価値を再確認し国民の幸福を重視する指標として、『国民総幸福(GNH)』という言葉を作り出していた。欧米や日本で国の金銭的・物質的豊かさを表す国民総生産(GNP)を意識したものだった。

 ぼくは、会見記を新聞に書いた。でも、そのころはブータンそのものが日本ではほとんど知られておらず、記事で紹介したこの造語にも、あまり反響はなかった。

 あの国にも、行った者でなければわからない空気がある。国王がそういう言葉を考え出し、国民の心と社会に浸透させようという意図はじゅんぶんに理解できた。

 そして、20数年が経ち、日本のメディアではブータンが「幸せの国」として紹介されるケースが激増した。

 第一には、先代国王の後を継いで即位した子息の新国王夫妻が、2011年11月に来日し、強烈な印象を残していったのが、大きなきっかけだろう。そして、大震災後の日本人は「幸せとは何か」というテーマを、日々意識せざるを得ないからでもあるだろう。

 先代国王は、GNHを測る物差しについてこう言っていた。「たとえば5年、10年ごとに自分たちの暮らしを振り返ったとき、少しずつよくなっていると国民の多数が考えるかどうかです」

 いま日本で、5年後、10年後の暮らしを考え、「明るいだろうさ」と言える人がどれだけいるか。だから、行ったこともないブータンに、あこがれの理想郷をみようとする。

 それにしても、ワイドショーなどのブータン報道は、あまりにも浅くステレオタイプではないか。現地へスタッフを送り込むのはいいが、道行く人に片っ端から声をかけ「あなたは幸せですか?」と聞き歩く。

 みんなが「はい」と答えると、レポーターは「やはり、国民の97%が幸せと感じている国ですねぇ」と感心し、それ以上の突っ込んだ取材を放棄する。

 ぼくが訪問した20数年前、国内にテレビ放送局はなく、お金に余裕のある人は屋根にパラボナアンテナをつけて、インドの放送を受信していた。ビデオデッキのレンタルも首都ティンプーでは少しずつ始まっていた。まだ、人びとは外界をほとんど知らなかった。

 それからしばらくして、インターネットの導入などで情報がどんどん入り込むようになり、外来文化に伝統が浸食されることを恐れる機運がたかまった。

 朝日新聞夕刊連載は、2012年5月、「幸せの国」の現実に踏み込んだ。

 連載1では、山の中腹に建つ石造りでトタン屋根の質素な家に、乳児と暮す母親ペマ・ヤンゾムさん(28)を紹介している。夫は家に寄りつかず、たまに戻ってきてはなけなしの金を持っていく。栽培するトウモロコシは食べる分にも満たない。

 <「食事は1日1回。2回食べることはあまりない。金がなくてお米は買えない」。「楽しいことは何もない」と言うペマさんにあえて聞いた。「あなたは幸せですか?」>

 答えは「はい」だったという。

 連載2では、ある女性(37)のこんな声もある。「豊かじゃないが、私たちには土地がある。それにブータンには戦争がない。平和だ。それは幸せです」

 コップに半分の水があるとき、人はどう答えるか。「まだ半分残っている」「もう半分しかない」。かの国では、前者のように答える。

 97%の人が「幸せ」という舞台裏はどうなっているのだろう。人口67万人から抽出した8,000人にそれぞれ5時間ずつもの面談を行い、計72項目について質問し国民の意識、生活などについてデータをとる。

 2005年の調査で「あなたは今幸せか」という問いに対し、45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と回答した。

 国民は、敬愛する国王がGNHを提唱していることをよく知っている。あの純朴な人びとが、政府関係者に「幸せか」と聞かれ「いいえ」と答えるには、相当の勇気がいる。1日1回の食事で生きる若妻の言葉の背景には、こんな事情がある。

 97%の「はい」は必ずしも本音ではないかもしれず、GNHという言葉の魔力による国是なのだ、と考えればわかりやすい。

 かつて、ぼくがおしゃべりした青年は言っていた。「幸せですよ。もし外界のことを知らなければね」。彼は外務省職員で、できれば外国に早く行きたがっていた。

 近年、テレビなどの普及で、若者の非行、犯罪が増え社会問題になっているという。当たり前ながら、ブータンでも単純にみんなが幸福感を抱いているわけじゃない。

 「幸せはいつも自分の心が決める」のは、どの国民にも通ずることではあるが。

 --毎週木曜日に更新--

思わず笑っちゃう木佐芳男の電子書籍、アマゾンで好評発売中『ブーゲンヴィリアの祝福 日本人カースト戦記』

| | トラックバック (0)

暗闇をほんとに魔女が飛ぶ国

 ドイツのボンに住んでいるとき、隣の都市ケルンによく行った。ある日、用がすんで街をぶらぶらしていると、道端の老女に目がテンになった。

 その老女は、見た目で70歳くらいだった。だぶだぶの黒い衣装をまとい、パーカーのようにフードを被っていた。鼻は大きくかぎのように曲がり、顔はしわくちゃ、目も唇も薄かった。

 街に魔女がたたずんでいる! と一瞬ほんとに錯覚した。ぼくたちが、白雪姫の絵本やアニメで知っている魔女そのものだった。

 でも、街を行く人たちは誰も気にとめない。

 白雪姫の話などは、誰かが頭のなかで創作したものだとぼくたちは考えがちだが、少なくとも登場人物の風体は、今でもヨーロッパの光景のなかにある。

 たとえば、これもケルンでのことだが、やせ細って髪とひげが長くイエス・キリストそのものとしか思えない男性を見かけ、びっくりしたこともある。

 ドイツで、魔女の怪しげな話を耳にすることはなかったものの、ミュンヘンへ行ったときは、女子高校生を中心に黒魔術が流行っていて、先生たちが頭を悩ませていると聞いた。そのときは、極右・ネオナチの取材に集中していて、黒魔術がどういうものなのか、残念ながら調べる時間がなかった。

 それから10数年が経ち、朝日新聞の2012年3月9日の記事に目がとまった。東欧ルーマニアで魔女が騒動を起こしているという。

 それ以前にも、この国で、魔女たちが所得税を払う払わないで当局ともめている、という短い記事が載ったことがある。そのときは、魔女とは何かが書いてなかったため、税金以前の問題として、現代でも魔女がいるんだと不思議に思うだけだった。

 ルーマニアでは、呪術師や占い師をしている女性のことを魔女と呼ぶのだという。1965~89年のチェウシェスク独裁政権時代には魔女として投獄された女性もいたそうだ。そういう意味では、魔女裁判で知られる中世のころと大差はない。

 ぼくは、ポーランドやチェコには何度も行ったが、ルーマニアには残念ながら行く機会がなかった。でも、日本で記者をしているころ、独裁者チャウシェスクの息子ニックに単独インタヴューしたことがある。想像通りの馬鹿息子で、日本の北のほうの独裁者の息子を想像してもらえればだいたい当たっているだろう。

 ニックは、こっちの質問はまったく無視して一方的にまくしたて、もちろん、記事にできるような内容はなかった。あの馬鹿息子らがソ連の後ろ盾で「共産主義者」として権力を握り、横暴に振舞っていたころ、かの魔女たちは厳冬の時代を送っていのだ。

 魔女たちは、東欧革命でチャウシェスク一族が惨殺されいちおう民主化されたあとも、法律の枠外に置かれてきたという。一部は闇社会とも結びついているらしい。税金云々の話もそういうことを背景に出てきたのだろう。

 占い師と言えば、最近では日本でも、女性お笑い芸人のトピックが芸能マスコミをにぎわせたから、あまりよその国のことは言えないが。

 ルーマニアには2,000人以上もの魔女がいるそうで、話のスケールも大きい。朝日の記事によると、テレビにも出演する売れっ子の魔女ふたりが「呪い」をめぐり大金を得ていたとして逮捕され、芸能界にとどまらず、政治家も巻き込んだ大スキャンダルになった。

 ふたりの魔女は、人気女優(39)から相談を受け、遺産争いをしている母親が別の魔女に頼んで女優にかけた呪いを解いてやった。その報酬として多額の現金や高級車、マンションなどを受け取ったが、女優がふたりの魔女との関係と絶とうとしたところ、男たちを雇って脅迫したとされる。

 ある市長が選挙がらみで魔女を陣営に引き込んだり、現職のバセスク大統領が強力な魔女を雇っているとし、大統領選で敗れた候補が別の魔女に協力を頼むなど、魔女がらみの事件があいついでいるらしい。

 そうした件で、日本円にしてそれぞれ数千万円の金が動いている、とされる点がすごい。ルーマニアの平均所得から考えると、とんでもない額だ。

 魔女に課税する話も、政治家らが反発する魔女の呪いを恐れ導入を見送った、とメディアは伝えているという。

 世論調査では、魔女の力を信じる人が70%、呪いを信じる人も60%いるそうだ。いまでも中世か! と突っ込みを入れたくなるところだが、日本でも1000年以上前には、呪いや怨霊のたたりが非常に恐れられていた。

 最近、趣味で読んでいる古事記や日本書紀には、都に疫病が流行ったときなど、神のたたりを鎮めるためにあの手この手をつくしたことが記されている。その相手というのが、なぜか「出雲の大神」、つまり大国主命だ。記紀には触れられていないが、大和政権は出雲に対してよほど恨みを買うことをしたのだろう。それが古代史最大の謎だ。

 共産主義は宗教をアヘンだと言って弾圧した。その反動として、ルーマニアでは魔女が闊歩しているのかもしれない。

 まあ、日本にも、あの人魔女かもしれないなぁ、という女性がいたりする。

 --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (0)

春爛漫の北信濃で十割蕎麦を味わう

 すでに暦の上で立夏はすぎたが、北信濃路は春爛漫、百花繚乱だった。

 長野市にあるかみさんの実家に用があって上信越道を愛車で飛ばした。少し時間が早かったので、ひとつ先の須坂長野東ICで降りて、小布施町に入った。街路わきではハナミズキの可憐な白とピンクの花が満開だった。コブシの白花も見ごろだ。

 ところどころの家の庭先には、紫や珍しい白のフジの花房がびっしりと垂れ下がっている。黄のレンギョウも盛りで、足元には臙脂の芝桜やタンポポの黄色い花が咲いている。

 一番懐かしいのは、リンゴの白花だった。30年以上前、長野市に住んでいるころ、リンゴの花のあまりの可憐さに心を打たれたことを思い出す。ちょうどそのリンゴの花とおなじ白のヘアバンドをしていた少女にであった。それがいまのかみさんだ。

 小布施町へ寄った第一の目的は、千曲川にかかる小布施橋一帯、通称「桜堤」の八重桜を観るためだった。ある雑誌のグラビアで「4kmにわたって600本も続く八重桜の並木」を見つけた。

 例年は、GWに満開となるそうで、この春は寒いから連休明けでも花は残っているかな、と期待していった。長野市の実家で跡取りをしている義弟は「噂では聞いたことがあるけど、実際に観たことはないね」と言っていた。

 連休の最後に急に気温が上ったためか、花は7割がた散っていた。それでも「花は盛りに 月は隈なきをのみ 見るものかは」という『徒然草』の言葉が思い出されるほど、八重桜の並木は見事だった。幼稚園の子どもたちが先生に引率されて、花の下の草地で遊びまわっていた。

 八重桜は濃いピンクだが、小布施の街にはまだ、淡いピンクのソメイヨシノや真っ白の山桜も咲いていた。信州を離れて丸29年、この季節はこんなに花がきれいだったかな、と都会暮らしで忘れていたものを思い出した。

 小布施町でのもう一つのお楽しみが、手打ち蕎麦だ。あれはいつだったか、子どもたちをかみさんの実家にあずけて、ふたりで長野市から志賀高原のほうへ走っているときだった。

 ちょうどお昼時になったので蕎麦でも食べようと、何気なしに県道わきの店に寄った。駐車スペースは2台分しかない、あまり商売っ気の感じられない店だった。深く考えもせず、ざる蕎麦をふたり分たのんで、店内を見回すとサイン入りの色紙が壁にずらっと貼ってある。たしか、美空ひばり、石原裕次郎、北島三郎など大スターのサインもあったと思う。

 ひょっとして、ここは知る人ぞ知る信州屈指の名店なのか。店名をみると『朝日屋』となっていた。

 出てきたざる蕎麦をみて、まずその量にびっくりした。都心の名のある蕎麦屋の2倍はありそうだ。ひと口食べてまたもびっくりした。

 ぼくは出雲の出身だから、出雲蕎麦は食べ慣れている。相当うまい店も知っている。長野県にも5年間住んでいたから、信州蕎麦の名店というところにも通った。

 しかし、朝日屋の蕎麦はそれらを軽く超えていた。かみさんもびっくりしている。聞けば、つなぎ粉3蕎麦粉7の三七蕎麦だという。それで、こんなに風味があるとは。麺は細目でコシがある。更級産の蕎麦粉を使っているそうだが、更級蕎麦のように白くはなく、グレーといったところだ。つゆは濃く甘めでカツオ出汁が効き、薬味に天かすが入っている。それが、蕎麦と絶妙にマッチしており、わずか650円だった。

 蕎麦を食べて心底びっくりしたのは、後にも先にもない。いつか機会があったら、また食べにこよう。かみさんと話し合った。

 そして、小布施町へふたたび来た。意気込んで朝日屋へいくと、無情にも「本日休業」の木札がかかっている。あ~あ、せっかくきたのに。数件手前にも蕎麦屋があったので、あまり期待もせずそこへ入った。その店は『富蔵屋』といった。

 小布施町はこじんまりしているが、文化の香り高いちょっとした観光地だ。「画狂」と呼ばれた葛飾北斎が晩年に長く逗留し、70年にわたる画業の集大成をはかったところであり、作品を集めた『北斎館』などがある。

 富蔵屋は混んでいた。かみさんもぼくも、田舎十割蕎麦840円を頼んだ。注文を受けてから打つらしくかなり待ったころ、やっと出てきた。この店も一人前の量がやたら多い。これが小布施流なのか。蕎麦粉だけで打つのは極上の腕がいるとされる。蕎麦殻まで挽き込んで打つので黒光りしている。

 この店の主人は、ある日本旅館の料理長をしていたころ蕎麦の魅力に取りつかれ、蕎麦職人として独立したという。十割蕎麦は、さすがにソバーッという感じがして、これはこれでかなりうまい。難点は量の多さかもしれない。お品書きをよくみると、二八のざる蕎麦735円というのもあった。ひとりはこれを頼んで十割蕎麦と食べ比べてみればよかった。

 郷里の母にあるとき、「出雲蕎麦と信州蕎麦とどっちがうまいかネ」と聞かれたことがある。迷わず「まあ、信州だね」と朝日屋を思い浮かべながらいった。その思いは、小布施の富蔵屋によって補強された。でも、今度いくならやっぱり朝日屋だが。

 --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (0)

尖閣諸島 朝日主筆のご高説は情けない

 尖閣諸島の「尖」という字は、島の尖っている形状からきているという。日本と中国が角を突き合わせている様を表すのに、あまりにもふさわしい名前だ。「尖」は、辞書によると、「物の先がとがって、するどいこと。転じて、思想・行動が急進的なこと。また、そのさま。」となる。「閣」は、だらしない閣僚、閣議、内閣を連想させる。

 昨年末ごろだったか、雑誌SAPIOで尖閣諸島を所有する埼玉県の人物が取材を受けていて、あの国益の象徴ともいえる島がいまでも民間の所有であることを改めて知った。その人物がわが息子の親友の親戚筋に当たるらしく、人一倍、尖閣問題に関心を持った。

 石原慎太郎東京都知事が2012年4月16日、突然、「尖閣諸島を都で買う」と言いだし、大騒ぎになった。民主党政権は領土問題への感覚がにぶく独立国の「内閣」として呈をなしていないのに業を煮やし、「政府が買わないなら都で買って領土・領海を守ってやる」ということだろう。

 こういう事態になると、テレビには必ず平和主義者だかなんだか知らないが、中国におもねり、力による対決を排除しようとする解説者や評論家が登場する。購入に反対する根拠として、「地元の合意ないし同意がなく頭越しの議論だ。これは米軍基地問題と同じだ」と繰り返し語っていた。

 だが、地元・沖縄県石垣市の中山義隆市長が、23日、都庁を訪れ、石原知事に「早く都で買ってほしい」と要請した。後日、都と共同購入する希望も伝えた。地元の声ははっきりしているのだ。

 自分で頭がいいと思い込んでいる人は、机の上で「平和とはどうあるべきか」なんて考えがちだが、別に日中間にかぎらず、世界の国境線では時に武力行使をともなうにらみ合いがつづいている。一部日本人の“平和ぼけ”によるひとりよがりの平和志向など、現実が吹き飛ばす。

 そのことを、一般国民はとっくに知っている。2010年9月、尖閣諸島付近で発生した中国漁船衝突事件で、日本の海上保安庁が中国人船長を逮捕しながら、弱腰政府の判断で釈放してしまったことを忘れてはいない。

 ネットユーザーの意見をすくうクイックリサーチ社は、2012年4月17日~4月27日に東京都の尖閣諸島買い取りに賛成か反対かを端的に聞いた。統計に基づく世論調査ではなくあくまでアンケートによる参考の数字にすぎないが、結果はくっきりと出た。

    賛成:92%( 204,243 票)
    反対:07%(  14,923 票)

 「わからない」と答えたのは2% (4,177 票)だった。ネット上では意見がナショナリズム に傾きがちで、賛成が多数派になることはある程度予測できる。それにしても、賛成が反対の13倍以上も占めているのをみると、世論の傾向ははっきりしている。

 石原知事が尖閣諸島の購入構想を明らかにして以降、4日間で約3,500件の意見が都に寄せられ、その約9割が賛成だった。購入金額は約12億円とされ、4月27日に購入資金への寄付を募ったら12日間で3億円を突破した。

 こうなってくると、左翼えせ平和主義のオピニオンリーダーである朝日新聞はどうするのか。4月23日の朝刊に若宮啓文主筆のコラムが載っていた。主筆というのは社論の総責任者で、まあ、一番えらい記者のことだが、そのご高説は情けない。

 若いころから反中派政治家だった石原氏の言動を短くふりかえって酷評し、こう書いた。

 <今度は言葉の問題ではないだけに、政府も無視はできない。むしろ直視しなければならないのは、長らく日中双方があうんの呼吸でしのいできた尖閣の問題が昨今大きく変化し、石原氏の言動に一定の説得力をもたせたという事実だ>

 でも、<石原氏が前面に出たのでは逆効果だ。むしろ(中国の)軍拡に拍車をかけかねない>とする。

 そして、<国が買うのもよかろう>とし、<その場合は領土への強い国家意思を示すというより、無用の混乱をさけさせるためだと中国側に分からせなければならない>と、訳のわからないことを述べる。

 国が尖閣を買うとなれば、領土への強い国家意思を示すこと以外の何ものでもない。

 コラムは、<両政府に求められるのは大人の対応である>としめくくる。<尖閣の問題が昨今大きく変化し>たのは、中国の軍拡・領土拡張路線のせいなのに、<大人の対応>などという意味不明、翻訳不能の言葉を持ち出してお茶をにごす。

 武器をかまえて乗り込んでくる相手に、「まあ、まあ、大人の対応をしましょう」ってか!?

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という日本国憲法前文の呪文にかけられているから、こういう間の抜けた結論になるのだろう。諸国民は平和を望んでいるだろうが、国家としての中国や北朝鮮が平和を愛しているとは思えない。

 おなじ朝日でも4月21日の『天声人語』のほうが理解できる。<隣人との友好は大切だが、腫れ物に触るような毎度の外交では、先方がさらに踏み込んでくるかもしれない。こと主権に関しては筋を通し、争点はとことん話し合うのがまともな国だろう>

        ◇  追記  ◇

 上の原稿を書いた翌日、週刊文春2012年5月17日号が、くだんの若宮啓文主筆をめぐる醜聞をスクープした。中国出張の際、海外出張は内規でできないはずの内勤の女性秘書を個人的に同伴し、会社の経費でビジネスクラスに乗せともに高級ホテルに宿泊していたというものだ。

 これだけなら個人的なスキャンダルですむが、出張の目的のほうがより重大だ。若宮氏は、おもに日中間の歴史認識を題材にした自著『和解とナショナリズム 』(朝日選書)の中国語訳出版記念パーティに出席していた。

 問題はパーティの主催者で、中国外交部(外務省)の別動隊とされる中国人民外交学会だった。中国政府そのものと目される団体で、そのお歴々に嬉々として出版を祝ってもらったわけだ。これぞという日本人を巧みに取り込む中国のいつものやり方だ。

 日本の代表的なジャーナリストが、共産党独裁下で人権弾圧や軍拡路線をとる中国とつるんでいることが、改めて明るみに出たことになる。だから、請国参拝問題などでも、あの人の書くものは「どこの国の立場で書いているんだ」と思わせるものが多いのだ。中国の言論スパイみたいな役割をになっている。

 こんな人物が社論を牛耳る朝日新聞に、尖閣問題はもちろん平和や民主主義、人権について偉そうに書いてもらいたくない、と思うのはぼくだけではないはずだ。

 --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (1)

越後の隠れ宿 ビートたけしと満点の星

 山肌の残雪が、キツネの形や幾何学模様を描いている。久しぶりに、春の越後路を愛車で飛ばした。とはいっても、ハンドルを握っているのはお抱え運転手のかみさんだ。

 新潟県長岡市に仕事で行く用事があったところへ、チケット共同購入サイト『ポンパレ』をのぞいていたら、隣の魚沼市の大湯温泉・村上屋旅館が、1泊2食付で7,500円と格安ででていた。

 このサイトは、ホテル・旅館から居酒屋、取り寄せ食品、化粧品、事務機器などまで、なんでも50%以上オフで載っている。一度購入したらキャンセルできないが、なかには90%以上も割引くたたき売り品目もあったりして、みているだけで楽しい。

 仕事を片付けちょっと引き返して大湯温泉に着くと、山あいの静けさのなかにあった。作務衣を着たお姉さんがウェルカムドリンクとして、雪下ニンジンのジュースを持ってきてくれた。雪の下で育った越後特産のニンジンで、リンゴジュースを少し加えたとはいえ野菜とは思えないほど甘い。

 お姉さんが宿の説明をしてくれた。ポンパレでチケットを購入した客は、客室最上階の眺望のいい部屋に泊れる。駒ヶ岳を見晴らす屋上のパノラマ露天風呂を40分、無料で貸切にできる。ふつうは税込1,050円で提供している自慢の風呂だという。

 さらに、夕食には地酒3種各1合瓶が1本ずつつく。そんなサービス、ポンパレの案内にはなかったぞ。サイトに載せないサービスをしてくれる宿泊施設はこれまでになかった。実際にはたいしたことないサービスでも誇大アピールするところが多いのに、なんという謙虚さ、サプライズ。これが越後式の奥ゆかしさか。

 8階の大浴場、屋上の天上露天風呂のほか、地下2階に渓流をまぢかに臨む貸切風呂がふたつあるという。「《どうぞ》という札が下がっていたら予約なしでいつでもお入りいただけます。時間は無制限です」。これも珍しいサービスだ。

 部屋でメニューをみたら、地酒は3本セット1,800円で売っている。

 ポンパレでチケットを買う旅館や飲食店には、良心的なところももちろんあるが、なかには食材やサービスの質を落とし、実質的に割引でもお買い得でもないケースもちょくちょくある。

 うちのかみさんが言う。「値段も値段だから、あんまり期待もしていなかったけど、この旅館、大当たりじゃない!?」

 さっそく浴衣に着替えて、地下の貸切風呂に行った。地下とはいっても旅館そのものが崖に建てられ、たしかに窓から渓流がみえる。佐梨川とかいう川では雪解け水がごうごうと流れている。

 大湯温泉は、開湯1,300年を誇る。奈良時代の僧・行基がこの地を訪れ錫杖で地面を突いたら温泉が湧き出したという伝説がのこる。

 村上屋旅館は創業約200年だそうだ。当6代目当主の夫人で女将の桜井めぐみさんは、この旅館に嫁いで35年ほどになる。「ポンパレでお客さまを募集したのは初めてです。この冬は新潟でも雪がとくに多く、ニュースでは繰り返し大雪による被害が報道されました。この辺りでは4メートルほど積もっただけでふだん通りでしたが、お客さまがめっきり減ったので、春に挽回しようと募集に踏み切りました」

 ポンパレでは手抜きをするところがあることも知っていたが、「お客さまが気に入ってリピーターになってもらえるように、いつも1万5,000円で提供しているサービスをほぼそのまま半額にしました」

 昭和20年代から、新潟・福島県境で奥只見ダムの工事が行われ、大湯温泉は大いににぎわったそうだ。「バブルがはじけた13年前まではストリップ劇場があり、立ち見のお客さんが出るほどでした。すずらん通りというところには30軒ほどの店がずらっと並び、スナックからは明け方までカラオケの声が響いていたものです」

 部屋には、新潟日報が発行した『新潟文化』(2012年2、3月号)という雑誌があった。県内の温泉特集で、トップが大湯温泉だった。最盛時には約60人の芸妓をかかえ、射的屋だけで15軒、ほかにパチンコ屋、スマートボール屋、釣り堀、サウナがあり、遊郭もあった。

 無名時代のツービートも営業にきた。ビートたけしさんの自伝的小説『漫才病棟』には、ここのストリップ劇場がモデルになったらしいエピソードが出てくる。<前日に警察の手入れがあり踊り子がほとんどいない中、漫才をしたら、客席から罵声が飛んできてモノが投げつけられ、浅草へ逃げ帰った>

 さびれた山あいの温泉宿というのがいい。越後もち豚のしゃぶしゃぶと岩魚の塩焼き、季節の山菜コゴミやウドを堪能した。ご飯はもちろん、魚沼産コシヒカリの銀シャリだ。

 昼間は曇っていたが、夜がふけるにしたがって晴れあがっていった。星の数がみるみる増えていくことでそれがわかった。かみさんと、屋上のパノラマ露天風呂へ行った。満点の星で、北極星や北斗七星がくっきりみえた。

 女将さんが言った。「夏の終わりごろから秋にかけ、またおいでください。天の川がよくみえます。満月の夜も山の稜線が浮き上がってきれいですよぉ」。行く、行くっ!。

 --毎週木曜日に更新--

| | トラックバック (1)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »