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2012年7月

東北人、東北人魂、風評被害――福島にて

 東北大震災を受けてのメディア報道で、どうしてもピンとこない言葉がある。

 <東北人>と<東北人魂>だ。あれって何なんだろう。

 東北の太平洋側で大変な被害が出て、原発事故もあり、「おなじ東北人としてできることを」とかいう。Jリーグには「東北人魂を持つJ選手の会」というのもできた。

 ぼくは中国地方の島根県に生まれ育ったが、<中国人>とか<中国人魂>などという言葉は聞いたことがない(^▽^)。

 岡山県で震災被害があったとして、島根県人が「おなじ中国人だから、何を投げ打ってもサポートしなけりゃならない」とかいう話の進み方はしないんじゃないかと思う。

 もちろん、近県のことだから、救援物資を運んだり、場合によっては被災者を受け入れたりはするだろうけど。その場合でも、<東北人>という言葉から感じられる独特の地域性みたいなものは、たぶんないだろう。

 そんなことを頭の隅で考えながら、福島県に行った。大学のクラブ合宿で磐梯山麓の民宿に泊まって以来だから、38年ぶりだった。

 猪苗代湖はある程度の人出でにぎわっていると思いきや、まったく閑散としていた。観光船の乗り場付近には2、3人しかいない。

 湖畔の食堂も、お昼時だというのに、客はまばらだった。焼き団子などを注文し、テーブルにあった地元紙・福島民報をめくってみた。

 やはり原発事故をめぐる記事が多い。『原発大難』というタイトルの連載記事もあった。県内の産業をどうやって再興するかというテーマのようだ。

 『放射能に負けない健康レシピ』というシリーズには、不謹慎ながら思わず笑ってしまった。だがもちろん、内容は大まじめだ。何をどう料理して食べたらいいかは、地元民の関心のまとにちがいない。この日のメニューは「大豆のかき揚げ」だった。

 <土の中に埋めれば、また芽が出て一粒が何十倍、何百倍にもなる食べ物こそが完璧です。生命力のある食べ物をしっかり食べて・・・><大豆はよく洗い、ゆでこぼしましょう。大豆はほとんど輸入ものなので、セシウムの面からは安心です>

 放射能汚染の恐れで生活をめちゃくちゃにされたしまった人びとの、不安や不信がにじみ出ている。

 食事を終え、店先の土産物コーナーにいるご主人に、震災時のことを聞いてみた。

 「この辺はあまり揺れず、棚が倒れて商品が飛び散るみたいなこともなかったよ。それより、風評被害がひどく、売り上げがさっぱりになったのがねぇ」

 湖から車で30分あまり山を登り温泉ホテルへ着いた。フロント係にも震災時のことを聞くと、やはり大きな揺れはなかったという。

 「エレベーターは止まりましたが、電気や水道、ガスは大丈夫でした。ただ、スキー、スノーボードのお客さんたちへの対応でてんてこ舞いしましたけど」

 そのホテルの別のスタッフに聞くと、風評被害はすさまじい。「うちのホテルは、雪のある繁忙期に、九州、関西地方の学校の冬季研修でにぎわうんですが、大震災以来、全キャンセルの状態がつづいています。放射能の影響はまったくないのに、フクシマというだけで親御さんたちがびびってしまって」

 このホテルは、以前からつづけている県内の老人会ツアーのおかげで、なんとか経営しているそうだ。福島県民は、どこがだめでどこが安全か知っているから、風評に踊らされることはない。

 ホテルロビーで読んだ朝日新聞の天声人語は、東京の代々木公園で前日に開かれた「さよなら原発10万人集会」に触れていた。主催者のひとり、ミュージシャン坂本龍一さんの呼びかけが引用されている。

 <福島のあと沈黙していることは野蛮だ>

 つまり、反原発の声をあげろと。言いたいことはわかるが、磐梯高原にいるいまでは考えさせられてしまう。

 ノーモアヒロシマのように、原発事故・放射能汚染がフクシマの名でシンボライズされて世界に発信される。しかし、福島県も広く、揺れもセシウムも関係ない地域がいろいろある。原発事故をフクシマとひとくくりにして叫ぶことへ、内心反発している福島県民がたくさんいるのも事実だ。

 ホテル大浴場のロビーで会った各地老人会の人たちに、東北人という言葉について聞いてみた。横浜市の出身で福島市に家を建てて住んでいる男性は言った。「東北人同士だからという連帯感みたいなものは、確かにあります。関東にはたぶんないものですね」

 東北人魂とは、厳しい気候に加え、古代の蝦夷征伐、幕末の戊辰戦争などで被害者、敗者となってきた歴史風土が生んだ、情念のようなものなのだろうか。

 会津若松市の男女はこんなことを口にした。「東北人としての連帯意識は高く、岩手、宮城の被災者を各地区で受け入れた。でも、あの人たち、補償をうんともらっているせいか“お金持ち”の雰囲気があり、むずかしい面もあります」

 福島という言葉も東北人という言葉も、きめ細かく考えなければ「野蛮」になる。

 --毎週木曜日に更新--

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いじめ 人類の後退と不調和

 2012年7月のいま、大津いじめ事件は全国の注目を集めている。

 あのニュースを聞いて、思い出したことがある。

 ぼくが高校生だったころ、同期のX君はいつからかヘンなあだ名で呼ばれるようになった。ある昼休みには、校舎の中庭にある大きな木に逆さ吊りにされた。寄ってたかってロープで縛られ、せーのっで吊り上げられた。

 その光景を、ぼくは校舎2階のベランダから目にした。X君も周りにいた者たちも親しい友だちだった。まあ、悪ふざけだろうと思った。

 X君は成績も良く容姿もふつうで、どこにでもいそうな高校生だった。だが、なぜか仲間うちでからかいの対象になっていた。

 1970年ごろのことだ。そのころ、「いじめ」という言葉は聞かなかった。いまで言ういじめはどんな時代にもあっただろうが、それを表す言葉が“発明”されていないと、概念自体が存在しないも同然になる。

 たとえばかつての日本には、「アメリカ人は肩が凝らない」という俗説があった。英語には「肩こり」という単語がなく肩をもむ文化もないから、とまことしやかに言われた。

 実際には、「肩こり a stiff neck」という言葉があり、マッサージというのももちろん英語だ。しかし、この俗説は言葉と概念の一例ではある。

 『エンサイクロペディア・オブ・ジャパン』には、1970年代初めから学校でのいじめが問題とされ始めた、とある。それはおそらく大都市部のことで、ぼくたちの身近でそんな話題は聞かなかったと思う。

 X君のことについても、ぼくはそう深刻にはとらえなかった。「いじめ」という言葉を知っていれば、全然ちがったかもしれないのだが。

 X君とは、卒業後、1回しか会ったことがない。ぼくは彼をヘンなあだ名で呼ぶこともしなかったし、仲はいいほうだったが、「高校時代の友だちとはあまり会いたくない」と言っていた。実際、帰省して学友たちに会っても、X君と連絡をとっている者はいないようだ。

 X君は、口には出さなかったが、いま思えばいじめがトラウマになっているのだろう。

 大辞泉によると、いじめという言葉は、「1985年ごろから陰湿化した校内暴力をさすことが多い」とされている。

 80年代半ばという時期は、ぼくの記憶ともあっている。当時、新聞社の外報部(現国際部)にいて、特派員として海外赴任する予定になっていた。新宿の英会話スクールに通ったのだが、そこのアメリカ人講師ブラウン君と雑談をしているとき、マスメディアで話題の「いじめ問題」に話がおよんだ。

 ぼくは、英語では、「いじめる、からかう、なぶる」という意味のtease、teasingを使うのかと思った。だが、ブラウン君は「bullyingというのがふつうだよ」と教えてくれた。

 それが1985年のことだから、「いじめ」という日本語が一般的になったのはそのときではないだろうか。

 いまやいじめは教育現場の大問題となった。特に、中学校でピークとなるらしい。さぞ、対策のノウハウも蓄積されているだろうと思えば、まったくちがうようだ。

 大津のケースはあまりにもひどい。市教委も学校も何をしていたんだろうか。隠ぺい、自己保身が目に余る。担任の教師らはいじめの事実を知っていた、とする事実が次々と明らかになっているが、校長は「学校としては認識していなかった」と強弁してきた。

 東京の某市教委に昨年度まで出向していた教員の友人は、苦しい本音を語った。「いじめたほうの子どもの将来を考えると、いじめを公式に認めるのはむずかしいんだ」

 海外でもいじめはますます増えている。アメリカの45州では「いじめ防止法」を制定しているが、いじめが原因で学校に行かない生徒は、1日あたり計16万人近くにもおよぶそうだ。法律でもどうしようもない、ということか。

 レディー・ガガは、14歳のころゴミ箱に放り込まれたり、廊下で吊るし上げられたりしたと告白し、いじめの根絶を訴えている。

 韓国でも、昨年末、いじめが原因とみられる中高生の自殺が3件つづいた。

 <人類の進歩と調和>は1970年の大阪万博のテーマだったが、いじめを見ても、人類は明らかに後退している。

 --毎週木曜日に更新--

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日本食・日本酒フリークのひとり言

     ――『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』番外編

 卵かけご飯のための醤油が売れているという。卵かけご飯のためのライスというのもあるようだ。たかが卵かけご飯だが、その奥は深い。

 ぼくは、心底からその奥の深さを知っている。

 インドのニューデリーに特派員として駐在していたとき、日本食への愛に目覚めた。なかでも、卵かけご飯は、夢のまた夢だった。

 日本に生まれ育ったから、日本食は当たり前に食べていた。むしろ、チーズやハンバーグを初めて口にしたときの驚きを覚えている。

 現代の日本は、食が欧米化していると言われる。だが、日本食というベースがあってこその欧米化じゃなきゃだめだと思う。

 戦後、ほとんどの日本人が、「日本食は特別に美味しく、また、手に入れるのには大変な努力をしなければならない」という状況に置かれたことがない。

 ぼくの一家がインドに駐在していたふた昔、日本食品店などというものはなかった。ニューデリーに日本食レストランというふれこみの店『東京』ができたことはある。

 そのオープンキャンペーンに、日本人駐在員とその家族を招待してくれた。お任せのコース料理で、まず出てきたのはおにぎり、最後に出てきたのは焼き鳥だった!

 ぼくたちは、ため息をついた。ある程度予想はしていたが、日本食の売りであるはずの生ものなど、望むべくもなかった。

 その日本食レストランは、当時成田からの直航便を持っていた日本航空(JAL)とインド資本の提携によるものとされていた。JALが築地で仕入れた生鮮食材をニューデリーまで運んできて、店で提供する計画だった。

 しかし、そのころのインドは、経済的には“鎖国”をしていて、正規の輸入手続きをするとべらぼうな関税をかけるのが常だった。

 『東京』の経営陣は、JALとインド当局がついているのだから関税はなんとかなると甘くみていた。だが、現実には税関当局は煮ても焼いても食えなかった。日印親善、日印交流の拠点とするべく頑張ってみたが、当局は原則論を曲げなかった。

 というより、税関職員はJALが生鮮食材を運んでくるたびに、袖の下を期待していたようだった。インドという国は、当時もいまもそういう国だ。

 堂々と店を出すのに、日本のナショナルフラッグキャリアーが恒常的にわいろで食材を確保するわけにはいかない。こちらも原則論を曲げなかったから、名前だけの日本料理店になってしまった。

 ニューデリーで日本食を確保するには、涙ぐましい努力をしなければならなかった。日本人だから、ふとお豆腐が食べたくなったりする。そういうときにはハウス食品の『手作り ほんとうふ』という商品が活躍した。日本産丸大豆の粉末を凝固剤で固めると、なんとなく絹ごし豆腐になった。

 あるとき、ぼくのかみさんは、日本人学校の某先生が日本からにがりを持ってきていることを知った。それを少しわけてもらい、インド産の大豆をゆでて絞り、本格的なお豆腐を完成させた。

 さっそく、親しい日本人を招いてホームパーティを開いた。「自家製のお豆腐をご用意しています」というのが売りだった。

 招かれた人たちは「そうは言っても『ほんとうふ』じゃないの」と言って口に運んだ。「それじゃ、わが家手作りの証拠に、おからの料理も出します」

 テーブルにおから料理を運んで来たときには、歓声があがった。かみさんの株も一気にあがった。

 生卵の思い出も忘れられない。インド産の卵なんて死んでも生では食べられない。日本人の誰かが、国外出張か旅行でシンガポールに行ったとき、伊勢丹の食品売り場で卵パックを大量に買い込み、手荷物として飛行機でデリーまで運ぶ。「シンガポールのお土産で~す」と、親しい人に2個3個と配って歩く。

 もらった人たちは、闇屋で買ったジャポニカ米を炊いて、涙を流さんばかりに卵ご飯を口に入れ、ささやかな幸せを噛みしめるのだった。

 そういう生活を3年間つづけた。だから、日本食へのあこがれははんぱじゃない。

 高級なブランディやウィスキーは、日本の値段よりかなり安い免税店でいくらでも買えた。だから、あこがれなどというものはなかった。たまに日本からの出張者が手土産に持ってくるパック入りの日本酒が、左党の日本人には宝物だった。

 時は移り、2012年春、わが日本政府は、ユネスコの世界無形文化遺産に「和食 日本人の伝統的な食文化」を提案した。早ければ2013年11月に登録されるという。カロリーは少なく、ミネラルなどが豊富で、長寿世界一の秘訣としてキャンペーンすればいい。

 日本酒と焼酎も「国酒」として海外に売り込む。コクシュというのは聞き慣れないが、「日本酒」では焼酎をふくまないし、日本産独自の酒類としてやむを得ず命名したのだろう。

 そのうち、日本食と国酒の良さを知らないのは日本人だけになったりして。

 --毎週木曜日に更新--

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トイレの神様はどこに

 以前、東京の有線放送英語版のDJをしているオーストラリア人青年と友だちになった。「スタジオへ遊びに来ない?」と誘われ、本番中に行ってみた。英語ニュースは共同通信英語配信の原稿を読み、音楽はリクエストの曲を流すだけでなく、自分の好みで選ぶ。ディレクターなどスタッフはおらず、ひとりで勝手に放送している。

 「何か聴きたいミュージックある?」「じゃ、サーモン&ガーファンクルを」。自分の選んだ曲が目の前から、有線放送に乗って伝わっていく。とても新鮮な感覚だ。

 その青年は日本語がほとんどできないのに、クロールの選手が泳ぐように東京で巧みに生きている。秘訣を聞くと、一冊の薄い本をバッグから取り出した。

 『サバイバル日本語』

 「これ何?」「まあ、いいから開いてごらんよ」

 ローマ字で例文が書かれ、英語で意味が書いてある。一番上の文章はこうだった。

 「BENJO WA DOKODESUKA?」(Where is a bathroom?)   

 「これがサバイバルするための日本語の最重要会話だよ」

 ぼくは思わず笑ったが、たしかにこれは大切なことだ。言葉も通じず街の仕組みも知らない異国では、トイレを確保するほど重要なことは他にない。パスポートや現金を取られないようにし、身の安全を保つのはその次のことだ。

 たとえば、日本人であるぼくたちが東京をぶらついていて、急にお腹が痛くなったとする。トイレをどうやって探すか。

 ダウンタウンなら、たいていパチンコ店がある。いい台を探すふりをして奥のほうへ入っていき、自然な感じでトイレに入る。東京にもあちこちに公衆便所があるが、ちょっと恥ずかしい思いをして場所を聞くより、パチンコ店のほうが早い。

 ある程度きちんとした服装をしているなら、シティホテルもお勧めだ。ゴージャスな気分でBGMを聴きながら落ち着いてできる。いずれもタダだ。

 東京へ来てまもない外国人には、パチンコ店へ入るという裏ワザはまず思いつかない。だから「便所はどこですか?」という一文が、日本でサバイバルするための第1章となるのだ。

 さて、トイレといえば、映画『テルマエ・ロマエ』を思い出す。古代ローマの公衆浴場設計技師ルシウス(阿部寛さん)が、現代の東京下町にタイムスリップを繰り返し、日本の銭湯文化を古代ローマに取り入れて大成功するファンタジックコメディだ。

 主なテーマはお風呂だが、世界に類例のないあのシャワー付きトイレも登場する。これに驚嘆したルシウスは、ローマ皇帝ハドリアヌス(市村正親さん)のために似たようなものを製作して絶賛される。

 銭湯とシャワー付きトイレという日本の古今の文化文明に古代ローマ人が驚く。この映画が大成功したのは、それが日本人には何とも痛快だからだろう。

 作品はイタリア全土でも公開されるという。ほとんどのイタリア人は『ウォシュレット』なんて知らないから、ほんとに日本のすごさを感じるかもしれない。

 日本のトイレ事情は世界最高峰にあるが、その対極にある国も少なくない。

 ニューヨーク・タイムズのグローバル版2012年6月15日付けの一面トップには、インド最大の都市ムンバイ(旧ボンベイ)の、厠の写真がでかでかと載っていた。厠はもともと「川屋」であり、川の流れの上にせり出した便所のことらしい。日本にも、昔はこういうトイレがあった。

 写真は、まさにどぶ川の上にある掘立小屋のトイレだ。アカデミー賞8部門などを取ったイギリス映画『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)に出てくる、ムンバイのスラム街の便所小屋そのものだ。

 インドの国勢調査によると、全国の世帯の半数以上にトイレがない(!)。いまでは世界屈指の新興国とされ、目覚ましい経済発展を遂げつつあるが、国の実情はそんなものだ。

 トイレの数が絶望的に足らず、特に女性は日々、大変な思いをして小用を足している。それ自体が「基本的市民権、人権」の侵害だとして、市民活動家らが“小用権キャンペーン”を始めたのを受け、ニューヨーク・タイムズは大きな記事にした。

 都市部の貧困家庭にはトイレがなく、不潔でも公衆トイレを利用するしかない。男性は小用だけならたいてい無料でできるが、女性は必ず2ルピー、ときには5ルピーも取られる。市の雇ったトイレ係の言い分はこうだ。「女性は小用だけかどうか確認できない」

 1ルピーは現在の為替レートだと約2円にすぎないが、1日29ルピー以下が貧困ラインとされるインドの貧しい人びとにとっては、かなりの出費になる。「子どもが下痢でもしたら、いったいどうやって払えばいいか」。女性は水分を極端に控えるため、熱中症になることもよくある。

 家にも街にも清潔なトイレがあり、いつでも行けるのがどれだけ幸せなことか。

 DJのオーストラリア人青年は、実際にトイレで困ったことがあるのだろうか。「トイレッて言えば通じることを、こっちに来て知った。問題は英語があまり通じず、女の子を口説けないことのほうだよ」

 --毎週木曜日に更新--

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