日本食・日本酒フリークのひとり言
――『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』番外編
卵かけご飯のための醤油が売れているという。卵かけご飯のためのライスというのもあるようだ。たかが卵かけご飯だが、その奥は深い。
ぼくは、心底からその奥の深さを知っている。
インドのニューデリーに特派員として駐在していたとき、日本食への愛に目覚めた。なかでも、卵かけご飯は、夢のまた夢だった。
日本に生まれ育ったから、日本食は当たり前に食べていた。むしろ、チーズやハンバーグを初めて口にしたときの驚きを覚えている。
現代の日本は、食が欧米化していると言われる。だが、日本食というベースがあってこその欧米化じゃなきゃだめだと思う。
戦後、ほとんどの日本人が、「日本食は特別に美味しく、また、手に入れるのには大変な努力をしなければならない」という状況に置かれたことがない。
ぼくの一家がインドに駐在していたふた昔、日本食品店などというものはなかった。ニューデリーに日本食レストランというふれこみの店『東京』ができたことはある。
そのオープンキャンペーンに、日本人駐在員とその家族を招待してくれた。お任せのコース料理で、まず出てきたのはおにぎり、最後に出てきたのは焼き鳥だった!
ぼくたちは、ため息をついた。ある程度予想はしていたが、日本食の売りであるはずの生ものなど、望むべくもなかった。
その日本食レストランは、当時成田からの直航便を持っていた日本航空(JAL)とインド資本の提携によるものとされていた。JALが築地で仕入れた生鮮食材をニューデリーまで運んできて、店で提供する計画だった。
しかし、そのころのインドは、経済的には“鎖国”をしていて、正規の輸入手続きをするとべらぼうな関税をかけるのが常だった。
『東京』の経営陣は、JALとインド当局がついているのだから関税はなんとかなると甘くみていた。だが、現実には税関当局は煮ても焼いても食えなかった。日印親善、日印交流の拠点とするべく頑張ってみたが、当局は原則論を曲げなかった。
というより、税関職員はJALが生鮮食材を運んでくるたびに、袖の下を期待していたようだった。インドという国は、当時もいまもそういう国だ。
堂々と店を出すのに、日本のナショナルフラッグキャリアーが恒常的にわいろで食材を確保するわけにはいかない。こちらも原則論を曲げなかったから、名前だけの日本料理店になってしまった。
ニューデリーで日本食を確保するには、涙ぐましい努力をしなければならなかった。日本人だから、ふとお豆腐が食べたくなったりする。そういうときにはハウス食品の『手作り ほんとうふ』という商品が活躍した。日本産丸大豆の粉末を凝固剤で固めると、なんとなく絹ごし豆腐になった。
あるとき、ぼくのかみさんは、日本人学校の某先生が日本からにがりを持ってきていることを知った。それを少しわけてもらい、インド産の大豆をゆでて絞り、本格的なお豆腐を完成させた。
さっそく、親しい日本人を招いてホームパーティを開いた。「自家製のお豆腐をご用意しています」というのが売りだった。
招かれた人たちは「そうは言っても『ほんとうふ』じゃないの」と言って口に運んだ。「それじゃ、わが家手作りの証拠に、おからの料理も出します」
テーブルにおから料理を運んで来たときには、歓声があがった。かみさんの株も一気にあがった。
生卵の思い出も忘れられない。インド産の卵なんて死んでも生では食べられない。日本人の誰かが、国外出張か旅行でシンガポールに行ったとき、伊勢丹の食品売り場で卵パックを大量に買い込み、手荷物として飛行機でデリーまで運ぶ。「シンガポールのお土産で~す」と、親しい人に2個3個と配って歩く。
もらった人たちは、闇屋で買ったジャポニカ米を炊いて、涙を流さんばかりに卵ご飯を口に入れ、ささやかな幸せを噛みしめるのだった。
そういう生活を3年間つづけた。だから、日本食へのあこがれははんぱじゃない。
高級なブランディやウィスキーは、日本の値段よりかなり安い免税店でいくらでも買えた。だから、あこがれなどというものはなかった。たまに日本からの出張者が手土産に持ってくるパック入りの日本酒が、左党の日本人には宝物だった。
時は移り、2012年春、わが日本政府は、ユネスコの世界無形文化遺産に「和食 日本人の伝統的な食文化」を提案した。早ければ2013年11月に登録されるという。カロリーは少なく、ミネラルなどが豊富で、長寿世界一の秘訣としてキャンペーンすればいい。
日本酒と焼酎も「国酒」として海外に売り込む。コクシュというのは聞き慣れないが、「日本酒」では焼酎をふくまないし、日本産独自の酒類としてやむを得ず命名したのだろう。
そのうち、日本食と国酒の良さを知らないのは日本人だけになったりして。
--毎週木曜日に更新--
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