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トイレの神様はどこに

 以前、東京の有線放送英語版のDJをしているオーストラリア人青年と友だちになった。「スタジオへ遊びに来ない?」と誘われ、本番中に行ってみた。英語ニュースは共同通信英語配信の原稿を読み、音楽はリクエストの曲を流すだけでなく、自分の好みで選ぶ。ディレクターなどスタッフはおらず、ひとりで勝手に放送している。

 「何か聴きたいミュージックある?」「じゃ、サーモン&ガーファンクルを」。自分の選んだ曲が目の前から、有線放送に乗って伝わっていく。とても新鮮な感覚だ。

 その青年は日本語がほとんどできないのに、クロールの選手が泳ぐように東京で巧みに生きている。秘訣を聞くと、一冊の薄い本をバッグから取り出した。

 『サバイバル日本語』

 「これ何?」「まあ、いいから開いてごらんよ」

 ローマ字で例文が書かれ、英語で意味が書いてある。一番上の文章はこうだった。

 「BENJO WA DOKODESUKA?」(Where is a bathroom?)   

 「これがサバイバルするための日本語の最重要会話だよ」

 ぼくは思わず笑ったが、たしかにこれは大切なことだ。言葉も通じず街の仕組みも知らない異国では、トイレを確保するほど重要なことは他にない。パスポートや現金を取られないようにし、身の安全を保つのはその次のことだ。

 たとえば、日本人であるぼくたちが東京をぶらついていて、急にお腹が痛くなったとする。トイレをどうやって探すか。

 ダウンタウンなら、たいていパチンコ店がある。いい台を探すふりをして奥のほうへ入っていき、自然な感じでトイレに入る。東京にもあちこちに公衆便所があるが、ちょっと恥ずかしい思いをして場所を聞くより、パチンコ店のほうが早い。

 ある程度きちんとした服装をしているなら、シティホテルもお勧めだ。ゴージャスな気分でBGMを聴きながら落ち着いてできる。いずれもタダだ。

 東京へ来てまもない外国人には、パチンコ店へ入るという裏ワザはまず思いつかない。だから「便所はどこですか?」という一文が、日本でサバイバルするための第1章となるのだ。

 さて、トイレといえば、映画『テルマエ・ロマエ』を思い出す。古代ローマの公衆浴場設計技師ルシウス(阿部寛さん)が、現代の東京下町にタイムスリップを繰り返し、日本の銭湯文化を古代ローマに取り入れて大成功するファンタジックコメディだ。

 主なテーマはお風呂だが、世界に類例のないあのシャワー付きトイレも登場する。これに驚嘆したルシウスは、ローマ皇帝ハドリアヌス(市村正親さん)のために似たようなものを製作して絶賛される。

 銭湯とシャワー付きトイレという日本の古今の文化文明に古代ローマ人が驚く。この映画が大成功したのは、それが日本人には何とも痛快だからだろう。

 作品はイタリア全土でも公開されるという。ほとんどのイタリア人は『ウォシュレット』なんて知らないから、ほんとに日本のすごさを感じるかもしれない。

 日本のトイレ事情は世界最高峰にあるが、その対極にある国も少なくない。

 ニューヨーク・タイムズのグローバル版2012年6月15日付けの一面トップには、インド最大の都市ムンバイ(旧ボンベイ)の、厠の写真がでかでかと載っていた。厠はもともと「川屋」であり、川の流れの上にせり出した便所のことらしい。日本にも、昔はこういうトイレがあった。

 写真は、まさにどぶ川の上にある掘立小屋のトイレだ。アカデミー賞8部門などを取ったイギリス映画『スラムドッグ$ミリオネア』(2008年)に出てくる、ムンバイのスラム街の便所小屋そのものだ。

 インドの国勢調査によると、全国の世帯の半数以上にトイレがない(!)。いまでは世界屈指の新興国とされ、目覚ましい経済発展を遂げつつあるが、国の実情はそんなものだ。

 トイレの数が絶望的に足らず、特に女性は日々、大変な思いをして小用を足している。それ自体が「基本的市民権、人権」の侵害だとして、市民活動家らが“小用権キャンペーン”を始めたのを受け、ニューヨーク・タイムズは大きな記事にした。

 都市部の貧困家庭にはトイレがなく、不潔でも公衆トイレを利用するしかない。男性は小用だけならたいてい無料でできるが、女性は必ず2ルピー、ときには5ルピーも取られる。市の雇ったトイレ係の言い分はこうだ。「女性は小用だけかどうか確認できない」

 1ルピーは現在の為替レートだと約2円にすぎないが、1日29ルピー以下が貧困ラインとされるインドの貧しい人びとにとっては、かなりの出費になる。「子どもが下痢でもしたら、いったいどうやって払えばいいか」。女性は水分を極端に控えるため、熱中症になることもよくある。

 家にも街にも清潔なトイレがあり、いつでも行けるのがどれだけ幸せなことか。

 DJのオーストラリア人青年は、実際にトイレで困ったことがあるのだろうか。「トイレッて言えば通じることを、こっちに来て知った。問題は英語があまり通じず、女の子を口説けないことのほうだよ」

 --毎週木曜日に更新--

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