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2012年8月

中国と韓国のどっちがましか <思考の自由>について

 2012年晩夏、日本海や南シナ海の波が高くなっている。日本のメディアのなかには「国家の危機」などと呼ぶところもあるが、まだ、それほどじゃないだろう。“平和ぼけ”したニッポンが少しでも目を覚ますきっかけになれば、必ずしも悪い事態じゃない。

 当事国のメディアをチェックしていると、それぞれに面白い。

 尖閣問題をめぐり、中国では反日デモがつづき日本大使の車の日の丸が奪われる事件もあった。だが、中国のメディア「環球時報」は、そういう行動を「愚かだ」とし一部による暴走行為として批判した。さらに、愛国心は冷静かつ紳士的な方法で表現すべきだと主張した。

 中国当局は、反日機運が反中国政府機運に変わるのを恐れており、クールダウンを図っている。

 尖閣問題で、日本の言い分を援護する異例の声も出てきた。

 毎日新聞によると、中国版ツイッター「微博」で、実在する民間企業の幹部を名乗る人物がこうつぶやいた。<日本は尖閣諸島と呼んでいるが、1950~60年代の中国の地図は意外にもすべてが『尖閣諸島』と記述し、日本領土としていた>

 この人物は、1953年1月8日付の中国共産党機関紙・人民日報が、日本の沖縄県に所属する島々として尖閣諸島を含む記載をしていたことも、原文を交えて説明している。さらに、同じ年に作製された中国の地図に台湾や福建省に尖閣諸島が含まれていないことも指摘した。

 そのツイッターは10万余りのフォロワー数を持つという。次々に転載されるのを当局は削除しつづけ、イタチごっことなっている。中国では尖閣問題を国際司法裁判所に持ち込む話も出ているようだが、これじゃ勝ち目はない。

 一方、韓国政府は、1954年、当時のピョン・ヨンテ外務部長官が、「独島(竹島)は日本による韓国侵略での最初の犠牲となった領土だ」とした外交文書にしがみく。

 韓国メディアも相変わらずキャンキャン吠え、国民も「独島は韓国の領土」で足並みをそろえている。

 中国のツイッターの件をみると、かの国には当局の言論統制をかいくぐった<思考の自由>があることがうかがえる。

 思考の自由というのは、言論・報道の自由のもととなるとても大切な概念だ。当局がどれだけ弾圧しても、国民のあいだに“自分で情報を精査し自分の頭で考える”姿勢があれば、自由を完全に奪われることはない。

 いくら中国共産党独裁下で反日教育を徹底させようと、国民のなかにはそのインチキさ加減に気づいている人がたくさんいるのだろう。

 たとえば、反日一色の国かと思えば、サッカーについては、メディアでも一般国民でも、ザックJAPANやなでしこJAPANの戦いぶりを手離しで称え、香川真司選手をスーパースターとして仰ぎ見る。それは心のゆとりでもあるだろう。

 ひるがえって、韓国の場合はどうか。くだんの外交文書を“神の声”のように信奉し、歴史を数々ねつ造・歪曲して、小学校から全国民の頭に刷り込んでいる。

 反日教育といえば、わが国ではまず中国を思い浮かべるが、じつは韓国のほうが徹底している。中国の反日教育はあくまで共産党が押しつけるものであり、その独裁体制が変わればやがて雲散霧消する可能性が高い。

 独島に象徴される韓国の反日教育は、韓国という国家と国民の存在理由そのものであり、国家として存続するかぎり消えることはないだろう。そこに<思考の自由>はない。もし、韓国国民が歴史の真実を真に受け入れれば、生きていくのがむずかしいだろう。

 かの国で、歴史を冷静に研究しているのは一握りの学者らにすぎず、その声を国民は受け付けない。

 今回の領土問題をめぐる報道のなかで、ぼくが知り得るかぎり、最も印象深かったのは、週刊文春8月30日号の「韓国被害者アイデンティティーには未来がない」というコラム記事だった。筆者は、韓国系日本人の鄭大均(ていたいきん)首都大学東京教授だ。

 <韓国は今やOECDのメンバーではないか。そのような国が隣国との間にある歴史的な加害・被害者関係を語り続けるというのはアブノーマルではないのか>

 日本に生まれ、アメリカに留学し、韓国の大学でのべ14年間教鞭をとった経歴を持ち、韓国を知り尽くしている人だからこそ言える。

 日本についても、事の本質を突く。

 <歴史道徳的な負い目のある日本人には韓国に対する批判精神がまったく欠けているが、韓国側の被害者アイデンティティーに日本側の加害者アイデンティティーが連合するというのは、本当は、韓国の名誉にも日本の名誉にもならない>

 歴史をねつ造していわゆる従軍慰安婦問題をでっち上げ、日韓関係をほぼ修復不可能にした朝日新聞など、加害者アイデンティティーが歪んで行き着いた最悪のケースだ。

 同じ反日でも、中国のほうが韓国よりはるかにましで、共産党独裁体制さえ崩れれば、未来を共に語れる日が来るだろう。

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自らの歴史をねつ造する国に未来はあるか  韓国最大のウリジナル

 「アグネス・チャンは非国民だ!」。40年も前の高校生時代、仲間のあいだでこんなジョークが流行った。第2次世界大戦中、戦時体制に協力しなかったり、反戦を唱えたりする者は世間から「非国民」呼ばわりされた。それを、人気絶頂だった香港出身の非日本人アイドル歌手に当てはめたところが、現代史を学ぶ高校生には受けた。

 その言葉を、竹島(韓国名:独島)をめぐるニュースで、久しぶりに聞いた。

 竹島騒動は、政権末期でレイムダックの李明博大統領が、韓国の現職大統領としてはじめて竹島に上陸し、自国内のナショナリズムを煽ったことが発端だった。

 かの国では、独島を韓国領と公言しない者は「非国民」と呼ばれるそうだ。

 韓流時代劇『朱蒙(チュモン)』の主人公を演じた韓国の俳優ソン・イルグクさん(40)らが、水泳リレーで島に渡った。『朱蒙』は2000年前に高句麗を建国した大王の物語で、韓流ファンのかみさんの勧めでぼくもすっかり魅了されたドラマだ。

 そのイルグクさんが独島キャンペーンに参加したのは、友人の歌手(47)に誘われ断れなかったからだと伝えられている。「非国民」呼ばわりされるのを恐れたのだろう。

 独島に泳ぎ着いたグループは、英雄扱いされている。しかし、日本のメディアは彼らをあえて「右翼」と呼ぶことはない。まあ、未だに世論の重心が左に傾いている日本を基準にすれば、韓国人の9割がたは右翼ナショナリストなのだが。

 ちなみに、日本人10人が尖閣諸島の魚釣島(中国名:釣魚島)に上陸したことについての、中国外交部報道官の公式発言では、こうなっている。

 「日本の右翼分子の違法行為は、中国の領土主権を侵している。中国外交部は、日本大使館に強く抗議し、中国の領土主権を損なう行動を直ちにやめるよう要求した」

 そういえば以前、ヨン様ことペ・ヨンジュンさんの記者会見で、「あなたは独島を韓国のものだと思うか」と詰問した韓国の記者がいた。場違いな話でわれわれは違和感を覚えるが、日本で大金を稼ぐ超人気俳優にどうしても踏絵を踏ませたかったのだろう。

 韓国暮らしが長くお国事情を熟知している、産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘さんは、今回の騒動をめぐり、こんなことを書いている。

 <韓国における対日問題はいつも反日愛国競争になる。強硬論ほどカッコよく世論の支持を得る。そしてマスコミが先頭になって強硬論を煽動する。>

 <韓国では「反日愛国無罪」といって、反日愛国のためなら何を言っても、何をやってもいいのだ。>

 <韓国では「独島」問題となると正論、常識はもはや通用しない>

 韓国でも「反米」や「反北朝鮮」の問題があり、それらが国論を分けているのに対し、「反日」では挙国一致なのだという。

 同じ日本の植民地だった台湾が、世に知られた親日派で、東日本大震災に際しては200億円以上にものぼる世界最高額の義捐金を贈ってくれたのと対照的だ。

 独島は「日本の植民地からの独立の象徴としての島」という意味で名づけられ、小学校から必ず習うため、反日とのからみでこの問題を知らない者はいないという。

 週刊ポスト2012年8月31日号はグラビアで、竹島は明らかに日本領で韓国の論拠は破たんしていることを示す3つの地図を掲載した。

 第1が、1872年にドイツで作成された『シュティーラー地図』だ。対馬をふくむ日本列島と朝鮮半島のあいだに境界線が引かれ、竹島はその東側つまり日本領となっている。この地図はぼくもどこかで見た記憶があるから、日本側主張の根拠としてよく引き合いに出されるものだろう。

 次には、竹島の近くに位置する韓国領・鬱陵島(ウルルンド)にある『独島博物館』の屋外に建つ石碑に彫られた韓国の古地図だ。15世紀末に李朝皇帝の命で作られた朝鮮全図『八道総図』で、鬱陵島の“西側”に「于山島」が描かれている。この島こそ現在の独島だ、と韓国は領有権を主張してきた。ポスト誌は言う。

 <本来、竹島は鬱陵島の東に位置するはずだが、この石碑地図では、正反対の西に位置しているのだ。到底、于山島が竹島とはいえないのである。>

 そして、博物館内には『八道総図』をもとにしたはずの立体地図が展示されているが、石碑の地図とは逆に、鬱陵島の“東側”に于山島がある。要するに、自国の都合で地図を改ざんしたらしい。ひとつの博物館に矛盾するふたつの地図があるわけだ。

 立体地図は一度、「撤去する」と発表されたが、今でも展示されたままだという。

 韓国には「ウリジナル」というお得意の手法がある。何でも「われわれのほうがオリジナル」と歴史をねつ造し、国民が喝采する。

 たとえば、日本で一番古い前方後円墳は、卑弥呼の墓の可能性が高いとされる3世紀の箸墓古墳であることがわかっている。しかし、韓国の著名な考古学者は、朝鮮半島南部にある6世紀の古墳が世界で一番古い前方後円墳だ、と発表し専門家らの失笑を誘った。こんな例は掃いて捨てるほどある。

 韓国人は、独島やいわゆる従軍慰安婦問題などで、歴史の客観的事実に気づいたとき、足元の大地が崩落するのを目の当たりにすることになるだろう。

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もはや<サッカー道>だ  ロンドンのなでしこJAPAN

 ロンドン五輪女子サッカー決勝。負けた瞬間、泣き崩れていたなでしこJAPANの面々も、ジャージに着替え表彰式に現われたときにはすっかり笑顔になっていて安心した。

  前半25分、MF宮間あや選手がフリーキック(FK)を蹴った。直後、なでしこの全選手は、一斉に手を挙げてハンドをアピールした。リプレーが映し出されると、ペナルティエリア内で「壁」に入っていたMFヒース選手が、左腕と左太ももでボールを止めている。

 だが、ドイツ人女性のシュタインハウス主審は試合を流し、0対1で前半が終わった。

 J-CASTニュースの記事はこう伝えている。

 <米「USAトゥデー」紙電子版では各選手の活躍を称える一方で、「最も重要なプレーとなったのは、ヒース選手のハンドだった」と伝えた。「まぎれもないファール」で、反則裁定が下っていたら日本にPKが与えられて同点に追いつかれていたかもしれない、という。さらに、この日2ゴールを決めた米MFロイド選手が「あれは明らかにハンドだった。彼女(ヒース選手)の腕に当たっていた」と語ったことに触れている。>

 共同通信によると、主審の出身国であるドイツの主要紙「ディ・ヴェルト」電子版は「シュタインハウス、決勝で失敗」という見出しでハンドの見逃しを批判した。

 後半早々の1分、またも相手ゴール左から宮間選手がFKを蹴った。DF熊谷紗希選手がボールの軌道に飛び込んだが、ビューラー選手が背後から両手で抱きかかえ引き倒した。

 ぼくは、ロンドン五輪の数々の試合のうち、このなでしこ決勝戦だけは録画していた。再生すると、おそらくレッドカード一発退場のプレーだったが、このときも主審は流した。

 なでしこはPKの2点をもらって、かつ、相手が少ない状況で有利になるところだった。

 熊谷選手を妨害したシーンは、ひょっとすると主審の死角になっていたかもしれない。でも、ハンドは主審の目の前で起きている。

 後半28分には、アメリカゴール前の混戦で日本のキーパーチャージを取った。誰もGKには接触していないのに。試合を通じて、日本に有利になる判定は一度もなかった。

 ドイツ人の主審は、なぜあんなひどい笛を吹いたのだろう。2011年の女子W杯決勝でも主審を務め「世界最高の女性審判」と称えられている人物だそうだが。

 目の前のファウルをミスで見落としたのなら、オリンピックの決勝で笛を吹くのにふさわしい器ではない。

 ふたつの決定的ファウルを意図的に認めなかった可能性も捨てきれない。その場合、何が理由だろう。女子W杯でドイツがなでしこに敗れ、ロンドン五輪への出場資格を失ったことへの逆恨みだろうか。

 ロンドン五輪では、誤審、疑惑の判定が相次いだ。

 特にひどかったのは、柔道男子66キロ級で海老沼匡選手と韓国のチョ・ジュンホ選手が戦った準々決勝だった。延長戦でも決着せず旗判定となり、審判3人とも韓国側の「青旗」を掲げた。しかし、場内からは大ブーイングが起き、審判委員(ジュリー)からの異議が出て旗判定をやり直し、海老沼選手の勝ちとなった。

 これについて、韓国のメディアはヒステリックに報道した。「柔道の祖国日本による想像しがたい力が働いたということだろう」。ニュースサイト「ノーカットニュース」は、「日本の観衆のヤジに、再び集まった審判団が180度立場を変えた」とした。加えて、海老沼選手がインタビューに対して、「判定が変わったのは間違っている」「チョ選手の勝ちが正しい」などと語ったとした。

 もちろん、海老沼選手がそんな発言をするわけはない。韓国では例の「ウリジナル」にみるように、こういう与太ニュースが事実として受け止められてしまう風土がある。

 試合では、海老沼選手が「有効」を一度取りながら取り消されていた。判定に影響するのはこの一点だけのはずだったが、3人の審判は試合終盤のチョ選手の動きに引きずられる形で「青旗」を挙げた。審判委員(ジュリー)がビデオを見返したうえで判定を変えるよう指導したのは、当然だった。

 韓国のネット上には「日本が審判を買収していたのではないか」と書いた者がいたという。それは、柔道の何たるかを知らないたわごとだ。

 柔道はたんなるスポーツではなく、勝てばいいというものではない。華道がたんなるフラワーアレンジメントではなく、茶道がティーセレモニーとは微妙にちがうのと同様、「道」は人の生き方そのものだ。

 フランスの柔道人口は、発祥国日本の2・5倍、50万人にものぼる。親が子どもに柔道を習わせたがる最大の動機は、意外にも「礼儀を教えてもらうため」だそうだ。

 日本の柔道家に「審判買収」の発想などみじんもないことは明らかだ。なぜなら、それは柔「道」だからだ。

 佐々木則夫監督は、なでしこたちに「アピールはしても、クレームはつけるな」と指導してきたという。決勝戦後の会見で、監督は疑惑の判定について質問され、こう答えた。

 「何のことでしたっけ」ととぼけ「主審が何を見ていたかは分かりませんが、私は主審の判定を尊重します」

 これぞ、サッカー道ではないか。韓国人にはその価値感がわからないかもしれないが。

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源泉かけ流し100%は、それだけですごいのか

 京にいた小野小町が父を慕って旅に出て、病に倒れたとき、夢のお告げで発見した霊泉がここだという。

 山形出張のおり、米沢市の小野川温泉に泊まった。小町伝説は、まあ、ご愛嬌だ。

 部屋に通されると、テーブルに『正真正銘 五ツ星源泉宿66』という本があった。テレビの温泉番組を制作しているプロデューサーが、25年かけて調べ上げた全国のお勧めの宿が66か所、実名で紹介されている。

 この××旅館もそのひとつだった。本にいわく、全国に1万4,380軒の温泉ホテル・旅館があるが、そのうち、源泉100%の湯につかれるのはわずか1%しかない。温泉施設で一番苦労するのは、高温の源泉をいかに冷やすかということだそうだ。源泉100%でも加水していないのは、全国の0.5%にすぎないらしい。

 66か所のなかに、別府や草津の宿は一軒も入っていない。

 ××旅館は、苦労の末、36度の新源泉をさぐりあて、約80度の湯にまぜて温度を上げている。「源泉100%かけ流し」で、しかも湯を酸化させないためか、空気に触れされない工夫がこらされているというのだ。

 2004年に信州・白骨温泉で入浴剤を混ぜていた事件があり、それをきっかけに、各地で“温泉偽装”が発覚した。水道水を沸かしただけなのに入湯税を徴収するなど、悪質な例も多かった。だからこういう宿がきわめて貴重だ、とその本は力説する。

 早速、浴衣に着替え自慢の大浴場へ向かう。浴場のドアを開けて、ちょっとがっかりした。室内には大人が4,5人もつかれば満杯になる小さな岩風呂がふたつ、ガラスの仕切りの向こうには、同じような大きさの露天風呂がひとつあるだけの「中浴場」だった。貴重な「源泉100%かけ流し」だから、そんなに湯量があるわけではないかもしれない。

 まずシャワーを浴びようとコックをひねると、お湯がちょろちょろ流れるだけだ。となりのシャワーは何とか使えた。浴場の壁には、頭の大きさほどの石がごろごろセメントで貼り付けられている。

 そのセメント部分にネジ釘を差し込み、くすんだ小さな鏡が紐でぶらさげてある。夏目漱石の『草枕』にでも出てきそうだ。こんな風情は、山のなかの湯治宿にしかないだろう。

 体を洗って露天風呂に入った。流れ出る源泉からは硫黄の匂いがただよい、口にふくむと少ししょっぱい。硫黄、ナトリウムのほか、特にラジウムが多くふくまれているのが特徴だそうだ。

 露天風呂の脇には、墨書した大きな木の看板が立てかけられている。

 「当館はこれと言って胸を張れるおもてなしはできませんが、温泉だけは自然から与えられた恵みを大切にたいせつにはぐくんでまいりました。・・・」

 そして、源泉100%かけ流しは全国の温泉の1%だけ、という歌い文句がつづいている。

 お湯はたしかに素晴らしい。こんな温泉らしい温泉は何年ぶりかな。ふと内湯のほうへ目をやると、ガラスの仕切りやガラスのドアが恐ろしく汚れている。何年も拭いたことがないのだろうか。

 部屋へ帰ってひと休みしていると、女性用大浴場からかみさんがもどってきた。

 「露天風呂に木の看板あった? 『胸を張れるおもてなしはできません』ってあれなに。謙遜したつもりなんだろうけど、もてなしを放棄しているようで、やっぱりいやだわ」

 宿の案内書では、毎日風呂のお湯を空けて完全にみがき、消毒用塩素などいっさい使っていないこともアピールしている。でも、温泉の質にこだわるあまり、ほかのサービスがあまりにおそまつではないか。

 大浴場のガラスを拭くことなど、そう手間がかかるとも思えないが。

 米沢新聞の広告には、小野川温泉で7月末までホタル祭りが行われていて、一晩中500匹のホタルが光っているとあった。夕食の時間を聞きに来た仲居さんに尋ねると、「ゲンジボタルです。夕べも飛んでいたそうですよ。川は歩いて5分ほどのところです」

 フロントへ用があって行ったとき、念のために確かめた。「もう、この辺では飛んでいませんから、今夜、山の渓流へヒメホタルを見に行くツアーを用意しています」

 話がちがう。それに、ホタルツアーのことなど掲示もなく、フロントで聞いて初めて教えてくれるなんて、どうなっているのか。

 胸を張れるおもてなしはできません、って宣言をまたも思い出す。小野川は「ホタルの里」として有名で、この季節、お湯の次に「売り」のはずなのだが。

 温泉宿に求めるものは人それぞれかもしれない。ぼくの場合は、ゆったりした大風呂、風がそよぎ緑がゆれる露天風呂、清潔な施設と快適な寝具、そして美味しい料理だ。そのすべてを支えるのが、女将以下従業員のおもてなしの心ではないのか。

 ホタルツアーはあえて断り、かみさんと浴衣で外をそぞろ歩きした。10数軒の温泉宿があり、ひなびた感じは悪くない。たしかに、川にホタルはいなかったが、真っ青なアジサイが盛りでリラックスできた。

 夕食の米沢牛ステーキコースは、残念ながら「胸を張れるおもてなしはできません」の一端だった。

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アフガンメロンの追憶

 この2012年は、フルーツの当たり年らしい。

 郷里の母から届いた島根ブドウは、粒が大きく味もこの上なかった。デラウェア種だが年によっては粒が貧弱で甘みもなく、親の気持ちだけを味わうこともある。

 東京近郊のわが家の近所の商店街で行われた七夕祭りでは、山梨県の農家のおじさんが、軽トラックで桃を売りに来ていた。大き目のが3個で500円という。

 信州で生まれ育ったかみさんはフルーツ狂で、特に桃が好きだ。しかも硬目の桃を好む。山梨産のを指先でちょっと押してみて「この硬さならいいわ」と買うことにした。おじさんも、やはり固めが好きという。小さめのを1個おまけしてくれた。味やみずみずしさは申し分なかった。

 かみさんは、今年のスイカの出来具合にも満足している。なにしろ、食事代わりに1個をたいらげたりするその道の“プロ”なのだ。

 首都圏ではあまり感じなかったが、フルーツの各産地では寒暖の差が激しく、雨の降り方もちょうど良かったのだろう。

 これまでの人生を振り返って、印象に残った果物にはどんなものがあったか考えてみた。

 駆け出しの新聞記者時代、品評会で優勝した長野市の巨峰農家へ取材に行き、試食させてもらったものはさすがだった。ご主人が糖度計に巨峰の果汁をすりつけると「22」と表示された。1978年のことだ。

 ブドウの王様・巨峰も、その後改良されているだろうから、さらに美味くなっているかもしれないが、当時、糖度22というのは衝撃的だったらしい。

 でも、印象度の点では、アフガニスタンで食べたアフガンメロンのほうがはるかに強い。その美味さは、土壌が痩せ気候が厳しく乾燥していて昼夜の寒暖の差が大きいなど、条件が揃わないと生まれないと言われている。

 いい季節にアフガニスタンへ行けば、この最高のフルーツが信じられないほど安く買える。安く、というのはあくまで外国人にとってだが。戦火がつづき通貨アフガ二が暴落しているためだ。

 首都カブールの市場では、夏が来ると、北部のマザリシャリフからアフガンメロンが長距離バス屋上の荷台に山と積まれて持ち込まれる。現地では「ハルブザ」と呼ばれる。

 形はラグビーボールのように長円形で、肌は黄色と緑色がある。重さは1個3~4キロから10キロ以上にもなる。果肉は白くややしゃきしゃきしており、食感はふつうのメロンと梨の中間と言っていい。香りは淡く、味はすっきりと甘く、暑く乾いた季節にたっぷりの果汁がたまらない。

 ニューデリー特派員当時、アフガニスタンには4度入った。ある夏には、滞在最後の朝に青果市場で5キロくらいのハルブザを買い、飛行機に持ち込んだ。

 本来なら生ものだから税関で検疫に引っかかるはずだが、どうやってそれを潜り抜けたのか記憶にない。やたら重かったのだけは覚えている。

 ニューデリー国際空港から、ホームパーティに呼ばれていた日本大使館の参事官の家に直行した。

 「本場で仕入れたアフガンメロンです」。テーブルに大きなのをどんと置くと、すでに集まっていた人たちから「おおっ!」と声が上がった。

 そのころぼくの妻子は日本に一時帰国していたので、ニューデリーに帰って来たら食べさせたいと思った。

 「すいませんが、半分は自宅に持ち帰ります」。参事官の奥さんに頼んで切ってもらった。

 ニューデリーの市場でも、8、9月にはアフガンメロンが売られている。でも、ごく小さいもので1,000円はする、そのころのインドでは高級フルーツだった。ぼくもデリーで口にしたのは一度しかなかった。

 パーティのお客さんのなかに、静岡県出身の女性がいた。「その種をもらってもいいですか?」という。事情を聞くと、知り合いが静岡で種苗の研究・改良を手がけており、以前から、「もしアフガンメロンの種が手に入ったら送ってほしい」と頼まれていたそうだ。

 日本人の手になれば、「ハルブザ」と何かをかけあわせた絶品の果物が生まれるかもしれない。

 さすがにアフガンメロンの高名は、日本の種苗研究者にも轟いていた。インドに遠征したアレキサンダー大王が好んで食べたことで有名で、マルコポーロの『東方見聞録』にも登場するというから当然かもしれない。

 「世界の果物3大美味」に入ると言う人も多いらしい。ドリアンもひとつだろうが、3つ目は何だろう。

 アフガニスタンは、スイカやブドウも美味い。ドライフルーツも名産だ。日本のあるNPOは、農業支援としてリンゴやサクランボの苗を贈っているそうだ。

 アフガンメロンが日本のスーパーに並ぶ日も来るかもしれない。だが、あの味は現地でなければ味わえない。

 --毎週木曜日に更新--

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