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アフガンメロンの追憶

 この2012年は、フルーツの当たり年らしい。

 郷里の母から届いた島根ブドウは、粒が大きく味もこの上なかった。デラウェア種だが年によっては粒が貧弱で甘みもなく、親の気持ちだけを味わうこともある。

 東京近郊のわが家の近所の商店街で行われた七夕祭りでは、山梨県の農家のおじさんが、軽トラックで桃を売りに来ていた。大き目のが3個で500円という。

 信州で生まれ育ったかみさんはフルーツ狂で、特に桃が好きだ。しかも硬目の桃を好む。山梨産のを指先でちょっと押してみて「この硬さならいいわ」と買うことにした。おじさんも、やはり固めが好きという。小さめのを1個おまけしてくれた。味やみずみずしさは申し分なかった。

 かみさんは、今年のスイカの出来具合にも満足している。なにしろ、食事代わりに1個をたいらげたりするその道の“プロ”なのだ。

 首都圏ではあまり感じなかったが、フルーツの各産地では寒暖の差が激しく、雨の降り方もちょうど良かったのだろう。

 これまでの人生を振り返って、印象に残った果物にはどんなものがあったか考えてみた。

 駆け出しの新聞記者時代、品評会で優勝した長野市の巨峰農家へ取材に行き、試食させてもらったものはさすがだった。ご主人が糖度計に巨峰の果汁をすりつけると「22」と表示された。1978年のことだ。

 ブドウの王様・巨峰も、その後改良されているだろうから、さらに美味くなっているかもしれないが、当時、糖度22というのは衝撃的だったらしい。

 でも、印象度の点では、アフガニスタンで食べたアフガンメロンのほうがはるかに強い。その美味さは、土壌が痩せ気候が厳しく乾燥していて昼夜の寒暖の差が大きいなど、条件が揃わないと生まれないと言われている。

 いい季節にアフガニスタンへ行けば、この最高のフルーツが信じられないほど安く買える。安く、というのはあくまで外国人にとってだが。戦火がつづき通貨アフガ二が暴落しているためだ。

 首都カブールの市場では、夏が来ると、北部のマザリシャリフからアフガンメロンが長距離バス屋上の荷台に山と積まれて持ち込まれる。現地では「ハルブザ」と呼ばれる。

 形はラグビーボールのように長円形で、肌は黄色と緑色がある。重さは1個3~4キロから10キロ以上にもなる。果肉は白くややしゃきしゃきしており、食感はふつうのメロンと梨の中間と言っていい。香りは淡く、味はすっきりと甘く、暑く乾いた季節にたっぷりの果汁がたまらない。

 ニューデリー特派員当時、アフガニスタンには4度入った。ある夏には、滞在最後の朝に青果市場で5キロくらいのハルブザを買い、飛行機に持ち込んだ。

 本来なら生ものだから税関で検疫に引っかかるはずだが、どうやってそれを潜り抜けたのか記憶にない。やたら重かったのだけは覚えている。

 ニューデリー国際空港から、ホームパーティに呼ばれていた日本大使館の参事官の家に直行した。

 「本場で仕入れたアフガンメロンです」。テーブルに大きなのをどんと置くと、すでに集まっていた人たちから「おおっ!」と声が上がった。

 そのころぼくの妻子は日本に一時帰国していたので、ニューデリーに帰って来たら食べさせたいと思った。

 「すいませんが、半分は自宅に持ち帰ります」。参事官の奥さんに頼んで切ってもらった。

 ニューデリーの市場でも、8、9月にはアフガンメロンが売られている。でも、ごく小さいもので1,000円はする、そのころのインドでは高級フルーツだった。ぼくもデリーで口にしたのは一度しかなかった。

 パーティのお客さんのなかに、静岡県出身の女性がいた。「その種をもらってもいいですか?」という。事情を聞くと、知り合いが静岡で種苗の研究・改良を手がけており、以前から、「もしアフガンメロンの種が手に入ったら送ってほしい」と頼まれていたそうだ。

 日本人の手になれば、「ハルブザ」と何かをかけあわせた絶品の果物が生まれるかもしれない。

 さすがにアフガンメロンの高名は、日本の種苗研究者にも轟いていた。インドに遠征したアレキサンダー大王が好んで食べたことで有名で、マルコポーロの『東方見聞録』にも登場するというから当然かもしれない。

 「世界の果物3大美味」に入ると言う人も多いらしい。ドリアンもひとつだろうが、3つ目は何だろう。

 アフガニスタンは、スイカやブドウも美味い。ドライフルーツも名産だ。日本のあるNPOは、農業支援としてリンゴやサクランボの苗を贈っているそうだ。

 アフガンメロンが日本のスーパーに並ぶ日も来るかもしれない。だが、あの味は現地でなければ味わえない。

 --毎週木曜日に更新--

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