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世界で2番目に好きな幻の絵画

 28年前、作者から複製を1枚もらって、書斎にずっと架けている絵がある。クロード・モネの『印象 日の出』につぎ、世界で2番目に好きな絵だ。

 タイトルは『飛天』という。仏教上の空を飛ぶ天人のことだ。

 複製を改めてみると、男の飛天と女の飛天が腕を組み、膝立ちしたような姿勢で飛んでいる。身にまとう衣は風に巻き上げられている。

 捨象の筆遣いとでもいうのだろうか。ただ虚空を飛ぶペアが、薄緑とベージュが基調の抑えた色で、画面いっぱいに描かれている。

 その姿は、不思議な透明感があるのに、官能的でさえある。

 1984年のころ、新聞社の東京本社で10か月間だけ、地方がらみの取材をするセクションにいた。そこで担当した仕事のひとつが、中央で活躍している山形県出身の人を、毎週ひとりずつ山形県版に写真つきで紹介する欄だった。

 ある人から東置賜郡川西町出身の画家、黒沢梧郎先生のことを聞き、たしか目黒区にある自宅へ取材にいった。

 2階のアトリエには、五月の陽光があふれていた。小柄で細身の黒沢先生は、ちょこんと椅子に座り、黙々と筆を動かすのだった。

 スクラップ帳を開くと、ぼくの記事はこう書きだしている。

 <一匹のカイコが、その頼りない体から果てしなく糸を吐き出し、一つの宇宙ともいえるマユを作り上げる。人をキャンパスに立ち向かわせるのも、それと似た、細くしたたかな本能かもしれない。>

 先生は、1918年、医師の家に5人きょうだいの末弟として生まれ、ひとりだけ絵の道に進んだ。東京美術学校(現・東京芸大)で学んでいたころ、法隆寺金堂の壁画の前に立ち尽くした日があった。

 のちにインドを訪れ、仏像の絵をライフ・テーマと心に決めた。穏やかな先生が、ぼくに向かって強い言葉で言い切ったことがある。「仏像だって、結局、人間なんです」

 『飛天』は、聖なる空間と俗世を自由に行き来する様を描いたものという。

 ぼくは、複製をどうしても1枚欲しいと先生にお願いし、裏にサインと日付を書いてもらって大切に持ち帰った。

 原画は、川西町のとなり米沢市の市役所に飾ってある、と先生から聞いた。山形県を訪れたことはまだないが、いつか原画と対面してみたいとずっと思いつづけた。

 それから28年経ったこの夏、ついに機会がやってきた。事前に、米沢市広報課にメールを送ると、米沢市上杉博物館から返信がきた。

 絵は長年、市役所議事棟に飾られていたが、保存の関係で、数年前に博物館で完全梱包し収蔵しているという。

 もう、直接みることはできないのか。それでも、話だけでも聞こうと博物館を訪ねた。E学芸員に持参した複製画を差し出すと、この絵にまちがいない、と言った。梱包する前に撮った画像をみせてもらったが、色はかなり褪せていて、むしろぼくの複製のほうが生き生きとしているようだった。

 Eさんは、1998年に発行された『黒沢梧郎作品集』をみせてくれた。黒沢先生は、ほぼ同じ構図の『飛天』を、米沢世紀(株)という会社の音楽ホールの壁にも描いていた。

 その会社の堤菁・前会長が、作品集のなかで、壁画『飛天』について<シバ神と妃パール・パーティが飛天する姿を借りて宇宙のどこかで誕生し進化した人間>と説明している。その<生命体の尊厳と神秘を、黒沢梧郎氏は独自の大空間の中に表現された。(中略)どこに行く命か。これは傑作である。>

 ぼくの複製の絵では、飛天がクローズアップされているが、作品集にある壁画では、たしかに大空間のなかを飛んでいる。この作品も、まちがいなく傑作だ。写真をみただけで、新たに感動をおぼえた。

 黒沢先生は、ぼくが取材に訪れたとき、山形県の赤湯温泉のはずれに茅葺きの民家を借りてあり、来月からそこで故郷の人と風景を描く、と話していた。

 先生は1999年6月8日、80歳で亡くなられたそうだ。

 先生は川西町の川西中学校にも壁画を描いた、と言っていた。博物館から車で30分弱のその学校へ行くと、K校長が多目的ホールへ案内してくれた。縦7メートル、横8メートルの大壁画がそこにあった。

 クラブ活動に励む生徒や地元の伝統芸能・小松豊年獅子踊りの様子などが描かれている。

 作品集の巻末の作品リストには、収蔵先も記されている。米沢興譲館高校、川西町民総合体育館、高畠町役場・・・。故郷のあちこちに足跡がある。そのほとんどは無償で描いたのだという。

 E学芸員は言った。「黒沢先生の絵は、わたしも好きです。ここら辺の人は、先生の名前は知らなくとも、その作品なら見たことがあるはずです」

 先生は絵のなかに生きつづけている。「郷土愛」とともに「マーキング」という言葉を思い出した。

 --毎週木曜日に更新--

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