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古代出雲王朝の姿は八雲のなか

 島根・出雲大社の近くで、2012年7月21日から11月11日まで、『神話博しまね』が開かれている。古事記1300年にあわせ、その神話の3割が出雲を舞台としていることから企画された。

 姉の新盆で帰省したおり、会場を訪れた。県教委の主催かと思えば観光振興課が音頭をとったイベントとかで、郷土芸能や和太鼓、民謡などを繰り広げる舞台があった。

 メインは、「国内最大級」」とうたう高さ3m、幅15mのアーク型超ワイドスクリーンでの、CGと本物の役者による演技を組み合わせた神話映像館だった。出雲の始祖神スサノヲがヤマタノヲロチを退治する物語を展開する。

 ヤマタノヲロチのあまりの迫力に、「怖い、こわい」と泣きじゃくる子どももいた。

 古事記→神話→出雲ときてこういうイベントになったのだろうが、ロンドン五輪の影響もあって、夏休み中の人出はいまいちとの話も聞いた。

 ネット上には神話博のホームページもあるが、「古事記の舞台」「古事記の世界構成」といったページは、イベント開始からひと月半も日数が経っているのに、「現在準備中です」と表示されたままだ。主催者の詰めの甘さはいなめない。

 古事記より少し後に編纂された出雲国風土記を読むと、有名な国引き神話をはじめ、地名起源、気候風土、地誌などが整然とまとめられており、当時の民度の高さを示している。その高度の文化は、1000年以上の時を経て、いまや失われてしまったのか、と出雲人としてはやや残念な気もする。

 観光客をあてこんで企画すれば、無難な出雲神話がらみのイベントということになるのだろう。でも、遠方からの古代史ファンも引きつけるなら、次はやはり古代出雲王朝をどんとテーマにしたインパクトのある企画でやって欲しい、と思うのはぼくだけだろうか。

 神話博に物足りないものを感じ、まず足を運んだのが、出雲弥生の森博物館だった。出雲を中心に山陰から越後地方などにまで分布する独特の四隅突出型墳丘墓の発掘地に建つ。 こたつに布団をかけたような形の四隅突出型はユニークな形状で、なかでも西谷(にしだに)3号墳が、考古学や古代史の本では必ず紹介されている。たしかに形状は珍しく、ヤマト王権が前方後円墳を特徴とするのに対し、独特の存在感を持つ。

 しかし、その被葬者についてはほとんど無視されている。

 西谷3号墳は、ずばり卑弥呼の邪馬台国の時代に相当する。被葬者は、男王と子ども、女王の3人だ。しかも、博物館では、「必ずしも夫婦ではなかったかもしれない」としている。

 女王卑弥呼には政治を助ける「男弟」がいたことが、魏志倭人伝に書かれている。この出雲の弥生の森でも、ちょうど同時代に、男に政治面を任せた、シャーマンか巫女のような存在としての女王がいたのかもしれないのだ。

 学芸員を呼んでもらって話を聞くと、「王」が被葬者だと考えるのは、一緒に出土したブルーのヒスイ製勾玉が、国内でも例のない海外からの物だからだなどと理由をあげた。骨は残っていなかったそうだが、ガラスの胸飾りも中国陝西省産の極めて珍しいものだった。男王の棺には鉄剣もあった。また、副葬品には岡山県吉備地方からもたらされた大型土器などもあり、出雲の地にかなりの基盤をもつ王権があったことがうかがえるという。吉備にも強大な王国があったと考えられている。

 弥生の森から東へ約8kmのところにある荒神谷遺跡にも行った。1980年代半ば、銅剣358本をはじめ銅鐸、銅矛が大量出土し、考古学界を騒然とさせた遺跡だ。なにしろ、日本全国で出土した銅剣の合計数を上回る数がまとめて埋葬してあったのだ。時代は、弥生の森よりさらに200年以上古い紀元前後とされる。

 ぼくの実家から真南に臨む仏教山の麓にあるが、かつてはその山も神名火山(かんなびやま)と呼ばれていた。遺跡のボランティアガイドによると、銅剣類出土地の正しい地名は神庭西谷(かんばさいだに)というそうだ。神庭はまさに神の庭であり、西谷の「さい」はもともと「斎」または「祭」ではなかったか、という研究者もいるようだ。

 銅剣などはいずれも実用的な武器ではなく祭器とされる。誰が何のために整然と並べて埋めたのか、弥生の森に眠る男王、女王とはどんな関係があったのか。

 古事記や日本書紀を読めば、ある時代、出雲に大きな勢力を持つ王朝があったことがうかがえる。政治権力というより、宗教的権威がすごかったようで、出雲大社では巨大神殿の柱も発掘された。

 東京・府中市にはオオクニヌシを祭神とする大国魂神社があり、いま、鎮座1900年事業を行っている。社伝などの伝承によれば、景行天皇41年(西暦111年=別の学説も)5月5日に大國魂大神がこの地に降臨し、それを郷民が祀った社が起源という。

 武蔵一の宮とされる埼玉県さいたま市の氷川神社の祭神は、スサノヲと妻クシナダ姫だ。オオクニヌシも祀られている。氷川神社の支社は関東各地にたくさんある。

 なぜ、関東にまで出雲の神々の足跡があるのか。古代出雲王朝はとんでもない広がりをもっていたのではないか。しかし、まだ謎だらけで、その姿は八雲立つ出雲の雲のかなたに隠れている。

 --毎週木曜日に更新--

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