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2012年10月

日の丸を背負い、カンボジアの地雷原に挑む②

 日本で夏といえば7、8月ごろで、最も暑い季節だ。ヨーロッパでも北米でもそうだが、海外の季節を語るときには注意がいる。カンボジアの最も暑い季節、つまり夏は4、5月ごろだという。

 日本政府のODAなどによって設立されたJMAS(日本地雷処理を支援する会)のカンボジア現地統括代表・谷川保行さんからのメールによると、2012年のカンボジアの5月初旬の気温は、43~45度だったという。それからしばらくして雨季に入った。

 谷川さんとぼくらが同時期にいたインドでも、5月が暑さのピークだ。人びとは雨季をモンスーンと呼んで待ち焦がれる。気温が下がって炎暑で疲れた人びとの体を休めさせ、耕地も潤してくれるからだ。年によってはモンスーンが訪れず、農業をはじめとする経済活動だけでなく、ときには政治へも甚大な影響をもたらす。

 インドのモンスーンはだいたいひと月あまりで終わるが、カンボジアの雨季は10月ぐらいまでつづくのだという。この期間、地雷処理の任務にとってはやっかいな季節となるそうだ。

 <地雷・不発弾の処理現場や建設工事の現場は泥濘化され、作業効率が落ちるとともに、車両や重機材が泥濘にはまり四苦八苦の脱出劇を演じるようになります。最大の問題点は、洪水により地雷や不発弾の位置が変化したり新たに増えたり、露出して住民が被害にあう確率が高まることです>

 ある地雷処理サイトで、21個の対人地雷が発見され、翌日もまたほぼ同数が、翌々日には40数個が見つかった。

 ついには、恐れていた対戦車地雷まで出てきた。その破壊力はすさまじく、2年前には地雷処理員7人が対戦車地雷の事故で亡くなっている。谷川さんは、万一の悪夢を想定せざるを得なかった。

 <5月31日までに200個を超える地雷を探知、安全化を行った後に回収し、同時に見つかった砲弾と共にすべて爆破処分しましたが、本当に緊張した1週間で、考えたくもない事故対応を頭の中で反復していました>

 現地付近に埋められていた地雷は、ソ連製、ベトナム製、中国製だった。ベトナム軍、カンボジア政府軍(ヘンサムリン軍)とポルポト軍が入り乱れていたカンボジア紛争の縮図を物語っていた。しかし、地雷処理のプロが首をかしげることがあった。

 <今回発見された地雷の中には、信管が装着されていない地雷、安全ピンがかかったままで作動しないようになっていた地雷がかなりありました。この地域で地雷設置作業を行った兵士はおそらく、無知な農民兵士だったのでしょう。あるいは、同胞同士が傷つけあうのを嫌い、敢えて爆発しないように地雷を操作したことも考えられます。つわもの達の地雷跡には、兵士の匂い、人の匂いがします>

 ある州では、地雷・不発弾処理を行うとともに学校、道路、井戸等を建設している。簡易道路の新設工事を行う鍬入れ式に臨んだ谷川さんは、道路建設予定ルートも確認した。その一帯には、バナナ、マンゴー、ココナツ、椰子、ジャックフルーツなどが至る所に生い茂り、実がたわわになっていた。

 <この国には飢えがない、仕事がなくとも食える、という印象を持ちました。反面、点在する住民の暮らしは目を覆いたくなるような貧困状況で、カメラを向けることができませんでした>

 谷川さんは激務のあいまを縫って、アンコールワット、アンコールトム、トレンサップ湖を訪れ、ベトナム系の人々が暮らす沖合の水上集落を船で回ってきた。

 <多くの観光客が興味津々という面持ちで訪れ、珍しい観光スポットであるにもかかわらず、なぜ、どうして、いつまで、こんな不便で非効率な生活を・・・という余計な気持が強くなってしまい、なかなか観光客になり切れません>

 一方、首都プノンペンをはじめ主要都市に入ると、乗用車の9割以上は日本車だが、都市間を結ぶ主要国道では、特に韓国・現代自動車のバス、大型トラック、バンのオンパレード状態だそうだ。そして乗用車でも、韓国製が徐々にシェアを広げつつあるという。

 日本は、政府レベルではカンボジアに対する最大の援助国だが、こと民間投資になれば、韓国の投資額は日本の27倍に上る。

 <こんな田舎に、という場所にも韓国資本のホテル・工場を見てきました。プノンペン市内では、ホテル、料理店、病院、マンション等々、韓国の勢いは日本をはるかに凌駕しています>

 <「日本寿司レストラン」という看板に惹かれて行ってみると、韓国人経営で寿司職人も韓国人、そしてまずい! 鉄面皮の強さ>

 日本も経済特区内だけでなく企業活動で“野戦”に打って出ないかぎり、市場開拓で韓国に勝つことは難しいのでは、と谷川さんは感想をもらす。

 <ただ、カンボジア人の友人の一人はこう言いました。「俺は日本人が好きで韓国人と中国人は嫌いだ。日本人は友人でカンボジアを支援してくれる。韓国人と中国人は横柄でカンボジアを搾取している」と。警句ですね>

 --毎週木曜日に更新--

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ほんとに美味いローカルグルメは、隠れている

 いわゆるグルメ人間ではないが、食べることは人一倍好きで<食いしんぼ>を名乗っている。

 ご当地グルメとかB級グルメとか、各地の美味い食べ物を呼ぶとき、さまざまな言い方がある。ぼくはローカルグルメというのが気に入っている。

 この言葉は、京都の柏井壽という歯科医が発案したもので、『極みのローカルグルメ旅』という面白い新書を出している。歯科の本業をちゃんとやっているんだろうか、と不思議に思えるほど、全国津々浦々を食べ歩いている。

 そういう人生はうらやましいが、そうそう<食いしんぼ>の旅にも出られないので、近間でなにかいいものは手に入らないか、日々、目を凝らしている。

 先日、新聞の折り込みチラシで、九州某県某市のから揚げ専門店が、わが家の近くに直営店を開いたことを知った。

 この某市のから揚げは、最近、テレビでよく紹介されているから、いつか食ってみたいと狙っていた。直営店の場所は、わがウォーキング7コースのひとつにあり、日曜の夕方、買いに行った。店内で食べることもできるが、チラシのクーポンを持参すれば、先着30名が半額でお持ち帰りできるという。

 行列でもできているかと思えば、若いカップルがひと組いただけだった。かみさんとふたりで食べるから、手羽先2本と骨なし200gを頼んだ。店員さんは、下味をつけた鶏肉の重さを量り、それにグラム当たりの値段を電卓でかけてレジを打つ。

  しめて、1006円。その半額で503円を払って、肉を揚げてくれるのを待つ。半額だからいいようなものの、定価で考えれば相当高い。

 店頭には、某市のから揚げマップが置いてあった。市内に55店ものから揚げ屋さんがあり、<10数種類の調味料を使ったタレでしっかりと下味をつけたものを、注文を受けてから揚げ、冷めてもおいしく食べられるよう工夫をしている>とある。

 テレビでも、市民が毎日のように買いに行く様子が映っていた。よっぽどから揚げ好きの市民なのだろう。

 揚げたてを袋に入れてもらい、ぶらぶら歩いて持ち帰った。さて、まず骨なしから口に運ぶ。ん? ブロイラーを思わせる独特の臭みがちょっとある。手羽先のほうがよりスパイシーで、甘辛の味付けだ。

 かみさんが作るから揚げのほうが美味い。二度とあの店には行くことはないだろう。

 チラシには<フランチャイズオーナー随時募集>と強気の一文があったが、この味で飛ぶように売れるとは、とても思えない。仮に行列ができるとしても、テレビでいかにも美味そうに紹介されてしばらくのあいだだけだろう。

 B級グルメのグランプリ大会が開催されるようになってから6年が経つという。ぼくも一応のチェックは入れることにしているので、関東地方のB級グルメ優勝メニューはひと通り試してみた。名物に美味いものなし、とおなじで、B級グルメに美味いものなし、というのが個人的感想だ。

 もちろん、食べ物は、単に味の良し悪しだけじゃなく、旅情とか店の雰囲気、いっしょに食べる相手などに左右される。初めての街を訪れ、そこのローカルグルメに舌鼓を打つというのも悪くない。

 でも、お客をずっと変わらず呼べるには、やっぱり味や食感がきちんとしているものじゃなきゃだめだろう。

 九州某市で、なぜから揚げがそんなに人を引きつけるのかは知らない。本場ではもっと美味いのかもしれない。でも、地元の人はほんとに美味いものを知らないだけじゃないか、と疑ってしまう。より洗練されたから揚げを出す店は、東京圏ならいくらでもある。

 わが家から車で約10分の老舗焼肉店が、<黒毛和牛A5ランク焼肉全品50%OFF>のキャンペーンをやったので、久しぶりに実家へ帰ってきた息子も連れて食べにいった。1皿わずか390円のホルモンでも、信じられないほどの“凄み”があり、つい3皿も平らげた。

 「新大久保のコリアンタウンよりずっといけるね」というのが、満腹後のわがファミリーの感想だった。食ハ廣州ニアリ。日本の食は東京圏にあり。

 ただ、地方にも、無名だがものすごく美味いものがあるのもの事実だ。

 30年ほど前、愛知県の三河湾へ取材旅行したときのことだった。民宿へひと晩泊った朝、近所の漁師のおばさんが、リヤカーを引いているのに出会った。シャコが獲れすぎたので市場へ出荷した残りをで塩ゆでにして売り歩いている、と言う。

 木製の魚箱単位で旅館、民宿に売るのだが、値段はあきれるほど安かった。おばさんは、レジ袋に一杯シャコを入れて、「お金はいいから、これ持って行きな」とくれた。

 帰り道、マイカーの助手席で磯の匂いがぷんぷんする。自宅まで待ちきれず、ドライブインに車を停めて、シャコの殻をむき、口に放り込んだ。後年、築地でも銀座の寿司屋でも、あれほどのものとは出会ったことがない。あれぞ、絶品のローカルグルメだった。

 嗚呼、食いまくりの旅がしたい。地元の人しか知らない、そっと隠されている一品がいい。

 --毎週木曜日に更新--

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日の丸を背負い、カンボジアの地雷原に挑む①

 地雷ふんじゃったみたい、などと若者は言う。触れてはいけないことを口にしたときなどに使う。

 しかし、本物の地雷は、そんな軽いものじゃない。戦車をぶっとばす強烈なものや、人間を殺傷する対人地雷などがある。

 ドイツで特派員をしていたとき、元東西ドイツ国境での地雷処理現場を取材したことがある。ドイツ統一からすでに4年が経っていたが、旧東ドイツが埋めた地雷はまだ160Kmにわたって埋まったままだった。

 国防省が設立した地雷処理専門会社が作業にあたっていた。現場責任者は、かつて東ドイツ国境警備隊の下士官として、市民が東から西へ向け“国境破り”するのを監視していた。それが、今では“国境を消す”任務に追われている。「それまでの人生を否定する仕事だけに・・・」と、複雑な思いを語っていた。

 「この作業用道路からは、一歩たりとも脇にそれてはいけません。まだ、地雷がたくさん埋まっている可能性がありますから」。そう忠告され、恐る恐る、トラクターに似た地雷除去機や手作業での地雷探知の写真を撮った。

 先ごろ、カンボジアから突然メールが届いて、畏友とも言える親しい知り合いが、いま、地雷処理作業を現地で統括していることを知った。

 元在インド日本大使館駐在防衛官で、陸自一佐(大佐)だった谷川保行さんだ。ぼくがニューデリー特派員だったとき、公私にわたって大変お世話になった。

 日本政府のODAなどによって設立されたJMAS(日本地雷処理を支援する会)のカンボジア現地統括代表となり、この2012年3月に赴任したという。

 陸自を退官したあと日本赤十字社に勤めておられたから、第3の任務ということになる。日中は40度以上になる炎天下、地雷処理現場を回り、関係機関との調整、事務作業などに追われているらしい。

 現場では陸自のOBであるJMAS地雷処理専門家の指導のもと、カンボジア人スタッフが黙々と作業をしている。毒ヘビやサソリのいる地帯だ。

 地雷を取り除いたエリアには、道路が建設され、たくさんの住居が建てられ、キャッサバやサトウキビ、マンゴー、バナナなどの果樹園が広がる。日本企業も続々と進出しつつあるそうだ。

 住民の生活は以前より格段に向上している。<JMASはカンボジア国民のために善をなしているとの思いを強くしました>。メールにあったこの一文に、心を打たれた。

 日の丸を背負って闘っているのは、オリンピック選手やサッカー日本代表だけじゃない。

 カンボジアでは、1993年の総選挙で一応の民主政権が誕生するまでの長い間、勢力が入り乱れる内戦がつづいていた。いまも無数にのこる地雷は、そのころ敷設されたものだ。

 アフガニスタンなどもそうだが、地雷は街や農地を奪っている。地雷を取り除くには専門技術と細心の集中力が必要となる。

 谷川さんが統括しているカンボジアでのJMASの任務は、現地の作業員にその専門技術を伝授し、やがては自力で作業できるようにするのが目的だ。

 ぼくはインドに駐在しているころ、東南アジアをしょっちゅう訪れた。でもカンボジアにはまだ行ったことがなく、どんなお国柄か、谷川さんがどんな日常を送っているか、大いに興味がある。

 まず住居だが、首都プノンペンに構えた事務所の2階にある、25畳くらいのバストイレつきの部屋に暮らしている。キッチンは1階にあるが、食材や食器、調理器具は「管理上」2階の自分の部屋においているため、不便なことこのうえないようだ。

 ある週末には、汗だくになりながら、プノンペン市内を3時間ほどかけて歩き回った。<まあ、無秩序、喧噪で汚く、モラル崩壊。歩行者優先という考えはつゆもなく、何回か車やバイクにはねられそうになりました>

 <日本の常識は非常識。カンボジア人の行動スタイルに切り替え安全を保っています>

 ぼくも、初めての海外出張でフィリピンへ行ったときに、混沌、無秩序の洗礼を受けた。「赤信号では車が止まる」などという常識は通じず、交差点へ猛スピードで突っ込んで来る車のあいだを縫って反対側へ渡るしかない。

 信号のないところで横断しようとすれば、さらに命がけの緊張を強いられる。

 そのとき、日本人の野生本能がつくづく失われていることを痛感した。途上国では、ふつうの日本人が交通弱者になる。生き馬の目を抜くのは、東京ではなくプノンペンのようなところなのだ。

 救いは、首都に日本人医師、歯科医がいることと、日本料理店や日本食材販売店があることだ。途上国での生活で、これはとても重要なポイントとなる。

 <昨日は、カンボジアへ来て初めて、しめサバとサケのハラスで冷酒を飲みました。タイミングよくNHK国際放送で、隅田川の桜の情景に滝廉太郎の『花』が流れており、思わず目頭が熱くなってきました>

 わかる、その気持ち。

 --毎週木曜日に更新--

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“国境オンチ”の日本が、尖閣紛争に勝てるか

 かつてぼくは、インドとパキスタンの国境線にまたがって、インドの国境治安部隊とパキスタン・レンジャーの兵士による、国旗降納セレモニーの写真を撮ったことがある。

 ニューデリー特派員をしていて、パキスタンに13回も出張したころのことだ。場所は小さな村ワーガーの国境検問所だった。

 印パ両国が分離・独立した1947年、村は分断され、東半分はインド、西半分はパキスタン領となった。冷戦によって東西に分断されたドイツを連想させることから、「アジアのベルリンの壁」と呼ばれることもある。

 儀式に参加する両国兵士の集団は、身長が高くみなイケメンだった。カラフルなターバンを巻き、双方から検問所に向かって勇壮なパレードを行い、まったく同じ手順でそれぞれの国旗を降ろしてたたむ。国境線の両側には観客席が設けられており、観光客のためのエンターテインメントではあるが、国威を競い合う日課となっている。

 ぼくは両国政府公認の特派員証を持っていたから、国境線として道路に引かれた白いラインを文字通りまたいでシャッターを切った。

 印パ関係が緊張するとこの検問所は閉じられ、平時には国際路線のバスなどで通行できる。まさに、国際関係をこの目で体験できる、不思議な空間だった。

 ファインダーをのぞきながら、つくづく思ったことがある。――島国に住みほぼ単一の民族である日本人は、国境、人種、宗教の3つには疎いと言われる。印パは過去3回も戦争したが、日本人に国境問題で戦火を交える心構えなどないだろう――と。

 しかし、2012年後半のいま、領土問題が持ち上がり、万に一つは尖閣諸島をめぐって中国とことを構える事態がないとも言い切れない。

 日本国内では、中国や台湾が尖閣の領有権を主張しはじめたのは、一帯海域に海底油田があることがわかった1970年代以降のことで、その言い分に歴史的根拠はないはずだ、と一般に思われている。

 反日暴動も、愛国教育という名の反日教育の結果であって、悪いのは中国であり、国際社会は日本を支持してくれるはずだ、とも。

 だがそれは、日本人の希望的観測にすぎないようだ。

 ニューヨーク・タイムズ電子版に、9月19日、台湾・国立政治大学の邵漢儀教授が書いた「釣魚/尖閣諸島の背後にある不都合な真実」という論文記事が掲載された。日本政府は1895年に尖閣諸島を、どの国も領有権を主張していないことを確認し、日本領に編入したとしている。だが、記事では「日本は尖閣諸島が中国領であることを最初から知っていながら、不当に占拠した」と論断しているという。

 <1885年当時、日本の外務大臣はこう記している。「台湾に隣接する中国の島々(駐・尖閣諸島)にわれわれが関心を持っているという噂を、中国の新聞が報じている。いまこれを公に国有化すれば、中国の疑念を招くのは必至だ>

 ぼくはニューヨーク・タイムズの紙のグローバル版を定期購読しているが、この論文は載っておらず、週刊現代10月13日号で知った。雑誌には、ニューヨーク・タイムズ元東京支局長で、邵教授の論文の掲載を決めたニコラス・クリストフ記者のコメントも載っている。

 <邵氏が今回提示した、『日本は尖閣を日清戦争の戦利品だと認識していた』という史料は説得力があった>

 このコメントがどれほど重要か、週刊現代のくだんの記事には解説がないのでわかりにくいが、おなじ号の別の対談記事で、孫崎享・元外務省国際情報局長はこう語っている。

 <忘れてならないのは、日本は連合国が1943年に発表した『カイロ宣言』を順守するとしていることです。同宣言は清朝の時代に日本が占拠した領土はすべて返すこととされています。尖閣諸島が日本に編入されたのは1895年。すなわち清朝時代です。これらの経緯を踏まえれば、尖閣諸島は日本の領土と言い切れるかどうか>

 クリストフ記者は、以前から、中国側の論拠に分があるとする記事を書いているという。

 在ニューヨーク総領事館の川村泰久総領事は10月3日、この電子版記事に抗議のコメントを寄せ、「尖閣諸島は日清戦争の『戦利品』だった」という説を否定した。

 野田政権は、尖閣国有化に踏み切るさい、歴史的考察を十分にしただろうか。

 橋下徹大阪市長のコメントはもっともだ。「竹島問題では国際司法裁判所(ICJ)に提訴するとしながら、尖閣問題での提訴は受け入れないという姿勢はおかしい」

 もし、中国が提訴したら、カイロ宣言のために日本は負けるかもしれない。

 南ドイツ新聞は、9月19日、日本を正面から非難した。<日清戦争のさいに尖閣諸島を占領したことこそ、日本が中国に与えた恥辱の発端である>

 このさい、諸外国の報道内容が正しいかまちがっているかは問題じゃない。どう伝えられ、国際社会にどう受け止められているかが問題なのだ。それはICJにも影響する。

 島国ニッポンに住んでいて、日本の新聞やテレビだけの情報しか知らないと、思考もガラパゴス化する。政治家も国民もおなじだ。

 やはり、日本には、国境問題などで丁々発止する能力はないのかもしれない。

 --毎週木曜日に更新--

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