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2012年12月

激ブレ現象の時代、本当に恐ろしい時代

 もし、いまの日本に、社会のブレ度を測定する計器があれば、極端から極端へ激しくぶれているのが観測されるだろう。

 2012年末の総選挙もひどかった。いくら民主党の政権がだらしのないものだったからと言って、3年あまり前の選挙で国民に愛想をつかされた自民党が、一転、圧勝するとは、どうなっているのか。国民に期待を抱かせたいわゆる第3極が失速したせいではあるが、有権者の反応は軽佻浮薄としか言いようがない。勝たせ過ぎで、再度の反動が怖い。

 わが国の選挙制度は、ドイツを参考に改革された。今回の結果を「小選挙区制特有の結果だ」としたり顔で解説する人もいる。だが、似たような制度のドイツでは、これほど極端にぶれることはない。小さな中道政党をテコの支点のようにして、保守か左派の2大政党の議席がまさったほうが、中道政党と連立を組むケースがほとんどだ。

 日本では、テレビの世界でも、おなじ激ブレ現象が起きている。

 総選挙の半年前、スポーツニッポンに「ドラマ低視聴率 “逆ミタ現象”は口コミから 『恐ろしい時代になった』」という記事が載った。

 俳優オダギリジョーさん(36)主演の『家族のうた』第3話の視聴率が、3.4%だったことに注目したものだ。4月29日の日曜午後9時からフジテレビ系で放映された。(ビデオリサーチ調べ、関東地区)

 この記事で、前年秋の日本テレビ『家政婦のミタ』が最高視聴率40%を記録したことと関連づけた、民放関係者のコメントが引用されている。

 「今の時代はネットなどで口コミが広がりやすく“面白い”となればミタのような怪物的数字を出すが、“つまらない”となると信じられないような低い数字が出ることが分かった。本当に恐ろしい時代になった」

 記事は、『家族のうた』を“逆ミタ現象”と呼んでいる。

 『家政婦のミタ』では、俳優の長谷川博己さんが、頼りないパパ役を好演し、一躍、人気を博した。これも40%の威力だ。

 ところが、同じ年にテレビ東京で放映された『鈴木先生』という長谷川さん主演のドラマは、最低視聴率が何と1.6%だったという。

 このドラマのことは、2012年12月21日にTBSで放送された『Aスタジオ』で、MCの笑福亭釣瓶さんがゲストの長谷川さんに語っていたのを聞いて初めて知った。

 ひとりの俳優が、1年のあいだに、視聴率40%と1.6%を経験したわけだ。

 『鈴木先生』はぼく自身観たわけではないので、毎日新聞デジタルの記事を参考に書くと、2007年に「文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞」を受賞した武富健治さんの同名マンガが原作となっている。

 ドラマは、「鈴木先生(長谷川)が、どこの中学校でも起こり得る問題について過剰に悩みながら、独自の教育理論を駆使して解決していく様子を描いたもの」だという。放送批評懇談会が選ぶ「ギャラクシー賞11年6月度月間賞」や2011年の「日本民間放送連盟賞テレビドラマ番組部門最優秀賞」を受賞するなど、高く評価された作品なのだ。

 釣瓶さんも、Aスタジオで絶賛していた。それなのに、1.6%にまで落ち込んだ。

 テレビドラマに限らず、映画でも文学作品でも、いいものが売れるとは限らない。それにしても、人びとは、広告やネット上の口コミに、あまりにも踊らされているのではないか。

 しかも、踊らされていることには気づかない。自分の感性や価値観で評価するのではなく、他人がいいと言っているから、という安易な選択をしてしているように思える。

 阿部寛さん(48)主演の関西テレビ、フジテレビ系連続ドラマ『ゴーイング マイ ホーム』(火曜午後10時)も、全話の平均が7.9%と振るわなかった。

 映画『誰も知らない』(2004年)で知られる是枝裕和氏(50)が初めて連続ドラマで全話の脚本・監督を務めた作品だ。山口智子さん(48)があのフジテレビ系『ロング・バケーション』以来16年ぶりの連続ドラマ出演、宮崎あおいさん(27)も10年ぶりの民放連続ドラマ出演という鳴り物入りで始まったが、散々な結果となった。

 信州の森に棲むという伝説の小人「クーナ」探しに、大人たちも巻き込まれていくファンタジーだ。たとえば里山を背景に、母と子がサッカーをする様子を、遠く引いたカメラで映す新鮮な映像と、アコースティックギターの抒情的な曲が、ぼくは気に入っていた。

 小人の話などいまの時代に合わないかといえば、そうとは言い切れない。12月下旬に公開された映画『ホビット 思いがけない冒険』は大好調だそうだ。世界的大ヒット作『ロード・オブ・ザ・リング』3部作の60年前を描いており、やはり3部作として順次公開されるという。

 これは、いわゆるバンドワゴン効果のおかげだろう。『ロード・オブ・ザ・リング』の関連作品だから面白いですよ、とちんどん屋が走り回っているようなものだ。

 さて、テレビでめった打ちにあった『鈴木先生』だが、いいものはいい、ということで、2013年1月に映画版が公開される。主演はやはり長谷川博己さんだそうだ。ぜひ、リベンジして欲しい。

 --毎週木曜日に更新--

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日の丸を背負い、カンボジアの地雷原に挑む④

 霞が関でキャリア官僚をしているSさんが、嘆いていたことがある。

 「いろんな団体などからお声がかかり、仕事がらみのテーマで講演に行くんですが、謝礼を受け取るとワイロと見なされるおそれがあります。だから、せいぜい美味しいお店に連れて行ってもらうくらいですね」

 公務員は、もちろん、兼業やアルバイトを禁止されている。うちの息子は民間人だが、アルバイトは上司が公認した本業関連のもの以外はだめだ。兼業などとんでもない。

 その点、ぼくが勤めていた新聞社は懐が広かった。新聞記事を書くために集めた情報を使って、個人で本を書いたり講演をしたりするのは、まったく自由だった。 マスコミっていうのは、こんなアバウトなところがいい。

 ある政治記者など、本業の記事を書くより個人で政治の裏話本を書くのが忙しかった。社内で唯一、社員としての年収を印税が上回っている、とうわさされていた。

 ぼくの場合、印税や講演料はちょっとした臨時収入にすぎないから、全額または半額をかみさんにお小遣いとして渡すのが常だった。

 とはいえ、同じ新聞社でも長野県の信濃毎日新聞のように、本を個人で出すのは固く禁じられているケースもないではない。信州人気質というか、ヘンにお堅い。本を書けば、情報収集能力や筆力をアップするメリットもあるのに。

 カンボジアの首都プノンペンに駐在する谷川保行さんからのメール『カンボジア便り』を読んで、兼業やアルバイトのことを考えた。谷川さんは、日本政府のODAなどによって設立されたJMAS(日本地雷処理を支援する会)のカンボジア現地統括代表だ。

 地方の地雷処理現場へ出かけるときは、運転手つきのランドクルーザーを調達するのだという。悪路が多く、普通車などでは立ち往生する恐れがあるらしい。

 1回の出張は3日から1週間くらいだそうだが、問題は運転手だ。

 <何と運転手は、アルバイトの陸軍中佐、そして陸軍のヘリ整備エンジニアです。陸軍中佐は2人いて、国防省人事局勤務と陸軍参謀本部人事部勤務、ヘリ整備エンジニアは文官です。驚きました>

 陸軍中佐はこんなことを言っていたという。

 「給料は250米ドル。プノンペンで子どもを塾に通わせ、少しはまともな生活をするためには500ドル必要。上司も了解済みでみんなやっている」

 副業に励むのは、軍人だけではない。谷川さんがバッタンバン出張の際にいつも泊まるホテルのマネージャーは、州教育局の次長だそうだ。

 <田舎の小学校では、先生の給料は60ドル前後で、教えるよりも副業、様々な名目を付けて生徒の親から金銭を徴収することに熱心です>

 もともと、公務員の給料が低いため副業は当たり前になっている。<公務員のワイロ要求が日常茶飯事なのも同根です>

 ぼくがかつて駐在していたインドでも、事情はだいたい同じだった。中国でも、公務員の汚職が深刻で、2012年11月に国の新しいトップとなった習金平・第5代党総書記も、就任演説で「汚職根絶」を重要課題にあげていた。

 とはいえ、現役の軍幹部が休暇をとって堂々と運転手のアルバイトをするなどということは、少なくともインドでは聞いたことがない。

 カンボジアの金をめぐる話は、それだけではおさまらない。官僚や軍人トップ、政治家は、既得権益にありついた者が多く、そうでなければ資産家、あるいは、成功したビジネスマンという半面を持っており、一般にとても裕福だそうだ。

 谷川さんのレポートは示唆深い。

 <私の知っている陸軍の将軍は、自分の周りのスタッフに正規の給与以外の手当てを個人的に払い、車を買い与えている人がいますが、普通のことのようです。この国で出世するには、人脈に加え、金脈、そして、独裁色を強めつつある人民党という色が必要です>
 この話でのポイントは、“人民党という色”だ。

 中国でも、共産党員は8,000万人もいるとされ、その全員が、「改革開放」の流れに悪乗りして何らかのビジネスにからんでいるという。マルクス・レーニン主義という党是・思想などどっかへ追いやって、皆、金稼ぎに狂奔しているのだ。

 中国共産党は、たしかに、日本軍と戦い、革命を成就させ、農奴を解放して国民に読み書きを教えるなど功績の部分もあった。でも、超肥大化した党組織は、国を吸い尽くす寄生虫となりはてた。

 カンボジアでは、1993年に自由選挙による総選挙が行なわれた。人民党は第2党となり、第1党と連立政権を作った。立憲君主制をとる新憲法を採択、シアヌークが国王に即位した。1998年の総選挙で第1党となった人民党は、連立をつづけてはいるものの、年を追うごとに独裁色を強めている。谷川さんの観測通りだ。

 その人民党が、中国などとおなじで、獅子身中の虫と化している。

 <行政全体がスポイルされているわけですが、社会がこれに意外と寛容であることに危惧を感じています>

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台湾はなぜ親日なのかという疑問

 韓国と台湾は、おなじ日本の植民地だったのに、なぜ反日、親日と両極端なのか、以前から不思議に思っていた。その疑問が最近、ようやく解けてきた。

 『逆説の日本史』でおなじみの作家井沢元彦さんは、ある雑誌で明確に書いている。

 韓国は、日本から独立した際、植民地統治を絶対悪とし<反日>を国是とした。日本は、朝鮮半島の社会基盤を整備し教育レベルを大幅にアップするなど貢献した面もあったが、独立後の韓国はすべて無視し、マイナス面だけを取り上げて日本を糾弾した。

 日本=悪、韓国=善の二元論とし、歴史をねつ造したのだった。韓国にとって竹島(独島)は日本から最初に“奪還”した領土であり、いまに至るまで独島を独立のシンボルとして愛国教育を進めている。

 反日を理由とした行動、活動なら、何をしても許される。過去の対日関係を見直し評価しようとする者は指弾され、裁判で有罪になる。世にもまれな反日全体主義だろう。

 ひるがえって、台湾の親日については、近年、いろいろな考察が行われている。あるネットニュースの記事によると、1984年、中国・上海で生まれ現在も上海市在住という若い中国人女性は、このテーマについて以下のように踏み込んだブログを書いた。政府・軍・公共サービス関係に勤め、日本語はほとんどできないが、「文献や、香港、台湾、マカオの友人と接触し、中国大陸では主流ではない考えを持つようになった」という。

 中国では、台湾の親日感情を「媚日」とする批判が強く、日本の台湾統治は「残虐な抑圧」に満ちていたものだったとされているそうだ。だが、この女性ブロガーは、台湾統治には見事な面が多く、住民のために尽くした日本人がいたことが、台湾にある親日感の「歴史的理由」のひとつ、とする。

 日本の統治は1895年から始まり、まず派遣されたのは憲兵3400人と警察官3000人で、その後の人口増で計1万人程度に増員された。「こんなに少ない警察力で、台湾では『落し物を着服する人もなく、夜も家に施錠の必要がない』ほど治安がよくなり、しかも社会は急速に現代化した」「この事実に、われわれが学ぶ点は実に多い」

 森川清治朗は警察官として台湾に赴任し、識字率の低い地域に私費で教師を招き、学校を開設した。その後、台湾総督府は徴税の厳格化を進めたが、貧しい村には負担が大きすぎると、森川は行政府に免税を嘆願した。しかし、行政長官は課税に反対する村人を扇動する行為として処罰したため、森川は抗議の遺書を残し、1903年に自殺した。

 1914年、武冨栄蔵という日本人は台湾先住民のひとつタイヤル族の集落に赴任した。ペストが流行し、その嵐がいちおう去った後も、武冨は収容者の手当てを続けたが、自らもペストに感染して死亡した。

 広枝音右衛門は1943年に日本海軍巡査隊隊長になり、台湾人志願兵2000人を率いて、フィリピンのルソン島に赴任した。太平洋戦争末期、米軍に追いつめられると、「台湾人は戦争とは本来無関係だ。ここで死ぬな。責任は日本人である私が負う」と言い、自決した。台湾志願兵は米軍捕虜となり生き残った。

 これらの日本人を台湾住民は「神」と崇め、霊廟を作った。

 中国では、かつて台湾で「支配民族に対する被支配民族の抵抗」の構図があったとする考えが一般的だが、このブロガーはそれに反論する。

 「日本の軍人や警察官を神とした廟で、ぬかづく人もいる。過去の日本人を崇拝する民衆の記憶は、今も存在する」

 共産党の一党独裁下で言論が抑圧されている中国では、国民の歴史観も統制されており、こうした意見はごく少数派だ。しかし、日台関係の歴史をみすえ自分の見方を堂々と公にしたこのブロガーの勇気は称賛に値する。

 一方、北京にある清華大学の博士課程院生・頼奕佑氏は評論文を月刊誌「中国評論」に発表した。これは、中国の公式見解に基づいた歴史観を背景に日台論をテーマとすればどうなるかという、ある意味で興味を引くたぐいのものだ。

 頼氏によると、中国では日本が台湾で実施した「皇民化教育」が現在にいたる親日の理由となっているとされているが、それをしりぞける。皇民化教育というのは、天皇を敬愛し日本式に改姓し日本語を使うことが骨子だった。

 「当時の台湾人の中で、日本語を家庭内で使用する率は全体の1%程度でしかなかった。また、日本姓に改姓した台湾人の数は非常に少なく、日本の皇民化教育が、想像していたほどに上手くは進んでいなかったことがうかがえる」

 「台湾に渡った蒋介石の国民党政権は、日本植民支配地時代の名残を撤廃していった。学校教育や政治思想教育で、蒋介石による日中戦争時の功績が大々的に宣伝され、この世代に育った台湾人に、日本=中国への侵略者というイメージが植え付けられた」

 それでも、2010年3月に公開された調査では、65~80歳の植民地支配を受けた経験がある回答者の中でも58%が「日本に親近感を持っている」と答えた。親近感を持たない人は13%だった。頼氏も、台湾の親日を認めざるを得ない、とする。

 朝鮮半島と台湾での統治政策は大差なかった。韓国の反日全体主義は、ねつ造された歴史観によるものだろうが、それに反論はできても、国民心情を変えるのは容易ではない。

 --毎週木曜日に更新--

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ドイツ人が考える「過去」とは  画竜点睛を欠く読売の記事

 ひとつの肝心な情報が抜けていると、ピンボケの記事になってしまうことがある。読売新聞の2012年11月27日朝刊国際面に載った「戦争悲劇に焦点 独軍事博物館」という記事は、その典型だ。

 筆者はベルリン特派員のM君だ。ぼくの後任としてベルリンに赴任し、一度任期を終えて東京本社にもどったが、ふたたびベルリンに駐在している。

 ドイツ東部のドレスデンにあるドイツ連邦軍の軍事歴史博物館が、2011年、新装開館した。「戦争の悲惨さや社会的背景まで掘り下げた、ドイツならではの構想に貫かれている」ため話題や議論を呼んでいる、というのが記事の柱だ。

 一般に、各国の軍事関連博物館では、愛国心の高揚を狙うケースが少なくない。それに比べ、ドレスデンの博物館は、たとえば、イラク戦争で負傷した米軍兵士らの手術の写真60枚を展示しているという。「戦争の悲惨さをストレートに表現する展示品だ」と書く。

 これを読んだ日本の読者の多くは、なんで戦後66年も経って「戦争の悲惨さ」を展示する模様替えが行われ、話題になるのか、よく分からないだろう。

 日本でなら、広島の平和記念資料館をはじめ「戦争の悲惨さ」を展示した博物館などいたるところにある。逆に、「愛国心の高揚」を狙った展示など聞いたことがない。

 「ドイツは早い時期から誠意をもってナチスの戦争犯罪の補償を行う姿勢をヨーロッパに示した。そこから再生が始まった」(作家辻仁成氏、1997年10月8日毎日新聞夕刊)。

 日本ではこういう「ドイツは立派だが、日本はだめだ」式の議論がずっとつづいて来た。ドイツが戦争の過去を深く反省しているなら、戦争の悲惨さを伝える博物館も、ずっと以前からドイツにはいくらでもあったはずだ。

 ところが、そうではない。ぼくは2001年に『<戦争責任>とは何か 清算されなかったドイツの過去』(中公新書)を上梓した。それを書くため、ドイツ、ポーランド、チェコを取材旅行した。

 ドイツで「戦争とその悲惨さ」を展示している博物館は、ベルリンで元教師が主宰している小さな『反戦博物館』と、ベルリン郊外にひっそりと建つ『ドイツ・ロシア博物館』くらいのものだった。だが、高級週刊誌『シュピーゲル』の戦後補償専門記者さえ、それらの博物館の存在自体、知らなかった。メディアや一般市民の関心を引くこともない。

 ドレスデンは旧東ドイツにあり、その博物館は欧米などによくある軍事博物館とおなじで、ある意味では愛国心の高揚を目的としていた。

 だから、展示をがらっと入れ替えたわけだが、記事にある新装展示の意味づけ、つまり「ドイツならではの構想に貫かれている」というのは、明らかにおかしい。

 少なくとも、日本の戦争をテーマとする博物館はすべて「戦争の悲惨さや社会的背景まで掘り下げて展示」しているではないか。

 では、ドイツが反省してきた過去とか戦争犯罪とはいったい何か、ということが当然問題になる。実は、戦争犯罪には3つのカテゴリーがある。拙著のポイントでもある。

 <平和に対する罪>(A) 侵略戦争を共謀、遂行した罪
 <通例の戦争犯罪>(B) 民間人や捕虜の虐待・殺害、都市の破壊など
 <人道に対する罪>(C) 政治的、宗教的、人種的理由にもとづく迫害、虐殺など

 AとCは、ドイツの指導者らを裁いたニュルンベルク軍事裁判で初めて導入され、東京裁判でも適用された。現代では国際法の基本的な考え方だ。

 日本には「A級戦犯」という言葉があるように、侵略戦争を行った罪が中心に裁かれ、いまでも近隣諸国とのあいだで、侵略うんぬんが問題になる。日本で展示されているのは、AとBについてのものにほぼ限られている。

 Cは、ナチス・ドイツによるユダヤ人などの大虐殺、いわゆるホロコーストの罪を裁くために導入されたカテゴリーで、日本にはほとんど当てはまらない。

 戦後のドイツ、あるいはヨーロッパでもっぱ政治的関心を呼んで来たのはCだった。ヨーロッパ大陸では古くから戦争が繰り返され、Aの侵略戦争について問題にすることはほとんどなかった。したがって、戦争に伴うBもあまり問題にはならなかった。

 ドイツ各地の博物館はCに関連するものがほとんどと言っていい。ぼくが取材でABCのカテゴリーを指摘すると、ドイツ人の歴史家らは驚いていた。そういう観点で現代史をとらえたことがほとんどなかったからだ。ニュルンベルク市の博物館局長は「今後、AとBについても博物館の展示に反映させようと思います」と答えた。

 ドレスデンの博物館展示刷新は、ひょっとしたらぼくの取材での指摘が動機になっているかもしれない。

 こういうテーマの記事なら、ABCの違いや、ドイツではもっぱらCについてのみ論議されてきた戦後史を書き添えなければならない。M君は拙著を読んだはずだが、その肝心な点を書きこまないから、疑問の多い記事になってしまった。

 ドレスデンの展示について、「右派からは『あまりに弱腰、柔軟だ』などと批判され、武器や技術の展示を期待する来訪者の多くは、驚き失望する」(ロッグ館長)という。

 ドイツはほんとに右寄りの国で、実は、「戦争の過去」などあまり反省していない。

 --毎週木曜日に更新--

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