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古代出雲王朝はあった! 出雲の国→武蔵の国の謎

 2013年が明けた。マヤ暦は昨年末の冬至までしかなく、世界では終末論に揺れた。もちろん、世界はつづき、暦が途切れてもむしろ新しい時代がはじまった、との考えが主流となっている。人類のDNAがこれから飛躍的に進化する、と唱える人さえいる。

 この正月、ぼくは仕事の締切に追われ、初詣でに行く余裕もなかった。

 新年にはいろいろな神社に行くが、これまでもっとも多く初詣でしたのは、埼玉県さいたま市大宮区にある氷川神社だ。直線の参道は約2キロにもおよび、両側に露店が立ち並んで、いかにも華やかだ。正月の参拝者数では、いつも全国のトップ10に入る。

 子どもたちの七五三祝いでも、郷里から両親を呼んでいっしょに参拝した。

 参るたびに不思議に思っていたことがある。「武蔵国一宮」ともされるこの神社の祭神が、スサノヲノミコトとその妻クシナダヒメ、そしてスサノヲの6代目の末裔ともされるオオクニヌシノミコトとなっている事実だ。

 3柱はいずれも、出雲の神々だ。『記紀』や『出雲国風土記』の神話を読み合わせれば、スサノヲが天界から出雲の地に降りて国造りを始め、オオクニヌシがそれを完成させた。

 そして、オオクニヌシは大和王朝に国を譲り、幽界の大神となる。

 出雲地方では、過去30年弱ほどのあいだに、考古学上の大発見が相次ぎ、「やはり、強大な古代出雲王朝があったのではないか」という声が強くなりつつある。

 その観点で考えると、埼玉南部のその名も「大宮」の地に、出雲の神々が祀られていることの重大さが浮かび上がってくる。

 ぼくは、島根県出雲市の出身であり、オオクニヌシを祀る出雲大社から車で東へ約15分のところに、生まれ育った実家がある。

 古代出雲王朝があったとすればどこまでを勢力圏としていたか、というテーマには、並々ならぬ関心がある。

 出雲を中心に山陰、北陸、越後(新潟)地方などまで、という説が有力のようだ。しかし、大宮の氷川神社に注目すればそれどころではない。少なくとも現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部にまたがる武蔵の国まで、勢力下におさめていた可能性が出てくる。

 そうした仮説とも言えない妄想を長年抱いて来たところ、一冊の本に出会った。『<出雲>という思想 近代日本の抹殺された神々』(講談社学術文庫)だ。筆者は、明治学院大学教授の原武史氏で、今ちょうど50歳という気鋭の研究者だ。

 この本の第2部に、「埼玉の謎――ある歴史ストーリー」として、ぼくが抱いてきた疑問を学術的に解明する論文が載っている。わくわくしながら、ひと息で読んだ。

 徳川幕府が編さんした武蔵国の地誌によれば、第5代孝昭天皇(在位:紀元前475年ー紀元前393年)の時代に、島根県東部を流れる氷ノ川(斐伊川=ひいかわ)流域にあった出雲大社を勧請するとともに、川の名にちなんで「氷川」の社号をつけたという。

 斐伊川と言えば、実家の縁側から堤防が見える。直線距離で400メートルくらいか。子どものころは、夏休みに、同じ町内の友だちと「水浴び」に行ったものだ。

 東京近郊のぼくの家の近くにも、小さな氷川神社がある。この本によれば、氷川神社は、東京都に59社、埼玉県に162社もあり、他の道府県には合わせて7社しかない。つまり、圧倒的に旧武蔵国に集中しているわけだ。

 原教授は、氷川神社と久伊豆神社、香取神社の関東分布図を掲載し、「数多くの出雲系神社が、東部を除く武蔵国一帯に集中して存在していたことがわかる」と指摘している。この分布図は、大宮氷川神社の西角井正慶氏が1959年に書いた『古代祭祀と文学』からの転載だそうだ。

 ちなみに、郷里の母が大ファンである演歌歌手氷川きよしさんの芸名も、北野武(ビートたけし)さんが、レコード会社の近くにあった氷川神社にちなんでつけたそうだ。つまり、出雲系での命名ということになり、それを知れば母は大喜びするだろう。

 出雲大社の神官トップは、古代から出雲国造である千家家が務め、今にいたる。その祖先で『記紀』にも登場するアメノホヒノミコト神を、やはり祖先とする西角井家が、大宮氷川神社の神官トップを明治維新まで務めて来たという。

 原教授は、本のまえがきでこう述べる。

 「出雲国造とは、天皇と並ぶもう一人の『生き神』であったのであり、天皇にも匹敵する宗教的な権威をもっていた」「天皇の権威が、明治になって作られた要素が多かったのに対して、出雲国造の権威はそれ以前からあり、特に中国、四国地方を中心とする西日本では、その存在は明治以前からよく知られていた」

 出雲国造と西角井家の関係から、武蔵国が古代出雲王朝の勢力範囲となっていたことがうかがえる。原教授は、明治中期の3年あまり、出雲国造千家尊福が官選の埼玉県知事を務め、祭政一致の「古代出雲王朝」が再現されたことがある、という指摘もしている。

 『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』(新潮社)を書いた文化勲章の梅原猛氏などは、武蔵国の氷川神社群にはまったく触れていない。

 全国各地で出雲系神社や考古学の研究が進めば、大和王朝以前から成立期にかけ、西日本から少なくとも関東にいたるものすごい王朝があった事実が、明らかになりそうだ。

 --毎週木曜日に更新--

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コメント

氷川神社は四宮まである この少し南に神官の居ない氷川神社が四宮まである これは何を意味するのか? 鹿島神宮と香取神宮は何を意味するのか 香島とは? 「総」が意味するものは?

投稿: | 2016年4月 2日 (土) 17時06分

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