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新法王はフランチェスコになれるか

 新しい法王は「フランチェスコ(フランシスコ)」と名乗った。初めてニュースでその名を聞いたとき、なにか違和感のようなものを感じた。

 カトリック教会の総本山バチカンで、2013年3月13日、南米アルゼンチン出身のベルゴリオ枢機卿(76)が、第266代法王に選出された。

 ぼくの意識は、青春時代に飛んだ。1973年、ハリウッド映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』が公開され、おなじ年に、日本でも一般上映された。

 イタリア中部アッシジの聖人フランチェスコ(1182ごろ~1226年)を描いた作品だ。ひとりで観ようと決め、京都の市電で河原町までいったのを覚えている。

 先日のある深夜、かみさんを誘って、ネット通販で買っておいたビデオ版作品を、40年ぶりに観た。

 冒頭、ひとりの青年が、戦地へ赴くのをやめ、故郷へふらふら帰還する。大病をわずらって生死をさまよい、さまざまな体験がフラッシュバックする。

 青年フランチェスコは命をとりとめ、ある程度元気になった。だが、様子がおかしく、家族は、精神がやられたのではないかと心配する。

 裕福な毛織物商である青年の父は、近隣で反乱した平民との戦いに負けた貴族などが売りに来た宝物を、安く買いたたいて高く売る。その商売がうまくいき、ご機嫌だ。

 フランチェスコは小鳥とたわむれ、野花の咲き誇る草原でときをすごし、父親の商売になど見向きもしない。父の使用人を連れ出して遊ばせ、商品を窓から投げ捨てる。

 神の声を聞くフランチェスコには、もはや、地上の富や栄誉にはなんの関心もなかった。本当に価値あるものは天上の神のもとにある、とキリストの教えをそのまま口にするようになる。

 町の郊外で廃墟となっていた小聖堂を再建しようと、ひとりで活動をはじめる。十字軍の英雄となった友人なども、フランチェスコに共感し、ひとりふたりと加わっていく。

 十字軍とは、言葉を変えれば、イエス・キリストの名において、イスラム教徒を殺戮・略奪・強姦する戦争のことだった。

 キリストの本当の教えが、少しずつ、フランチェスコの周りで同心円のように広まっていく。教会の権威が脅かされることを恐れた地元司教は、手の者を使って再建中の小聖堂に火をつけ、フランチェスコの仲間のひとりを殺害する。

 フランチェスコとその同志は、ローマへ出向き、教皇に訴えようとする。権威のかたまりである法王庁の高位聖職者らは、ぼろをまとったフランチェスコ一派をうまく追い返そうとする。だが、教皇自身が、一行に合うことを決断する。

 フランチェスコは訴える。地上にある富や権威にはなんの価値もなく、ほんとうに大切なものは神のもとにある。貧しい人びとに手を差し伸べないで、なんのための教会か。

 教皇は、フランチェスコたちに歩み寄っていく。「わたしも若いころは皆とおなじ考えだった。しかし、教会政治に多忙なあまり、大切なことを忘れていた」

 教皇はひざまずき、フランチェスコの泥にまみれた足に接吻して祝福する。その行為が、本心からのものか、若者を手なずけるための方便にすぎないかはわからないが。

 フランチェスコは、アッシジに帰り、貧者や病人のための地道な活動をつづけていく。

 この作品は、ぼくが生涯でもっとも感動した映画だった。19歳のぼくは絵画館を出て、文明があふれるけばけばしい繁華街を避け、鴨川の河川敷を歩き通して、数キロも北の下宿まで帰った記憶がある。かみさんも、ビデオの途中から泣いていた。

 京都の有名寺院を訪れ、大伽藍に違和感を覚えることがある。宗教とは、心と神仏との問題であり、こけおどしのような大伽藍などないほうが本当ではないのか。そう思うようになったのは、あの映画の影響が大きい。

 作品のタイトルは、「兄弟なる太陽、姉妹なる月」に見守られ、清く貧しく生きるフランチェスコの姿を象徴する。

 マザー・テレサが、聖人フランチェスコを崇敬していたのは、よく知られた話だ。マザーは、おなじ生き方を、この現代で実践した。

 教会の権威を真っ向から否定したフランチェスコの名を、世界12億のカトリック信者の頂点に立つ最高権威者が、名乗っていいのか。

 ドイツに暮らしているとき、家族を連れてバチカンに行った。システィーナ礼拝堂は、たしかに素晴らしい。天井画は最高の美術品であり、南隣のサン・ピエトロ大聖堂もこの上なく荘厳だ。しかし、それは、聖フランチェスコが否定したものでもある。

 ただ、ニューヨーク・タイムズを読む限り、新法王には、フランチェスコを名乗る資格があるのかもしれない。常に貧しい者たちのことを考え、彼らに手を差し伸べる。宮殿を離れて小さなアパートに住み、運転手つきの送迎車は断って、バスや電車に乗る。自分で炊事もしていたという。

 ローマ法王庁のかかえる課題は、あまりに多い。聖職者による児童への性的虐待、女性の高位聖職者への登用、同性愛結婚、妊娠中絶などをどうあつかうか。

 21世紀のフランチェスコは、足元の教会の権威と闘うことを求められる。

 --毎週木曜日に更新--

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