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2013年11月

ウイグル問題――日本の人権・人道感覚

 北京の天安門前で2013年10月末、車が歩道上の観光客ら40人を跳ね飛ばし爆発、炎上した。車内の3人が死亡したほか、跳ね飛ばされた観光客2人も巻き添えで死亡した。けが人の中には日本人もふくまれていた。

 この事件は、ウイグル問題に対する日本のメディアの試金石になった。

 中国には、チベット、ウイグルというふたつの大きな少数民族問題がある。そのうちチベットについて、ぼくにはちょっと苦い思い出がある。

 ドイツで特派員をしているとき、環境問題の取材を進めていた。当然のように、『緑の党』のオフィスも訪れた。担当者と一通り話しが終わって雑談していると、話題がチベットにおよんだ。

 日本では、緑の党といえば環境保護に特化した政党だとみられることが多いが、人権問題にも極めて熱心に取り組んでいる。ヒトラー政権下でユダヤ人やジプシーという蔑称で呼ばれてきたロマ人、障害者などが迫害された歴史から、人権や<人道に対する罪>についてはとても敏感なドイツの国情を背景としている。

 インド北部にはダライ・ラマ14世を最高指導者とするチベット亡命政府があり、ぼくもニューデリー特派員時代に亡命チベット人のデモなどを取材した経験がある。

 しかし、緑の党党員のチベットについての問題意識や知識は、ぼくをはるかに上回っていた。そして資料をどさっとぼくに手渡してくれた。チベットはおなじアジアのことなのに、自分はなんと“平和ぼけ”していたかと恥ずかしくなった。日本では、平和の対語は戦争だが、ドイツでの平和の対語は主に人権・人道犯罪なのだ。

 日本は日中戦争での加害者、中国は被害者というメンタリティがすり込まれている。中国当局がチベット住民をどれだけ迫害していようと「内政のことだから口を出すな」と言われると、日本の政府も国民もそれ以上突っ込まなかった。

 日本のメディアがかなり批判的に中国当局の姿勢を伝え、チベット人の惨状もレポートされるようになったのは、やっと近年のことだ。

 新橿ウイグル自治区での状況もチベットとほとんど共通している。拷問や虐殺は日常茶飯事で、大学でのウイグル語の授業を禁止し、ウイグル族の未婚女性を大量に都市部に送り込んで漢族に同化させてきた。

 従来、日本のメディアは、中国当局の発表を垂れ流し、ウイグル人をテロリスト呼ばわりすることがふつうだった。2012年6月、自治区でハイジャック未遂事件が起こったとき、時事通信は、中国メディアの報道を転電し「『重大なテロ』=容疑者はウイグル族か」と伝えた。

 WEBマガジン『WEDGE Infinity』は、ラビア・カーディル世界ウイグル会議議長のインタヴューを掲載している。議長は、国際社会で「ウイグルの母」と呼ばれ何度もノーベル平和賞の候補になったことがある人物だ。

 「ウイグル人が何か起こしたと彼ら(中国当局)が発表するときにだけ、『テロ』というのです」「『ウイグル人はテロリスト』という誤ったレッテル、中国政府によって貼られたレッテルを信じないでほしい」

 WEDGE Infinityによれば、9.11の後にアメリカが展開した「テロとの戦い」大キャンペーンに中国政府は便乗し、政府に批判的なウイグル人らに「テロリスト」のレッテルを貼り、弾圧を正当化してきた。

 中国当局の横暴なやり方が日本でも広く知られるようになると、メディアの対応も変わってきた。

 今回の天安門での車両爆発炎上事件で、中国政府は例によって「ウイグル族のテロ」と断定し「容疑者」を拘束した。だが、日本のメディアは最初から中国の発表を疑い、ウイグル自治区へも入って現地情報をさまざまな角度から報道した。そして、中国当局の仕組んだ謀略ではないか、という見方も生まれた。

 ウイグル問題で日本が変化するきっかけになった出来事が、少なくともふたつある。そのひとつは、なんと言っても、2009年7月のウイグル騒乱だった。新華社通信によると死者は192人、負傷者は1,721人だった。世界ウイグル会議は、「中国当局や漢族の攻撃によりウイグル人が最大3,000人殺害された」と発表した。日本では初めてといっていいほど、ウイグルの記事やニュースがあふれた。

 ふたつ目が、2012年5月、アジアでは初めて東京の憲政記念館で開かれた世界ウイグル会議第4回代表大会だった。ウイグル族の声を直接聞き、惨状に改めて注意を向けた。ウイグル人をテロリストとした新華社電を注釈なしで転電した翌月の時事通信記事は、日本ではいまや少数派の報道だった。

 世界の主要メディアも、中国当局の立場をそのまま伝えることはしない。CNNなども天安門車両事件をウイグル族に同情的に報じ、中国政府はCNNを名指しで批判した。国際社会では中国に対して「テロに遭った被害国」という同情もあまりなければ、「テロは許せない!」という声も、上がっていない。

 世界ウイグル会議の本部は、ヒトラーの拠点都市だったドイツのミュンヘンにある。

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世界を揺さぶる割に空騒ぎみたいなNSA盗聴疑惑

 アメリカの国家安全保障局(NSA)による盗聴疑惑が大騒ぎになっている。それを横目にみて、職務で盗聴を実行している人たちも大変だろうなあ、と思う。

 もう20年近く前のことになる。ドイツのボンで暮らしているとき、アメリカ大使館に務めているRさん一家と知り合った。息子のM君とうちの息子がアメリカンスクールのクラスメートだったことから、親しくなった。

 ボンは人口30万人ちょっとの地方都市だが、当時は首都機能があった。ドイツ最大の都市はなんと言ってもベルリンで、本来ならそこに首都があるべきだった。しかし、第2次世界大戦後、ドイツは東西に分断され、西ドイツの首都は再統一されるまで暫定的にボンに置かれた。したがって、そこには大統領府や連邦議会、各国大使館などがあった。

 Rさんが働いていたアメリカ大使館は、東西冷戦時代、西側陣営の最前線基地みたいな位置づけだった。

 ぼくがボンに赴任したとき、すでにベルリンの壁は崩れて冷戦は終わりドイツは再統一されていたが、首都機能はまだベルリンに帰っていなかった。そして、アメリカ大使館もその機能を冷戦時代のまま維持していた。

 Rさんは、外交官ではなく日本語で言う通信士のような仕事をしていた。アメリカ大使館には、西ヨーロッパと本国アメリカをつなぐ巨大通信センターがあり、日夜、そこで通信業務に携わっていた。

 Rさんは、ある年末、ぼくの一家をクリスマスパーティに呼んでくれた。ドイツ名物アウトバーンを愛車でぶっ飛ばし、わざわざフランクフルトのアメリカ系スーパーマーケットまで重さ8キロもある七面鳥を飼いに行き、自分で焼いてくれた。

 そのときの雑談だったが、アメリカで国家通信士になるにはきびしい条件があると話してくれた。「扱う通信内容は国家機密だから、寝言でも仕事のことを口にしてはいけないんですよ」

 ジョークだと思っていたら、採用テストで実際にベッドのある部屋に寝て、寝言を言うかどうか試されるというのだ。

 冷戦時代は、それほど緊迫していたわけだ。

 今回、NSAの盗聴疑惑が浮上したのは、中央情報局(CIA)元職員のエドワース・スノーデン容疑者がアメリカの機密文書を各国のメディアを通じて暴露したからだった。冷戦時代だったら大変なことになるところだったのだろうが、今回の件はどこか“空騒ぎ”みたいな感じがある。

 アメリカによって盗聴されていた指導者として真っ先に名前があがったのが、ドイツのメルケル首相だった。野党党首時代の2002年から10年以上、党から支給されていた携帯電話が盗み聞きされていた。

 首相は、この件が発覚すると、オバマ大統領に直接電話して抗議し、今後は盗聴しないことを約束させた。報道陣に対しても、「盗聴など受け入れられない。信頼はふたたび構築されなければならない」と怒りを示した。

 ドイツには、ナチ政権や旧東ドイツが盗聴や密告制度で国民を監視した過去があるだけに、NSA疑惑について敏感だった。

 でも、ドイツ有力紙「ヴェルト(Die Welt)」は、「ドイツは盗聴について怒りの声を上げたが、それはうわべだけだ」と書く。それは、「友好と利害の関係があるからだ」

 ドイツが主導するEUとアメリカはいま自由貿易協定(FTA)の締結交渉を進めていて、それに失敗すれば双方にとってのダメージは計り知れない事情がある。また、ヴェルト紙によれば、ドイツは「マーシャルプラン」や「ベルリン大空輸」でアメリカに恩義があるから、簡単に事を荒立てるわけにはいかない。

 マーシャルプランというのは、大戦で被災したヨーロッパ諸国のために アメリカが推進した復興援助計画のことだ。ベルリン大空輸というのは、1948年、ソ連が西ベルリンに向かうすべての鉄路と道路を封鎖した際、アメリカやイギリスを中心とする西側陣営が行った物資空輸作戦のことだ。

 ヴェルト紙は「傍若無人で自国の利益をすべてに優先する帝国主義的な超大国」としてのアメリカを批判しながらも、アメリカと対等な立場では対抗できず、「NSA事件はヨーロッパの弱さを露呈している」と嘆く。

 NSAは、グーグルやヤフーも傍受していたらしい。そうだとすると、集める情報はとてつもない量になる。かつてはRさんのように手作業で情報を扱っていたが、いまではITの発達によって、機械的に処理されるものがほとんどだろう。もちろん、メルケル首相ら首脳の通話盗聴は、各国語のできる要員を当てるのだろうが、お世話さまなことだ。

 NSAは日本も重点監視しており、対象は「新興の戦略的な科学技術」「外交政策」「経済的な安定・影響」の3分野だそうだ。

 NSAの盗聴は、同盟国をふくむ35か国の首脳に対して行われていた。だが、これまで日本の首相が盗聴されていたという報道は出ていない。何となく、そうだろうな、と思わせられる話ではある。

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出雲大社に巨大柱が立った

 長さ17メートル、重さ4トンの巨木を100人がかりで引っ張りあげる。滑車を使い、意外にも簡単に5分ほどで巨木は直立した。もちろん、土木のプロによる周到な準備のおかげだが。3本の巨木は、鉄の輪で固定された。

 出雲大社の東神苑で、2013年11月10日、「巨木の柱立て」イベントが行われた。ぼくが、13年前に思い描いたシーンが、ついに目の前で実現されたのだった。

 話は、2000年4月にさかのぼる。その日、家族で銀座へ食事に出かけた。帰りに、JR有楽町駅の高架ホームで電車を待っていたら、目の前のビルにある電光掲示板に島根からのニュースが流れた。

 「出雲大社で、3本の巨大な柱跡を発掘。古代の高層神殿を裏付けか」

 いにしえに天を仰ぐ神殿があったという出雲の伝承は、やっぱり本当だったのか。ぼくは、高ぶる気持ちを抑えられなかった。

 出雲大社の宮司を代々務める千家家には、古い時代の本殿の平面図が伝わっている。それは、鉄の輪で3本の巨大杉を締めて一本の柱とし、それを9本立てた上に神殿があったことを示している。

 神殿は何度か倒壊し再建された。最高で、16丈(約48メートル)だったとされる。しかし、長いあいだ、「単なる伝承に過ぎない」と取り合わない学者もたくさんいた。

 巨大柱跡発掘のニュースで、ぼくが連想したのは信州諏訪の御柱祭だった。あの祭では、山から巨木を切り出し、川で流し、里で曳いて諏訪大社境内の四隅に立てる。

 古代の出雲でも、おなじようなことが行われていたのではないか。

 その年の秋、当時の島根県佐田町で教育長をしていた友人・岩崎知久君が、会議に出るため東京に出張して来た。杯を酌み交わしながらぼくが語ったのが、巨大柱をめぐる諏訪と出雲の結びつきだった。

 古事記によると、有名な「国譲り」の際、大国主命の息子神・タケミナカタはそれに反対してタケミカズチに追われ信州へ逃れたとされる。

 諏訪側の伝承では、タケミナカタが諏訪地方を「征服」し諏訪大社の祭神となっていまに至る。タケミナカタは、故郷出雲での神殿建立の記憶を諏訪で再現させ、それが神事となってつづけられてきたのではないか。ぼくの空想ではあるが、出雲で巨大柱跡が見つかったことで、ひょっとしたら、という思いだった。

 岩崎君は、島根の子どもたちに神話と伝承を教える体験学習として、出雲版のミニ御柱祭を発案し、ぼくには諏訪側の情報を集めるようメールで頼んできた。諏訪へ出張したおり取材したが、諏訪大社の神事には出雲とつながるものは残されていなかった。だが、千数百年もの歳月のなかで消滅したことも考えられる。

 岩崎君は、関係する3市町に働きかけ、話はかなり進んでいた。しかし、平成の大合併騒ぎでいったん立ち消えになった。

 それから10年余りを経て、企画は新制・出雲市佐田町の地で復活した。奇しくも、『出雲国風土記』(733年完成)には、出雲大社の宮材を造る山として佐田町にある吉栗山の名が記されている。2013年夏、その山から長さ6メートルの杉を切り出し、佐田地域の子どもたちが神戸川までの約600メートルを曳いて運び出すイベントが行われた。

 その一方で、出雲にはぼくとおなじことを考えたひとがいた。現在、地元紙・山陰中央新報の出雲総局長をしている河野徹夫さんだ。岩崎君の紹介でご本人に会うと、出雲大社での巨大柱跡発掘当時は出雲総局の報道部長で、「杉はどこから来たのか」など関連情報を報道したそうだ。

 その後異動したが、6年前に総局長として出雲にもどった。諏訪のように出雲でも「柱立て」をやりたいと、出雲大社や地元経済団体などに熱心に働きかけた。ある意味では奇抜なイベントのため紆余曲折があり、企画書を何度か書き直した。「出雲国風土記『高層神殿』追体験事業」と位置づけ、賛同者を増やしていった。土木関係業者の協力も不可欠で、地元有力企業・中筋組が社を挙げ無償で参加した。

 柱立て本番では、多くの参拝客が見守るなか、出雲大社宮司、島根県知事や佐田町窪田小学校の子どもたちなどがロープを引っ張った。あいにくの雨模様だったが、事業としては大きな意味があった。

 ぼくが最前列で見ていると、フジ系列山陰中央テレビのマイクを向けられたので、諏訪の話を引き合いに率直な感想を述べた。

 巨木を立てる試算で3本を固定する金輪は60キロもの重さになり、本当に金輪で締めていたのか、など新たな疑問も関係者のあいだでは生まれたという。

 巨大杉の選定から神苑に柱を立てるまでのプロセスは、諏訪の御柱祭とそっくりだったが、学術的に出雲と諏訪を結びつけることがむずかしいのは、河野さんも承知している。「出雲での事業は、諏訪の規模の百分の一、千分の一かもしれないが、追体験事業を将来につなげたい」。今後、子どもたちによる杉の植樹なども計画しているという。

 事業は、出雲大社の約60年に一度の大遷宮に合わせて行われた。「今回参加した子どもたちが、60年後に、あのとき柱を立てたと思い出してくれれば」

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だまされる韓国大統領、いい迷惑な日本

 北朝鮮の金正恩第1書記と韓国の朴槿恵大統領のどちらが、やっかいだろうか。

 核やミサイルをおもちゃのようにもてあそぶ“北のおぼっちゃん”も手に負えないが、当面、その口に蓋をしたいのは朴大統領のほうだろう。

 ヨーロッパをいま歴訪中で、第2次大戦の敗戦国ドイツが周辺国と和解したことで欧州統合が実現した、と指摘する。それ自体は事実だが、日本はナチスの過去を清算したドイツを見習い「(今とは)別の態度を見せてほしい」と繰り返して回っている。意図は、日本を非難し歴史問題で欧州からの支持を取り付けたいところにある。

 朴大統領は、今年2月に就任して以来、米中などに外遊したときにも同様の論理展開で日本を牽制している。

 だが、その公式発言は、まったく事実に基づいていない。日本国内にも「ドイツは立派で日本はだめだ」式の発想が、長いあいだつづいていた。でも、拙著『<戦争責任>とは何か 清算されなかったドイツの過去』(中公新書)を2001年に上梓し、新聞雑誌で大きく書評が載って以来、そうした声はまったくと言っていいほど聞かれなくなった。

 ある新聞社の論説部署は、拙著を25冊まとめ買いし、全論説委員に「ドイツの戦後処理の実態」を学ばせたという。

 要点のひとつはこうだ。戦後、連合国はニュルンベルク裁判でドイツ人指導者を裁いた。その陰でドイツ人は、ヒトラーとナチスをスケープゴートとし旧軍や一般国民の罪をなすりつけ、徹底して自らの罪を隠した。旧軍幹部さえ「あれはヒトラーとナチ組織のやったことだ」と言い逃れをした。ここで言うナチスとは、ドイツ人の理解では「ナチ党員」を意味した。

 たしかに、ドイツ国防軍とナチ組織は別だったが、正規軍や圧倒的多数の国民が支持、遂行しなければ大戦など戦えるわけもない。ヒトラーは「ナチ化」政策をとり、彼の全盛期には、国民の約9割が思想的には国家社会主義者(ナチス)だった。

 戦後、米ソは冷戦に入る。アメリカは、西ドイツを西側陣営に取り込むため、インチキを承知のうえでドイツの旧軍人や一般国民の「非ナチ化」政策を進めていった。

 ぼくは拙著のなかで、そのごまかしぶりを、非ナチ化を意味する英語とドイツ語の頭文字をとってDEトリックと名づけた。

 一方、ニュルンベルク裁判では、戦争犯罪がA、B、C3つのカテゴリーに分けられた。そのなかで、Cの<人道に対する罪>こそがホロコースト(ユダヤ人などの大虐殺)をはじめ数々のナチ犯罪を裁くものだった。戦後のドイツはCに限って謝罪した。

 ぼくはそれをABCトリックと名づけた。

 ヴァイツゼッカー元大統領の有名な戦後40年の演説は、このふたつのトリックの集大成だった。演説は、ヒトラーとナチスを非難する一方で、旧軍と一般国民を徹底してかばった。Aの侵略戦争をしたことやBの軍人による戦争犯罪については、一切語らなかった。元大統領自身、徴兵され独ソ戦争で勇名をはせた将校だったからでもある。

 侵略されたポーランドなど周辺国は、ヴァイツゼッカー演説に象徴されるドイツの態度を大筋で受け入れた。よもやトリックがあるとは気づかなかったからだ。

 ナチ組織こそ断罪されたが、旧軍は戦後ずっと名誉を保ってきた。そのいかさまにドイツ人の一部左派が気づき、糾弾したのは、演説から10年後の1995年だった。だが、そうした声は小さいままで、このABC=DEトリックは、いまに至るまで、ドイツ国民自身と国際社会をだましつづけている。

 戦後ドイツの幸運は、ヒトラー&ナチ党員という格好のスケープゴートがいたことと、ポーランドなど周辺国が「大人」で侵略、侵略などと騒がないことだ。

 朴大統領は、ヴァイツゼッカー演説のテキストを分析したこともないだろうし、ABC=DEトリックにすっかりだまされている。あるいは、そのふりをしている。

 日本の不運は、まず、スケープゴートがいない点にある。韓国や中国は、A級戦犯が合祀されている靖国神社に日本の政治家が参拝すると反発する。中国など、「A級戦犯を祀っていなければ、参拝はかまわない」と公言している。つまり、日本も軍国主義指導者と一般国民とを線引きし、ドイツのようにDEトリックを使えと言っているのと同じだ。

 だが、そんなことはできないと日本人はよく知っている。国をあげて軍国主義に走ったことは十分すぎるほど反省している。

 韓国は、誇れる自国の歴史もなく歴史をねじ曲げ反日を建国神話にした。中国共産党は、反日によってしか正当性・正統性を主張できない。だから、いつまでも日本を許さない。

 日本の不運は、隣に韓国と共産主義中国が存在することにつきる。台湾は朝鮮半島とおなじく日本の植民地だったのに、驚くほど親日的な人が多いのと対照的だ。

 男尊女卑の風潮が根強く残る韓国で、女性が大統領として振る舞うのは大変だろう。といって、根拠もなく日本の悪口を国際社会に吹聴するのは、いい加減にして欲しい。

 欧州統合が実現したのは、ドイツの誠意があったからというより、周辺国がドイツによる侵略や戦争被害を許したからだった。

 韓国こそポーランドなどを見習うべきなのだ。

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