文化的距離を考える
――『日本人カースト戦記 ブーゲンヴィリアの祝福』番外編
たまには、ちょっと理屈っぽい話を書いてみる。ぼくたち一家は、日本→インド→日本→ドイツ→日本と住んできて、ある意味、それぞれの文化に振り回された感がある。
乳飲み子を抱えインドに赴任したときは、がーんという強烈さで文化の決定的差を思い知らされた。絶望的な貧困は目と鼻で感じる。たとえば、半裸の子どもとぼろぼろの衣服を身にまとった母親が、網膜に焼き付く。何十日も体を洗っていないのではないかと思える体臭に襲われる。
ヒンドゥー教寺院に行くと、スピーカーから流れる大音響のマントラに迎えられる。カースト最上位のインド人助手バルドワージに言わせれば、ヒンドゥー教は「信徒の五感に訴える宗教」なのだった。
まず、大音量で耳に訴え、きつい香料で鼻に訴える。極彩色の寺院とご神体で目に訴え、寺院の建物やご神体に触り皮膚に訴える。そして、スパイスの効いた供物が舌に訴える。
すべてが強烈で、日本の寺院の静謐と真反対にある。仏教がインドで生まれ、仏教はインドでヒンドゥー教の一派と考えられていることが信じられなくなる。
インドでは、ヒンドゥー教だけでなく社会そのものが強烈だ。ふた昔前ニューデリーで3年間暮らし、5年前に再訪して感じたのだが、街はいまも昔も「お年寄りや体の不自由な人に優しい」というコンセプトの対極にある。バリアーフリーなど聞いたことがないし、路線バスでも飛び乗り飛び降りはふつうだ。
タクシーから降りて料金を払うとき、客がわれわれ外国人だとメーター通りの額ではまず受け取らない。たいてい「このメーターは壊れているから、○○ルピーだ」と言われた。ときには「子どもが難病に罹っていて…」などと、運転手が泣き落としに出る場合もある。こちらは、智恵を絞り心を鬼にして対抗しなければならない。
日本へ帰ってきたらきたで、しばらくは違和感を感じた。議論をできるだけ避け、言いたいことも婉曲的に言わなければいけない。ののしるなどすれば、人間関係が決定的に悪くなる。インドではそんなことはない。
顔の平板な何とへらへらした国民だろう、と思った。渋谷のスクランブル交差点に行くと、そんなニッポン人が何百人と一斉に向かってくるのでちょっと怖くなる。でも、日本人だから、いつの間にか日本仕様の生活に慣れた。
そして、ドイツへ行った。議論、口論の日々がまたやってきた。それでも、大声で口角泡を飛ばすインド人の話しぶりとはややちがう。スーパーに行けばさすがにドイツで、日本にもない便利な製品をいろいろ売っている。ドイツ製ソーセージは言うまでもなく、フランス産ワインやスイス産チーズなどがリーズナブルな価格で買える。
文化の差はもちろんある。フランクフルトの日本人板前さんが言っていた。「ドイツの海でも、結構いい魚は捕れるんです。でも、卸市場を通して店に仕入れると、鮮度が極端に落ちていたりする。何でだろ、と思い漁港へ視察に行ったら、鮮度抜群のイワシを手が冷たいからと言ってぬるま湯でさばいていたりする。魚は鮮度が命なんだという日本では当たり前のことを教えてあげないとだめなんです」
だが、こういうことはごく一部だ。街は清潔で路線バスはお年寄りや体の不自由な人に優しく、タクシーの運転手が料金を適当につり上げるなんてこともない。それどころか、目的地に着けば、運転手がさっと車を降りて重いスーツケースを運んでくれる。
日本へ帰り、タクシーに乗ったらわざと遠回りして売り上げを稼ぐやつがいた。重いバッグを運んでくれることもない。ある年、世界各国の特派員アンケートで「世界でもっともタクシーのレベルが高い都市」として東京があがった。しかし、ぼくの経験ではそんなことはない。ドイツのタクシーが世界一だろう。運転手が親切で料金も東京より安く、車は95%以上がベンツなのだから!
海外2か国で生活体験をし、ぼくは自然に「文化的距離」という言葉を思いついた。試しにヤフーで検索してみたら、そのものずばりの言葉はネット上にほとんどなかった。例外的にあったのが、こんなブログの一節だ。
<身体的な距離感の他に、文化的な距離感というのもある。大切なプレゼントを渡すなら、相手の胸の前が原則であるにしても、日本文化固有の和室で贈り物をするのに、その方法は使えない>
<距離感を決定する、より重要な要因は文化的な親近感でしょう。ドイツのアメリカ化は行き過ぎだと嘆くドイツ人が大勢います。近年では、ハロウィーンやバレンタインデーまでドイツに入ってきました。一方、文化が大きく違う地域、例えば南米諸国では、アメリカは一般的に嫌われがちで、アメリカ化も進んでいないそうです>
インドを再訪したとき、19年ぶりに合った親友プラメシュに、日本とインド、日本とドイツの「文化的距離」の差について私論を語ってみた。日印のほうがずっと遠い。英語でうまくぼくの意図が伝わるかなと心配だったが、ちゃんと分かってくれた。彼はアメリカに留学して、英米文学のPh.D(博士号)を取った。さまざまな国の出身者と友だちになり、ぼくの言うcultural distanceを身をもって経験していた。
もっとも、プラメシュとぼくは、文化的距離が奇跡的に近く、だから親友になった。
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