« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月

ファクスという中テク製品の温かみ

 かみさんが視ていた録画したテレビ番組をひょいとのぞいたら、宅配弁当専門『玉子屋』の話だった。東京23区の一部と神奈川県川崎市、横浜市の一部に配達しているそうだ。その会社の名前をニューヨーク・タイムズの古い記事で見たばかりだった。

 テレビが焦点を合わせていたのは、弁当の廃棄率がたったの「0.1%」という点だった。それは、やっぱりすごいのではないか。

 うちのかみさんが出雲へUターンするまで勤めていた食品会社では、廃棄率は3%前後だったかもしれない。スーパーやコンビニにサラダパックや生春巻き、お節料理などを卸す会社だった。たくさんの小売業者用にものすごいパック数を作るのだから、注文数と製作数のくいちがいはどうしても避けられないのだという。

 会社の内規では、余った食材などは捨てなきゃならない。専門業者に引き取ってもらい豚の餌になるらしいが、そこはそれ、ぼくの胃袋に収まることもしょっちゅうだった。まれには、北海道産イクラや特上スモークサーモンといったわが目を疑う高級食材さえあった(^-^q)。

 玉子屋の廃棄率0.1%の理由は、まず、メニューを日替わり弁当の1種類に限っていることだろう。撮影のあった日は、『豚ロースのソテー・バルサミコ酢弁当』だった。10食以上をまとめて注文するのが条件だ。

 第2の理由は、注文予測の正確さだ。現場の配達員は翌日の注文数を予測して班長に伝える。班長は、さらに、次の日が月初めか月末か、週初めか週末か、メニューは何か、天気、気温はどうなりそうかなども考慮しながら微調整する。

 第3の理由は、徹底したリサーチだ。配達員が弁当容器を回収するとき、お客さんの感想を聞いたうえで、食べ残しはないかどんなものが人気があるかなど生情報を仕入れ、メニュー構成の参考にする。

 毎日6万個を作り、廃棄はわずか60個という。それも文字通り廃棄するのではなく、スタッフのまかないに回す。つまり、捨てる物はないのだ。

 社長の菅原勇一郎さんは、アメリカの名門スタンフォード大学に招かれ経営システムの講義を行ったこともある。日本の弁当産業は7兆円規模で、知る人ぞ知るお弁当大国という。そのなかでも「廃棄率0.1%」は光っていて、世界が注目しているわけだ。

 だから、ニューヨーク・タイムズに名前が載ったのかと思えば、ちょっとちがう次元の話だった。その記事が注目したのは、何とファクスだった。わざわざアメリカの新聞が取り上げるほどのものでもないだろ、と思って読み始めると、外国人にとってはかなり興味深いテーマだと分かった。

 記事にざっと注釈をつけて紹介すると次のようになる。

 日本と言えば先端ロボットや新幹線、世界有数のインターネット高速通信で知られる。だが、実は、日本で発明され1980年代に広まったファクス機がいまでも活用されている。他のほとんどの先進国では、8トラックやカセットテープなどとおなじように粗大ゴミのひとつになってしまい、アメリカのスミソニアン博物館では、ファクス機を“考古学的”人工物としてコレクションに加えたほどだ。

 日本の内閣府によると、ビジネスの事業所の100%、一般家庭の45%にファクスが普及している。NTTコミュニケーションズの担当者は、「ファクスは非常にうまくできた機器なので他のものに取って代られることはまずない」と語る。1970年代の技術改革に貢献し、いまでも日本社会に例を見ないほど深く根を張っている。

 その一例として『玉子屋』が紹介される。杉原社長は、10年ほど前、経営を合理化しようと注文をすべてネットのメールで受け付けることにした。だが、注文は激減した。そこで、ファクス機を100台備え電話オペレーターも配置しこまめに注文を受けるようにしたら、経営は右肩上がりになった。ファクスの多くは手書きで、「フライドチキンのバターを少なめにしてください」「固ゆで卵を1個追加しておいてください」などと書かれているという。

 たとえば、日本の役所では、書類がファクスで送られてくればそれに判子を押せばいいから重宝する。多くの会社では、注文書の控え・証拠としてファクスに頼っている。銀行に言わせれば、顧客情報を保護するのにネットよりファクスのほうがずっと安全だ。

 2011年3月の東日本大震災のあと、津波にさらわれたパソコンなどに代わってファクスが売れまくるブームがあった。なかでも売れ筋のひとつは、停電時にも使えるバッテリー内蔵のモデルだったという。その話は、ぼくも初耳だ。

 玉子屋の杉原社長は、「日本文化にはいまでも、手書きによる人の温もりを求めるような何かがあります」と語ったそうだ。

 日本がファクス機を手放そうとしないのは、社会が高齢化するなかで、世界の他の国が急速になくしてしまった手で触れ形のあるものにこだわろとうとする意識があるのかもしれない、と記事はまとめている。

 ファクスは、スマホのようにハイテクでも固定電話のようにローテクでもない。その“中テク”なところが長寿の秘訣らしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国民を煽る観念的キャンペーン

 東京近郊に住んでいた昨年の初夏、朝日新聞の集金に来たいつもの青年と立ち話をした。「朝日の部数はだいぶん減ってるらしいね」「そうなんですよ。ぼくの担当エリアでも年に数%ずつ減ってます」

 「朝日や毎日をやめて読売に変える人は結構います。それで、読売もやめる人は、もう新聞を一切購読しなくなるんです」

 そして、さみしそうな顔で言った。「今月で販売店をやめます。今度は全然別の仕事をします」。ぼくも、「そのほうがいいよ。新聞に未来はあまりないだろうしね。特に朝日は。がんばってね」と言って別れた。

 おそらく、あちこちでこういう会話が交わされているだろう。なぜ、朝日や毎日の部数減に歯止めがかからないのか。各社の幹部も原因はわかってはいるのだろうが、いまさらどうしようもない、とあきらめているのかもしれない。読売はほぼ横ばいだ。

 部数減の原因はインターネットの普及だけじゃない。新聞は信用できない、と読者の多く、特に若い世代は気づいているからだ。それを端的に表しているテーマが、いま論議の的となっている集団的自衛権の問題だ。

 安倍晋三首相は、2014年5月15日夕のテレビ記者会見で、その行使の限定的容認に向け、憲法解釈の見直しを政府・与党で検討していく考えを表明した。東京新聞は翌日朝刊で「『戦地に国民』へ道」という大見出しを掲げ、国民の“反戦意識”を目一杯煽った。

 読売は、このテーマをめぐり、日本を取り巻く国際環境の厳しさを丁寧に報道・分析し、そのうえで解釈を変え集団的自衛権を容認しなければ日本の国と国民を守れず、アメリカなど密接な諸国との信頼関係も維持できないとの論陣を張ってきた。

 ナベツネ独裁体制に嫌気がさしたことなどから、さっさと読売をやめたぼくも、その政治論調にかぎっては真っ当だと思う。

 いまの国際情勢がどれだけヤバそうかは一般国民も知っている。ひょっとしたら尖閣諸島をめぐる武力衝突が起こりかねず、最悪のケースでは、沖縄が中国に占領され、北朝鮮からミサイルが飛んでくることだってありうる。中国とベトナムの確執をみてもわかる。

 それなのに、憲法がどうの平和主義がどうのとだけ言っていてことが済むのか。魚屋のおじさんだってレジのおばさんだって、なんとなく分かっている。万一、国土が侵略され国民に甚大な被害が出るような場合、「戦力不保持」の現行憲法はなんの役にも立たない。読売の最近の世論調査では、71%が集団的自衛権の限定的行使を容認している。

 それなのに、朝日や毎日、東京、NHKなどは、報道を偏向させ世論調査でバイヤスをかけででも解釈変更反対へと世論を誘導しようとする。たとえば、左派メディア共同通信は、19日、「解釈変更51%反対」としたが、調査対象は電話で聞いたわずか1021人で、しかもどう質問したか設問の文言を明らかにしていない。記事も、相も変わらずアンチ安倍の主観丸出しだ。「『結論ありき』の政権の姿勢は鮮明で、首相が突き進む『規定路線』への危うさは増すばかりだ」

 新聞が、「危うさ」とか「前のめり」「もくろむ」などを多用するときは、事実をもって論破できず、そういう言葉に頼るしかないからなのだ。

 安倍政権が進める積極的平和主義の一環である憲法解釈の変更=集団的自衛権の限定容認は、オバマ米大統領をはじめ欧米主要国やアジア各国から支持・歓迎されている。  

  例外は中国、韓国、北朝鮮だけだ。中国、北朝鮮は言ってみれば潜在敵国であり、どうでもいい。韓国は、安倍路線によって半島有事には恩恵を受ける可能性が高いのに、反日を“国是”としているからタテマエとして批判する。

 解釈改憲がだめなら、現実問題として、どうやって国と国民を守るというのか。

 読売の政治部長をしているぼくの後輩の永原伸君は、首相の記者会見を受け、一面の署名記事でずばりこう指摘している。

 「9条解釈を大転換した当時、吉田(茂元首相)は『保守反動』『逆コース』とこき下ろされた。批判の急先鋒は、朝日新聞や岩波書店の雑誌『世界』で論陣を張っていた、いわゆる朝日岩波文化人たちで、彼らは自衛隊の廃止や安保条約の破棄を唱え、『非武装中立の道を歩め』と訴えた。

 60年の歳月を経て、『戦後の平和と繁栄の基礎を築いたのは吉田茂だ』というのが戦後史の通り相場である。非武装中立論も廃れて久しい。どちらに軍配が上がったか、自明だろう」

 左派メディアは、今回の問題で、憲法解釈の変更ではなく、「憲法を改正するのが筋だ」とヘンな論陣を張っている。ならば、憲法改正に向けて彼らこそ旗を振るのが論理的整合性というものだろう。

 朝日も毎日も共同も、自己矛盾とわかっちゃいるがどうにもならない。なぜなら、護憲イデオロギーというのは“信仰”であり、憲法は“教義”であり一言一句いじってはならない“聖書”なのだから。国は滅びても信仰が残ればそれでいい、という9条原理主義だ。

 そんなメディアにつきあいきれないひとが続出するのは当たり前だ。今年度の朝日の新入社員に、東大卒はひとりもいなかった。見限られた、ということだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

うひゃ~、シロアリをサラダにかける!?

 出雲にUターンして初めての5月を迎えている。わが家の北には島根半島の通称北山が横たわり、南には仏経山(旧名・神名火山)を望む。358本と桁外れの銅剣を出土した荒神谷遺跡がその麓にある。山々では、色とりどりの新緑が燃えている。

 緑にも無数の種類があることは、都会に暮らしていると実感できない。せいぜい、グリーンの多様美で知られるジブリ作品で味わうくらいだ。出雲平野の民家の庭先にはサツキやツツジ、アイリスが満開で、ウォーキングしていると最高の季節を味わえる。

 でも、それは同時に、シロアリの季節でもある。地元紙の折り込みにあったチラシ広告をみると、山陰地方でシロアリを発見できるのは、1年を通してこの5月いっぱいのワンチャンスしかないという。

 いまの時期、特に雨上がりなどの蒸し暑い日のお昼ごろ、繁殖期を迎え「羽アリ」となったシロアリたちが、一斉に飛び立つのだそうだ。ひとつの集団からの分家いわゆる巣別れ行動で、「集団見合いを兼ねたシロアリの新婚旅行」なのだという。

 おなじ新婚さんでも、こちらにとってはめでたくもなんともない。

 カップルになった2匹は、羽を落とし地中にもぐって産卵をはじめる。光や風が嫌いなシロアリは、ふだん、住宅の床下などに棲息しており、この時期だけこうして表に出る。家の内外で、複数の羽アリまたはその羽を見つけたら、まちがいなく近くにシロアリの集団がいるそうだ。

 Uターンして間もなく、わが家に4棟ある物置の不要品を業者に頼んで処分してもらった。物置がすっかり片付いてせいせいしたのだが、そのうちのひとつは一部の柱の根元がぼろぼろになっていて、シロアリにやられていた。これまで、大工道具などの棚で死角になっていた場所だ。

 まだ一部だったからよかったが、被害が広がっていたら大変なところだった。出入りの大工さんに相談し、とりあえず市販のシロアリ駆除スプレーをかけた。

 母屋のほうは、以前から専門業者と契約して、年に一度、定期検査をしてもらっている。床下に取り付けられたファンがずっと回りつづけており、最初は何だろうとおもったが、これは換気をよくしシロアリを寄せ付けないための装置だった。シロアリはとにかく湿っぽい場所が好きで、床下を中心に浴室、玄関、トイレ、キッチンなどに多く発生するそうだ。

 阪神淡路大震災や東日本大震災で倒壊した木造住宅の多くが、シロアリ被害を受けていたとされる。目につきにくい所こそ気を配らなければならない、という教訓がここにもある。

 出雲地方に住んでいるのは、なぜか「ヤマトシロアリ」と呼ばれる種だという。ヤマト族と言えば、古代出雲王朝を滅ぼし住民を東北や九州に追い払ったともされる。その名のついたシロアリに、大切なわが家をむしばまれる恐れがあるとは、何ともやりきれない。もっとも、宍道湖のヤマトシジミのように、ヤマトのつく生物名は全国的によくある。

 さて、シロアリなんて最悪の害虫でいいところなど何もないと思い込んでいたら、あるシロアリ予防駆除業界の雑誌に、その「功と罪」をつづるエッセイがあった。

 建築物の木材を食い荒らすため人間には嫌われているが、その一方で、森林などでは朽ちた木を自然界にもどす“掃除屋”として活躍しているという。言われてみればたしかにそうで、生物研究と称して山歩きをしていた高校、大学時代、枯れ木がぼろぼろになって大地に帰りつつあるのをよく見かけた。あれは、シロアリの働きだったのだ。

 エッセイの筆者は、20年前、オーストラリア・タウンズビルにある連邦科学産業研究機構のデービズ研究所を訪れ、シロアリの被害と有益性について教えられたそうだ。かの国での被害額は、建築物などで年に2億豪ドル、農作物で100万豪ドルにのぼる。だが、北部の乾燥地域に棲息するシロアリは、バクテリアや菌類と共生関係にあり、エサとして摂った草や木を分解し植物の生長に有効な物質にするのを助けているという。

 また、地中にシロアリが掘ったトンネル状の「蟻道」は、シロアリが去ったあと雨水や空気の地中循環に役立っており、土壌改良メカニズムの一翼を担っているのだそうだ。

 自然環境に役立っているだけじゃない。近年、動物の酵素では分解されない食物繊維の一種セルロースを、シロアリに分解させる研究も進んでいる。これまでは利用できなかったセルロース系バイオマスをエサにしてシロアリを養殖し、人間にとって価値がある物質にするノウハウが探られている。

 さらに、えっ!?げっ!っという話もエッセイは紹介している。

 シロアリを乾燥すると重さの45~75%は脂質で、その組成はオリーブオイルに近い。そのため、シロアリから絞った「シロアリオイル」を食用油脂(!!)やバイオ燃料にする研究開発も進められているという。

 オリーブオイルは、サラダ油などとちがいオレイン酸をたっぷりふくんでいるから体にいいとされる。じゃあ、シロアリオイルをピザやサラダにかける気になるか。

 まあ、「ヘルシー」が昨今のキーワードだから、シロアリオイルのテレビCMががんがん流れる日が来ないともかぎらない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

捕鯨を断固支持するオーストラリア人だっている

 東京でこのあいだ息子が紹介してくれたひとのなかに、国際基督教大学(ICU)の女子学生がいた。島根県から来たことを話すと、「石見銀山跡に行ってみたいです」と言っていた。女の子ならまず出雲大社で縁結び祈願じゃないの、と突っ込みたくなるところをぐっと押さえて、ユネスコの世界遺産(文化遺産)登録のPR効果を感じた。

 とはいえ、これまでに訪れた20以上の国・地域で、あそこは世界遺産だからとわざわざ行ってみたことろはほとんどない。

 ドイツのテューリンゲン州にあるヴァルトブルク城は、1999年、文化遺産に登録されたが、ぼくが訪れたのはそれより数年前だった。むしろ、遺産に登録されたというニュースを聞いて、ああそうか、と思った記憶がある。いわゆるゲーテ街道沿いにあるアイゼナハ郊外の山上に漆黒の城が築かれており、車でずっと登っていった。

 手元のガイドブックをみると、1067年、テューリンゲン伯ルードヴィヒ・デア・シュプリンガーが山頂を見て「待て汝、我が城となれ」と叫び建築を命じたことに由来するという。ドイツ語の待つという動詞はwarten、城はBurgだからWartburgという城名になったらしい。これは『出雲国風土記』などによくある地名由来譚の一例だろう。

 遺産のなかで一番印象に残っているのは、宗教改革の創始者マルティン・ルターが聖書をドイツ語に翻訳したとされる部屋のことだ。ルターが悪魔にインク瓶を投げつけたときにできたという伝説で有名なインクの染みもあるものの、それはどうでもいいと思った。ルターはヘブライ語の旧約聖書と古典ギリシア語の新約聖書を世俗的なドイツ語に訳したのだが、「とんでもない」と教会から迫害され、城に隠れて翻訳作業を行った。それが悪魔伝説につながったのだろう。

 ぼくが注目したのは、ルターの執筆机の下に置かれた円筒形の足置きだった。それはマッコウクジラの背骨だというのだ。ルターが生きた15~16世紀、ヨーロッパ人も鯨を捕っていたことの証左だ。

 現代にいたり、欧米やオーストラリアでは捕鯨反対派が大勢力となっている。2014年3月末、反捕鯨国オーストラリアが、日本による南極海での調査捕鯨は国際捕鯨取締条約に違反するとして中止を求めていた訴訟で、オランダ・ハーグの国際司法裁判所は、日本の調査捕鯨は「研究目的ではない」とし今後は実施しないよう命じた。これは確定判決で、日本は南極海での調査捕鯨中止に追い込まれた。

 だが、かつては、欧米人だって大量に鯨を殺していた。日本人は大切な水産資源として文字通り頭から骨皮しっぽまで大切に消費するが、昔の欧米人はただ鯨油を手に入れるためだけに殺していた。ペリーの黒船が日本の沖にやってきたときだって、捕鯨船の母港を日本の本土に確保するのが目的だったとされる。

 反捕鯨団体『シー・シェパード』の荒っぽい行動が有名だが、オーストラリア人のある映像ジャーナリストが、日本の捕鯨の文化と歴史を国際社会になんとか伝えようと奮闘しているそうだ。

 4月12日の産経ニュースwestによると、その人は和歌山市在住のサイモン・ワーン和歌山大学特任助教(57)という。「江戸時代から連綿と続く和歌山県太地町の捕鯨の歴史を伝えれば、世界の認識は変わるはず」とアピールしている。

 ワーンさんは、2007年から08年にかけて、アメリカの人気番組『ホエール・ウォーズ(鯨戦争)』の取材チームに加わり、南極海での日本の調査捕鯨活動を5週間撮影した。妨害しようと捕鯨船に乗り込んだシー・シェパードのメンバーにワーンさんらが話を聞くと、捕鯨船の日本人船員はメンバーの話にも耳を傾け、環境問題などをテーマにした日本のアニメ映画『もののけ姫』のDVDを手渡すなど、対話の姿勢を見せた。だが、そうした情報は番組ではいっさい触れられなかった。

 番組は米テレビ界の最優秀作品に与えられるエミー賞にもノミネートされたが、「見せたいものだけを編集して放送する」局の姿勢に、ワーンさんは疑問を抱いた。

 08年の秋、日本の捕鯨について詳しく知りたいと太地町を訪れ、江戸時代初期に生み出された複数の船で鯨を網に追い込み銛(もり)を投げて仕留める古式捕鯨、それを代々受け継いできた伝統技術やチームワークに感銘を受けた。

 だが、当の日本人が捕鯨の歴史や背景を知らないことに驚き、「太地の真実のストーリーを伝える」ため、捕鯨の研究を進めながら、和歌山大学観光学部で教えているという。

 今年1月には、米ソールズベリー大学の学生9人を太地町へ招き、捕鯨の歴史や鯨を供養する文化を説明した。その数日後、キャロライン・ケネディ駐日米大使が鯨の一種イルカの追い込み漁を批判するコメントをツイッターでつぶやき、論議を招いた。ワーンさんは、「ケネディ大使も一度、太地町を訪れてみてほしい」と訴えているという。

 日本は、いわゆる歴史認識や捕鯨の問題で国際社会から偏見にさらされている。それを解きほぐすには、ワーンさんを採用した和歌山大学のように、“海外の目と頭”を受け入れ、それを通じて地道に対外発信していくほかない。

 捕鯨の事情や歴史・文化をよく知りもしないで反対を叫ぶ欧米人も、ヴァルトブルク城に行ってルターの足置きの意味を認識し、鯨と人間の歴史を偏見なく考えてもらいたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

出雲本店の先客万来を夢見て

 『国立本店』という旗が、通り沿いにぶら下がっていた。別に政府が経営しているわけじゃない。東西に長い東京都のほぼ中央に位置する国立市の、JR国立駅から西へ徒歩約7分のところにその店はあった。

 この街でいま期間限定の「自由人」をしている息子(26)が、電話口やフェイスブックで国立本店の名前をしょっちゅう出していた。Uターンした出雲から、かみさんを伴い東京へ出張した折り、息子の案内でついにやって来た。

 名前を聞いても息子の説明を聞いても、何の店かよく分からなかった。いや、実際に店内へ入ってもまだよく分からない。約20平方メートルの店内に、ふたつのテーブルと10人ほど座れる椅子があった。

 壁際には、縦5段、横8列合わせて40に区画された本棚があり、区画のそれぞれにネームプレートが張られている。店番の永見薫さんに聞くと、これは「本の団地」なのだという。各区画を利用希望者が3000円で借り上げ、自宅の蔵書の中からこれぞという本を持参して陳列する。店を訪れたひとは、年間1000円の会費を払い本を借りて帰ることができる。図書館とも書店とも貸本屋ともちょっとちがう、会員制の書籍共有スペースと言える。貸し出し期間は4週間という。

 それぞれの区画は、絵本あり哲学的な本ありと入居者の個性、好みがにじんでいる。愛書家の息子にはたまらない空間かもしれない。

 でも、斬新なのはそれだけじゃなかった。管理人というか司書というか「店番」になるためには、テナント料や光熱費などの分担金として四半期ごとに9000円を払わなければならないそうだ。1年間で3万6000円の出費となる。ボランティアには無償と有償の2種類があるが、国立本店の場合はそのどちらとも異なり、世にもまれな「お金を払って働く奇特なボランティア」だ。

 そういうボランティアが約30人いて、日替わりで店番をしている。永見さんは不動産鑑定士のオフィスで働くのが本業で、休みの日に埼玉県新座市から電車でわざわざ店番をするためにやって来るそうだ。火曜日をのぞく午後1時から6時までオープンしている。

 テーブルの上には常連さんが差し入れたお菓子があり、永見さんが聞き慣れないお茶を出してくれた。この日、店に来たのは教育系の大学に通う女子やゲームアプリのデザイナーの女性などだった。女子学生は卒業後の進路を思案しており、アプリ・デザイナーは近く転職する予定という。自然と就活の話題になった。

 ぼくは大学を卒業して2年間、いまでいうフリーターをしたあと新聞記者になった。その立ち止まって考えた時間が、あとで活きた。大学を出て社会を知る間もなく教師になる日本の教員制度には疑問を持っている。そういう個人的体験からの話をした。

 国立本店は、本の団地として以上に、ふれあいの場として貴重かもしれない。永見さんは、この店を「コミュニティ・スペースまたはオルタナティヴ・スペース」だと説明してくれた。ここに至るまでには運営方法の試行錯誤があり、「千客万来になったのは今年に入ってからです」

 後日、ネットで検索すると、「美術史的には、1969年および70年にマンハッタンのグリーン街98番地と112番地に登場した非営利目的の小ホールが最初の『オルタナティヴ・スペース』とみなされている」という説明があった。既成の社会的な型にはまらない自由な交流の場とでも言えばいいのか。静岡市清水区にもあるそうだ。

 ぼくたち夫婦のような“旅人”にとっては、飲み物とお菓子のおまけつきで地元のひとたちと会話を楽しめる、とてもおしゃれな空間だった。お金を払ってまで働くボランティアが30人も確保できるのは、東京ならではかもしれない。逆に、コミュニティの希薄な大都会だからこそ、永見さんのように「いろんなひとを知るのが楽しいから」という人材がいるのだろうか。携帯の番号やアドレスを交換するひとも多い。フェイスブックなどに書くひともいる。非常時に、ここでの縁(えにし)が威力を発揮するかもしれない。

 コミュニティと言えば、旅客船『セウォル号』沈没事故が起きた韓国のことを思い出した。経済協力開発機構(OECD)の2013年版「より良い生活の指標」で、韓国は「コミュニティ・ポイント」が加盟36か国のうち下から3番目に低いわずか1.2ポイントだった。船長や乗組員がさっさと逃げ出し世界を唖然とさせただけじゃなく、被害者家族の「代表」まで実は贋者で選挙での知名度アップを狙うおじさんだったとバレた。そういう国家・メディア・国民性のでたらめぶりの社会背景には、共同体の崩壊があるのではないか。

 ちなみに、日本のコミュニティ・ポイントは24位で一見低そうに思える。でも、トップのアイスランドから3.0ポイント差の6.0ポイントで、韓国とは比べるまでもない。日本では、90%が「必要なときには頼れるひとがいる」と考えているが、韓国ではOECD最低レベルの77%にとどまっている。

 たとえば出雲にも、国立本店のようなスペースがあれば、よりディープな旅を求める観光客などにとっても魅力的かもしれない。空き店舗は探すまでもなくあるから、テナント料など払わなくてもいいだろう。「縁結び」は、男女間にかぎらず出雲のキーワードだ。

 ところで、なぜ国立本店という不思議な名前になったのか、永見さんも知らなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »