国民を煽る観念的キャンペーン
東京近郊に住んでいた昨年の初夏、朝日新聞の集金に来たいつもの青年と立ち話をした。「朝日の部数はだいぶん減ってるらしいね」「そうなんですよ。ぼくの担当エリアでも年に数%ずつ減ってます」
「朝日や毎日をやめて読売に変える人は結構います。それで、読売もやめる人は、もう新聞を一切購読しなくなるんです」
そして、さみしそうな顔で言った。「今月で販売店をやめます。今度は全然別の仕事をします」。ぼくも、「そのほうがいいよ。新聞に未来はあまりないだろうしね。特に朝日は。がんばってね」と言って別れた。
おそらく、あちこちでこういう会話が交わされているだろう。なぜ、朝日や毎日の部数減に歯止めがかからないのか。各社の幹部も原因はわかってはいるのだろうが、いまさらどうしようもない、とあきらめているのかもしれない。読売はほぼ横ばいだ。
部数減の原因はインターネットの普及だけじゃない。新聞は信用できない、と読者の多く、特に若い世代は気づいているからだ。それを端的に表しているテーマが、いま論議の的となっている集団的自衛権の問題だ。
安倍晋三首相は、2014年5月15日夕のテレビ記者会見で、その行使の限定的容認に向け、憲法解釈の見直しを政府・与党で検討していく考えを表明した。東京新聞は翌日朝刊で「『戦地に国民』へ道」という大見出しを掲げ、国民の“反戦意識”を目一杯煽った。
読売は、このテーマをめぐり、日本を取り巻く国際環境の厳しさを丁寧に報道・分析し、そのうえで解釈を変え集団的自衛権を容認しなければ日本の国と国民を守れず、アメリカなど密接な諸国との信頼関係も維持できないとの論陣を張ってきた。
ナベツネ独裁体制に嫌気がさしたことなどから、さっさと読売をやめたぼくも、その政治論調にかぎっては真っ当だと思う。
いまの国際情勢がどれだけヤバそうかは一般国民も知っている。ひょっとしたら尖閣諸島をめぐる武力衝突が起こりかねず、最悪のケースでは、沖縄が中国に占領され、北朝鮮からミサイルが飛んでくることだってありうる。中国とベトナムの確執をみてもわかる。
それなのに、憲法がどうの平和主義がどうのとだけ言っていてことが済むのか。魚屋のおじさんだってレジのおばさんだって、なんとなく分かっている。万一、国土が侵略され国民に甚大な被害が出るような場合、「戦力不保持」の現行憲法はなんの役にも立たない。読売の最近の世論調査では、71%が集団的自衛権の限定的行使を容認している。
それなのに、朝日や毎日、東京、NHKなどは、報道を偏向させ世論調査でバイヤスをかけででも解釈変更反対へと世論を誘導しようとする。たとえば、左派メディア共同通信は、19日、「解釈変更51%反対」としたが、調査対象は電話で聞いたわずか1021人で、しかもどう質問したか設問の文言を明らかにしていない。記事も、相も変わらずアンチ安倍の主観丸出しだ。「『結論ありき』の政権の姿勢は鮮明で、首相が突き進む『規定路線』への危うさは増すばかりだ」
新聞が、「危うさ」とか「前のめり」「もくろむ」などを多用するときは、事実をもって論破できず、そういう言葉に頼るしかないからなのだ。
安倍政権が進める積極的平和主義の一環である憲法解釈の変更=集団的自衛権の限定容認は、オバマ米大統領をはじめ欧米主要国やアジア各国から支持・歓迎されている。
例外は中国、韓国、北朝鮮だけだ。中国、北朝鮮は言ってみれば潜在敵国であり、どうでもいい。韓国は、安倍路線によって半島有事には恩恵を受ける可能性が高いのに、反日を“国是”としているからタテマエとして批判する。
解釈改憲がだめなら、現実問題として、どうやって国と国民を守るというのか。
読売の政治部長をしているぼくの後輩の永原伸君は、首相の記者会見を受け、一面の署名記事でずばりこう指摘している。
「9条解釈を大転換した当時、吉田(茂元首相)は『保守反動』『逆コース』とこき下ろされた。批判の急先鋒は、朝日新聞や岩波書店の雑誌『世界』で論陣を張っていた、いわゆる朝日岩波文化人たちで、彼らは自衛隊の廃止や安保条約の破棄を唱え、『非武装中立の道を歩め』と訴えた。
60年の歳月を経て、『戦後の平和と繁栄の基礎を築いたのは吉田茂だ』というのが戦後史の通り相場である。非武装中立論も廃れて久しい。どちらに軍配が上がったか、自明だろう」
左派メディアは、今回の問題で、憲法解釈の変更ではなく、「憲法を改正するのが筋だ」とヘンな論陣を張っている。ならば、憲法改正に向けて彼らこそ旗を振るのが論理的整合性というものだろう。
朝日も毎日も共同も、自己矛盾とわかっちゃいるがどうにもならない。なぜなら、護憲イデオロギーというのは“信仰”であり、憲法は“教義”であり一言一句いじってはならない“聖書”なのだから。国は滅びても信仰が残ればそれでいい、という9条原理主義だ。
そんなメディアにつきあいきれないひとが続出するのは当たり前だ。今年度の朝日の新入社員に、東大卒はひとりもいなかった。見限られた、ということだろう。
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