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2014年7月

ゴジラ、還暦おめでとう さよなら、母校

 怪獣ゴジラは、1954(昭和29)年に生まれたという。日本郵便は2014年8月1日から、「ゴジラ生誕60周年切手セット」の購入申し込み受付をはじめる、というネットニュースで知った。

 ぼくたちより1学年下ということになる。還暦記念なのかどうかは知らないが、NHKのBSプレミアムで、最近、『モスラ対ゴジラ』など古い怪獣作品をつづけて放映した。

 あまりの懐かしさに思わず録画して、毎晩1作ずつ観た。特に『三大怪獣 地球最大の決戦』には思い入れがある。忘れもしない雪の日に、ぼくの学び舎だった国富小学校の体育館で観た。

 小学校は、出雲市の旅伏山という標高421mの山の中腹にある。小学校へは3つの通学路があり、ぼくたちは雨の日も風の日も文字通り「登校」した。いま思えば、下半身を鍛えるにはよかった。

 1964(昭和39)年の5年生のとき、怪獣映画のブームが起きていた。世界最初の怪獣作品『ゴジラ』からちょうど10年後のことで、第2次ブームだったのだろう。この年の秋には東京オリンピックが開かれ、ぼくたちには忘れられない年となっている。女子バレーボール日本代表『東洋の魔女』が、強敵ソ連に3ー0で完勝し金メダルを取った。男子マラソンでは、エチオピアのアベベ選手が裸足で走り、金メダルを取った。

 当時、街には1軒だけ映画館があったが、小学校の体育館で夜に上映し、それを地元のひとたちが子ども連れで観に行くことがあった。

 ある日、担任の高砂孝雄先生が「今度、怪獣の映画を学校で昼間に上映します」と発表した。クラスで歓声があがったのは言うまでもない。休み時間は怪獣の話で持ちきりだった。モスラやゴジラ、ラドン、まだ観たことのないキングギドラのなかで誰が一番強いか。モスラとゴジラのどっちが好きか。

 指折り数えた上映日の朝、出雲には雪が20センチくらい積もった。ぼくたちは学校への道を急ぎながら心配していた。映画会社の車が雪の積もった坂で滑って登れなければ、怪獣映画を観られない。

 高砂先生は「給食を食べ終わったら、5年と6年で坂の雪かきをすることになった」と言った。ぼくたちに文句のあるはずもなかった。上級生としての誇りを感じた。

 スコップやチリトリ、竹箒で汗だくになって雪をかいた。坂は完璧にきれいになり、映画会社の車がフィルムを積んで登って来た。ぼくたちは、それを拍手で迎えた――。50年前の記憶は、ほぼそこで終わっている。

 『三大怪獣 地球最大の決戦』の録画を、夜中にひとりで観ながら、ぼくはあの日を思い出して目がにじんだ。モスラが、仲の悪いゴジラと翼竜怪獣のラドンを説得し3頭で力を合わせ、宇宙から来た頭3つのキングギドラを迎え撃つ。モスラとコミュニケーションをとるのは、南洋のインファント島でモスラといっしょに住んでいるこびとの双子(ザ・ピーナッツ)だ。

 映画のシーンはほとんど覚えていなかった。「流言飛語」とか「騒擾罪」などといったむずかしい言葉も出て来る。あのころのぼくたちは、正確な意味はわからなくても大まかなストーリーをつかみ、怪獣たちの戦いを固唾を飲んで見守っていたのだろう。

 激闘の末、最後にはキングギドラが敗北する。あのころ、上映が終わると観客は拍手をする習慣があった。きっと、ぼくたちは立ち上がって手をたたいたことだろう。

 2014年7月25日、全世界興業収入500億円突破・全世界興業収入No.1をうたい文句にしたハリウッド映画『GODZILLA』が日本で封切られた。新聞広告でそれを知ったぼくは、かみさんを誘って初日に映画館へ行った。

 冒頭では、日本のある原子力発電所が地震によって破壊され原子炉がメルトダウンした、と思わせるシーンがくそリアルに描かれる。

 だが、実際には地震ではなかった。悪魔ともコウモリと昆虫の合いの子とも思われる気味の悪い巨大生命体が放射能をエサとして育っており、いつのまにか数が増え、やがてそれがアメリカ西海岸を襲う。アメリカ軍は100万人の市民を守るため、最後の手段として核兵器で殺害しようと準備する。そこへ、われらのゴジラが登場して・・・。

 東日本大震災の原発事故や津波被害を連想させるシーンがつづくため、日本での上映が遅れたとも言われる。最新鋭のCGが駆使され、最大級のパニック映画となっている。少年のころ胸を躍らせた着ぐるみの怪獣とはリアリティが格段にちがう。

 着ぐるみ怪獣は、いま流行のゆるキャラの原点とも言えるもので、それはそれで温かみがあるが。

 国富小学校は、近い将来、近隣の3つの小学校と統合される。つまり、母校は廃校となる。一部校舎の耐震度が足らず児童の数も減っているため、やむを得ないという説明だった。

 高砂先生が病死されてから久しい。大学生のころ一度だけ、お盆前に墓掃除に行ったことがある。学び舎も無くなるが、モスラやゴジラを迎えたあの日のことは、6年間で最大の思い出としてぼくたちの心に残るだろう。

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出雲JAPANは1勝1敗

 われら出雲JAPAN(主力選手約2名)は、Uターンして間もなく10か月となる。生来の食いしん坊で、東京近郊から引っ越しするまえ、出雲ではどんな食料が調達できるかが最大の関心事だった。ネットで調べると、車で行けそうなスーパーは6、7軒にとどまっていた。だが、住んでみると、実際には大中小20軒近くあり数は十分だった。

 問題はそのクオリティと品揃えだ。魚介類の鮮度と値段の安さは予想以上で、まず申し分なかった。残るのは品揃えだ。どこの店もとりあえずの食品は揃っているが、「うちの店はこれ」という“売り”の点でやや不満が残った。

 そこで、近くのスーパーHの店長あてに手紙を書き持参した。サービスカウンターで事情を話すと、すぐに店長を店内放送で呼び出してくれた。T店長は気さくなひとで「お客さまの意見は貴重です。すぐに取り寄せます」と言ってくれた。

 手紙には、希望の商品3品を列挙し、食べ方を付記した。

 ★『ブイヤベース(のスープ)』 340円程度 モランボン社製
(ブイヤベースは南フランスの魚介鍋です。本場では地魚を処理してスープを取りますが、それには大変な手間がかかります。この商品は白身やアサリなど適当な魚介類を入れて煮るだけで美味しくできあがります。合わせて、フランスパンを軽く焼き、ルイーユを塗ってスープにつけて食べるとやみつきになります。

 【ルイーユ】の作り方:マヨネーズ、エクストラバージンオリーブオイル、おろしニンニクを適量混ぜ合わせる。ブイヤベースは、ルイーユを塗ったフランスパン=バゲットを食べるのが一番の楽しみという人も多いです。本場で確認してきました)

 ★『北海道ロースジンギスカン』 650g 680円程度
(ご存じのように、東京ではジンギスカンがブームです。出雲のスーパーではどこにも売っていないようなのが残念です。この商品は肉がとても柔らかく、変な臭みもなく、たれに漬け込んだ真空パックなので、野菜を一緒に炒めるだけで美味しく食べられます)

 ★『ニシンの旨煮(甘露煮)』真空パック
(温かいそばに乗せるだけで、京都名物の鰊そばができます。これも東京でブームです)
 さて、T店長から約10日後に電話があり、『ブイヤベース』と『北海道ロースジンギスカン』を店頭に並べたという。すぐに2トップそろって買いに行った。

 店長への手紙には食べ方を説明したポップをつけるようアドバイスしておいた。スーパーHは、出雲としてはポップが比較的活用されている店だったが、『ブイヤベース』にはポップがなかった。

 年末、近所のある夫妻を招いてブイヤベースをメインにした料理でもてなした。「名前は聞いたことがありますが、食べるのは初めてです」。まあ、そうだろう。美味い食べ方を知らないひとは、ブイヤベーススープなんて買わないんじゃないか。

 その懸念はずっと後に現実となった。初夏のある日、売れ残った10袋近くが“半額セール”のコーナーに置かれていた   (~_~;)。

 『北海道ロースジンギスカン』は何とか売り切れたようだが、再入荷されることはなかった。同じメーカーの商品でも、T店長によると、契約の関係で小売値がぼくたちの知っているのより倍近くもした。それじゃ、無理だ。『ニシンの旨煮』もポップで説明しなきゃ売れないだろうが、仕入れそのものができなかったらしい。

 出雲JAPANは、何とも言えない敗北感を味わった。ザックJAPANやネイマールを欠き惨敗したブラジル・セレソンの無念さと共通するものがあった。

 ぼくが、ジンギスカンつまり生後1年未満の仔羊のラムや成羊のマトンを特に好きになったのは、インドへ赴任したのがきっかけだった。ヒンドゥー教徒は、「神の使い」と信じる牛を絶対に食べない。イスラム教徒は、『コーラン』の教えに従い豚肉を口にしない。したがって、インドで食べる肉は、必然的に鶏肉か羊肉しかなかった。マトンは牧草くさい特有のにおいがするが、それがスパイスの効いたカレー料理にはとても合う。

 戦火のアフガニスタンの首都カブールには計4回入った。物資は限られており、定宿のホテル・レストランで手渡されるメニューは一応立派でも、実際に食べられるのは数種類の料理だけだった。肉はマトンしかなかった。

 グルメのフランス人特派員はブーブー言っていたが、ぼくはインドでマトンに惚れていたからあまり不満はなかった。人生なにが幸いするかわからない。羊肉はヘルシーで脂身も体にいいとされる。

 時は流れ、ある日、出雲のスーパーIへ行ったとき、対面販売の精肉コーナーにラム肉が売られているのをかみさんが見つけた(!)。ジンギスカン用に少し厚くスライスされていた。早速買って帰り焼いて食べると、味、柔らかさともほぼ十分だった。

 次にスーパーIへ行ったとき、精肉売り場の中年男性Tさんに、しゃぶしゃぶ用の薄さでスライスしてくれるよう特注した。新宿にラムしゃぶの有名な店がある。「半解凍してからスライスするので、すぐには無理です。あさって来てください」。

 後日、テレビで「ラムのトマトすき焼き」という斬新な料理を紹介していた。試してみるとこれもいける。出雲JAPANは、やっと、対スーパー戦で1勝をあげたのだった。

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なでしこたちの雨中熱戦

 「宮間さんのサインもらえるかな」。かみさんは、娘が浦和レッズの田中達也選手などにサインをもらったときの残りの色紙があるはず、と探しはじめた。ミーハー風ではあるが、なでしこのサポーターとしてはまったく正しい。

 ある朝、山陰の地方紙に、出雲市大社町の浜山公園陸上競技場で行われる岡山湯郷Belleと日テレ・ベレーザとのチケット広告が大きく載った。正面スタンド中央のSA席が2000円、一般席は1500円だった。あとで知ったのだが、日本女子サッカー最高峰「なでしこリーグ」の公式戦が島根県で開かれるのは初めてだった。

 すぐにローソンへ行き、チケット自販機の前に立った。時間も気にせず家を出たので、発売開始までにはまだ2、3分あった。午前10時ジャストに機械を操作し、恐らく第1号でチケット2枚を手に入れた。どうせならいい席をとSAにした。

 ぼくたち夫婦が、日本女子サッカーの応援をするようになってからずいぶん経つ。代表チームが「なでしこJAPAN」と命名された2004年よりずっと前から、国際試合がテレビ中継されるたびに応援してきた。澤穂希さんがまだ若手だったころからだ。

 女子のゲームは男子に比べれば迫力に欠ける。とはいえ、ボールを蹴るのがいかにも楽しそうなのがたまらない。あれぞサッカーの原点だ。2007年末にノリさんこと佐々木則夫監督が就任し、チームは一段とまとまった。かみさんなど、「なでしこのほうが横パスばっかりの岡田JAPANよりうまいんじゃないの」と、半ば真顔で語っていた。

 2011年のW杯で強敵ドイツを撃破し決勝でアメリカと渡り合ったとき、ひとつのピークを迎えたのはまちがいない。澤さんは円熟味を増し、宮間あやさんは左右の足で完璧なボールコントロールを見せた。

 時は流れ、宮間さんはいまや代表主将になっている。ぼくたちは出雲へUターンしてから、宮間さんを観に「いつか岡山湯郷へ行きたいね」と話し合っていた。湯郷にはいい温泉があるといい、サッカー&温泉旅行も悪くない。でも、わが家から車で20分ほどの浜山公園で公式戦が見られるなら、願ってもない話だった。

 当日、出雲は梅雨前線のためにどしゃ降りだった。これじゃ当日券はまず売れないだろうなと思いながら行くと、キックオフの1時間半も前なのに公園内に点在する駐車場は満車だった。たまたま1台の車が出て行って、ラッキーにも停めることができた。

 競技場の周囲には小学生のグループやおじいちゃん、おばあちゃんも加わった家族連れなどでにぎわっていた。女子サッカー人気は、W杯優勝、国民栄誉賞で火が点いたのだろう。出雲でもこんなにひとが集まるとは予想外だった。

 現在なでしこリーグ2位の岡山湯郷で知っている選手と言えば、エースナンバー10宮間さんのほかGKの福元美穂さんくらいだ。3位日テレ・ベレーザではDFの要・岩清水梓さんとMF阪口夢歩さんが注目だ。

 ゲームがはじまっても雨脚は衰えず、人工芝のピッチでは水しぶきがあがり、パスは失速する。岡山は、トップ下の宮間さんにあまりボールが集まらず攻撃の組み立てができない。それでも、宮間さんはワンタッチで前線へパスを送り、一瞬で局面を変えるのがさすがだ。45分になるころ、岡山のシュートは5本、日テレはわずか1本だった。

 だが、前半終了間際、日テレがペナルティエリアのすぐ外でファウルをもらい、FKから阪口さんがヘッドで決めて先制した。スタンドから大きなため息が出る。岡山と島根は同じ中国地方なのを改めて感じた。“中国人”は、東京の日テレより、断然、岡山を応援するのだ。少年少女サッカークラブの面々なのか、「ユ・ノ・ゴー・ベ・ルッ!!」と可愛い大声援を送っている。

 有料入場者は3034人と場内アナウンスが発表した。後ろの席の青年ふたりが「岡山でやったINAC神戸とのホームゲームでは2300人だったから、こっちが多い」と話している。大学のサッカー部員らしくテレビ解説者みたいな話ぶりで、「出雲の松木安太郎だな」とかみさんにささやいた。

 観客が予想外に多いとはいえ、6万3000人で埋まる埼玉スタジアムとは比べようもなく、選手たちの声がよく聞こえる。ある選手は、相手の肘でも当たったのか「バカヤロー!」と大声をあげた。女子だって、試合本番ともなるとエキサイトするのだ。

 後半に入ると、パス、ドリブルとも日テレのほうが勢いを増してきた。21分、日テレのMF隅田凜さんが左サイドから右足を振り抜き、鮮やかにゴールを決めた。岡山は宮間さんを司令塔に中央から攻めようとするが、ポジション取りが抜群のDF岩清水さんにことごとく跳ね返されてしまう。

 岩清水さんと言えば、W杯決勝戦の終盤、アメリカの超美人FWモーガン選手の突進をファウルで止めレッドカードをもらったのが忘れられない。あの捨て身のファウルがなければ、なでしこJAPANの優勝も国民栄誉賞もなかった。仮に、岩清水さんの物語をぼくが書くなら、タイトルはこれしかないと思う。『栄光のレッドカード』

 日テレはさらにPKを2回も取り、4-0で快勝した。大差はついたが、初の女子サッカー生観戦に満足した。スタジアムを出て駐車場へ向かうとき、横を歩くおじさんの出雲弁が聞こえた。「宮間って何番だったかネ?最後までどの選手か分からんだったワ」

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日本の首相の名前と顔とツイッター友だち

 <ツイッターの友情が花開く ナレンドラ・モディとシンゾウ・アベ>

 インドの日刊紙インディアン・エキスプレス電子版を読んでいたら、こんな見出しのコラムがあった。安倍晋三首相がツイッターでフォローしているのは、3人だけという。ひとりが昭恵夫人、もうひとりがなぜか猪瀬直樹・前東京都知事、そしてインドのモディ新首相なのだという。

 インド総選挙は2014年5月に開票され、最大野党・インド人民党(BJP)が圧勝しモディ氏が首相となった。モディ氏は、グジャラート州首相だった2007年と2012年に来日し、安倍氏と会った。よほどウマが合ったのだろう。

 今年1月、安倍首相が公式に訪印したときも、「総選挙では野党BJPが勝つ」と側近からアドバイスされ極秘裏に会談したそうだ。そして、BJPの勝利を受け、ふたりは電話で会話した。モディ氏が安倍首相の携帯に直接かけたのだという。

 このエピソードに時代も国際環境も変ったのを実感する。ぼくがニューデリーに駐在していた四半世紀前、インドにとって日本は遠い存在だった。昭和天皇が崩御して、当時のラジブ・ガンジー首相が日本大使館へ弔問に訪れたのを取材した。インドでは政治ジャーナリストさえ日本の首相の名前も顔も知らない時代で、日本の顔と言えば天皇だった。

 いまやインドは日本にとって極めて重要な国となった。貿易額こそ中印間の3分の1程度にとどまるが、将来はアジア最大のパートナーになると期待されている。特に、中国の国防費は10年前の4倍にも膨らみ、覇権主義を露骨にしている。安倍首相は、アジア各国との結びつきを強め“対中包囲網”を作ろうとしているが、なかでもインドとの関係がキーとなる。モディ首相は、8月末に来日を予定している。

 インディアン・エキスプレスのコラムでは、ある政策アナリストの言葉が紹介されている。「モディ氏の勝利によって、アジアで最速の発展をしつつある二国間関係と言える印日の絆はさらに強まり、インドのルックイースト戦略を促進させるだろう」

 ルックイースト(Look East)政策は、もともとマレーシアのマハティール首相が、1981年に提唱した。第2次大戦後、経済発展を遂げた日本の成功に関心を持ち、その集団主義と勤労倫理を学ぼうと国民に呼びかけた。

 モディ首相は、30数年後のいま、ちょっとちがった意味でインド版ルックイーストを唱えているのだそうだ。ジャスワント・シン元インド外相が、6月22日の読売新聞寄稿コラム『地球を読む』で、こんなことを書いていた。

 「中東からの米軍の相次ぐ撤退で、インドは地域における利益を守るための安全保障に責任を負わざるを得ない。例えば、エネルギー貿易の海上交通路を確保するための、外洋海軍力である。そしてこの分野こそ、インドと日本を結びつける。モディ氏は、自信と決断力を兼ねた指導者になることを望んでいる」

 シン氏は、つづけてこう書いた。「インドの多くの戦略家が指摘するように、その手本は安倍晋三首相かも知れない。(経済と安全保障の両面で東方を重視するという)インド版の『ルックイースト』政策に大いに必要なのは、実質的な成果である。それが、日印間の投資と防衛協力の強化と言える」

 日本ではこのところ、集団的自衛権の行使容認をめぐって大騒ぎとなっている。朝日新聞をはじめとする反対派は、ヒステリックなまでの批判キャンペーンで国民を扇動してきた。集団的自衛権が行使されれば日本は戦争に巻き込まれる、というのが反対派の主張だ。それでも、安倍政権は連立与党の公明党を説得し、閣議決定した。

 共同通信は、7月3日付けの各地方紙で『この国の行く先』というタイトルの連載を開始した。丹羽宇一郎・前中国大使が第1回に登場した。「安倍さんは中国が覇権主義を強めているから、対策が必要だと言うんでしょうが、中国だって無人島を領有するために攻撃するとは考えられない」

 では、2013年1月、尖閣諸島のある東シナ海で起きた中国による海上自衛隊艦船へのレーダー照射事件などは、どう説明するのだろう。あれは、軍事専門家によれば「銃口を相手のこめかみに当てるようなもの」という。

 ここで語られているのは、根拠のない“平和ぼけ”発言そのものだ。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という日本国憲法前文の発想だろう。さすが、親中派、媚中派と言われる丹羽氏の面目躍如だ。

 丹羽氏も「安全保障は軍事力だけでは実現しない」と、半分、軍事力の意義を認めている。だから、まず軍事力を整えて相手を抑止し、同時に外交にも力を入れるというのが安倍路線ではないか。閣議決定は、アメリカやドイツなどヨーロッパ、東南アジア諸国、オーストラリアなどもこぞって支持した。一番反対しているのは日本国内の左派というのが、いかにも日本的な光景だ。口論好きのインドでも、国防問題では必ず一枚岩になるのに。

 オーストラリアのアボット首相には、世界に3人ほどウマの合う首脳がいるそうだ。ロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン首相、そして安倍首相なのだという。

 政界の一寸先は闇だと言うし、安倍政権にこの先何が起こるかは誰もわからない。でも、アジア太平洋で中国に対抗できる地域大国の首相らと友だちの首相は、当分、捨てがたい。

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ザックJAPANと黒魔術

 サッカーW杯ブラジル大会は、ベスト8が出そろいいよいよ佳境に入る。でも、われらがザックJAPANは1分2敗でグループリーグを敗退し、世界最大のスポーツの祭典日本バージョンはすでに終わってしまった。

 ふり返れば、初戦のコートジボワール戦がすべてだった。しばらくの時間が経ったいま、改めて録画を観てみた。

 気温26度、湿度77%。まとわりつくような蒸した空気そのままに、日本の先発メンバーの動きは重い。

 ザックJAPANのこれまでの試合はすべて観てきた。W杯3次予選の対北朝鮮戦は、埼玉スタジアムで生応援した。0ー0のじりじりした展開で、後半アディショナルタイムにCB吉田の劇的ヘディングシュートが決まった。近くの席で応援していた見知らぬサポーターらと思わずハイタッチして喜びを分かち合った。

 コートジボワール戦は、本大会の重圧なのか、これまでみたことがないほど重かった。前半5分、左サイドの香川は中央の本田へのパスをあっさりミスして敵にボールを奪われ、相手のファーストシュートを許した。

 会場のあるレシフェ一帯は、試合前どしゃ降りだったが、なぜかその上にスプリンクラーで散水されていたという。ピッチが重ければ、日本が生命線とする速いパス回しが妨げられる。だが、香川のパスは失速して本田に届かなかったわけではない。まるでちがう敵のMFがいる方向へ蹴ってしまったのだ。何かがおかしい。

 本田がひとりで最前線からボールを追っても、中盤や守備の選手の全体的な押し上げがない。ザックJAPANは、前線と守備陣の連動でボールを支配し攻撃に結びつけるのが戦略の基本だったはずだ。それができていない。

 NHKで解説していた岡田武史前代表監督は、11分、「重苦しいですねぇ」と声を上げた。それでも16分、スローインから長友が中へパスを出し、受けた本田が切り込んで左足で豪快にゴールへたたき込んだ。その後、勢いづいた日本のペースがつづいたが、5分くらいしか持たなかった。またも香川のミスから攻勢に出られ、CB吉田がかろうじてファウルで止めイエローカードを出された。

 前半はどうにか1点をリードしたまま終えたが、後半の途中からはさらに動きが重くなった。16分、大エースのFWドログバが投入されると、日本の守備陣はびびったのか、ずるずるとラインを下げていった。そして18分と20分、左サイドで完全フリーになった相手からクロスを上げられヘッドで立て続けに失点し、試合は決まってしまった。

 日本のボール保持率はわずか43%だった。全選手の走った総距離は約108キロで相手を上回ったが、長友に言わせれば「ボールを回され、走らされ、消耗させられた」

 このゲームでは、何が起こっていたのだろう。すべてが、らしくない展開だった。W杯開幕前、報道があふれるなかで特に気になる記事があった。「コートジボワールは呪術師帯同か W杯日本が最大警戒すべきはこれ?」という見出しで、J-CASTニュースが初戦の2日前、ネットに流した。13日の金曜日だった。

 <コートジボワールをはじめ、西アフリカ諸国はいまも呪術が盛ん。アフリカ大会や過去のW杯では、呪術師が対戦国に呪いをかけるといった話題が何度も出ており、呪術師が逮捕されたケースもあった>

 2002年、カメルーンのコーチが試合前にピッチの上に何かを置き、それが「(対戦国)マリ代表を呪う行為」とみなされ、コーチは表向き「身分証明書を提示しなかった容疑」で逮捕された。<アフリカサッカー連盟は、対戦国同士が相手選手を呪い合っては収拾がつかなくなるとして、この大会での呪術とその儀式を禁じていた>という。

   2010年のW杯南アフリカ大会では、カメルーン代表チームが呪術師を帯同して現地入りしたとの報道が流れた。スポーツ報知も「アフリカでは他人に危害を加える黒魔術を禁止している政府はあるが、邪気のおはらいや勝利を願う呪術は盛ん」と報じた。

 黒魔術など日本では馬鹿げたことと一笑に付されるかもしれないが、海外ではちょっとちがう。かつて、ミュンヘンへ出張し知り合いのYさんとビールを飲んでいるとき、「こっちではいま、若い女の子のあいだで黒魔術が流行っていてメディアで問題になっています」と聞いた。どうやら、日本の子どもたちがこっくりさんにはまったりするような感覚で黒魔術をやったりするようだ。

 ヨーロッパにも様々な魔術があるらしい。現地の宗教や歴史が関わって生み出されたもので、一般的には正方形の紙に縦・横・ 斜めの列の数字の合計が同じになる「魔方陣」を書いて、呪文を唱える。東洋のヨガ、陰陽道、密教なども魔術にふくまれるそうだ。自分の深層意識の「力」を利用する点が共通しているとされる。

 4万2000人もの大観衆でふくれあがったスタジアムで、呪術が効いたとは信じられない。ただ、シュートもクロスも0本に終わった香川をはじめ日本の選手たちが、呪術報道を目にしていて、緊張感のなかネガティブな自己暗示にかかってしまった可能性はある。

 ザックJAPANという言葉がもう聞かれなくなるかと思うと、祭のあとのさみしさが漂う。

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