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2014年8月

瀬戸内カニ採り大作戦

 瀬戸内海に浮かぶある島を、愛車のBちゃんで走っていた。スーパーがあったので駐車場へ停め、となりの食事処でお昼を食べようと車を降りた。でも、道路の向いに、なんともいえないひなびたお好み焼き屋を見つけ、そこへ入ることにした。

 70歳近いとみられる女将さんが、モダン焼きを焼いていて、常連風のおばさんふたりがカウンターに座っていた。カウンターとテーブルふたつだけの小さな店だった。

 壁にメニューが貼ってある。お好み焼きとモダン焼きだけで、モダン焼きはそば入りとうどん入りがあった。うどん入りのお好み焼きがあることは、前夜行った広島市の鉄板焼きの店で初めて知った。広島焼きといえばやきそばが入っているものしか知らなかったが、本場ではうどん入りもあるのだ。

 かみさんとふたりだから、モダン焼きのそばとうどん入りをひとつずつ注文した。せっかくの夏休みなので、たまには昼から一杯飲もうか。女将さんに「ビールありますか?」と聞くと、「そこのスーパーで買ってきて」と言う。そういえば、壁のメニューにもドリンク類はなく、常連さんたちは、カウンターの隅にあるウォーターサーバーからコップに水を汲んできては飲んでいる。

 ビールを置いてないお好み焼き屋というのは、記憶にない。そこが、ひなびた島の商売気のなさでいいところだ。脈絡もなく、夏目漱石の『草枕』を思い出した。あの作品では、ひなびた床屋で石鹸を顔にこすりつけて髭を剃られる話が出て来る。かみさんが「持ち込み料はなしですよね?」と確認している。女将さんは、特になにも答えず、常連さんたちとおしゃべりしながら大きなコテを動かしていた。

 冷蔵庫代わりのスーパーか、と独りごとを言いながら缶ビールを買いに行ってきて、モダン焼きができるのを待ちきれずに缶を開けた。

 「これからカニを採りに行きたいんですけど、どこら辺にいますかね?」。女将さんに聞くと、「そこらの海に行けばどこにでもいるわよ」と常連さんにあっさり言われた。いい歳をしてカニ採りだなんて、という顔だったので、あえて理由を説明した。

 ちょうど28年前、新婚旅行に行った韓国・済州島の岩場でカニを捕まえ、テニスボールの缶に入れてホテルの部屋へ連れて帰った。ハサミの赤いのを「赤太郎」、毛ガニの子どもみたいなのを「毛太郎」と名付け、ご飯粒をやるとハサミを器用に動かして食べた。

 それが可愛くて、日本へ持って帰ることにした。厳密に言えば、生き物は税関を通せないが、そこはそれ、ボールの缶をスポーツバッグの中に入れて成田へ帰った。特に荷物をあらためられることもなく、“密入国”させるのに成功した。

 以後、ぼくたちは海外赴任や一時帰国のたびに、いろんなものを密輸するスリルを楽しむことになる。インドへはパソコンを密輸入したが、あれはたしかに犯罪だった(^^;。

 赤太郎と毛太郎は日本食が好きなようで、ご飯を主食にちくわや刺身なども喜んで食べた。ハネムーンベビーの息子が臨月になったころまで元気だったから、9か月以上、わが家のペットとして頑張ってくれた。海のカニとはいえ、水道水で生きる。

 たかがカニでも、じっさいに飼ってみると情が移る。その後も、海や渓流へ行く機会があると、ぼくたち夫婦はカニを採ってペットにした。エサを指でつまんで与えると、ハサミで直接取って食べるようになったカニもいた。カニも餌づけできるのだと知った。見た目は赤太郎たちほどには可愛くなくて、名前もつけなかったが。

 昨秋、出雲へUターンし、友人夫婦にカニをペットにするのが趣味だと話したところ、その友人宅の裏山を流れる水路に、雨が降ると沢ガニが出没するという。あるとき、奥さんが2匹捕まえて、わざわざわが家まで持ってきてくれた。でも、沢ガニは一般的に言って海のカニほど強くはなく、その2匹も3週間ほどで亡くなった。

 瀬戸内海の島への旅も、テーマはカニ採りだった。お好み焼き屋を出てあてもなく走っていたら、大きな橋を渡り切ったところに駐車場があり、その下が岩場と砂浜の海水浴場になっていた。もう晩夏だからひと気はないが、いかにもカニがいそうな場所だった。

 海辺へ降りると、いるいる。だが、すばしっこくて簡単には捕まらない。かみさんは、スカートにサンダルばきで獲物を探し回っている。やっと何匹か捕まえられた。色は褐色で地味だが、カニはカニだ。結局、ふたりで10匹ほど捕まえ、持参の大きな紙コップに入れてBちゃんのところまでもどった。トランクに入れておいた虫かごが、わが家のカニさん用ペット小屋だ。それを発砲スチロールの箱に入れて、宿泊する温泉ホテルへ向った。

 カニは暑さに弱いので、虫かごを部屋に運び、瀬戸内海がパノラマに広がる窓辺に置いた。たまたま持っていたおにぎりのご飯と鶏肉の小片をやると、喜んで食べている。別室での夕食のあいだに布団を敷きにきた従業員は、カニがいるのに驚いたかもしれない。

 翌朝は、フェリー乗り場へ向う途中でスーパーへ寄り、保冷用の氷を勝手にもらって虫かごの入った発泡スチロール箱に入れた。こうして冷やしておけば、何時間でもカニさんたちは元気だろう。

 島の生まれというお好み焼き屋の女将さんは、島の外へ嫁いだが失敗して地元へ帰り、店を開いたという。瀬戸の花嫁にもいろんな人生がある。持ち帰ったカニのなかにはメスもいるだろうから、瀬戸の花嫁ということになる。いつまで元気か楽しみだ。

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宗教を捨てる時代はもう訪れている

 お盆も終わり、いつものごとくUターンラッシュがテレビのニュースで流れていた。郷里の実家や行楽地へ行った帰りなのだろうが、祖先の霊を家に迎えともに過ごすというお盆本来のありかたは、急速になくなりつつあるのではないか。

 このお盆に親戚を3軒回ったが、段飾りや盆提灯を飾っている家は1軒もなく、ふだん通りの仏壇で線香をたむけた。わが家では、おばあちゃんの指示で、昔ながらの盆提灯などを出したのだが。

 「自分が死んだら、葬式はしなくていい。墓もいらない。それでいいんだ」。いま、そう考えるひとが急増しているのだという。週刊現代が、都市部で広まりつつあるそういう死に方を特集していた。

 それを「ゼロ葬」と呼ぶのだそうだ。宗教学者の島田裕巳さんが出版した『0葬――あっさり死ぬ』がきっかけだという。要するに、火葬場から遺骨を引き取らず、墓などはいっさい作らない方式だ。

 週刊現代は、数年前に流行った『千の風になって』という歌を引き合いに出している。

 ♪私のお墓の前で 泣かないでください
  そこに私はいません 眠ってなんかいません
  千の風になって 千の風になって
  あの大きな空を 吹きわたっています♪

 作詞者不詳の外国の歌に、作家の新井満さんが日本語の歌詞をつけた。いろんな歌手が歌ったが、イケメンで声量抜群の秋川雅史さんの歌が大ヒットした。

 意表を突く歌詞というより、現代の日本人の多くが漠然と抱いていた思いをあえて正面から歌い上げたのが、人びとの心を打ったのではないか。

 「両親は新潟のお寺で、代々の墓にお世話になっています。父も母もご住職と親しくて、祖父母の月命日にお参りをしたり、お祭りの用意を手伝ったり、病気で入院するまで、濃いお付き合いがあった。でも、私はずっと東京にいて、そういう交流がないんですよ」。週刊現代にこう語る港区在住の男性(73)は、『千の風になって』に共感したひとりだ。

 宗教学者の島田さんは、いまの社会背景についてこう述べている。「都会では年忌法要の風習も消滅しつつあり、仏壇のない家がほとんどです。火葬するだけで、お経をあげず、葬式もしない葬送を『直葬』と言いますが、最近は都市部を中心に直葬が急増しています」

 火葬場は、遺骨を引き取る前提で運営されているが、「ゼロ葬」として遺骨を“処分”してくれるところがあるだろうか。葬儀社にたずねるか、直接、近くの火葬場に聞いてみるしかないという。

 出雲へUターンしてきて面倒くさいことのひとつは、お寺との付き合いだ。知らなかったが、うちの菩提寺では「年会費」に相当するものが、昔の家の格によって6等級に分かれていた。わが家は上から3番目で、これまで19,000円払ってきた。

 しかし、さすがに「いまどき、家の格などというのは実態に合わないから、全檀家均一にすべきだ」という声があがった。平成26年度から3年間は3等級に再編し、その後は均一とすることが決まった。わが家は3,000円増えるが、それもしかたない。

 一番下の等級の家は29年度には14,000円もアップする計算で、不満はあるだろうが、だからと言って「檀家をやめる」という話は聞かない。

 その陰で、この現代日本に葬式仏教は必要か、と考えているひとは、出雲でも案外多いのではないか。住職一家の衣食住から遊興までの費用を檀家が負担するというのは、どう考えても釈然としない。葬儀や法事で寺に世話になっても、仏教が精神的な支えや安らぎになっているひとは減る一方だろう。

 世界を見渡すと、欧米を中心にイスラム教が勢力を増している。特に、テロ事件の多くはイスラム過激派が起こしており、自分たちの考える「正義」のために自死もいとわない。社会の情報化が進み価値観が多様化するなかで、原理主義が人びとを引きつける傾向が強まっている。

 その反動なのか、ニューヨーク・タイムズに、イスラム教国インドネシアで無宗教のひとが少しずつ増えている、という記事が載っていた。2億4千万の人口のなかで1000人ちょっとだというから微々たるものではあるが、欧米のようにその数はこれから増えていくかも知れない。

 インドネシアでも憲法で信教の自由は保障されている。とはいえ、6つの公認宗教のどれかを信じることになっているそうだ。そういう社会で、イスラムの戒律を厳格に守る親に反抗したりして宗教を「捨てる」ひとが出てきている。無宗教を公言すると、村八分などに遭ったり、ひどい場合はイスラム冒涜法で禁固刑になったりする。

 2008年にはフェイスブック上に無神論者のグループが結成され、その限定された世界のなかで、コメントしたり愚痴を言い合ったりして結束を固めているのだという。

 日本では、宗教を捨てるのは自由で社会からの締め付けもない。心の支えという部分で満たされないひとが増え、精神が空洞化、社会が急進化する恐れはじゅうぶんにある。

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マッチポンプのA紙が炎上してる

 日本語にはマッチポンプという面白い言葉がある。外国語でなんというか不勉強で知らないが、ある社会現象をひと言で表すには、じつに便利な言葉だ。

 朝日新聞が2014年8月5日付け朝刊でおこなった、いわゆる従軍慰安婦報道の「検証」という名の言い訳特集は、まさにこの言葉がうってつけだった。

 朝日は、旧日本軍のことをなんでもかんでも悪し様に報道することが使命だと勘違いしてきた。戦時中、慰安婦という言葉はあり戦地で兵士のための慰安所があったのも事実だ。その慰安婦には日本人が多く、なかには朝鮮人などもふくまれていた。

 世界を見渡せばどこの軍隊でもあったことであり、ある著名な大学教授に聞いたところ、「いま現に、国連軍のための慰安婦だっている」という。

 しかし、朝日は、32年も前から「旧日本軍は朝鮮の女性を強制的に連行し、性奴隷状態においてきた」という趣旨の報道をくり返してきた。その根拠となったのが、吉田清治という男の“証言”だった。「韓国・済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』などと朝日は報じた。

 1992年には、宮沢喜一首相が訪韓する5日前に「軍関与を示す証拠が発見された」と大キャンペーンを張り、宮沢首相は韓国で8回も謝罪するはめになった。韓国の反日世論が燃え上がり、慰安婦問題は世界にまで喧伝されることになった。

 それをいまになって、朝日は吉田証言について、「当時、虚偽の証言を見抜けませんでした」とし記事を削除することを明らかにした。つまり、当時、裏付け取材はまったくしていなかったことを認めたわけだ。

 吉田は職業的詐話師、つまり虚偽を本に書き、印税や講演料を稼いできた男だという指摘は、20年以上前からおこなわれていた。それを朝日が訂正したからといって、その虚報によってめちゃくちゃにされた日韓関係や日本と日本人の名誉はどうなるのか。対岸まで燃え広がった大火事を、いまさら放水ポンプなんかで消せるわけがない。

 橋下徹・大阪市長は、「朝日が何百億円かけででも、英語で訂正記事を海外に発信しつづけ、この問題での国際社会の誤解を解いていくしかない」と語っている。まったく、その通りだ。

 自民党の石破茂幹事長は、国会として何らかの対応を行う可能性に言及した。これについて、朝日の後を追うように慰安婦問題を報道してきた毎日新聞は、「政権与党の幹事長が、報道内容を国会で検証する必要性に言及したことは、言論機関に対する政治権力の圧力と取られかねない」と書いた。これは、論点のすり替え以外のなにものでもない。

 まったく馬鹿な話で、憲法では表現、言論の自由が認められているとはいえ、第12条でその「濫用」を禁じている。嘘と知りつつ、長年、訂正もしなかった朝日のケースは言論の自由の濫用そのものだ。憲法違反として国会に招致して事実関係を明らかにし、韓国をはじめ国際社会の誤解を解くのは国会の責務だ。場合によっては、毎日の関係者を呼んだっていい。朝日とおなじ穴のムジナだからだ。

 この検証記事をめぐる騒動のなかで、一番面白いのは、橋下市長の発言だった。記者に囲まれたとき、朝日の記者に対して「僕だったら報道が出た瞬間に辞める。日韓関係をこじらせちゃって、とてもじゃないが(社内に)いられない」と皮肉った。「よく(社内に)いられる。すごい精神力。政治家向きだ。僕だったら辞めるが、朝日の人はそこまでのことだと感じていないんでしょうね」とたたみかけた。

 昨年には、橋下市長の慰安婦発言をめぐり朝日など左翼メディアがさんざん叩いてきたから、これは意趣返しだった。

 それ以上に傑作なのが、韓国メディアの反応だ。誤報問題を大きく取り上げた別の日本メディアの報道を「朝日たたき」「日本の一部メディアや自民党がこじつけ的な論法を展開」(朝鮮日報)「右翼メディアが朝日新聞を追い込み、保守政治家が火に油を注いでいる」「日本の右派言論が波状攻勢」(中央日報)などと論評した。

 韓国メディアの馬鹿さかげんはいまにはじまったことではないが、「慰安婦」で日本を攻撃する一番の根拠が虚偽だとされて、茫然自失しているのではないか。

 中国もあせっている。人民日報は「今回の件によって国際社会は、日本が右傾化の道に沿って一歩一歩滑り落ち、暗黒国家へと変りつつあることも目の当たりにした」とわけのわからないことを書いた。

 韓国のネットはさらにひどい。<ねじ曲がった民族主義や歴史の美化に血眼になっている極右主義者やその政府の反人権的言動からみて、この部分については日本国民のレベルが相当低いと感じる><いまだに日本は右翼らが悪を懺悔せず、あのような態度をとっている><日本国民の70~80%が保守的なので右翼政権が力を得て、いずれまた我々を侵略するだろう>。あんな国なんか頼まれても侵略しない。日本が韓国と戦争をしたことはない。それに、「韓国を侵略した歴史的事実もない」というのが新しい定説だ。

 こんなのもあった。<朝日新聞は正しい道を行っている。真実はよみがえる。朝日新聞よ、健全であれ>。朝日の社旗は、韓国人が軍国主義のシンボルだと猛攻撃する「旭日」のデザインだ。それでも朝日応援団をつづけるところが、悲喜劇にもみえる。

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お盆って何だ

 高校時代の友人に寺の息子がいて、Gパンをはいてお盆の棚経に回り、あとで大目玉を食らったというエピソードをふと思い出した。

 8月2日の朝、見知らぬお坊さんがわが家へ来て、聞き慣れないお経のようなものを読んだ。わが家は禅宗の臨済宗妙心寺派ということになっているが、このお坊さんは宗派がちがうのかな、と思いながら聞いていた。ひょっとしたらお経でさえないのかもしれない。あるいは、棚経用の特殊なお経なのかなとも。

 結局、聞き慣れた般若心経などは読まれず、お坊さんは最後に、各家庭へ配られていた経本をぼくに渡して『回向文』というのをいっしょに唱えるよう促した。これは聞いたことがあった。「願わくはこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを・・・」

 すべては11分で終わった。お茶の準備はいらないと事前に通知があったので、お布施を渡しておしまいかと思えば、お坊さんは座り直して自己紹介をはじめた。12年前にわが家の菩提寺とは別のお寺の跡を継ぎ、お盆の棚経のときには、檀家の数が多いので助っ人として回っているという。

 「余計なことを言うようですが」と、棚の最上段中央に置かれた本尊に対して鉦や香炉を並べる台の位置がずれている、と指摘した。ぼくとかみさんを見て、あなたたちはUターンしてきて慣れないだろうが、というニュアンスだった。お盆飾りを出したときには、おばあちゃんも施設から一時帰宅していてその指示にしたがっただけなのだが。

 「教本には仏壇のまつりかたもイラストつきで書いてあります」と、そのページを開いて見せてくれた。【ほとけさまのお膳】も写真と説明書きがある。ご丁寧なことだ。信心深いひとにはありがたいのかもしれないが、かみさんだって実家の宗派など自分の親が亡くなるまで知らなかったほどだから、こうして棚経のお坊さんにいろいろ言われてもとまどうだけだ。

 あれが本尊か、と初めて認識した。わが家の本尊とされる釈迦像はいつごろ買ったものか知らないが、持ったときにやたら軽いのが気になった。木彫りでさえなくプラスチック製なのかもしれない。かつて偶像崇拝を固く禁じるイスラム教国にしょっちゅう出張していたから、イスラム過激派ならこんな仏像は足で踏んづけ燃やしてしまうだろうなぁ、と不謹慎なことを連想していた。お坊さんの話は適当に聞き流して、帰ってもらった。

 それにしても、いわゆるお盆までまだ10日以上もあり、お盆ムードにならないことは言うまでもない。町内の係のひとが先月持ってきてくれた「平成26年度棚経巡回予定表」を改めてながめると、8月1日に早くも棚経をはじめ、連日巡回し、13~15日は初盆の家を回るようだ。「日程消化」という言葉が浮かんできた。お寺の稼ぎどきではあるが、暑い中、ご苦労なことだ。

 夫婦共稼ぎで家にだれもいない家庭などはどうするのだろう。お坊さんを迎えるためにわざわざ半休を取ったりするのだろうか。

 そもそもわが家のお盆は、以前は7月中旬だったはずだ。だから学生時代以降、お盆に帰省した記憶はなく、盆提灯もどこにしまってあるか最近まで知らなかった。それがいつから8月にお盆をすることになったのだろう。たぶんお寺の都合なのだろうが、伝統行事などといいながらかなり適当なものだ。

 七夕まつりも、ぼくたちの子どものころは、月遅れの前夜祭とでもいうのか8月6日夜が本番で、笛や太鼓のお囃子に合わせ短冊を吊した笹を斐伊川へ流しに歩いて行った。Uターンして町内会で聞くと、最近は日にちに関係なく8月の土曜日夜にやるのだそうだ。

 お盆って何?とふと思いネットで調べてみたら、意外にも、本来は仏教の行事ではなかったようだ。もともと、日本では、神道のさらに古い形だった古神道ですでに先祖供養の儀式や神事が行われていた。それを、江戸幕府が仏教に檀家制度を強要し、その際、神道式先祖供養と仏教行事の盂蘭盆(うらぼん)が混じりあって現在のお盆の形が出来たそうだ。実際、お盆の行事には、仏教の教義では説明できないことも多いらしい。

 盂蘭盆は、インドで生まれた行事で、旧暦7月15日に父母や祖先の霊を供養することだそうだ。

 盆とは文字どおり、本来は霊に供える供物を置く容器つまり「お盆」のことで、それが転じて供物を供え祀られる精霊そのものの呼称となり、仏教の盂蘭盆と混同されて習合したという説もある。

 神道は日本独特の古来からあるもので、仏教はもちろんインドに生まれ中国を経由して日本に入ったが、融通無碍の日本社会ではいっしょくたになったというわけだ。

 盆のはっきりした起源は分からないようだが、古代に「初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する」と信じておこなう行事があった。このうち初春のものが、祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが、盂蘭盆と習合して仏教の行事として行なわれるようになったと言われている。

 「盆と正月が一緒に来たよう」というイディオムがあるが、盆と正月のルーツは同じで、仏教式と神式に別れただけのことらしい、と初めて知った。

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