« 歯、わが闘争 | トップページ | 沖縄の桃太郎 »

御嶽山噴火がけしかけた、あるご縁

 長野県王滝村と岐阜県高山市にまたがる御嶽山が爆発し、多くの登山客が亡くなる惨事となった。ぼくにとっては、とてもひと事ではない。忘れもしない、1979年10月28日、それまで死火山だと思われていた御嶽山が、突然、噴火した。

 そのころ、ぼくは読売新聞長野支局にいて警察担当のキャップをしていた。御嶽山噴火のニュースは、信州にショックを与えた。噴火するなど、県民の誰も思ってもいなかった。

 現地の木曽地方をカバーするのは、おなじ長野県内の松本支局で、3人の記者が王滝村へ飛んでいった。そしてぼくは、長野支局のデスクから、現場へ行く前に県と県警に取材して上中下3本の連載を書くように指示された。

 キャップとはいえ、入社2年目の青い記者だったから、まだ自分ひとりで連載をしたことはなかった。単発の記事とちがい、連載ともなれば、各回にテーマを設定して原稿を書き、全体としても連載の狙いが明確なものでなければならない。記者修業の中級編と言ったところだ。

 まず、県庁内の防災課へ行き、課長に県側の反応と対応を取材した。「青天の霹靂」という言葉を聞いた。そして、県庁ビルの上階にある県警本部へ行き、警備部長などからも警察サイドの話を聞いた。そこで聞いたネタで3本の柱を建て、その柱を補強する壁や屋根を作るための関連取材をあちこちでつづけた。

 時間は限られていたが、何とか3回分を仕上げデスクに渡したら、一発でOKをもらった。そして、少しの着替えや望遠カメラなどを車に積んで、大滝村へ向った。

 「御嶽 有史以来の噴火」などと新聞もテレビも大騒ぎをしていたが、麓は意外に静かだった。御嶽山は広大な裾野があるから、麓の集落にはまだ直接の影響はなかった。

 松本支局の同僚は、ある民宿を前線の取材基地として確保していた。民宿のおばさんはそのとき留守だったそうだが、勝手にあがりこんで居座ったのだった。

 噴火はつづいていても、幸い、人的な被害はなかった。水蒸気爆発が起こったのは午前5時ごろで、頂上付近に登山者はいなかった。

 現地では取材合戦がくり広げられ、毎日新聞の友人記者O君が、無謀にもひとりで火口まで降りてルポを書いた!その話はすぐ評判になり、「うちも誰か登ってこい」という無茶な指令が上から来た。

 ただ登るだけでは二番煎じになるから、火山の専門家を連れて登ったらどうか、と誰かが発案した。現地には、全国の火山・地震学者が集まっており、体力のありそうな某助教授に白羽の矢を立てることにした。先輩ふたりがその先生を必死に口説き、取材班で一番年下のぼくが同行取材することになった。

 翌日未明、先生を車に乗せて、車で行けるぎりぎりのところまで登った。ドアを開けて山肌に降り立つと、地面のずっと深いところでゴーンという音が絶えず聞こえ、大地は細かく振動している。見上げれば、頂上付近の火口からは、やや小さくなったとはいえ噴煙があがっている。

 火山学の先生は、すっかりびびってしまった。ぼくも死の恐怖を感じた。新聞記者になって1年半余りで、死を意識するのはこれで2回目だった。最初は、記者になって1週間ほどで発生した新潟県妙高高原の土石流災害を取材したときだった。

 「私には、社会的立場もありますし、万一、遭難ともなれば大学もふくめて“無謀な行為”と批判を浴びることになります」。先生は青ざめた顔で言う。それももっともだった。山の上では、松本支局と無線が通じた。デスクに事情を話し、「先生がためらっています」と言うと、「何とか説得しろ」と言ってくる。しかし、地の底では不気味な音がつづき、微震動もおさまりそうにない。30分もすったもんだし、やっぱり登るのは断念した。

 ぼくは、そのときつくづく思った。人間いつ死ぬかわからない。特に新聞記者をやっていれば。無事帰れたら、絶対に悔いのない人生を生きることをモットーにしよう。

 このときの噴火をきっかけに、死火山、休火山、活火山の分類はナンセンスとされ、活火山に統一されることになる。山はいつ噴火してもおかしくないのだ。

 2014年秋の御嶽山惨事をニュースでみると、被害者は全員頂上付近にいた人たちだ。麓の集落にはほとんど影響がない。つまり、登山者さえいなかったら、ただ噴火のニュースとして終わっていたということだ。

 命からがら下山してきた人たちは「御嶽が噴火するなんて思いもしなかった」と口々に漏らしたという。それは甘いんじゃないか。1979年10月以降、1991年5月、2007年3月にも小規模噴火を起こしている。それでも、特に入山規制はされていなかった。登山届を出していないひともたくさんいた。国も気象庁も自治体も登山客も甘い。

 天気がいいから一足早い紅葉を見に、などと軽いレジャー気分で登ったのだろう。だが、山を甘く見ないほうがいい。火山学者の鹿児島大学准教授・井村隆介さんは、ある記者に「二度と被害を出さないようどうすべきでしょうか?」と聞かれ、こう答えたという。「火山に登らないことですね」。記者は言葉を返せず、黙ってしまったという。

 ぼくは、取材が一段落して長野市へ帰り、悔いのない人生の一歩を踏み出すことにした。気になっていた県庁の美少女に声をかけ、デートに誘った。それがいまのかみさんだ。

|

« 歯、わが闘争 | トップページ | 沖縄の桃太郎 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/540025/60447558

この記事へのトラックバック一覧です: 御嶽山噴火がけしかけた、あるご縁:

» ケノーベルからリンクのご案内(2014/10/10 08:46) [ケノーベル エージェント]
高山市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。 [続きを読む]

受信: 2014年10月10日 (金) 08時46分

« 歯、わが闘争 | トップページ | 沖縄の桃太郎 »