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新たな世界大戦は、もうはじまっているのか

 ドイツのボンへ特派員として赴任してすぐのころ、旧西ドイツの暫定首都だったその街で、こじんまりとした国際的イベントがあった。ヨーロッパを中心に各国の人びとが集い、「異文化の共生」をアピールするのが主旨だった。その野外会場には「寛容」というスローガンをドイツ語などで書いた大看板が掲げられていた。

 正直言って、日本からドイツへ来て間もないぼくには、そのスローガンはピンとこなかった。寛容ってなにが? なぜ、それがそんなに大切なのか?

 でも、ドイツに暮らしヨーロッパ各地へ出張して社会や文化を知るにつけ、寛容が決定的なキーワードであることに気づいた。

 そうした考え方のルーツは、ナチス・ドイツの過去にさかのぼる。ヒトラーとナチズムに染まったドイツ人たちは、ユダヤ人などを段階的に迫害した。ただユダヤ教を信じているというだけで、公の場へ出ることを禁じられ、私有財産を没収され、ついには、貨物列車に詰め込まれ、アウシュヴィッツなどのガス室へ送り込まれた。500万から600万人ものひとが虐殺されたとされる。いわゆるホロコーストの悲劇だ。

 異なる文化、宗教、民族に対して寛容であらねばならない、という考え方はそうした過去の反省から生まれた。そして、異文化との共生、寛容の精神は、ヨーロッパではくり返しくり返しアピールしなければならない価値観とされてきた。

 だが、そうした積み重ねはもろかった。寛容の精神崩壊への引き金を引いたのは、アメリカ同時多発テロ「9.11」だった。以来、キリスト教文化圏を中心に、イスラムへの警戒心、敵対心は人びとの心のなかでだんだんと増幅していった。

 そして、2015年1月7日、フランスの週刊紙『シャルリー・エブド』本社銃撃テロ事件が起き、フランスをはじめヨーロッパでは寛容の精神が吹っ飛んだような印象がある。

 報道によると、パリで行われた10日のテロ犠牲者を追悼する大行進では、50か国・地域の首脳をふくむ120万人以上が参加した。大通りは「私たちはシャルリー」と記された横断幕で埋め尽くされ、「自由を!」などのスローガンが街に鳴り響いた。シャルリー・エブドを表現の自由のシンボルとし、それへの連帯を示したものだ。

 だが、遠い日本の出雲の地からながめていると、フランス全土はいま、集団ヒステリーにかかっているように思えてならない。

 今回のテロ事件をめぐるさまざまな報道で改めて知ったのだが、フランスでは表現の自由をどこの国よりも強く尊重する伝統があるという。

 シャルリー・エブドのような風刺新聞を受け入れる素地も根強いそうだ。かの国で1830年と1848年の革命の発端となったのは、政治権力による新聞弾圧への反発だった。仮にそれが特定の宗教や文化を揶揄し、ときには他人を傷つけるとしても、それは風刺であり表現の自由として尊重しなければならないものだとする考え方が培われた。

 第2次世界大戦でナチス・ドイツがフランスを占領したときも、一部のフランス人は地下新聞を発行し対独抵抗をつづけた。戦後のフランス人は、それについて絶対的な誇りを抱いているのだという。ヴィシー政権という親独体制を作ったのもフランス人だったのだが、ひとは誇りを持って生きていくため、ときには歴史のごく一部を針小棒大に評価する。

 今回は、左派メディアも右派メディアも、イスラム過激派のテロは表現の自由に対する挑戦とし、一致団結している。

 テロの標的になったシャルリー・エブドは、イスラム教にかぎらずカトリックやユダヤ教などさまざまな宗教の風刺画を掲載してきた。特に、イスラムの予言者や信仰を低劣な絵でけなすだけでなく、それを毎年キャンペーンのようにつづけていたそうだ。

 それは、ヨーロッパのもうひとつの価値観である寛容の精神とは、ある意味で相容れない。シャルリー・エブドの実売部数は約3万にすぎなかったが、多くのフランス人が支持していた。その大半はキリスト教徒だったとみられる。キリスト教とイスラム教は共に一神教であり、神の観念で互いに受け入れられない根本的な溝がある。ヨーロッパではキリスト教徒が圧倒的多数派であり、就職や収入面でも有利だ。格差や差別が、たとえば、イスラム教徒移民の子どもが自暴自棄になりテロに走る動機となる。

 フランスの歴史人類学者エマニュエル・トッド氏(63)は、ぼくの友人でもある読売新聞編集委員・鶴原徹也君の国際電話インタヴューに答え、こんなことを語っている。
 「私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける『シャルリー・エブド』のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。・・・ところがフランスは今、誰もが『私はシャルリーだ』と名乗り、犠牲者たちと共にある」「私は感情に流されて、理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、『テロリストにくみする』と受けとめられ、袋だたきに遭うだろう。だから、フランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ」

 独仏などキリスト教文化圏では、反イスラムの機運が急速にたかまっている。フランス政府は「テロとの戦争」を宣言し、とりあえず兵士1万と警官5千を国内警備のために展開し、過激組織「イスラム国」に対する空爆に空母を参加させる。今後も「戦線」はどんどん広がるだろう。新たな宗教戦争、世界大戦はもうはじまっているのかもしれない。

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