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邪馬台国と出雲

 高円宮家の典子さんと出雲大社の権宮司・千家国麿さんが、2014年秋、結婚された。半可通は、大和朝廷の末裔と大和によって滅ぼされた出雲人の末裔の歴史的な結婚だと誤解した。

 でも、出雲大社の宮司を代々継ぐ千家家は、かつては出雲国造だった。その千家家の祖先は、日本書紀によれば、天照大神の子である天穂日命(アメノホヒノミコト)で、千家家はもともと大和側のひとなのだ。

 古事記、日本書紀には、大国主命が出雲の国を譲ってしばらく時間が経ってから、大国主命の祟りと思われる災厄が相次ぎ、その祟りを鎮めるために建てられたのが出雲大社だとある。

 つまり、天穂日命の末裔の千家家が大和から出雲につかわされたのは、大国主命の魂を鎮めるとともに、それが祟りをもたらさないよう監視する役としてでもあったことになる。だから典子さんと国麿さんは遠い遠い親戚同士とも言える。逆に言えば、国麿さんはもともと出雲人ではない。2000年近い時が経ち、いまではすっかり出雲のひとだろうが。

 さて、出雲には、NPO法人出雲学研究所というものがある。起源1世紀ごろの銅剣358本が出土した神庭荒神谷遺跡にある荒神谷博物館館長の藤岡大拙氏が理事長を務めている。「東北学」という地域研究があるが、出雲学というのも地域限定の学術研究として興味深い。

 その研究所が、銅剣発見30周年を記念して『邪馬台国と出雲』というフォーラムを開いた。会場は、出雲市斐川町にある斐川文化会館だった。荒神谷にもほど近く、この種のテーマを論ずるにはかっこうの場所だ。駐車場が混むらしいからとかなり早めに行き、会場一番乗りをした。大ホールの椅子は次々と埋まり、中には広島市からわざわざ参加したひともいた。

 講演をしたのは、『季刊 邪馬台国』を主宰している安本美典氏(80)だった。邪馬台国と言えば、所在地論争が長いあいだつづけられている。安本氏は、北部九州にあった邪馬台国の勢力が東遷していまの奈良県に大和王朝を建てた、とかねてから主張している。

 安本氏の主張の原点は、「卑弥呼は天照大神だった」というものだ。この説は明治期の東京帝大の史家・白鳥庫吉が唱えたのがルーツで、白鳥は魏志倭人伝の記述と古事記、日本書紀を比較し「その状態が酷似しており、誰も否定できない」と述べたという。

 その説をさらに発展させたのが、東大の哲学者・和辻哲郎で、邪馬台国東遷説を明確に打ち出した。安本氏は、その説を補強したのだが、まずその前提として、記紀に書かれている神話つまり「神代編」は史実を反映したものである、と強調した。戦前の国家神道の反動で、戦後の学会は津田左右吉をはじめ神話の史実性を全否定する空気が圧倒的だったが、シュリーマンが伝承からトロイ文明を発掘したように、神話は深く研究すべきだとする。「最近の考古学者は文献をあまり読まないが、内外のものを読むことが古代の全体像をつかむのには絶対に必要だ」とフォーラムで訴えた。

 そして、歴代天皇の在位年数が時代をさかのぼるにつれて短くなっていることをグラフで示した。在位が短いのは、のちの天皇が権威はあっても政治権力はないのに対し、古代では権力と権威の両方をそなえており、その分、権力闘争によって命が狙われる危険も多かったからとする。中国や西洋の王の在位年数もおなじ傾向であることを傍証とした。

 安本氏は、神武天皇は西暦280~290年ごろ、神功皇后は400年前後とした。筑波大学の経済学者・平山朝治氏の研究から、天照大神が実在していたとするなら西暦200年より少し前から数10年のあいだだったとし、卑弥呼が魏志倭人伝で遣使したとある238年または239年と時代が一致する。これを「卑弥呼=天照大神」説の最大の根拠とした。

 安本氏は、邪馬台国の当初の所在地を、現在の福岡県西部・夜須(やす)町あたりとしている。その付近に現在も残る地名が大和の地名と一致するものがたくさんある点を東遷説の傍証としてあげる。笠置山、朝倉、上山田などは表記も位置関係も完全に符合し、鷹取山と高取山、天瀬と天ヶ瀬などほぼ一致する例もいろいろある。

 出雲との関係としては、銅剣、銅鐸、銅矛といった古代青銅器の鉛成分を分析した結果、北九州と出雲、畿内は強い関連性があることがわかったという。安本氏は、「古代の出雲は山陰から近畿にかけての広大な領土を持っていた」とし、邪馬台国勢力は北九州から海路で出雲大社の西にある稲佐の浜へ上陸し、出雲を降伏させるいっぽう、瀬戸内海を東へ進み大和へ入ってその地の出雲勢力を破ったとする。

 会場からは「大国主命はいつごろの人物だと思うか?」という質問が出された。安本氏は「天照大神の弟スサノオの娘婿だから、西暦250年過ぎではないか」と答えた。仮にそれが事実とすると、日本神話は、たとえばいまの中国、北朝鮮のあたりに朱蒙(チュモン)が建国した高句麗(コクリョ)よりのちの時代のこととなる。

 邪馬台国の所在地論争では、近年、奈良県桜井市の纒向遺跡が有力地とされている。この遺跡こそ卑弥呼の居所であり大和王権誕生の地とする見方が強まっている。だが、調査は遺跡のわずか2%しか進んでいない。邪馬台国は出雲族が中心となって作ったのであり、卑弥呼も出雲系の女性とする説もある。そのあれこれが、古代ロマンの面白いところだ。

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