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2015年3月

歪んだイニシエーションの悲劇

 川崎市の多摩川河川敷で、中1の上村遼太君(13)が17~18歳の遊び仲間に殺された事件の余波は、まだつづいている。

 ぼくは、若いころ、川崎市中原区の社宅に住んでいたことがあり、多摩川河川敷は日向ぼっこや散歩の場だった。対岸には巨人軍の多摩川グラウンドがあり、練習を観に行ったり社内対抗の野球の試合をして泥まみれになったりしたものだった。川一帯がカップルや家族連れの憩いの場でもあり、のんびりしていた。

 そんな河川敷で、深夜に少年たちの凄惨な事件が起こったことに、ショックを受けた。

 そして、報道で知ったのだが、遼太君は小6の夏まで島根県・隠岐諸島の 西ノ島に住んでいたという。つまり、ぼくと彼とは同県人ということになる。隠岐の島には、高2の夏に学校のキャンプで一度行っただけだが、のどかで素晴らしい自然に恵まれていた。

 だが、2013年7月、遼太君母子は西ノ島を出て遠い川崎市に向かった。島で唯一フェリーが乗り入れる別府港には、「ありがとう」 「元気でね」 と書かれた横断幕が掲げられ、別れを惜しむ島民が約70~80人も集まったという。「見たことがないぐらい盛大だった」。遼太君が通っていた町立西ノ島小の金築康治校長は、毎日新聞の取材にそう振り返っている。

 ある島民の女性は、「狭い町なので、みんなが同じように仲が良くてみんながいっしょに遊んでいた。だからその分(事件には)ショックが大きい」と話している。

 島は人口約3000人で、島民が家族のように暮らしているという。遼太君はバスケットボールと釣りが好きな明るい性格で、誰からも慕われていたといい、凄惨な殺人事件とはあまりにもそぐわない。

 どんな家族だったのだろうか。両親と下に3人のきょうだいがいて、遼太君はよく面倒を見ていたという話もある。だが、彼が小3に進級するとき両親が離婚し、生活には困っていたようだ。

 遼太君は、川崎に引っ越した翌月、夏休みで西ノ島に来て「中学生になったら島に帰って来たい。それが無理でも遊びに来たい」と話していたという。

 その川崎市で、母親はすさんだ生活をしていた。週刊文春によれば、事件当日、朝まで遼太君が帰らなかったのに捜索願いも出していなかった。子どものことはかまわず、うちのなかはぐちゃぐちゃで、「男」もいたという。

 事件では、主犯格のA(18)とAの中高の同級生B(17)、別の中学出身で1学年下のC(17)の3人が殺人容疑で逮捕された。Bがマンションの前で酒を飲みたばこを吸っていて警察に通報されたとき、Bの父親は「俺がいいって言ってんだからいいんだよ!」と警官に開き直った。母親もパチンコや居酒屋にくり出す毎日で、深夜まで家を空けることが多かったという。

 いま、仕事の必要があって心理学や精神分析の本をたくさん読んでいる。その1冊に、文化庁長官も務めたユング派臨床心理学者・河合隼雄氏の『母性社会日本の病理』という著作がある。

 西洋は一神教の文化圏で父性社会であり、それはそれで問題を抱えているが、日本は母性社会で父親の存在が薄く、それが社会の病理の一因となっているという分析だ。

 そのなかで、子どもから大人になるための通過儀礼、イニシエーションについて語られている。テレビでしかぼくも知らないが、アフリカのある部族には、少年たちを高い崖から飛び降りさせることで一人前と認める風習があったりする。あれがイニシエーションだ。

 では、日本の若者たちには、自我を確立し大人になるためのイニシエーションがあるのだろうか。河合氏はこう述べている。「彼らは父を求めて右往左往するが、出会うのは母ばかり。しかも彼ら自身、母親から分離し切れていない状態となっては、業を煮やしての短絡行動も生じてくるわけである。イニシエーションの儀礼として、内的に行われるべき死と再生の密議は、にわかに外界に向って行動化され、それは自殺や他殺という事件へと成り下がってしまう」

 川崎市の事件にからんだ少年たちにとっては、求める父親がいないか、いても父親失格であり、母親は母親で、母性を子どもたちにじゅうぶん分け与えた気配がない。河合氏がこの本を書いたのは1975~76年のことだが、それから40年が経って、いまの日本はある子どもたちにとって「母性社会でさえもない」現実がある。

 話は飛躍するようだが、イスラム過激派「イスラム国(ISIL)」へ行ってみたいと考える少年、青年たちも、自分なりにイニシエーションを求めているのではないだろうか。

 河合氏は、近代日本のイニシエーションの例として徴兵検査をあげている。北朝鮮とのあいだで休戦状態の韓国では、よく知られるように徴兵制がある。だが、韓国でも兵士同士のいじめが深刻で、健全なイニシエーションとはほど遠いらしい。

 ドイツでも、近年まで徴兵制があった。まだ、ドイツにその制度があったころミュンヘンへ行って、地元に長く住んでいる日本人女性Yさんとビールを飲んだ。彼女は「日本にも徴兵制があれば、男たちがもう少しシャンとするのにね」と話していた。

 イニシエーションを求め仲間を惨殺するような少年のいる国は、やはり病んでいる。

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情報のエアポケット ヨーロッパ野球

 ふた昔前、ぼくたち一家がドイツのボンに住んでいたころ、その地方都市には通称“アメリカ村”というのがあった。広大な敷地にマンション群、学校、映画館やレストラン、ボーリング場などがあり、たしか米ドルだけが通用していた。

 ボンは、ドイツが東西に分断されていた時代の西ドイツの暫定首都であり、アメリカ軍のヨーロッパでの拠点があった。村は、その拠点の職員と家族のためのものだった。

 アメリカ村にはゲートがあり、兵士が常駐していたので、誰でも気楽に入れるところではなかった。治外法権ではないが、事実上、そんな感じだった。でも、うちの子どもたちはアメリカン・スクールに通い、いつも車でゲートを通り送り迎えしていた。

 広大な敷地の全部をチェックしたことはなかったが、野球場があり、ああやっぱりここはアメリカそのものだなぁ、と思ったことがある。子どもたちも、体育の授業で使ったりしていたらしい。

 ボンからドイツの各都市やヨーロッパ各国へ出張した。どこの都市、国にも立派なサッカースタジアムがあった。いまMF香川真司選手が所属しているドルトムントのスタジアムにも、総選挙の事前取材で行ったことがある。与党・キリスト教民主同盟(CDU)の党大会が開かれ、報道陣のひとりとしてピッチに入って党首だったコール首相などの演説を聞いた。

 でも野球場はどの都市でも見た記憶がない。野球がらみで言えば、旧東ドイツのエアフルトへ行ったとき、デパートの中をうろついていたらグローブを売っていた。なんでこんなところにグローブなんかがあるんだろう、と不思議に思った。バットやボールはその売り場にはなかったので、よけいに不思議だった。

 それからちょうど20年が経ち、2015年3月、東京ドームでは日本代表・侍JAPANとヨーロッパ代表の強化試合2ゲームが行われた。11月に日本と台湾で開催される国際大会「プレミア12」に向けたものだった。

 それにしても、ヨーロッパ代表って何だろう。いくらシーズン開始前のキャンプ中とはいえ、日本の一流プロにヨーロッパの選手が太刀打ちできるだろうか。

 初戦の解説をしていた中畑清・横浜DeNAベイスターズ監督も、試合後、「10対0くらいで日本が勝つと思ってました」と語っていた。東京ドームへ観戦に行ったひともテレビ観戦したひとも、ほとんどはそう思っていたのではないか。

 それは当然だ。かつて日本は、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で2連覇し、いまも世界ランクは1位だ。アメリカはWBCに超一流を出していないから2位だが、日本が世界でトップクラスなのはまちがいない。

 侍JAPANは、3番にショート坂本(巨人)、4番にレフト中田(日本ハム)、5番に指名打者の筒香(DeNA)を並べ、投手は大瀬良(広島)、牧田(西武)、藤浪(阪神)などをくり出した。まず、負けるはずはない。

 ところが二回、先制されてしまった。プロ13年目で初めて代表に抜擢されたセンターの雄平(ヤクルト)が、右中間よりの当たりを処理したときに隙を突かれて二塁打とされたのがきっかけだった。そして、四回にも雄平はフェンス手前の飛球をグローブに当てながらこぼして二塁打とし、2点の追加を許してしまった。

 雄平にかぎらず、侍JAPANの面々はどこかぎこちなく硬かった。八回には、一本調子で投げ込んできた相手投手に連打を浴びせ、どうにか逆転して、そのまま4対3で逃げ切った。だが、どうみても辛勝だった。

 中畑監督が口にした台詞は、意外にもヨーロッパはやるなぁ、という吐露だった。

 野球で日本とヨーロッパの代表がぶつかるのは初めてだったという。アナウンサーは「歴史的なイベントです」とくり返し言っていた。オランダにはカリブ生まれの選手たちがいて、イタリアとスペインには野球リーグがあるのだそうだ。

 それは知らなかった。ボンの自宅にはケーブル局と契約したテレビがあり、うちの子どもたちはドイツ語がわからないから、スポーツ専門チャンネル「ユーロ・スポーツ」でサッカーなどを観るのを楽しみにしていた。でも、当時、野球の中継はなかったと思う。

 今回の東京ドームの強化試合は、ヨーロッパ51の国と地域に衛星生中継されたそうで、その意味でも「歴史的」だった。WBCで意識するのは、アメリカやカナダの北米勢、キューバなどの中米勢、あとは韓国、オーストラリアなどといったところだ。ヨーロッパ野球はわれわれ日本の野球ファンにとって、ほとんど情報の空白地域だった。

 強化試合の主催者スタッフが心配していたのは、ヨーロッパ代表が弱すぎてワンサイドゲームになることだったらしい。それがとんでもない思い上がりだったのは、第2戦ではっきりした。侍JAPANは2対6でヨーロッパ代表に完敗してしまった。

 調べてみると、この前のWBCで、オランダはヨーロッパ勢として初の4強入りを果たした。その原動力となったのが、オランダが17世紀に入植した中米キュラソー出身の選手たちで、いまやオランダ代表の半数を占めている。イタリア、スペインなどでも野球人気は高まっているという。20年の東京オリンピックでも正式種目に復活しそうだ。

 それにしても、情報のエアポケットは恐い。何も野球にかぎった話ではないが。

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ジビエと地方創生への道

 出雲市には3軒のジンギスカン料理を食べられる店があるそうだ。羊肉が何よりも好きなぼくとしては、すべて制覇したいところだが、初めて行った『じゅじゅ』にはまってしまい、まだそこしか知らない。

 2015年はひつじ年だ。縁起をかついだわけでもないが、先日、近所のご夫婦をその店に招待した。いつもご馳走になるのでたまにはお返しをしなきゃ、とかみさんの運転で向った。

 定番のジンギスカン焼きは、生後1年未満の子羊ラム肉と野菜盛り合わせが1,000円、成羊のマトン肉と野菜盛り合わせが900円とリーズナブルだ。それ以外のお勧めはラムチョップで、塩コショウ焼きが700円、香草焼きがたしか750円だった。分厚い脂肪が体に良く旨いのだが、弾力があって歯でかみ切りにくいので、店長にナイフとフォークをもらうことにしている。

 ご夫婦は羊肉を食べるのはじつに久しぶりとのことで、羊肉評論家を自認するぼくにメニューの選択は任せてもらった。肉の美味しさは当然として、この店の一番のメリットは、味をあえてつけていない羊肉を醤油、ポン酢、味噌という3種のたれにつけて食べ比べできるところだ。

 北海道へは日帰り出張(!)しかしたことがなく、まだ、日本の本場のジンギスカンを食べたことはないが、羊肉料理は世界各地で試した。パキスタンでは、それと知らず羊の脳みそのカレーなるものを食べた。白子のような食感があり、なかなかいける。そういう体験のなかでも、『じゅじゅ』はピカイチではないかと思う。

 新規開店して1年半ほどだが、店長にはいつも料理を絶賛し励ますことにしている。はっきり言って、出雲でまた来たいと思わせる店はそうたくさんはない。食いしん坊の身としては、こんな店があるなら出雲暮らしも悪くないな、と思わせるものがある。

 お抱え運転手さんはお茶で我慢してもらい、3人でビールや焼酎の水割りをやりながら、肉を平らげていった。メニューには羊肉ソーセージなどもあるが、今回は初心者がゲストなので定番だけにしておいた。

 食べながら、自然、出雲人の話になった。ぼくは「率直に言って、進取の気性に欠けるんじゃないですか」と日ごろからの感想を述べた。堅実と言えば堅実だが、古代出雲王朝の栄光は遠い昔、他のひとがしないこと、他の地域がしないことにチャレンジする精神に欠けているように思える。出雲人の例外中の例外が、テニスの錦織圭選手ではないか。彼を13歳で単身アメリカに送り出したご両親がすごいと思う。

 そんなことを話しながら羊肉を堪能した夜の後日、夕方のニュースで「第1回ジビエサミットが鳥取市で開かれました」という声に、耳がぴくんと動いた。鳥取県も島根県とおなじ山陰で地域性は似ているようだが、ジビエについてサミットを開くとはやるじゃないか、と感心した。37都道府県から、飲食業や食肉処理業、行政の関係者など約350人が参加したそうだ。

 鹿や猪の食害は山陰でも大きな問題になっている。じゃあ、それを逆手にとって地元の名物にするくらいの発想はないのだろうか。前々からそう思っていた。何でも最初にやるには相当のエネルギーがいる。ジビエサミットが第1回というのがいいと思った。

 でも、あとでネット検索すると、サミットを主催したのは、ジビエ普及を進めるNPO法人・日本ジビエ振興協議会(埼玉県三郷市)で、鳥取県は共催として会場などを提供しただけらしかった。なんだ、やっぱりそうか。イニシアティブを取ったのは、ぼくが出雲へUターンする前に住んでいた埼玉県のひとたちだったのだ。理事長は「大もうけできる食材ではないが、食肉として利用率を上げれば狩猟者が増え好循環を生み出せる」とあいさつしたそうだ。テーマは「地方創生への道 迷惑ものが資源に変わる」だった。

 読売新聞によると、出雲市の島根半島を中心に鹿による農林業被害は深刻で、推定2,000頭以上が生息している。島根県と出雲市は2015年度も1頭あたり3万円の捕獲奨励金をつづける方針だという。その他に、防護柵、ネットの設置費用補助、狩猟免許取得費補助など特別対策を実施している。だが、ただでさえ財政の苦しいなか、金を出すより捕獲した鹿をどう活用するかという智恵を絞ったほうが効果的じゃないかと思える。

 兵庫県へこの冬行ったとき、ローカルニュースで鹿や猪の料理開発の特集をやっていた。野生動物独特の臭みや固さをどうやって克服するか、調理師さんたちがアイデアを競っているという。もし、特産料理が生まれれば、観光客も呼べるし、猟師さんたちも張り切って「害獣の駆除」に精を出すだろう。

 わが家から4キロほどのところにある高級フランス料理店では、ジビエ料理の講習会が開かれ主婦ら約30人が参加した、と地元紙にあった。ところが、主催した猟友会に問い合わせると、ジビエ肉は市場に出回ってはおらず、家庭料理にする方法はいまのところないという。それじゃだめじゃん。何のために講習会を開いたのだろう。

 羊は、世界でもっともたくさん飼われている家畜でジビエの対極にあるが、出雲のユニークなスーパーでは「特殊肉」のコーナーにある。もし、『じゅじゅ』のレベルでジビエ料理を食べさせてくれる店ができたら、絶対に応援する。特殊肉コーナーにも置いてね。

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フランチャイズ制の盛と衰

 駆け出しの新聞記者だったころ、フランチャイズ(FC)という言葉はまだ一般的ではなかった。長野市の支局で記者としての仕事をはじめて3か月後、小1の男児が殺されて袋詰めにされ、ダム湖に浮いた。男児の家は長野では著名な一族で、県民の関心は高かった。警察の幹部は、のちに「信州では10年に一度の大事件」と呼んだ。

 当然、マスメディアは特ダネ競争に走った。遺体発見から何日後だったか、ぼくはある情報を手に入れ、先輩の情報とつきあわせて「重要参考人に電器商A(30)」というスクープを放った。地方版ではなく全国版の社会面に見出しが躍った。

 その電機商Aは、県内でFCチェーン店を展開する一族の店長だったから、街は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。Aの兄はぼくたちを名誉毀損で提訴すると息巻き、「2億円使ってでも、この事件をつぶす」と宣言した。

 Aは、ヘリを飛ばして空中から新築中の物件を探し、その施主に営業をかけて電機機器をまとめ売りするようなやり手だった。ぼくたちのスクープ後もAは警察に泳がされていて、あるとき運転違反で免許を停止された。その話を聞き込んだぼくは、運転免許センターへ行き、Aに声をかけ、「車で店まで送るから単独インタヴューさせてくれ」と言った。助手席でAは饒舌にしゃべった。

 数日後、Aは殺人死体遺棄容疑で逮捕され、ぼくのインタヴュー記事は華々しく日の目をみた。名誉毀損で訴えられなくてほっとしながら、AのやっていたFC制に感心されられた記憶がある。彼の築いたFCチェーンも事件のせいでつぶれたようだが。

 それから37年が経った。いまFCの危機が話題になっているのは、日本マクドナルドだ。2014年夏に、期限切れの鶏肉をナゲットに使っていたことがきっかけとなり、業績は坂を転がり落ちるように悪化しているそうだ。特に、全店舗の7割ほどを占めるFC店の売り上げが激減しているという。月商3000万円の店が1年間で1300万円まで落ちたというからすごい。FCのオーナーの9割は元社員だそうだが、閉店に追い込まれる店が続出するとみられている。

 元凶は期限切れ鶏肉などではなく、バカ社長だった。FC店の売却益を本社の利益に計上して見せかけ上の増益を作っていたという。社長は交代したが、異物混入が後を絶たず、FC各店は悲鳴をあげている。

 もうひとつ、意外なシーンでFCという言葉を知った。中東やヨーロッパ、アジア、アフリカの一部で荒れ狂うイスラム過激派のテロにからむ話だ。

 パリの風刺週刊紙『シャルリー・エブド』などを2015年1月に襲ったテロリスト、アルジェリア系フランス人兄弟は、アル・カーイダとつながっていたとされる。あるイギリス人記者は、週刊新潮の座談会でこんなことを言っていた。

 「今回の事件でエポックメイキングだといえるのは、組織立ったテロではないということだ。関係があったとされるアル・カーイダ系幹部は“標的は本人たちに任せた”と言っている。つまり、イスラム国やアル・カーイダは“テロの学校”のようなもので、世界各地の若者たちが単に軍事教練目的でイスラム過激派組織に“留学”し、卒業生は母国に戻って勝手にテロを起こす時代になった。これをテロの“フランチャイズ化”と呼ぶ人もいる」

 2月にコペンハーゲンで起きた連続銃撃テロの犯人は、フェイスブックでイスラム国指導者に「良きことも悪しきことも完全に従順に忠誠を誓う」と書き込んでいたとされる。だが、デンマーク当局は「男とテロ組織の接点が見つかっていない」としている。

 だとすれば、犯人は、組織と直接のつながりがないまま過激思想に感化されたことになる。これはフランチャイズどころか、超フランチャイズだ。捜査当局が、怪しい人物をマークして事前にテロを防ぐなど、極めてむずかしいことになる。

 イスラム国などに参加するため渡航した若者は、90以上の国からの2万人以上とされる。このうち少なくとも3400人が欧米諸国の出身者で、アメリカ人も150人以上がふくまれている。空爆などですでに死亡したのは5~10%で、10~30%が帰国したと推定されている。軍事教練を受け祖国に帰ったテロリストの数は1000人単位になるわけだ。

 フランスでは、テロ事件後、370万人もの市民が「表現の自由」と「寛容」をスローガンにデモした。彼らの言う寛容は、宗教に対する揶揄や冷評はそれとは別枠で、イスラムに限らず宗教に対する言説、表現は制約してはならないとする。だが、それはキリスト教徒である白人の身勝手、傲慢ではないと言えるのか。

 彼らはテロを非難するが、フランス革命はテロリズムから生まれたという史実を忘れている。移民差別がテロの背景にあり、その対応に苦しむフランス首相は「フランスにはアパルトヘイト現象がある」と公言した。

 そのアパルトヘイトを克服し南アフリカの英雄となったマンデラ氏は、もともとテロリストとして国家反逆罪で終身刑になったことがある。いまイスラム国に対抗すべくアメリカ軍が訓練をしているクルド人も、つい最近までテロリストとされていた。テロの定義など、時代とところが変わればどうにでも変わる。

 長野の殺人犯は、妻子がありながら女の愛人を持ち、しかも男児にホモ行為をしたあと殺したとんでもないやつだった。でも、テロリストではなかった。

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