幻のケララ 日印の夢
息子が2歳、娘が生後半年くらいのとき、ニューデリーのわが家から飛行機で真南へ飛んだ。目的地は、インド内部の高原にあるバンガロールだった。荷物があったので、空港からホテルへ直行した。
フロント嬢は美人ぞろいで、しかもにこやかに迎えてくれた。この「にこやかに」というのは、ニューデリーなど北インドではまずお目にかかれない貴重なものだ。ロビーにあるソファでウェルカムドリンクのトロピカルジュースを出してくれた。気のせいか陽光が明るく、トロピカルドリンクがよく似合った。
街へさっそく出てみると、空気もさわやかで家々に花がきれいに咲いていた。チョロチョロ走り回るいたずら坊主に気をつけながらも、家族で快適なお散歩ができた。
夕食は、あえてホテルのレストランではなく、街なかの中華料理店へ行った。地元料理を食べてもいいが、どうせインドだからカレー以外にろくな料理はないのがわかっている。
ゆったりした半円形のソファに座って注文をしていると、いたずら坊主がソファを乗り越えて隣の席に行ってしまった。だめだよ、そこは別のお客さんの席なんだから。連れ戻そうとすると、中年の紳士が「ああ、いいですよ。可愛い坊やだから歓迎します」と言ってくれた。
それをきっかけに言葉を交わすことになった。ぼくたちはニューデリーに駐在している日本人だと自己紹介すると、その紳士は隣のケララ州から仕事で来たと言った。自然、名刺交換となった。ぼくたちが泊まっているホテルの名前も聞かれた。
インドには7つの連邦直轄領と29の州がある。ぼくは、そのうち10くらいは行ったが、ケララ州にはまだ行ったことがなかった。そして、一番行ってみたい土地でもあった。話に聞けば、人びとは穏やかで識字率もインドではダントツに高いそうだ。つまり、民度がインド一番ということになる。
そのころインドの人口は8億数千万で、そのうちの端数である数千万だけがまともな生活をし、残りの8億人は貧困ラインぎりぎりかそれ以下と言われていた。だから、インドの地方へ行くとき、気分良く過ごせるかどうかは地元の民度が握っているとも言えた。
中華料理店で知り合った紳士は化粧品会社の経営者だそうで、「ぜひケララへ来てください。大歓迎しますよ」と言ってくれた。インド人でもお愛想でそういうことを言うひとはいるが、紳士は心から言ってくれたように思えた。
だが、半年後には東京への帰任が決まり、ケララ州は幻の土地となってしまった。
それから四半世紀が経ち、Uターンした出雲で、島根と鳥取の大視察団がケララ州を訪問したという地元紙の記事を読んだ。いまや人口が12億を超す巨大市場に足場を築こうと、中海・宍道湖圏域の市長会や経済団体が合同視察団を編成したのだという。
ケララ州は逆三角形のインド亜大陸の南西端にあり長い海岸線に面している。44の川や水郷地帯が広がり、ぼくは知らなかったが「神に抱かれた国」「水の都」とも呼ばれているそうだ。何となく南国版の出雲っぽいところなのだろうか。
日本政府は、拡張主義の中国を念頭に、戦略的な意味もあってインドとの結びつきをいっそう強めようとしている。2014年9月、両国政府は「特別戦略的グローバル・パートナーシップ東京宣言」に合意した。日本の対インド直接投資と進出日系企業数を5年以内に倍増させるのが目標だ。両国は地方同士の交流、協力も後押ししており、日本のODA(政府開発援助)も活用できる。今回の視察団は、ケララ州最大都市コチ市と水質浄化など10分野の交流に向け協議をはじめることで合意したという。
日本の自治体でインドと提携し交流しているのは広島県や横浜市など8県市で、中海・宍道湖圏域のように県境を越えて官民で連携するケースは初めてらしい。
ぼくがケララの紳士と会ったバンガロールは、いまでは「インドのシリコンバレー」として世界的に知られるほどにIT産業が盛んだ。ケララ州も、そこまでではないが漁業や観光のほかIT産業でも伸びつつある。ITと言えば、松江市で誕生したプログラミング言語Rubyを使う企業も多いというから、とっかかりはすでにある。
とはいえ、よくある話ながら、IT産業が伸びるのにごみ処理が追いついていない。3年前に建設されたIT企業151社の集積地「インフォパーク」では、200万人が出すごみを1日300トン処理している。焼却ではなく生ごみにEM菌を混ぜて肥料化するだけだ。隣接の埋め立て処分場はプラスチックごみであふれている。ここで日本企業の出番がくる。廃プラスチックや紙くずを固形燃料に変える技術がすでにある。
ぼくの独断と偏見だが、島根・鳥取視察団はいい州を選んだと思う。世界銀行と国際金融公社が各国のビジネスのしやすさをランク付けした「ドゥーイング・ビジネス2014年版」で、インドは190か国中134位と96位の中国より悪い。でも、ケララ州はインドで一番つきあいやすいのではないか。
現地の日本人はわずか52人で、日本語のできるひともほとんどいないようだが、親日的で、「印日商工会ケララ」は日本語教育や技術セミナーを積極的に展開しているという。
バンガロールの中華料理を味わった翌朝、ホテルフロントに思わぬプレゼントが届いていた。ケララ州の紳士が、わざわざ化粧用パウダーなどを持ってきてくれたのだった。
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