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2015年8月

売春を合法に、という世界の潮流

 日本はホンネとタテマエの国だ、とよく言われる。ぼくが知る限り、諸外国でもこのふたつは使いわけられていて、日本がそれほど特殊というわけではないと思う。よく、日本では「日本ほど○○な国はない」とか「日本人は○○だ」とか、海外事情に精通してもいないのに訳知り顔で語るひとがいて、それに何となくうなずく風潮がある。あれは“島国根性”の一種で、陸続きに比較する外国がないから、そういう言説がまかり通ってしまう。

 とはいっても、これだけはまちがいなくタテマエ論だと思うことがある。売春のことだ。1957年(昭和32年)4月1日に売春防止法が施行され、売買春は法律で取り締まられるようになった。一方で、堂々と売春は行われている。いわゆるソープランドだけでなく、東京の一流ホテルのロビーなどでも高級コールガールをみかけることはある。

 セクシーな大和撫子の「夜のおもてなし」を何よりの楽しみに来日する海外スターは珍しくもない。よく「日本食が大好きで、ニッポン大好きです」と言うスターがいるが、あれはホンネでは「日本“色”が大好きで、ニッポン大好きです」なんだとも言われる。

 日本でもたまに、売春組織が摘発されてニュースになることもあるにはあるが、ふだんは「そんなものはないことにして」きれいごとの日々が過ぎていく。

 そんなタテマエの日本に、ちょっと衝撃的なニュースがとどいた。2015年8月11日、国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)が、売買春の合法化を支持する方針を決定した。アムネスティ・インターナショナルと言えば、世界中に700万人の会員・支持者がいて、大きな発言力を持つ国際社会でもっとも有名な人権団体だ。

 アイルランドのダブリンで開かれた総会に、70か国から約400人の代表が出席し、売買春のほか、売春あっせん、売春宿の経営をふくむ「合意の下での性労働に関わる行為」について、「全面的に合法化すべきだ」とする決議を賛成多数で採択したのだ。

 「性労働者の人権保護につながる」というのが主旨だが、当然、反対派からは「人権団体としての信用性に傷がついた」と批判の声が上がった。それでも、シェティ事務局長は「性労働者は世界で最も軽視された職業集団であり、差別と暴力、虐待の危険に常にさらされている」とし、合法化を目指す意義を強調したそうだ。

 東京をふくめ世界のどんな都市にも、売春施設はあるし売春婦もたくさんいる。そのなかで、個人的にもっとも印象的だったのが、ドイツ第2の都市ハンブルクへ出張したときの体験だった。

 日本のあるメーカーの駐在員が、「ジャーナリストならみておいたほうがいい場所がありますよ」と、夜、アルトナ魚市場へ連れて行ってくれた。この市場は18世紀前半からあるといい、昼間は観光スポットとなっているところだ。日がすっかり落ちた市場の敷地に、おびただしい数の若い女性が立っていた。「あそこにいる娘は目がとろっとしているでしょう。ほら、あそこにも。明らかに薬物中毒です」。女性たちは売春婦で、物色する客の車に拾われ近くのホテルへと行くのだという。

 市場から少し離れたレーパーバーンという長さ800メートルほどの通りは、ドイツ随一の売春街として有名だ。いかがわしいクラブやバーなどが建ち並び、いわゆるストリートガールがたむろしている。

 別の機会には、旧東西ドイツ国境付近の幹線道路沿いに、たくさんの売春婦が立ち、男の車に拾ってもらうのをひたすら待っているのを見かけた。寒風のなか、若い女性たちはカラフルなスキーウェアを着ていた。

 ふた昔も前の見聞だが、ドイツでは2002年に21歳以上の売春が合法化されたから、いまでは事情も変わっているかもしれない。現在、首都ベルリンだけで約700もの売春宿があり、売春婦の数はドイツ全土で40万人といわれる。ヨーロッパでは、売春が合法化されている国は珍しくない。

 世界には、自主的にその職業を選んだ女性もいるだろうが、薬物でうつろな目をしていた魚市場の娘たちの顔が忘れられない。彼女らは、政府が認めた「慰安婦」だったり、マフィアがあやつる「性奴隷」だったりしたのではないか。女性の人権や尊厳が踏みにじられているケースも少なくなかっただろう。旧日本軍の公娼だった慰安婦より境遇はむしろ厳しかったかもしれない。それが、合法化で改善されただろうか。

 朝日新聞は、2014年8月、いわゆる従軍慰安婦をめぐる「吉田証言」についての虚報を認めながら、「問題の本質は(強制連行の有無ではなく)女性の人権だ」と論点をずらして開き直った。売春をめぐる世界の現状に目を向ける意思がある、とでも言うのだろうか。それならまず、多数派を占めていた日本人の慰安婦について、強制連行があったか、いくら収入があったか、客を選ぶ自由はあったか、行動の自由はあったかなど徹底取材して書くべきだ。それが女性の人権と尊厳を擁護する報道の第一歩ではないか。

 朝日が虚報を認めて1年以上が過ぎたが、女性とくに売春婦の人権についてキャンペーンを張る気配などまったくない。売買春合法化の世界潮流をどう考えるのだろうか。

 朝日をはじめとするタテマエの偽善者らは、売春にかぎらず、自分たちに都合の悪い海外の動きについては、目をつむり、聞かなかったことにする。アムネスティ・インターナショナルの合法化決議についても、知らんぷりをするのだろう。

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マリファナの匂い漂う楽園――コペンハーゲン某所

 デンマークへ高齢者福祉の事情を取材するため出張したのは、ふた昔前のことだった。幸福度ランキング世界1位の先進国とされる。首都コペンハーゲンは、ドイツの都市などよりかなり素朴で、どこかのんびりした感じがあった。

 仕事を終え、帰りの飛行機便まで時間があったので、どこか観光でもしようかと思っていると、地元のひとが「クリスチャニアという面白いところがありますよ」と教えてくれた。市の中心部からそう遠くもなく、タクシーですぐに着いた。

 予備知識はまったくなかったので、これが「デンマーク有数の観光地」と言われても、なにが面白いのか最初はさっぱりわからなかった。あとで知ったことだが、コペンハーゲンの人口は約57万人しかいないのに、クリスチャニアには国内外から毎年50万人が訪れるという。

 約500円相当の英語ガイド料金を払い、他の観光客といっしょに説明を聞くと、ここは一般に「ヒッピーの楽園」と呼ばれているそうだ。ガイド役もクリスチャニアの住人だった。「個人が自由な表現ができ、かつコミュニティに対して責任を持つ自治社会の建設」を目標とする「国」で、国旗や国歌もあるという。

 あちこちに手づくりの家があり、壁にはグラフィティが描かれている。自治コミュニティとしては経済的に自立することが必要だ。レストランやカフェ、バー、有機野菜の販売所、さらに手工芸品店、自転車店、材木店などがゆったりした敷地にある。ミサンガやTシャツなどを売る土産物店もあり、観光客から取るガイド料も大きな収入源になっているのだろう。クリスチャニアでは家具から家まで欲しいものは自分で作るのが一般的だそうで、部分的には自給自足とも言える。

 何しろ広いのでぼくは行かなかったが、スケートボードの練習場やライブハウス、保育所などもあるという。チベット仏教寺院もあるそうで、いかにも東洋の哲学や宗教に惹かれるヒッピーのコミュニティといった感じだ。

 もともと軍の所有地だったが誰も使ってはいなかったため、1971年9月4日、近所の人びとが土地を子どもたちの遊び場にするためにフェンスを壊して不法侵入したのがはじまりだった。まもなく、一般に開放され、ヒッピーなどが住みついて楽園となった。「アナーキズム(無政府主義)の実験場」とされていまに至る。

 34ヘクタールの土地に、ぼくが訪れたときは約800人が住んでいた。ネットでその後を調べると、いまでは約1000人に増えたようだ。

 クリスチャニアにはいろいろな入り口があり、いわば歩行者天国になっている。デンマーク当局は、非常時に消防車や救急車が通れるよう何回もエントランスを塞ぐ大きな石を撤去してきたが、そのたびに住人らが元の位置にもどすいたちごっこがつづいている。

 クリスチャニアの一番の名物は、プッシャー通りの常設屋台で公然と売買されるハシッシュやスカンクなどの大麻で、人びとは自由に吸っていた。その独特の匂いは、すぐそれとわかる。もっとも、大麻が法律できびしく取り締まられている日本では、その匂いを知るひとも少ないだろうが。

 デンマークでも大麻が2004年に違法化され、クリスチャニアでも堂々と売られることはなくなったという。しかし、根絶されるわけもなく、いまでもプッシャー通りではごくふつうに手にはいるようだ。ただし、証拠を残さないため、プッシャー通りには「写真撮影禁止」のポスターが張り出されているという。もちろん、当局は知っているが、あえて見逃しているのだろう。

 クリスチャニアは、デンマークの法体系とは別に彼ら独自のルールを持っている。9つの禁止事項があり、武器、暴力、防弾チョッキ、バイカー服、私用車の所有、火薬製品、花火、盗品、ハードドラッグの売買はNGだそうだ。住人に過去の経歴を尋ねるのもタブーとされる。武器の所有がだめなら、防弾チョッキをわざわざ禁止しなくてもいいようなものだが、彼らなりの理由があるのかもしれない。

 強い麻薬としてルールで禁止されているのは、コカイン、アンフェタミン、エクスタシー、ヘロインなどだが、「この規則が全員の了承を得られていないため、それらの商売が完全に無くなったわけではない」とウィキペディア英語版には書かれている。

 アナーキー地帯ではあるが、当局と折り合うため、1994年から、住人らは、水道、電気、ごみ処理などの料金や税金を払っている。

 ヒッピーは、1960年代から70年代にかけて、世界中いたるところにたむろしていた。ベトナム戦争への反対運動から生まれ、精神性(スピリチュアリティー)を大切にした。<ドラッグ>と<セックスの解放>がキーワードで、既存の社会ルールへの反抗が根底にあった。だが、「相手かまわずフリーセックス」をするヒッピーへの支持は長つづきせず、その文化はやがてすたれていった。

 その点で、クリスチャニアは世界的にみてもまれなコミュニティと言える。彼らのセックス観を、観光客相手のガイドに聞くのもためらわれたが、大麻が文化となっている以上、フリーセックスももうひとつの文化を形成しているのだろうか。

 今度訪れる機会があったら、取材してみよう。

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インドに渡った仏教原典主義の「いま良寛さん」

 亡き父の新盆を前に、2015年8月6日、出雲の地元高齢者サークル主催による供養会が行われ、菩提寺へ参った。住職も亡妻の新盆を迎え、読経の後の法話でこう語った。「仏教の教えをひとにさんざん語って来ましたが、いざ妻を失ったわが身となると辛くて」。その言葉は、日本の葬式仏教の限界をうかがわせているように思えてならなかった。

 思いは、インド・ヒンドゥー教最大の聖地ベナレスの近くにあるサールナートへ出かけ、後藤恵照という僧侶に2日間のべ6時間以上にわたるインタヴューをしたときの記憶へ飛んだ。ニューデリー特派員をしていた1989年1月末、冬休みを取って訪れた。

 後藤師は、1933年、茨城県土浦市の在家に生まれ、18歳で曹洞宗のお寺に入ったが、日本の仏教のあり方に疑問を持ち、45歳にしてインドへ渡った。翌年、仏教の聖地サールナートに「法輪精舎 日本寺」を建立し、貧しい子どもたちのための学校も開いていまも健在だ。中学・高校の生徒数は計約800人、日曜学校の恒例食事会には1000人もの子どもたちが集まる。法輪精舎で修行中のある日本人青年は、師を「いま良寛さん」と呼ぶ。

 四半世紀前に行った未公開ロングインタヴューのダイジェストを、以下に記しておく。

                  ◇
 ――先生は、釈迦が説いたいわゆる原始仏教に対して自分が直接アプローチしていきたいとお考えですね。
 阿含経を読んでいると、お釈迦さまが病気をしたとか、非常に人間的です。ところが(日本に伝わった)大乗仏教では神格化してしまって実在しない人物を作り上げているんです。それにはぼくは、まったく興味がないわけです。

 ――釈迦も一修行者、インドで言うサドゥーということですか。
 そうです。そのひとがたまたま悟りを開いて説教したのであって、日本で言うような神通力的なものはなかったんです。

――日本の仏教イメージと、本来インドにあった仏教はまったくちがうものですよね。
 日本の仏教はとにかくきれいごとを並べているんですよ。色メガネを通して仏教を見ている。現実はそうじゃないのに。もともと、お釈迦さまは坊さんが葬式をすることを禁じているんです。坊さんは拝み屋じゃあないと。いまの坊主は金儲けのために葬式をしているが、それはまちがいです。

――では、釈迦が説いた本当のところは何なんでしょうか。
 善いことをすれば善人で悪いことをすれば悪人である。基本的にはこれだけです。

――死生観とか宇宙観についてはどうなんですか。
 一般民衆に対しては地獄や極楽について説いていますが、これはあくまでも通俗であって、より高い立場では死後の世界はどうでもいいとしています。証明できないんですから。

 ――では、釈迦が本当に言おうとしたのは何でしょう。
 心の迷いをなくせということです。それと、現在をよく生きなさいということ。過去はもう過ぎ去り、未来はまだ来ていないのだから。

 ――先生が目指しているのは、本来の仏教僧のあるべき生き方ですか。
 そうです。まあ、いまは寺を持っていろいろしてまして、お釈迦さまのような完全な姿はできないですが。ふつうのひとはお釈迦さまが仏教独自の教えを説いたと思っていますが、実は9割9分インドに根拠があるんです。仏教独自のものは悟りくらいでしょう。

 ――釈迦が悟ったというのはどうしてわかるんでしょうか。
 悟ると、そういう自覚が現れるらしいです。自分の主観の問題です。

 ――では、釈迦が悟りを開いた後はどんな生活をしていたんですか。
 同じですよ。時間が来れば托鉢に出かけて飯を食い、座禅を組み、信者が来れば説教をした。悟り以前と全然変わりません。

 ――釈迦は自分で悟りを開いたと言ったんでしょうか。
 お経にはそういう自覚が湧くと言う風に書いてあります。ぼくは原典主義者です。現代の仏教の発想からすれば異端かもしれないが、経典に従えば僕の方が正しいんです。

 ――仏教のファンダメンタリストですね。そういうのに興味を持つひともいますか。
 ぼくの言うような生活は現代では難しいが、歴史的事実としては正しいと言うひとはいます。

 ――釈迦と同じことを実践するには社会環境がちがいすぎるということですね。
 貨幣経済になり寺を経営しなければならないことが一番大きなちがいです。いまでも山にこもって悟りを開けるでしょうけど、する人がいないんじゃないですか。みんな人間の欲にとらわれていますよ。ぼくがここに学校を作っているのも欲です。でも布教のためには拠点が必要ですから。

 ――先生はここでインド人に本来の仏教を布教しようとされているんですね。
 原始仏教の布教会的なものを作って、何年か先にはヒンディー語で雑誌も発行するつもりです。お釈迦さまが説いたこと説かなかったことをやさしく説明してあげるような。お釈迦さまが説かなかったことは仏教ではないですから。

 ――われわれが仏像で見るような釈迦のイメージは「遠い存在」ですが、先生にとっては仏陀個人の具体的なイメージがあるわけですね。
 ええ。ボロボロの衣をまとって、頭を剃っていて、歩いて托鉢し、たまには空の鉢を持って帰り、座禅をして、といった人間としてのイメージしかないです。

 ――密教では神通力が強調されていますが、それはどうお考えですか。
 ぼくの立場から言うと、それは宗教ではあるが仏教ではないです。大乗仏教も理論的にはキリスト教などよりも優れた宗教だけれど、お釈迦さまの本当の教えではないです。

 ――仏陀の生き方を究極的な模範として生きたいわけですね。しかし現代では不可能なことも多いと。
 不可能なことの方が多いですよ。ところで、精進料理は日本や中国の大乗仏教の一部の習慣なんです。お釈迦さまは肉を食べました。結局、最後は肉の中毒で亡くなったのではないですか。遊行経には豚肉の料理を食べた後に下痢がはじまったとありますから。

 ――戒名については、どうお考えですか。
 中国にもありましたが、院殿居士は日本だけのものです。院号は天皇の隠居後についた称号で、殿は殿さまでしょ。それにいつの間にか値段のランクがついたんです。

 ――そういうお話をこの聖地サールナートでうかがうと、戒名など余計ばかばかしく思えますね。
 お釈迦さまの時代には仏像なんてものもなかったです。お経に仏像を作って拝みなさいとはどこにも書いてありません。坊さんには偶像崇拝を禁止しています。

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究極の世論調査はこれだ!

 わが日本の国会が、戦後70年間、憲法論議についやした時間とエネルギーは膨大なものになる。それを税金に換算したら、いったいいくらになるだろうか。論議が建設的でなにかを生むならまだしも、いつも空理空論だった。まったくバッカみたいだ。

 憲法9条を読めば、中高生だって、戦争はだめで軍隊も持てないことがわかる。だが、それでは国や国民の安全を守れないので、歴代政府は苦しい解釈をして自衛隊をみとめ安全保障政策を立ててきた。

 いまの憲法はGHQが「日本弱体化」のために制定させたが、国民の多くは憲法をありがたく戴いたから改正はできず、政治が局面局面で解釈を変えるしかなかった。

 知日派として知られ『戦争の記憶 日本人とドイツ人』を日本語でも出版したオランダ出身のジャーナリスト、イアン・ブルマ氏は、かつて東京で開かれた国際シンポジウムで、ぼくといっしょにパネリストとしてステージに上がり、こう述べた。

 「和解と癒やしについて語るとき、根本問題は日本人と非日本人(アメリカ人、韓国・朝鮮人、中国人)との合意にあるのではないということです。問題の核心は、日本人同士の間に合意が成立していないということなのです。その理由は多分に政治上、憲法上にあると思います。・・・憲法を改正すれば解決は見つかると私は思います。なぜなら日本が主権を回復して安全保障政策をもち、己を政治的に信頼すれば、必ずや日本の戦争がいかに悪い戦争だったか、またそれが特殊な戦争だったかどうかという感情的な議論はせずにすむからです」(アジア財団・国際シンポジウム公式記録)

 知日派外国人は、日本のどこが問題でそれを解決するにはどうすればいいか知っているのだ。ぼくの経験から言っても、海外にいて日本のできごとをみつめる日本人も、おなじことを感じる。

 ぼくは、インドのニューデリー特派員から東京の読売新聞社編集局に帰ったとき、1年半ほど世論調査部に局内出向していたことがある。日米、日米欧などの国際世論調査を主に担当した。国内テーマを絞る会議やデータ分析にも加わり、世論調査の裏表を知った。

 そのころ、上司に提案したが採用されなかった調査テーマがある。それは、日本社会にトゲのように刺さった「憲法と自衛隊」にかんするものだ。歴代政府は、苦肉の解釈によって自衛隊を合憲としてきたが、そこに日本という国の自己欺瞞と病理をみるひとは多いだろう。いま、次のような設問による究極の世論調査をしたらどうかと思う。

 設問:日本国憲法第9条では、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とされています。しかし、現実には、戦力である陸海空の自衛隊が存在していて、根本的な矛盾があります。これについて、あなたのお考えをお聞かせください。
 (1)憲法9条を護持し、自衛隊を解体する。
 (2)憲法9条を改正し、自衛隊を存続させる。
 (3)分からない、答えない。

 論理上、これ以外の選択肢はない。この調査の目的は、9条をめぐる論点を整理し、国民を啓発して憲法論議を活発化させることにある。内閣府が事前に設問を公表し、国民一人ひとりに考えをまとめてもらってから、一定期間後に10万人の大規模世論調査を実施する。現憲法は、国民投票にかけられることなく、主権者不在のまま制定された。いまここで、国民の意思を確認するのは、大きな意義があるだろう。

 かつて、朝日新聞などは国連PKO協力法案に反対しヒステリックな大キャンペーンを展開した。しかし、いま、だれもそんなことは忘れたように振る舞っている。憲法も一見、大問題のようにみえるが、いったん改正されてしまえば、すぐ昔話となるだろう。もともと、大騒ぎするようなことではないからだ。

 この世論調査をそっくりそのまま、日本全国の憲法学者にアンケート調査し、結果を実名入りで公表すると面白いのではないか。

 朝日新聞は、2015年7月、国会で安保関連法案が激論を呼んでいるのを受け、憲法学者122人に法案が合憲か違憲かをアンケート調査した。案の定、違憲とする声が圧倒的多数で、法案絶対反対派の朝日はわが意を得たりとした。だが、もともと、9条は憲法学になじむ次元の問題ではなく、純粋に政治レベルの問題なのだ。

 おなじアンケートで、自衛隊が違憲または違憲の可能性があるとした憲法学者は77人いたのに、「9条を改正する必要がある」と答えたのはわずか6人だった。経済学者で著名なブロガーの池田信夫氏は「それなら憲法学者は『自衛隊は解散せよ』という論文を書くべきだが、私の知る限りそういう学術論文は見たことがない」とする。

 憲法学会の大勢に従い護憲派を名乗る憲法学者は、根本的な自己矛盾を抱えている。池田氏は「憲法学者の過半数が非合法と考えるような軍隊が24万人もいる国が、法治国家と言えるのだろうか」ともしている。まったく同感だ。

 3択アンケートに、多くの憲法学者は「(3)分からない、答えない」を選ぶのではないか(~_~;)(^o^)。机上で学問をいじっている日和見の憲法学者に、「憲法改正」にせよ「自衛隊の解体」にせよ、実名で主張する度胸はないだろう。

 日本を法治国家とするためにどうすればいいか、われわれは頭を冷やして考えるべきだ。

 【詳しくは、アマゾン電子書籍Kindle版『朝日追撃』(木佐芳男著、2015年5月発売)で。朝日問題を中心に戦後日本の病理を心理学、精神分析などによって分析した。その際、ドイツをはじめとするヨーロッパ取材で手にした知識を“メス”として振るった】

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