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2015年9月

難民急増 希望の地はどこにあるのか

 われらがサッカー日本代表ハリルJAPANは、2015年9月8日、W杯アジア予選でアフガニスタンと戦った。ホーム&アウェイ方式だから、本来ならアウェイの試合はアフガニスタン国内で行われる。だが、かの国の政情がそれを許さず、第3国イランの首都テヘランで開催された。

 テレビで日本を熱烈応援した。試合は日本が6対0と圧勝した。勝ったのはうれしかったが、なんだか弱い者いじめをしたようで、少し気の毒にもなった。

 勝敗とは別に、スタジアムにどれだけアフガニスタンのサポーターがいるのか気になった。ほんのわずかだけ、アフガニスタン国旗を振っているひとたちがいた。スタンドはガラガラだったが、スタジアムの外にはたくさんのアフガン難民がいた、と読売新聞で知った。彼らにはチケットを買う金銭的な余裕がなかったのだという。

 難民という言葉を聞いて、ふつうの日本人は何を思うのだろうか。ぼくにとっては、記憶から消すことのできない体験がある。ニューデリー特派員をしていた四半世紀前のことだ。インドを拠点に、アフガニスタン、パキスタンなど南アジア8か国がぼくの取材エリアで、各国を転々とする日々を送っていた。

 最大の取材対象はアフガニスタン情勢だった。1979年末に、当時のソ連軍が突然、アフガニスタンに侵攻した。若いひとは知らないだろうが、そのためにモスクワで予定されていたオリンピックを、西側は歩調を合わせてボイコットした。日本も西側の一員だったから、やっと五輪代表になれた選手は全員泣いた。

 ただ、オリンピックに出られないことくらいは大したことではない、と特派員で現地へ行って痛感した。アフガニスタンの人びとのかなりの数が、ソ連軍侵攻のあと難民となった。国の東側に住んでいたひとはパキスタンへ、西側にいたひとはイランへ行った。

 ぼくの仕事のひとつが、パキスタンのアフガニスタン国境に近い街ペシャワール一帯へ逃れた難民の取材だった。難民の多くはテント暮らしで、食料や水をパキスタン政府から支給される。そのお金はアメリカが主に出していた。難民がいい仕事に就けるわけもなく、たいていは肉体労働をしてわずかな現金を稼いでいた。

 難民のなかには、アフガン反政府ゲリラもいた。ソ連軍が侵攻してから、首都カブールだけはソ連に支えられたアフガン共産主義政権が支配していた。この国は政治の構図がころころ変わったが、ぼくが取材に何度も通ったころ、反政府ゲリラはその共産軍と戦っていた。

 アフガニスタン領内で戦闘したあと、ペシャワールの難民キャンプへ帰ってしばらく休養し、また出撃するのだった。一般難民は言葉も通じずあまり親しく話す機会もなかったが、ゲリラたちのなかには英語のうまいひともいて、日本人特派員を歓迎してくれた。何と言っても、日本は味方の西側に属しているからだった。

 緑茶に貴重な砂糖を入れ、生のニンジンやダイコンを切ったものを、茶菓子代わりに出してくれるのだった。アフガニスタンの戦況や彼らの日常を聞くのが目的だったが、日本の話を質問されることもよくあった。あるとき「日本の軍隊は、どれだけ強いんだ?」と聞かれた。「憲法で軍隊はないことになっているが、自衛隊(SDF)というのがあって、実力は世界で10位くらいだと言われているよ」と答えると、「そりゃ、すごい」と感心された。

 ヨーロッパはいま、難民流入問題で大騒ぎとなっている。「イスラム国」とアサド政権の内戦状態になっている中東のシリアをはじめ、アフリカの紛争地域から逃げてきた人びとが、安住の地を求めて北へ北へ、ヨーロッパへと押しかけている。

 そのなかに、アフガン難民もたくさんいることを、最近の報道で知った。おそらくアフガニスタンの西側から逃れてきたと思われる。国連高等弁務官事務所(UNHCR)によると、いまアフガン難民は全体で約260万人いて、パキスタンに約150万人、イランに約95万人が暮らしているそうだ。ぼくが取材していたころより倍近くに増えている。

 テヘランなどにいるアフガン難民の一部が、ヨーロッパへ行く夢を持っている。ドイツは遠い希望の地で、そこへたどり着くためには多額の交通費はもちろん、運もいる。

 ドイツは今年中に難民100万人を受け入れる予定だが、難民認定を待つひとだけでも現在約30万人いるそうだ。その手続きや当面の住居、食料などはどうするのか。しかも、難民は労働者の職を奪ったり治安を悪化させる、とやっかい者扱いされる。ヨーロッパでもっとも豊かなドイツでさえそうだから、他の国はホンネではもっと冷たい。ハンガリーは、9月15日、難民が流入するセルビアとの国境を封鎖し、唐辛子の催涙ガスや放水で難民を追い返した。他の東欧諸国も、はじめから難民を拒否する姿勢をみせている。

 日本にとっても他人事ではない。もし、何らかの事情で北朝鮮の金正恩体制が崩壊すれば、大量の難民が日本海を渡ってやってくるかもしれない。中国の共産党独裁体制が倒れ、軍閥が割拠して『三国志』状態になれば、100万単位の難民が日本にも押し寄せる恐れがあると言われている。

 移民政策さえとっていない日本に、それだけの異邦人が一挙にやって来たら、国をひっくり返すような騒ぎになるだろう。

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「空気」という名のユルい民意の空回り

 国会議事堂周辺が、この夏から秋にかけてかまびすしいようだ。安全保障関連法制に反対する左派勢力が動員をかけている。ただ、その数字をみると、警察発表で3万3000人、2万人などだから、そうすごい規模ではない。60年安保条約改定のときには、警察調べで35万人が集結した。それとは比べものにならない。

 それでも、たいへんな事態にみえるのは、左派メディアが盛んに煽っているからに他ならない。日米安保体制に甘えてきた“平和ぼけ”のひとたちが、集まっているからだろう。いったん法案が可決されると、騒ぎは一瞬でおさまるのがこれまでの例だ。

 「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」とかいう大仰な名前の団体が、2015年9月14日夜、国会周辺で集会を行った。産経新聞によると、ノーベル賞作家の大江健三郎氏はこう語ったそうだ。「70年間の平和憲法の下の日本というものがなくなってしまう。このように力強い集まりを皆さんが続けられる。そしてそれが明日も続く。日本人は、あの憲法を無意味にしてしまうような法案から立ち直って、憲法の精神に立ち戻る。それしかない」

 憲法の精神で平和が保たれるのなら、そんな気楽な話はない。北朝鮮のミサイルや核開発、中国の東・南シナ海への進出と軍備増強などの現実には一切目を向けないのが、平和勢力のすごいところだ。集会には作家の佐高信氏、ルポライターの鎌田慧氏、法政大・山口二郎教授などが次々に演説し、安倍晋三首相を呼び捨てにしてののしったそうだ。

 メディア史研究者の佐藤卓己・京大教授は、輿論(よろん)と世論(せろん)を分け、世論は「空気」だと喝破している。国会に動員をかけたのは、その「空気」だ。

 倒閣運動のつもりだろうが、品格のないことはなはだしい。現実の安倍政権は安泰そのものだから、茶番と言うしかない。産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が12、13両日におこなった合同世論調査では、9月8日に告示された自民党総裁選で安倍晋三首相が再選されたことについて、自民党支持層の85.5%が「賛成」と答え、「反対」は9.8%にとどまった。安全保障関連法案の抵抗感が強いとみられる公明党の支持層でも、60.0%が賛成した。これも「空気」ではあるが、与党支持層の多くが首相の続投を望んでいるのだ。国際情勢を冷静にみているからだろう。

 別の各種世論調査では、法制反対の音頭を取る民主党の支持率は、10%を切るほどに低い。国会周辺の騒ぎは「コップの中の嵐」にもならない。

 日本在住中国人の孫向文さんが、国会デモについて興味深い見方を披露しているので、デイリーニュースオンラインから抜粋を紹介する。孫さんは、中華人民共和国の浙江省杭州出身で、漢族の31歳という。20代半ばで中国の漫画賞を受賞してプロ漫画家となり、その傍ら、独学で日本語を学び、日本の某漫画誌の新人賞も受賞した。

 孫さんは、まず、安保法制反対デモが中国国内でも詳しく報道されていることを取り上げた。<こうした報道に、僕は強い矛盾を感じます。なぜならば、中国では反政府デモなど絶対に認められるものではないからです。この報道はある意味、反政府デモを肯定するもので、そのままブーメランのように中国に跳ね返ってくるのではないでしょうか。これを見た民衆が、反政府の衝動に駆られたとしてもおかしくはありません>

 <僕自身は、……安保法案賛成の立場です。日本政府、並びに日本国民にはもっと中国政府の悪事を強く批判してほしいと願ってやみません>

 <僕が安保反対の人々に違和感を覚えるのは、彼らが「中国の人たちとも話せば仲良くやっていける」と考えていることです。ですが、彼らが見ているのは、中国政府であって、政府に虐待されているウイグルやチベットを始めとする少数民族、逮捕・拘留が相次いでいる人権弁護士、そして言論の自由を奪われている中国国民、中国の侵略を受けつつあるフィリピンではないようです>

 現代世界史の常識として、民主主義国と民主主義国の戦争は一度もない。だから、日本の平和勢力が真に平和を希求するのなら、共産党独裁の全体主義国家である中国を正面から批判し、その打倒に立ち上がるのが筋だ。しかし、日本の平和勢力はもともと左翼で、旧ソ連や共産党の中国に肩入れしてきた過去がある。だから、反安倍ではあっても反中国とはならないのだ。ここに、日本の欺瞞がある。ぼくが彼らを「左翼えせ平和主義者」と呼ぶのはそのためだ。

 孫さんは、ことの本質を突く。<僕が訴えたいのは、今後、日本の平和も脅かされる可能性があり、憲法9条は決して日本を守ってくれないということです>

 <以前の記事では、(学生グループ)SEALDsのラップをまじえた軽薄なデモに批判的な見解を示したのですが、日本で行われている安保反対デモは、民主主義国家だからこそ許される「ユルい」ものという印象を受けてしまいます>

 中国の反体制活動家らは、文字通り命がけで闘争をしている。

 <国民が政治に関心を持つことはいいことですが、もう少し安保反対派には現実を見据え、真剣に考えてほしいと声を大にして言いたいです>

 精神科医・土居健郎は、かつて、大ベストセラー『「甘え」の構造』で日本社会を鋭く分析した。甘えん坊たちのユルいデモをみて、それを思い出した。

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リアルの北東アジアは『三国志』並みに面白い

 北東アジア『三国志』の主な役者は6人いる。日中韓米露それに北朝鮮だ。北京で2015年9月3日に行われた「抗日戦争勝利70周年記念行事」に役者がほぼそろった。

 主役を張った習近平・中国国家主席は、軍事パレードでこう演説した。「中国国民は、世界反ファシスト戦争の勝利に重大な貢献を果たした」。これがお笑い種であることは、知る人ぞ知る。ファシズムとは、国家主義的な全体主義の政治形態のことを指す。70年前までたしかに日本がそうだったが、いまやその言葉がもっとも当てはまるのは中国ではないか。共産党一党独裁による全体主義、容赦の無い人権弾圧は、世界の知るところだ。

 習近平は「抗日戦争で、日本軍国主義のたくらみを徹底的に粉砕し、世界の大国の地位を確立した」とも演説した。

 軍事パレードでは、将兵約1万2000人が参加し、巡航ミサイルやアメリカ本土を射程におさめる新型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)も登場した。習近平は「中国は永遠に覇権を唱えず、拡張をしない」と強調したが、そのパレードはまさに、軍拡路線を象徴するものだった。

 軍事予算を急激に増やし、南シナ海の岩礁を大規模に埋め立てているのをみれば、中国こそ21世紀最大の軍国主義国家ではないか。

 式典の最大の狙いは、共産党の抗日戦争勝利への貢献を宣伝し共産党政権の正統性をアピールすることにある、とされた。しかし、これもどんでもない歴史の歪曲だ。

 9月3日は、敗戦国日本が、戦艦ミズーリ号上で降伏文書に署名した翌日に当たる。中国政府がこの日に記念行事を設定したのはもちろん意図的で、今年から9月3日を戦勝記念日にしたほどだ。

 だが、ミズーリ号上の署名式に列席した中国代表は、蒋介石の率いた国民党であり、毛沢東の共産党ではなかった。日本の終戦処理を最終的に決めたサンフランシスコ講和条約締結式に列席したのも国民党政権で、共産党ではなかった。

 その理由は簡単だ。日本軍と主に戦ったのは国民党軍であり、共産党軍は散発的に交戦しただけだった。毛沢東は、国民党軍を日本軍との戦闘で消耗させ、そのあと国民党軍との内戦に勝利して中華人民共和国を建国した。戦略的に“漁夫の利”を得たのだった。

 「抗日戦争勝利70周年記念行事」では、もうひとりの主役が一番注目を集めた。韓国の朴槿恵・大統領だ。政治的、軍事的に韓国は西側の一員であり、日米政府は、朴槿恵に北京へ行かないようかなり圧力をかけた。

 だが、「韓国はアメリカとは民主主義と市場経済を、中国とは歴史と文化を共有している」と、日米を振り切って記念行事に参加した。大統領出席は主に経済的な理由からだ、と日本のメディアは伝えていた。韓国にとって中国は最大の貿易相手国であり、その規模は対米、対日の合計よりも大きいからだ。

 しかし、もっと深い理由があるという。早稲田大学の重村智計教授は、WiLL2015年10月号で、日本のためには朴槿恵に北京での式典に参加してもらったほうがいい、と書いていた。その心はこうだ。「北朝鮮が、最大の価値観である正統性とメンツ、大義名分を失い、国家存亡の危機に立たされるからだ」と言うのだ。

 韓国と北朝鮮は、南北分断以来、「どちらが正統な国家か」との正統性論争と対立、競争をつづけてきた。北朝鮮は、「日本帝国主義と直接戦闘して勝利したのは金日成主席ただひとりだから、正統性はこっちにある」と主張してきた。韓国の指導者は誰も日本帝国主義と戦闘していないし勝利もしていないから正統性はない、という理屈だった。

 韓国も、ミズーリ号の甲板には呼ばれなかったし、サンフランシスコ講和条約締結式にも列席できなかった。そもそも、韓国は日本と戦争も戦闘もしたことはない。それなのに、「日本に侵略された」と国民は刷り込まれている。

 今回、朴槿恵が出席することで、金正恩・北朝鮮第1書記の訪中の目はなくなり、ナンバー3の崔竜海・朝鮮労働党書記が出席した。

 韓国の中央日報は、 9月4日、こう誇らしげに書いた。「朴槿恵大統領は中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領と並んで城楼最前列の真ん中に立ち、中国人民解放軍の大規模な軍事パレードを見守った。 韓国大統領が中国軍の閲兵式に参加したのは初めてだ。しかも61年前、その場の主人公は中国の毛沢東主席と北朝鮮の金日成主席だった。昨日、北朝鮮代表として参加した崔竜海労働党秘書の席は前列の一番端なのでよく見えることもなかった。韓中関係と朝中関係の現状を象徴的に見せる行事であった」

 これにより、一応、中国が北朝鮮の正統性を否定し、韓国の正統性を認めたことになったとの見方もできるだろう。

 中央日報は、高麗大アジア問題研究所のナム・グァンギュ教授の「北東アジアがついに脱冷戦の国際的な過程に入ったとみられる」という分析も伝えた。

 だが、かつての朝鮮戦争では、事実上、北朝鮮軍+中国軍VS.韓国軍+米軍で戦われた。北朝鮮が近いうちに暴発し朝鮮戦争パートⅡが起きる恐れがないとは言えない。そのとき、中国がどうするかは、まだわからない。

 一連の記念行事への出席のため訪中していた旧社会党の村山富市・元首相(91)は、体調不良を訴え現地で入院した。これが日本の“代表”というのが、何かを暗示している。

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よだれが出るタルタルステーキ――ポーランド

 生の牛肉に卵黄などを乗せた韓国料理「ユッケ」が、食べられなくなったのはいつだったか。ネット情報によると、2011年5月に『焼肉酒家えびす』で集団食中毒が発生し、10月1日から生食用牛肉の新しい衛生基準が施行された。これによって、「ユッケ」「牛刺し」「牛タタキ」などが食べられなくなった。

 腸管出血性大腸菌やサルモネラ菌などに感染する可能性があるから、というのが理由だそうだが、健康な大人ならまず大丈夫という説も根強い。日本は何でも官僚が牛耳る国で、万一食中毒が発生したら食品衛生当局の責任が問われそうだ、と禁止にしたのだ。

 お腹が減って怒りを覚えていたら、ポーランドの絶品タルタルステーキを思い出し、たまらない気持ちになった。このまま、ワルシャワへ飛んで前に行ったレストランへ飛び込もうか、と発狂しそうになった。

 ドイツのボンに駐在していたとき、ポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語地名アウシュビッツ)にある「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」へ、旧ソ連軍による解放50年の記念式典を取材に行った。最新の学説では、ドイツから移送されたユダヤ人約150万人がそこでガス室に送り込まれ虐殺されたといわれる。

 テーマから言って気の重い取材だった。首都ワルシャワから地方都市クラクフまで列車で行き、駅前で世界から集まった報道陣用の大型バスに乗り換えてアウシュビッツへ着いた。問題のガス室のすぐそばまで行って写真を撮った。「こんな狭いガス室で100万単位の人間を殺せるかなぁ」とは思った。だが、ヨーロッパではホロコーストを否定するような言説は法律違反なので、ひとり言にとどめた。

 帰りはその逆コースをたどり、バスでクラクフまでもどった。同行した英語のうまいワルシャワ支局の取材助手のおばさんが、「美味しいものを食べにいきませんか?」と誘ってくれた。

 そして注文したのがタルタルステーキだった。ヨーロッパで美食の国と言えばフランスだから、タルタルステーキもフランスが本場かと思っていた。しかし、助手のおばさんは、「何言ってるんですか。これはポーランド発祥の料理ですよ」と言う。

 彼女は、ぼくがドイツからやって来たのを知っているから、こんなことも言った。「ドイツに住んでるなんて、かわいそうですね。こっちなら美味しいものがたくさんあるのに」

 ぼくは、反論できなかった。ドイツで美味いものと言えば、街角の屋台で売っているソーセージの炭火焼きに一部のブランドのビール、小麦を原料とする白ビールなどに限られていた。そうそう、トルコ系移民が売る、グリルした羊肉と生野菜をパンにはさみピリ辛のドレッシングをかけたデーナー・ケバブも、ぼくたち家族のお気に入りだった。つまるところ、ドイツの高級レストランで出る食事は、たいていの場合、論評に値しない。

 さて、待ち焦がれたころ、タルタルステーキが登場した。まず、見た目が、う、美しい! ナイフで皿の端にあるアンチョビをちょっととり、ステーキにつけてフォークで食べる。適度な塩味と牛肉の旨味がからまって、ナイフ、フォークがとまらない。赤ワインで喉に流し込んだが、これなら白ワインでもいけるかもしれない。

 生の牛もも肉を粗めのミンチにし、ケッパー、みじん切りの玉ねぎとピクルス、ニンニク、ウスターソース、粒マスタード、オリーブオイル、コショウ、塩で味をつけるそうだ。卵黄を中央に乗せるときもある。ユッケはその韓国版だ。

 助手のおばさんは、勝ち誇ったような顔で食べている。そのとき、ロンドン支局駐在の同僚日本人カメラマンもいっしょだった。「これ、すごいね。こっちにいるあいだに、もう一回、食べたいね」。そんな会話を日本語で交わし、ワルシャワでもう一回食べた。

 そんな想い出をたどっていると、読売新聞日曜版に、歌人の佐佐木幸綱さんが「タルタルステーキの魅力」というエッセイを書いていた。文化庁文化交流使として、2012年、ドイツのケルンとフランスのリヨンに住まいを確保し、ポーランド、オランダ、スイスなどに足をのばしたという。

 「中でも忘れられないのはポーランド第2の都市クラクフ」。国立大学日本学科の学生が優秀で古文まで読めたのがまずひとつ。もうひとつが「クラクフのポーランド料理レストランで食べたタルタルステーキの美味さ」と書いている。

 「(店へ案内してくれた日本学科の)メイヤ教授によれば、ポーランドのタルタルステーキは、タタール人から直接伝授された本格派だという。七百年も昔、十三世紀にタタール人の国・モンゴルが、ポーランドに侵攻してきた。そのときにタルタルステーキも入ってきた」「タタール人は馬肉を食っていた。ポーランド人は馬を大切にしていたので食うにしのびず、牛を食うことにしたんです」

 フグの肝を命がけで食べさせろとは言わないが、ほんのわずかの中毒の可能性だけで、生肉の楽しみを奪ってしまう日本の官僚主義は、煮ても焼いても食えない(~_~;)。

 魚でも肉でも「生」が好きな日本で、なぜ、タルタルステーキが普及しなかったのだろうか。そうだ、自分で作っちゃおう。それなら、保健所も手が出せないだろう。

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