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よだれが出るタルタルステーキ――ポーランド

 生の牛肉に卵黄などを乗せた韓国料理「ユッケ」が、食べられなくなったのはいつだったか。ネット情報によると、2011年5月に『焼肉酒家えびす』で集団食中毒が発生し、10月1日から生食用牛肉の新しい衛生基準が施行された。これによって、「ユッケ」「牛刺し」「牛タタキ」などが食べられなくなった。

 腸管出血性大腸菌やサルモネラ菌などに感染する可能性があるから、というのが理由だそうだが、健康な大人ならまず大丈夫という説も根強い。日本は何でも官僚が牛耳る国で、万一食中毒が発生したら食品衛生当局の責任が問われそうだ、と禁止にしたのだ。

 お腹が減って怒りを覚えていたら、ポーランドの絶品タルタルステーキを思い出し、たまらない気持ちになった。このまま、ワルシャワへ飛んで前に行ったレストランへ飛び込もうか、と発狂しそうになった。

 ドイツのボンに駐在していたとき、ポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語地名アウシュビッツ)にある「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」へ、旧ソ連軍による解放50年の記念式典を取材に行った。最新の学説では、ドイツから移送されたユダヤ人約150万人がそこでガス室に送り込まれ虐殺されたといわれる。

 テーマから言って気の重い取材だった。首都ワルシャワから地方都市クラクフまで列車で行き、駅前で世界から集まった報道陣用の大型バスに乗り換えてアウシュビッツへ着いた。問題のガス室のすぐそばまで行って写真を撮った。「こんな狭いガス室で100万単位の人間を殺せるかなぁ」とは思った。だが、ヨーロッパではホロコーストを否定するような言説は法律違反なので、ひとり言にとどめた。

 帰りはその逆コースをたどり、バスでクラクフまでもどった。同行した英語のうまいワルシャワ支局の取材助手のおばさんが、「美味しいものを食べにいきませんか?」と誘ってくれた。

 そして注文したのがタルタルステーキだった。ヨーロッパで美食の国と言えばフランスだから、タルタルステーキもフランスが本場かと思っていた。しかし、助手のおばさんは、「何言ってるんですか。これはポーランド発祥の料理ですよ」と言う。

 彼女は、ぼくがドイツからやって来たのを知っているから、こんなことも言った。「ドイツに住んでるなんて、かわいそうですね。こっちなら美味しいものがたくさんあるのに」

 ぼくは、反論できなかった。ドイツで美味いものと言えば、街角の屋台で売っているソーセージの炭火焼きに一部のブランドのビール、小麦を原料とする白ビールなどに限られていた。そうそう、トルコ系移民が売る、グリルした羊肉と生野菜をパンにはさみピリ辛のドレッシングをかけたデーナー・ケバブも、ぼくたち家族のお気に入りだった。つまるところ、ドイツの高級レストランで出る食事は、たいていの場合、論評に値しない。

 さて、待ち焦がれたころ、タルタルステーキが登場した。まず、見た目が、う、美しい! ナイフで皿の端にあるアンチョビをちょっととり、ステーキにつけてフォークで食べる。適度な塩味と牛肉の旨味がからまって、ナイフ、フォークがとまらない。赤ワインで喉に流し込んだが、これなら白ワインでもいけるかもしれない。

 生の牛もも肉を粗めのミンチにし、ケッパー、みじん切りの玉ねぎとピクルス、ニンニク、ウスターソース、粒マスタード、オリーブオイル、コショウ、塩で味をつけるそうだ。卵黄を中央に乗せるときもある。ユッケはその韓国版だ。

 助手のおばさんは、勝ち誇ったような顔で食べている。そのとき、ロンドン支局駐在の同僚日本人カメラマンもいっしょだった。「これ、すごいね。こっちにいるあいだに、もう一回、食べたいね」。そんな会話を日本語で交わし、ワルシャワでもう一回食べた。

 そんな想い出をたどっていると、読売新聞日曜版に、歌人の佐佐木幸綱さんが「タルタルステーキの魅力」というエッセイを書いていた。文化庁文化交流使として、2012年、ドイツのケルンとフランスのリヨンに住まいを確保し、ポーランド、オランダ、スイスなどに足をのばしたという。

 「中でも忘れられないのはポーランド第2の都市クラクフ」。国立大学日本学科の学生が優秀で古文まで読めたのがまずひとつ。もうひとつが「クラクフのポーランド料理レストランで食べたタルタルステーキの美味さ」と書いている。

 「(店へ案内してくれた日本学科の)メイヤ教授によれば、ポーランドのタルタルステーキは、タタール人から直接伝授された本格派だという。七百年も昔、十三世紀にタタール人の国・モンゴルが、ポーランドに侵攻してきた。そのときにタルタルステーキも入ってきた」「タタール人は馬肉を食っていた。ポーランド人は馬を大切にしていたので食うにしのびず、牛を食うことにしたんです」

 フグの肝を命がけで食べさせろとは言わないが、ほんのわずかの中毒の可能性だけで、生肉の楽しみを奪ってしまう日本の官僚主義は、煮ても焼いても食えない(~_~;)。

 魚でも肉でも「生」が好きな日本で、なぜ、タルタルステーキが普及しなかったのだろうか。そうだ、自分で作っちゃおう。それなら、保健所も手が出せないだろう。

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