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2015年10月

TPPにビビるより頭を使おう

 中秋の名月を見て数日後の朝だった。家の前のほうから、聞いたことのない大きな機械音がする。ちょっとうるさいなぁとは思ったが、そのまま新聞を読んでいた。すると、かみさんがやって来て「ものすごいスピードで稲刈りをやってるよ」と言う。

 庭先へ出てびっくりした。トラックの後部に回転式のカッターを付けたような重機が、時速15キロくらいの速さで田んぼを走り回っている。みるみるうちに稲が切り取られ、一列に倒れていく。1㌶の田んぼが刈り取られるのに10~15分しかかからなかった。農業を70年以上やっている隣のおじいちゃんも、呆然とその様子を見ていた。

 稲刈り機が導入されて久しいが、こんな大型で速い重機が近所に投入されるとは。刈られた稲は、別の重機で巨大なロールにされ、トラックに積まれてどこかへ走り去った。

 この田んぼの稲のあいだからは雑草がびんびんはえていて、かみさんと前から「何で田の草取りをしないんだろうね」と話していた。ぼくらが知る稲作りは、春に田植えをして、夏になると田の草取りをし、秋に刈り取る伝統的なものだ。くだんの田んぼの草がそのままだったのは、食用の稲ではなく家畜用のもので、トラックがロールを運んだ先はある牧場だとあとで知った。

 また、あるときは、かみさんが「小型無人ヘリコプターで農薬のようなものを散布していたわ」と話していた。後日、ぼくもウォーキングの途中、その現場を見た。出雲でも農業は進んでいるなぁと感心したものだ。トラック型稲刈り機や無人ヘリ散布が可能になったのは、たぶん、わが家の周辺でも大規模な土地改良(農地整備)が行われたためと思われる。農地が集約され、ずいぶん大きな田んぼがふつうになった。

 2015年10月5日、日米など12か国は、5年以上かけて行われたTPP交渉で大筋合意した。JAをはじめ農業関係者は「日本の農業が壊滅の瀬戸際に立たされる」と大反対してきた。出雲平野の真ん中にあるJA直営グリーンセンターのフェンスには、「TPP交渉参加 断固反対!」という古い横断幕がいまも張られたままだ。でも、TPPが実現すれば、関税が撤廃されたり大幅に引き下げられたりして、消費者や輸出企業などへの恩恵は計り知れない。大筋合意後の世論調査でも、国民の約6割は賛成している。

 たとえば、ブドウの関税は協定発効とともに即時撤廃される。わが家がインドに暮らしてファンになった輸入物「トンプソン」なども、値段がうんと安くなるだろう。そのいっぽうで、島根県内の園芸作物で最大規模を誇る特産「しまねブドウ」は、大ピンチとなる。となれば、それを乗り越えるための知恵をいっそう絞るしかない。

 そう言えば、ヨーロッパにはたしか柿というフルーツはなく、日本の柿が高級ブランドとして売られていた記憶がある。二十世紀梨もドイツのスーパーで見た。値段は日本で買うより相当高かったが、それでもマル金(言葉が古い!)の人が買うのだろう。

 日本政府は、TPP発効を念頭に、国産ブドウやイチゴなどをアジアの富裕層に売るため高級ブランド化の政策を練っている。すでに国産リンゴは「甘くて品質が高く、見た目もきれいだ」と、台湾などで贈答用としての人気が高いという。しまねブドウなどもそれにつづくしかない。

 政府は、零細農家が「農地集積バンク」を介して大規模農家や農業生産法人に農地を貸し出すときの「協力金(賃料)」を増額することも検討している。うちの近所の人もそうだが、農家は一般に、先祖代々守ってきた土地を人に売ったり貸し出したりすることに抵抗がある。といって、農業の後継者はどこの家でもほとんどなく、お年寄りが細々と米や野菜を作っているのが現状だ。

 わが家の一帯は、農地整備によって田んぼが集約されただけでなく、あちこちに散在していた畑地もまとめられた。家の真ん前にも大きな畑地が誕生したのだが、活用している家はほとんどない。区画された畑地の半分くらいは放置され、ヨモギなどの雑草が1メートル以上伸び放題になっている。別の家は夏草が茂ると草刈り機で刈ったり除草剤をまいたりするだけで、畑地をもてあましている。野菜を作っている家は1件もない有り様だ。

 そのなかで、うちのかみさんは孤軍奮闘している。何しろわが家の区画は約120坪もあるから全部を手作業で耕すのは不可能で、一部で鍬を打ち、いまは春菊や白菜、大根などを育てている。でも、野菜を作るより大変なのは、夏草刈りのほうだ。刈っても刈ってもすぐに生えて伸びてくる。それをかみさんが鎌で刈り、くよし(たき火)をして燃やすのは主にぼくの仕事となっている。だから、農業の衰退は肌身で感じる。

 山陰中央新報に、ちょっと痛快な話が出ていた。小型無人ヘリで農薬を空中散布するのは10年前から行われているが、ヘリは1200万円以上もする。そこで100~250万円で買えるドローンを導入して散布する試みが、すでにはじまっているのだそうだ。人海戦術で散布する昔ながらの方法だと、一度に4人程度は必要で1日に4~6㌶が限界だった。それが、ドローンなら1㌶を10分で済むという。

 また、農業支援事業を手がける出雲市の「農援隊」は、通常の5倍以上の高値で売れる高糖度トマトなどをハウス栽培する新技術を開発した。設備投資や運営コストは水耕栽培と比べ2~4割も安いという。

 出雲人もやるではないか。TPPにビビるより頭を使おう。

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「出雲鹿」は地域ブランドとなるか

 出雲へUターンして満2年を超えた。したがって、ブログも出雲発で2年になる。毎週木曜日、原稿用紙にしてちょうど6枚分のエッセイを書くのは、正直、きついこともある。それでも、継続は力なりで、「読んでますよぉ。これからも、どんどん出雲のPRをしてください」と言われたこともある。出雲人は一般にアピールが苦手だ。

 そういう読者のひとりから、メールが届いた。「出雲鹿グルメフェア」を松江、出雲市などの料理店で2015年10月15日から開くので、ぜひ、ブログで全国発信して欲しいというのだ。島根県の美味しい食材を発掘している料理店主らのグループ「しまね地産品発掘協議会」が主催する。

 メールには主な協賛店のリストがあり、そのうち、まだ行ったことのない中華料理店「出雲翠苑」へ出かけた。電話で予約をするとき、新聞に載っていた「出雲鹿の甘酢唐辛子炒め」を出してくれるよう頼んだ。

 カーナビに店の電話番号を入力してから出かけたので、道に迷うことはなかったが、走ったことのない方面だった。市役所を起点にすると北西の街外れになるだろうか。

 店はどちらかと言えば家庭的な雰囲気で、こぢんまりとしている。本日のお勧めメニューをみていたら、外食をするときはいつも運転手役のかみさんが、「押し出し豆腐と香菜(コリアンダー)のサラダ¥400っていうのがあるわよ」と指を差す。

 香菜、つまりタイ語で言うパクチー狂のわが夫婦にとっては、「出雲にもパクチーを食べられる店があったのか!」と感動ものだ。スターターは別のものを考えていたが、このサラダをはずすわけにはいかない。それと、海老入り蒸し春巻き3本¥450を前菜にすることにした。メインは、北山産鹿肉の甘酢唐辛子炒め¥1200にした。それと紹興酒やお茶を頼んだ。

 若い女性店員が運んできた、押し出し豆腐と香菜のサラダをみて、一瞬、ケーキのモンブランかと思った。固めの豆腐をところてんのように押し出してヌードル状にし、それに塩ベースで軽く味をつけたものにパクチーが乗っている。やや薄味だが、押し出し豆腐の食感、パクチー独特の臭味ともなかなかいける。

 店員さんが紹興酒を持ってきたとき「この香菜はどうやって手に入れてるんですか?」と思わず聞いた。「ちょっとシェフに聞いてきます」と言って教えてくれたところによると、今岡さんというかたが個人で栽培しているのを買っているという。出雲の農家がパクチーを作っているとは意外だし、初耳だった。

 海老入り蒸し春巻きは、よくシンガポールの飲茶(やむちゃ)店で食べたのを思い出す味だった。かみさんも、すごく気に入ったようすだ。

 そして、北山産鹿肉の甘酢唐辛子炒めが出てきた。店員さんは「この大きな唐辛子も食べられますよ」と言った。それならとまず食べてみると、四川の唐辛子で、油でさっと揚げてあって香ばしい。激辛の四川料理にある大きい唐辛子をみてビビる日本人がいるが、風味を出すために使われるもので、そう辛くはない。

 さて、注目の鹿肉を頬ばると、上手に下味がつけてあり、実に美味しくしかも柔らかい。鹿肉を食べたのは南信州・伊那と、東京・本郷の東大赤門近くにあるジビエ料理店の2回だけだが、いずれも、わざわざ食べるほどのものでもない、と思った記憶がある。この北山産はいける。ニンニクの芽、シメジ、ピーナツとからめてあり、酢豚とおなじように作った「酢鹿」だった。これなら、じゅうぶん看板料理になりそうだ。

 店員さんに、その部位を聞いてきてもらうと、モモ肉を使っているという。出雲のある友人は「猪の肉をもらったら家で食べて、鹿肉をもらったらたらい回しにする」と言っていた。それだけ鹿は旨くないということなのだろうが、一流の料理人にかかれば、これほどの一品になる。

 出雲で北山は、島根半島の西端あたりの山のことを言う。読売新聞によると、1980年代からニホンジカの農林被害が深刻になった。木の芽を食べる。県全体の約85%に当たる2962頭が北山にいるとみられ、昨年の被害も県総額の86%に上った。県は2000年度に北山山地で捕獲に乗り出し頭数はかなり減ってきた。捕獲したシカは、これまで土中に埋めるなどしていたが、それを再活用する機運がやっと高まってきたわけだ。

 シカは出雲市猟友会などが捕獲し、佐田町の狩猟者らで作る山渓会が処理するという。シカ狩りは大変な仕事だが、報奨金が出ることもあって何とか頑張っている人たちがいるのだそうだ。

 出雲翠苑では、かみさんのリクエストで広島産牡蠣と鱈のトウチソース炒め¥800やサンラー麺¥800も頼んだ。デザートの杏仁豆腐は、過去最高レベルの出来映えに思えた。

 飲食代は税込み¥5800と安い。会計のとき、シェフの吾郷克己さん(61)と話をした。どこで料理修業をしたか聞くと、地元の店で働き、20年ほど前に独立したのだという。それでこの味とは。「出雲にUターンして来たんですが、こっちでこれほど本格的な中華を食べられるとは、思っていませんでした」と言うと「そりゃ、うれしいねぇ」

 ただ、メニューにも店内の掲示にも、肝心の「出雲鹿」という言葉は使われていない。その辺り、PR精神がイマイチの出雲たるゆえんか。ブランド名は統一しよう。

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国際政治に翻弄されるアジアのサッカー

 サッカーW杯アジア2次予選をテレビ観戦していて、今回ほど国際政治の非情さを痛感させられることはない。アジア・サッカーの底上げを狙って、W杯ロシア大会予選から日本など強豪国も弱小国と対戦しなければならなくなった。われらが日本代表ハリルJAPANは、2015年9月8日、アフガニスタンと戦った。その際には、アフガン難民の行く末に思いをはせ、10月8日の対シリア戦では、内戦でめちゃくちゃになっているかの国のことを思った。

 いったい、シリアではいま何が起こっているのか。改めて調べてみた。サッカー・ジャーナリスト宇都宮徹壱氏は、ざっと次のような解説をしている。2010年末に北アフリカのチュニジアからはじまった「アラブの春」は、その後エジプト、リビア、そして中東のシリアへと飛び火した。だが、シリアでは収束の糸口がまったく見えないまま内戦が泥沼化した。人口の半分が住む家を失い、2割が国外脱出を余儀なくされている。彼らが、いまヨーロッパを揺るがしている難民の多くを占める。

 THE PAGEの黒井文太郎氏の記事によると、シリア難民の総数は約400万人にのぼる。トルコに約190万人、レバノンに約120万人、ヨルダンに約60万人などとなっている。また、国外に逃れた難民のほか、戦火で家を追われながらも、経済的理由などで国内に留まっている避難民が約760万人に達するとみられている。これら難民・避難民を合わせると1100万人を超す。

 国連や援助機関のケアが間に合わず、彼らの生活環境は劣悪と伝えられる。食料や水が不足しているだけでなく、冬を前に防寒着などもままならない。

 シリアでは、アサド政権の政府軍と反政府側の諸派、それにイスラム過激派「イスラム国」が入り乱れて交戦している。日本のメディアは日本人の殺害などイスラム国の残虐さを強調するが、難民・避難民の多くは政府軍による無差別攻撃から逃げた人びとだとされる。

 詳細に現地情報を収集しているイギリスの民間機関『シリア人権監視団』によれば、今年8月だけで犠牲者の総数は4830人にのぼり、うち1205人が民間人だった。民間人の犠牲者中、アサド政権に殺害された人が965人を占め、イスラム国をふくむ諸勢力の砲撃での犠牲者は162人、イスラム国に処刑されたのは32人にとどまった。複雑な内戦のなかでよくもそれだけ正確な数字があげられるものだとは思うが、いずれにせよ、シリアはすでに国の体をなしていないことだけはわかる。

 ハリルJAPANを応援しながら、あのシリア選手たちはどうやって集められ、どこでどう練習をしているのだろう、という疑問を抱いた。また、チームの遠征費用は誰が出しているのだろう、と。

 宇都宮氏は、こう書いている。「このシリア代表が、すべての国民の代表であるかというと、そうとも言い切れない。FIFA(国際サッカー連盟)のサイトを見ると分かるが、実はシリアではアサド政権の支配下で国内リーグが行われており、そこでプレーする選手を中心に代表選手が選ばれている。つまり(個々の選手の心情はともかく)彼らは政府公認のナショナルチームであり、当然ながらこれを認めないシリア人も少なくない」

 日本VS.シリアの試合は、第3国オマーンの首都マスカットで行われた。中立地やアウェーで行われるシリア代表の試合では、反体制派のシリア人がスタンドで自らの存在をアピールする騒動もたびたび起こっているそうだ。だが、日本戦ではそういう光景はみられなかった。

 アメリカを中心とするいわゆる有志連合は、イスラム国に対して空爆を継続しているが、非情にも政府軍による空爆は完全に傍観しているという。すでに国連安保理決議で「樽爆弾」の住居エリアへの投下は禁じられているものの、政府軍がそれを破っても放置されている。一般住民を空爆から守るには、飛行禁止措置をとることが必要で、トルコやフランスはその案に言及している。しかし、肝心のオバマ米大統領にその気配はないため、難民の発生は止まらないのが現実だ。

 そんななか、9月30日、ロシア軍が空爆をはじめた。ロシアは地中海に臨むシリアを地政学上の理由から重要視しており、アサド政権と事実上の同盟関係にある。そのため、イスラム国よりむしろ反政府軍の拠点に大々的に空爆をつづけている。政府軍の無差別空爆を止めるどころか、アサド政府軍と同様、民間施設も標的にしているとされる。

 ジャーナリストの田中宇氏は、こう予測している。「おそらく今後半年以内に、シリアとイラクは、ISIS(イスラム国)やアルカイダのテロ組織がほとんど掃討され、ロシアとイランの傘下でかなり安定した状態が始まる。ロシアは今後ずっと、中東で大きな影響力を持つだろう。その分、米国(や英仏)の中東における支配力が大幅に低下する」

 ロシア軍がシリア内戦にからんだため、有志連合が飛行禁止措置をとることなどが非常に困難になった、との指摘もある。アメリカもさすがにロシア軍と交戦する危険は冒せないからだ。米ロが戦火を交えることになれば、地域紛争ではすまなくなる。

 仮に戦火が少しおさまったとしても、シリアに平和がくる見通しは立たず、難民は帰還できそうにない。本当は、サッカーどころではないのだ。

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奈良・大和の地でみる出雲の存在感

 大和(天孫)族は、出雲族を撃ち破り、大国主命に「国譲り」をさせて大和王朝を打ち立てた。その神話というか、いまの天皇家を戴く国の成り立ちの話は、あまりにも有名だ。

 では、いまの島根県東部の出雲地方を大和族が攻め、いまの奈良県辺りを大和朝廷の本拠地としたということでいいのだろうか。だが、その前、つまりのちの神武天皇が、九州から東征し大和の地を攻めるころの大和はどうだったか、という疑問が残る。

 秋晴れのある日、かみさんの運転する愛車で出雲を出発した。4時間半で奈良市の友人宅についた。意外に近い。そこで1泊し、翌朝、桜井市に向かった。ここには出雲という地名があると聞いていた。

 カーナビに、あるコンビニの桜井出雲店の電話番号を入力して走ると、1時間余りで着いた。大和川が静かに流れる山あいの地だ。かつて一帯は出雲村だったという。

 村の鎮守「十二柱神社」を探すと、民家のあいだに参道がありすぐにみつかった。十二柱の神々を祀っていることからこの名がついたそうだ。ある研究者によると、十二、十二山など十二を冠する神社は全国に600余りある。桜井市出雲の十二柱神社の祭神は、すぐに出雲系とわかる名前ではないが、その入り口にある狛犬の台座がとてもユニークだ。

 4人の相撲取りが狛犬を支えている。阿形、吽形ともそうだ。この地は、相撲の起源とされる野見宿禰(のみのすくね)が出雲の国からやって来て、埴輪作りをはじめた場所とされる。古代では天皇が崩御すると人びとが殉死するのが常だった。だが、野見宿禰は人身御供の代わりに埴輪を作らせて陵に埋めることを提案し、以後、それが実践されたと伝えられる。その古代からの伝統が再現されたのか、十二柱神社の近くには、こんなポスターが張ってあった。「出雲人形の里 野見宿禰とつながる土人形」

 この旧出雲村は、三輪山の東の麓に位置する。十二柱神社背後の山の尾根近くには出雲集落の故地とされるダンノダイラがあり、古代信仰の対象だった巨石の磐座(いわくら)があるのだそうだ。

 大和族が攻め込むよりずっと前から、この地に出雲族が暮らしていたのはまちがいない。神社の脇には「出雲農村集落センター」があるなど、いまも出雲族の末裔が住んでいる。島根の出雲からやって来た身には、ある種の感動を覚える場所だった。

 次に、三輪山の西南に位置する大神(おおみわ)神社を訪ねた。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させるために「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとされる。『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとある。

 まさに、この三輪山一帯こそ遠い出雲の存在感を示す土地に他ならないのだ。大神神社のご神体は三輪山そのもので、本殿はない。神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様をいまに伝えており、日本最古の神社とされる。そのご神体の聖域との境界に、国の重要文化財「三ツ鳥居」というユニークな形の鳥居があると聞いていた。拝殿の裏手にあるのだそうだが、ふつうに参拝してもそれをみることはできない。

 そこで、社務所「参集殿」に頼んで神主さんに案内してもらうことにした。靴を脱ぎ、社務所から廊下を通って拝殿に上がる。そこでまずかみさんとお祓いを受けてから、拝殿の横の回廊を行くと、三輪山の聖域と一線を画す朱に塗られた三ツ鳥居が立っていた。

 社務所の応接室で、神主さんは幸魂・奇魂の話をしてくれた。境内にある狭井(さい)神社には、大国主命の荒魂(あらみたま)が祀られているという。ぼくは、島根の出雲から来たことを話し、「こちらの大神神社と出雲大社は交流があるんですか?」と聞いてみた。大神神社の例祭には出雲大社の千家宮司が必ず来るし、出雲大社の例祭には大神神社の宮司が行くのだという。ふたつの由緒ある神社は、いまでも密接な関係にあるのだ。

 参拝する前に両手と口を清める手水舎の手前には、夫婦岩がある。これも磐座だが、思いのほか小さめで、ふたつの岩が寄り添うように並んでいる。夫婦和合・円満の霊験があるとされる。ぼくとかみさんは、お賽銭をあげ丁寧に拝んだ。

 さらに、狭井神社へ向う脇道沿いにはその名も磐座神社というのがあった。ここの磐座は石と呼んだほうがふさわしい小さなものだが、大国主命と共に国造りに励んだ小びとの神さま、少名彦名(すくなひこな)が祀られている。

 三ツ鳥居を案内してくれた神主さんによると、少名彦名が亡くなり途方に暮れていた大国主命に向い、日本海から光る玉がやって来て、「三輪山に汝の幸魂・奇魂を祀れば、それが国造りを助けてくれる」と伝えたという。その光る玉に向って両手を掲げる大国主命の銅像は、出雲大社の境内にある。光る玉はUFOではないかという人もいる。

 大神神社の近くには、卑弥呼の墓として有力視されている箸墓古墳がある。卑弥呼は出雲系だったとの説もある。古墳は想像以上に大きく、桜井市の観光看板には、ちゃっかり「卑弥呼の里」という先走った文字が躍っていた。

 全盛期の古代出雲王朝勢力は近畿・北陸・九州に広がり、その末裔は関東、東北にまで散って行ったらしい。古代出雲王朝を追うぼくの旅はつづく。

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民衆の夢を裏切ったフォルクスワーゲン

 ドイツの自動車大手フォルクスワーゲン(VW)社の排ガス不正問題はひどい。そんなことが許されるわけがない。

 このニュースを聞いて、過ぎ去った日の、ある感動したエピソードを思い出した。ベルリン特派員をしていたころの話だ。読売新聞大阪本社から、珍しくファクスが直接届いた。「ノーベル化学賞の候補になっている京大名誉教授が、発表当日はワイマールのホテルに滞在するので張りついていて欲しい」という内容だった。

 その先生の名前は失念したが、ファクスには研究内容の説明や経歴の資料があった。ホテルの名前も書いてあったから、すぐにぼくも予約を入れ、発表前日、列車でワイマールへ向った。当日、チェックインした先生に話をうかがうと、隣国オーストリアでの学会に参加したあと、旧東ドイツの都市ワイマールへ来たのだという。奥さんもいっしょだった。

 「わたしが受賞することは、万にひとつもないでしょう」とは言いながら、取材には快く応じてくれた。なぜか日本の他のメディアは来ておらず、AP通信の若いドイツ人男性カメラマンがひとり姿を見せた。

 賞の発表までには、まだかなり時間があったから、ぼくは夫妻を街に案内し、いっしょに昼食もとった。文豪ゲーテが政治家としても活躍した地で、文化施設にはこと欠かない。一流の研究者はさすがだな、と思わせる話をたくさん聞くことができた。野球でも研究でも三振を恐れずホームランを狙え、というのもそのひとつだ。

 結局、先生は受賞できなかった。そのあと、カメラマンが「時間があれば、ぼくのオフィスに遊びに来ない?」と言ってくれた。ドイツ人にそんなお誘いを受けるのは、珍しいことだった。帰りの列車まで時間があり、彼の車でAP通信ワイマール支局へ行った。

 支局には年配の男性記者もいた。カメラマンは「ちょっと待ってて」と、近所の店から地元名物というクッキーを買ってきて、コーヒーを煎れてくれ、4人で談笑した。旧東ドイツの地方は方言がきつくて、ぼくのドイツ語能力では手に余ることがよくあった。でも、ふたりは標準ドイツ語をゆっくり目に話してくれたので、じゅうぶんコミュニケーションがとれた。

 カメラマンが「どんな車に乗っているんですか?」と聞くので、「メルセデス・ベンツです」と答えたら、「さすがにね」と言った。そして、彼はこういった。「西の市民の憧れはやっぱりメルセデスです。東は経済力がまだ足りないから、憧れはフォルクスワーゲンなんですよ」

 そろそろおいとまする時間になると、彼は残ったクッキーを袋に入れて「これ、列車のなかで食べてください」と、駅まで送ってくれた。

 東西ドイツが再統一されたあと、それぞれの市民のあいだは何となくぎくしゃくしていた。西は東のひとを「二級市民」あつかいすることもあった。でも、東には、西が経済発展で失ってしまった何か大切なものが、まだ残っている。西が合理的、ビジネスライクなのに対し、東にはまだ人情がたくさんある。ぼくは、先生夫妻とカメラマンにもらったとても温かいものを感じながら、ベルリンへ帰った。

 アメリカで発覚したVW社の排ガス不正問題は、世界に広がっている。アメリカでは刑事事件に発展しそうで、車を買った顧客たちが、集団訴訟を起こす準備をはじめたとも伝えられる。

 VW社は、米環境保護局(EPA)が排ガスのテストを行うときだけ、それを検知して排ガスを低下させる違法ソフトウェアを搭載していた。実際に顧客が運転するときにはその機能を停止させるため、窒素酸化物(NOx)を基準の最大40倍も排出するという。このソフトが埋め込んであるのは、2009年から15年までにアメリカで販売されたゴルフなど48万2000台のディーゼル車だ。ヨーロッパでも、同様の不正があったと調べが開始された。VWは、問題に関わる車両が全世界で約1100万台に上ると発表している。

 トヨタを抜いて世界一の車メーカーになろうとしていた巨大企業が、人体をふくむ自然の保護より金儲けを優先していたわけだ。今回の不正は、単なる数値の粉飾とはちがい、環境やひとの健康に害を及ぼすことを承知の上での犯罪だと見なされる可能性が大きい。ドイツ当局も、詐欺罪の適用を考えている。ドイツは、世界が認める名車の国で、国民はそれを誇りにしていた。それだけに、VWスキャンダルはショックだろう。

 とはいえ、ぼくに言わせれば、ドイツが国際社会に向ってアピールする「環境保護大国」というイメージは、もともとかなりマユツバだ。たとえば、ドイツ名物の高速道路「アウトバーン」は、原則としてスピード制限がない。こっちが時速190キロで飛ばしていても、あっという間に追い越される。高速で走行すれば、それだけ有害物質も多く排出するから、環境政党・緑の党は、ずっと前から、スピード制限をするよう選挙公約で訴えてきた。

 だが、世界一スピード狂のドイツ人は、それを受け入れない。それでいて、「森林の枯死」をどうするかとか騒いでいるのだから、お話にならない。

 フォルクスワーゲンは「民衆の車」という意味だ。ワイマールのカメラマン君の夢をぶち壊したVWの組織的不正は、ぼくも個人的に許せない。

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