人命には軽重があるらしい
パリの同時多発テロは、国際社会を変な方向に向かわせているのではないか。ローマ教皇はテロを「第3次世界大戦の一部だ」と言い、英国のキャメロン首相は「イスラム国(IS)」をヒトラーやナチに例える発言をした。いくらなんでも、それは安易で極端な言い回しだろう。欧米のメディアは発生から2週間近く経ったいまも、洪水のように事件関連の報道をしている。どうやら、集団ヒステリー現象にみえる。
2015年1月に、パリの風刺週刊紙「シャルリーエブド」が襲撃されたとき、フランス国民は集団ヒステリーをみせていたが、今回はそれが欧米社会にまで広がり、欧米が主流をなす世界のメディアを席巻している。
なぜ、メディアは、パリのテロをそこまで大々的に報道するのだろうか。その陰で、まったく無視されたテロ事件もあるというのに。それは、日本のメディアもおなじだ。というか、わが国のジャーナリズムは、いまにはじまったことではないが、無意識のうちに欧米の目で世界の事象をみてしまっている。
パリ事件の前日に当たる2015年11月12日、中東レバノンの首都ベイルートで連続自爆テロが起き、40人以上が死亡した。イスラム国の犯行とされる。しかし、それについて日本をふくめ各国のメディアがどれほど報じただろうか。
時事通信によると、クウェートの新聞アルライは「レバノンの人々は、世界にとってレバノンの犠牲者はパリと同等でなく、忘れ去られたと感じている」と伝えた。
エジプトのアルワタン紙も「アラブ諸国では毎日人々が死傷しているのに、なぜフランスばかりなのか」といったフェイスブック投稿者の違和感を伝えるコメントを掲載した。町の喫茶店では「世界は二重基準だ」と不満の声が聞かれたことにも触れ、「強い国は注目され、弱い国は(強い国より)悲惨な事件が起きても目を向けられないものだ」と語る大学教授の見解を紹介した。
だが、世界のメディアにみるこうした反応の差は、強い国、弱い国の問題ではないだろう。白人、欧米中心の世界観が国際社会で当たり前になっており、欧米のこととなると俄然注目するためだと思われる。
ぼくが新聞社の外報部(現・国際部)で記者をしているころのことだった。海外特派員がピッチャーとして送ってくる原稿を、キャッチャーとして受け取るのが主任務だった。同時に、外電をこまかくチェックし、特派員に関連情報を流すことも重要な仕事だった。
もう一つ、特派員も送って来ず共同通信も配信して来ないが、日本からみて比較的重要な外電のニュースを独自に翻訳し、デスクに提稿して紙面に載せる仕事もあった。
あるとき、バングラデシュでフェリー転覆事故があり1000人以上が溺死したという外電が流れてきた。これは大変な事故だと思ったが、特派員も共同通信も送っては来ない。だから、自分で外電を翻訳してデスクに提稿した。だが、そのニュースは1行も載らなかった。原稿を紙面に載せるかどうかは整理部(現・編成部)の担当であり、そこの判断でボツになったのだ。
その日の1面には、アメリカの列車事故で数十人が死亡した記事が載っていた。新聞社の内部で、何かとんでもないことが起きているような気がしてならなかった。不条理というか、病的な何かを感じた。
それからしばらくして、またもバングラデシュでフェリー事故があり、今度は約2000人が亡くなったという。それも翻訳したが、隣の席にいた先輩が「それでも、載らないかもしれないよ」という。じゃ、整理部が食いつきそうな情報として「川に投げ出された乗客のなかには、鮫に襲われた人もいた」という一文を加えた。すると、「バングラのフェリー事故で死者2千人 乗客サメに食われる」という見出しで小さく載った。
ぼくはのちにニューデリー特派員となり、バングラデシュにも3、4度取材に入った。アジア最貧国とされ、首都ダッカにも高いビルなどほとんどないが、とにかく人間がたくさんいた。国土はデルタ地帯にあり、川がたくさんあってフェリーが重要な公共交通となっていた。
日本のように厳格な安全基準はどうやらないようで、乗客を詰めるだけ詰めて運んでいた。だから、何かの拍子に重心が傾いたりすれば、あっけなく転覆してしまう。そのために、1000人単位の人が溺れてしまう事故が起きるのだった。
現地で人命が軽視されているのも否定しがたいが、といって1000人、2000人の人が亡くなった事故を無視していいものだろうか。ある先輩は、「日本のメディアにとっては、事実として人命の軽重順位がある」と話し、第1が日本人、第2が欧米の特に白人、第3が近隣国の国民、そして第4がその他の有色人種とした。明治の「脱亜入欧」メンタリティーはいまもまったく変わっていないということなのだろう。
パリのテロ事件を受けて、フェイスブックでは、自分のプロフィール写真上にフランス国旗を映し出す機能が搭載され、世界中で多くの人がこれを利用した。そのなかでエジプトの著名俳優アデル・イマム氏は「フランスよりレバノンの方が(エジプトに)近い。だから私は連帯を表明する」と述べ、自らの写真にレバノン旗を重ねたそうだ。
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