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2015年12月

2016年は、時代が動くすごい年になるかもしれない

 「新聞テレビが報じないネタ」というのが、日本の週刊誌の生命線となっている。言うならば、情報のすき間産業だ。しかし、まれには新聞テレビに先んじて、週刊誌だからこその記事を載せることもある。

 週間ポスト2015年12月18日号がまさにそれだった。<[衝撃シミュレーション]このままでは「自民一党独裁」だ 来年7月「衆参ダブル選」安倍&橋下圧勝で憲法改正へ!>

 ぼくはかなり前から、安倍さんはダブル選に踏み切ると読んでいた。ある知り合いのジャーナリストは「なんで安保関連法制の成立をあんなに急ぐんだろう」といぶかっていた。その理由は、来年7月にダブル選を敢行して憲法改正への態勢を整えるためだろう、とぼくはみていた。消費税を再増税して景気が下降し内閣支持率がさがってからでは、衆院の解散はできない。憲法改正を実現するためには、どう考えてもダブル選しかないだろう。

 政界でもそう読んでいる人は少なくないはずだ。憲法の規定や政治日程で、Xデーは7月10日となる。それはわかっていても、いまの時点で具体的な理由を列挙し「7月10日ダブル選説」を全面に打ち出して記事化できるのは週刊誌しかない、とも言える。

 衆参ダブル選が実現すれば、憲政史上3回目となる。日本共産党の志位和夫委員長は「国民連合政府」構想による野党の選挙協力を呼びかけている。週間ポストはこう書く。<官邸は10月の内閣改造直後から「衆参同日選」に持ち込んで有権者に「安倍政権か」「共産党を含む野党連合政権か」と政権選択を問いかけ、一気に選挙戦を有利に運ぶ逆転戦略を練っていた>

 <その決断に大きな影響を与えたとされるのが、大阪知事選と市長選のダブル選(11月22日)の情勢だった>。選挙1週間前、トルコにいた首相には「おおさか維新」が圧勝するとの見通しが伝えられていたという。橋下徹大阪市長は<野党の選挙共闘には同調しないからおおさか維新の存在は野党連合への強烈な牽制になるし、大阪でこれだけ圧勝したのだから国政でも一定の勢力を得て、選挙後は安倍政権と連携するという予測が立つ>

 橋下氏は衆院選に出馬する可能性が高く、<自民党内で衆参同日選論が急浮上したのは大阪ダブル選の直後>だったという。出雲にいるぼくだって、橋下さんたちが大阪で圧勝すれば衆参ダブル選は必至とみていたのだから、永田町でその線が固まったのはもっともと言える。

 安倍さんは、11月28日の改憲派による議員連盟「創生日本」の会合で「憲法改正をはじめ、占領時代につくられたさまざまな仕組みを変えていくことが(自民党の)立党の原点だ」と改めて強調し、憲法改正への意欲を語ったという。

 そして、週間ポストは<安倍首相が「増税再延期」を掲げて同日選を打てば圧勝するのは間違いないでしょう>というある識者のコメントを載せている。消費税軽減税率の範囲をどこまでにするかがメディアの注目を集めたが、安倍さんが増税を再延期してダブル選に臨むことはじゅうぶん考えられる。

 そこまでは読めたが、もうひとつは、週間ポストの記事に教えられた。安倍首相は経団連の要求に応じて、法人税減税を予定から前倒しして来年度から20%台に引き下げることを決めた。それによって財界は4000億円以上の減税上乗せになるといい、それがダブル選の軍資金に直結するのだという。

 自民党とおおさか維新との連携についても、週間ポストは興味深いアイデアを書いている。ドイツのキリスト教民主同盟(CDU)は、保守のほぼ全国政党だが、ミュンヘンを州都とする南部のバイエルン州だけは、より保守色の強いキリスト教社会同盟(CSU)だけが地盤としている。そして、連邦レベルではこの両党が常に一体となってきた。

 これを自民党とおおさか維新でやるというのだ。<ドイツの姉妹政党制のように、選挙後に統一会派を組むことを前提に大阪は地域政党のおおさか維新にまかせ、自民党は候補者を立てない考え方もある。そうすれば衆院選は大阪の19選挙区のうち、公明党の4議席を除く15選挙区をおおさか維新が独占する可能性が高い>。近畿ブロックの比例代表も合わせ、おおさか維新は25議席前後の議席を得る可能性があるという。

 この案は、実現するのではないか。これをやられたら民主党など他の野党はたまらないはずだ。そして、橋下さんを「副首相兼総務相」として入閣させる見方も週間ポストは伝えている。橋下さんは、「憲法を改正し、地方分権や道州制を規定し直して、国の統治機構を変える」としてきた。総務大臣となれば、大阪府と大阪市の統合を中央からバックアップできる。橋下さんがこれに乗らない手はないだろう。

 参議院でも「自民&おおさか」は強力に機能する。<おおさか維新が大阪2議席と兵庫1議席と比例代表を合わせて10議席を獲得すれば、自民の目標は75議席だ>。これによって自民党単独で衆院300議席、参院140議席が確保でき、おおさか維新と組めば、公明党抜きでも!憲法改正に必要な衆参議席3分の2を占めることになる。

 これは“取らぬ狸の皮算用”ではないだろう。政界の一寸先は闇だから、Xデーまでに何が起こるかはわからないが、憲法改正が決して夢物語ではないのも確かだ。2016年は、時代が動くすごい年になるかもしれない。

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イスラムのテロリスト、日本のテロリスト

 パリ同時多発テロをめぐり、よくこんなことが言われている。「イスラム教徒のほとんどは穏健で、テロリストはほんの一部だ。イスラム教の教えはテロと相容れない」と。

 サウジアラビアが主導して、2015年12月中旬、イスラム諸国34か国による「対テロ連合」が結成された。過激派組織「イスラム国」(IS)の掃討を目指すアメリカ主導の有志連合との連携を想定している。対象は、イスラム国に限定せず、あらゆるテロ組織と戦うという。イスラム諸国連合には、エジプトなどアラブ諸国の他、マレーシア、ナイジェリアなども加わった。イスラム教スンニ派の盟主を自任するサウジが、「対テロ」を旗印として、シリアに軍事介入するロシアやシーア派の大国イランに対抗する狙いがある。同じイスラム教でも、スンニ派とシーア派は犬猿の仲だ。

 日本のメディアはこのニュースを解説なしで伝えたから、国民は「やはりイスラム教徒の大半は穏健で、テロを非難しているのだ」と受けとめただろう。

 同じ文脈で、エジプトのカイロにあるスンニ派の最高権威「アズハル機関」のナンバー2、アッバース・ショーマン師は、11月21日に読売新聞などとの会見に応じ、次のように語ったという。「イスラム教徒に過激思想が拡散するのを防ぐ目的で、ヨーロッパなど16か国に宗教指導者で構成する代表団を派遣する」「穏健で寛容なイスラム社会から、『イスラム国』を孤立させることが急務だ」

 また、イスラム国がネットを駆使して過激思想を広めているのに対抗し、20言語を対象としてネット監視を行う部門を強化する考えも明らかにした。

 アズハル機関は、西暦970年に建立されたアズハル・モスクを中心とした、イスラム教スンニ派で最も権威のある学術・教育機関だ。スンニ派イスラム法学やアラビア語教育の中心拠点とされる。付属の大学は世界最古で、イスラム圏から多くの留学生を受け入れている。各国のイスラム指導者の多くがここで学び、最高指導者アハマド・タイイブ師の発言は、各国の指導者や一般信徒に影響力があるという。

 会見したショーマン師は、「穏健で寛容なイスラム社会」について言及したが、じつはそんなに単純な話ではない。ぼくが注目したのは、読売記事の最後のくだりだ。

 <民間人を無差別に殺傷するテロ行為の是非について、「反占領の抵抗運動であれば、(無差別テロも)正当な権利だ」と述べ、パレスチナ武装組織によるイスラエル市民への攻撃を容認する考えを示した>

 第2次世界大戦後、イスラム教徒の住むパレスチナの地にユダヤ教徒が強引にイスラエルを建国し、以来、両教徒のあいだで武力闘争がつづいている。ショーマン師は、「イスラエル相手の無差別テロを認める」と公言したわけで、ケースによってイスラムの教えは穏健でも寛容でもないことになる。

 読売記事のこの部分は見出しになっておらず、読み飛ばした読者も少なくないだろう。しかし、イスラムとテロとの関係を考える上で、この無差別テロ容認発言は重大な意味を持つ。イスラエルもテロを実行している。

 国際社会はきれい事だけではないという一例だが、かつて日本にも無差別テロがあったことはほとんど知られていない。そう遠い昔ではなく、幕末のことだ。

 話題の書『明治維新という過ち』(原田伊織著)によると、明治維新は長州・薩摩中心のテロによって達成されたものであり、日本の近現代史は「官軍の歴史観」で貫かれている。吉田松陰も、著者によれば「跳ね上がりのテロリスト」であり、坂本龍馬は「グラバー商会のセールスマン」に過ぎなかった。

 <西郷(隆盛)は、岩倉具視の了承を得て「赤報隊」という部隊を組織した>。慶應3(1867)年、西郷はこの部隊を使って旗本・御家人を中心とする幕臣や佐幕派諸藩を挑発した。<挑発といえはまだ聞こえがいいが、あからさまにいえば、放火・略奪・強姦・強殺である><夜毎のように、鉄砲までもった無頼の徒が徒党を組んで江戸の商家へ押し入るのである。日本橋の公儀御用達播磨屋、蔵前の札差伊勢屋、本郷の老舗高崎屋といった大店が次々とやられ、家人や近隣の住民が惨殺されたりした。そして、必ず三田の薩摩藩邸に逃げ込む。江戸の市民は、このテロ集団を「薩摩御用盗」と呼んで恐れた。夜の江戸市中からは人が消えたという>

 徳川幕府は、庄内藩酒井忠篤に江戸市中の取り締まりを命じた。しかし、<取り締まるといっても、できるだけテロ集団を刺激しないことに留意した>。そのため、赤報隊のテロはますます激化し、野州(下野)、相模、甲州などの周辺地域にまでテロの標的を拡大していった。年末には、庄内藩屯所を銃撃し、江戸城二の丸の放火も赤報隊の仕業とされた。庄内藩は堪忍袋の緒を切り、薩摩藩邸を砲撃した。<京でこの報に接した西郷隆盛は、手を打って喜んだと伝わる。自分が送り込んだ赤報隊の江戸市中での無差別テロという挑発に、幕府が乗ったのである>。これが「鳥羽伏見の戦い」から「戊辰戦争」にいたる動乱のきっかけとなった。勝った長州・薩摩は官軍であり、過去を正当化していまに至る。

 パリの同時多発テロでも、「テロリストの挑発に乗ったら負け」との声があった。だが、フランスもアメリカもロシアも、イスラム国への空爆でリベンジに出た。その帰趨は、神のみぞ知る。それがイスラム教の神かキリスト教の神かもわからない。

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就職活動の概念を一度ぶっ壊したらどうか

 「今の日本の就活は、昭和30年代の集団就職の時代から、あまり変わっていない。世界の潮流から企業は20~30年、大学は50~100年遅れていると思う。企業と大学が手を取り合い、あえて世界の潮流から取り残されようとしているようなものだ」。外資系企業での経営経験が豊富で経営コンサルタントなどをしている大前研一氏は、日本の企業と大学をばっさり切り捨てる。ぼくも同感だ。

 経団連は、2017年春入社組の大学生の就活について、会社説明会は3月1日、選考は「4年生の6月1日」に解禁することを決め、会員企業約1300社に新たな採用指針を公表した。16年春入社組は「4年生の8月1日から」だったから、2か月前倒しされることになる。土日や夕方にも面接をしたり、留学生向けに別枠で秋採用を行っていることを周知したりするよう求めている。

 就活ルールが毎年のように変わり、学生たちは、またも振り回されることになるだろう。採用指針では、「インターンシップ(就業体験)は、社会貢献活動の一環であり、採用選考活動とは一切関係ないことを明確にして行う必要がある」と明記した。

 こういう企業側の姿勢について、大いに疑問を持つ。経団連の会員になっているような企業は、新人社員に即戦力などはまったく期待しておらず、逆に、白無垢を身にまとった花嫁みたいにパーソナリティが「無地」の人材を求めているようだ。

 大前研一氏は「そもそも、アユ釣りやズワイガニ漁じゃあるまいし、『解禁』という考え方自体が全体主義的、工業社会的な“前世紀の遺物”である」と言い切る。

 ぼくは、大学を出るころになっても社会人になる気がさらさらなく、とりあえずアルバイトで自活する道を選んだ。そのころフリーターという言葉はなく、ぼくのような若者は「モラトリアム人間」と呼ばれた。同輩は結構いたから「モラトリアム世代」と呼ばれることもあった。大辞泉によると、「年齢では大人の仲間入りをすべき時に達していながら、精神的にはまだ自己形成の途上にあり、大人社会に同化できずにいる人間」だと定義している。モラトリアムとは、本来は刑の執行猶予のことだ。

 大学にいるころ、自分は何をすべきか、何ができるかまるでわからなかった。だから卒業後、ある福祉施設で障害のある青年たちに勉強などを教える非常勤講師をした。週に3日働けば十分生活ができたから、気楽なものだった。当時も就職難で大半の学生はあせって就活に力を入れていた。そういう姿を横目に見て、ぼくはゆったりしていたのだ。

 しかし、フリーター生活を1年半もやっていると、親兄姉から「いい加減に就職しろ」というプレッシャーがすごく、重い腰を上げて就職のことを考えるようになった。もう現役の学生ではないから、一般の大企業は受けられない。その点はいまとおなじだ。

 あの仕事はやりたくない、これもいやだと消去法でいったら、マスコミ関係しか残らなかった。新聞社は27歳くらいまで受けることができると知った。そこでちょっと伝手のある読売新聞を受験することにし、1次試験までの2か月間、猛烈に試験勉強した。大学受験でもしなかったほど勉強に打ち込んだ。1次のペーパーテストに何とか受かり、1次面接、最終面接と通った。あのころから、人生の「波」が来ていたのだと思う。

 読売に入ると、東京本社で新人研修があった。偉い人の話を聞くのが主で退屈だったが、それが終わると、毎晩毎晩、同期たちと飲みに行って親交を温めた。あるとき、国立オリンピック記念青少年総合センター で、2泊3日の研修合宿をした。ぼくたちは、適当に起床して朝食を食べ散歩してから講義を聞くといった緩い日程だった。メーカーなど他の企業の合宿は、軍隊のようにきつそうだった。早朝に一斉起床し、ラジオ体操のあとそろってランニングと柔軟体操などをこなし、返事も大声でする。

 日本の大企業が新卒学生の採用にこだわる理由が、そのときわかった。会社の規律を体と精神に刷り込んで「企業戦士」とするのだろう。

 嗚呼、ゆるいマスコミ業界に入ってほんとに良かったな、とつくづく思った。あんな特訓を連日やられたら、すぐに逃げ出していただろう。新聞社はできるだけ多彩な人材を採用することを心がけ、型にはめず、新卒にこだわらない。社会経験や挫折のある者のほうが、社会人または浪人体験を活かして深い記事が書ける。

 いまだに型にはめた人材だけを養成していて、会社が発展するだろうか。IT企業が典型だが、ベンチャー企業はクリエイティブな人材を求めている。企業の採用担当者は「個性ある人材を」などとほざいているようだが、その会社が個性を打ち砕いている。

 確かグーグルなど外資系のIT企業はクリエイティヴィティを尊重し、出社退社時間は自由、職場には健康的な食材を使ったカフェテリア、スポーツや娯楽のための施設などを完備している。

 ドイツの大学生は、8年かそれ以上かけて卒業する。在学中にインターンシップはもちろん、国外留学して見聞を広め、語学も習得して帰国する。ドイツ人の大卒ならほとんど英語はぺらぺらだ。日本の大卒でせめて英語だけでも話せる人材がどれだけいるだろうか。

 リーダーシップや創造力、発想力、耐久力、語学力などを重視した人材を育成しなければ、世界と戦うことはできない。新入社員や官僚、政治家などにも、「海外とくに途上国での生活体験」を条件として課せば、日本はうんと活力のある国になると思うのだが。

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過激派とアイデンティティー

 「欧州でアラブ系移民らがテロを起こすのは経済的理由などではなく、その国の国民としてのアイデンティティーが欠落していることが原因だ」。イスラエル軍の元大佐でシンクタンク「エルサレム公共問題センター」のジャック・ネリア上級研究員が、共同通信の取材にこう語っている。山陰中央新報に掲載されていた。

 もちろん、パリの同時多発テロをめぐっての話だ。イスラム教徒の青年が過激思想に染まりテロに走る動機は、主に経済的理由だとするのが一般的だ。キリスト教徒が主体のヨーロッパでは、イスラム教徒の移民系住民は少数派であり、就職などで不利になりがちだという現実は動かしがたい。特に移民が集中する地区では失業率が高く、将来に希望を持てない青年が、社会に反発し過激思想に惹かれやすいとされる。

 アラブの本国では自分がイスラム教徒としてあまり意識することもなかった青年たちが、ヨーロッパでの厳しい生活のなかでイスラム教徒としての自分の出自に目覚める例も、いろいろ報道されている。しかし、生活圏は西洋で心が混乱する。そうした青年をイスラム教の名をまとった過激思想で感化するのが、イスラム国(IS)などのテロリスト集団だ。

 「アイデンティティーの欠落が原因」とのネリア上級研究員の指摘は、ぼくの体験から言っても、うなずけることがある。

 ドイツのボンに駐在していたころのことだ。旧西ドイツの暫定首都だったが日本人学校はなく、日本人の外交官をふくむ駐在員らの子どもは、現地のドイツ人学校かアメリカン・スクールに通うしかなかった。うちの子どもたちはアメリカン・スクールで学ばせた。

 そういう生活では、子どもたちの日本語能力が日に日に落ちていく。それでは帰国してからの学業に差し支えるから、毎週土曜日午後には、日本語補習校というものが開かれていた。先生はドイツに在住する日本の教職免許を持っている日本人が中心で、補習校の運営は駐在員が毎年交代で受け持っていた。

 運営委員は4人(4組の夫婦)で、教室を借りている現地校との折衝、教室や廊下の掃除、トイレットペーパーの補給まで雑多な任務があった。ぼくたち夫婦も、1年間運営委員を務めた。

 補習校は、大きく言えば、駐在員の子どもたちの「日本人としてのアイデンティティー」をはぐくむ場でもあった。家庭では日本語を話していても、家にあるテレビはドイツ語かヨーロッパの英語放送で、学校に行けばドイツ語や英語をたたき込まれる。そういう日々を送っていると、自分が何者かわからなくなり不安になってくる。だから、日本語補習校は、単に日本語の勉強にとどまらず、「君たちは日本人なんだからね」と脳裏に“刷り込む”空間でもあった。

 補習校には、日本人の親がドイツ人と結婚してドイツで暮らすことを選んだハーフの子どもたちも通っていた。そうした子どもたちにとっては、日本語を学ぶだけでなく、日本人の血が自分にも流れていることを自覚させる意味があった。その点でもアイデンティティー教育の場だった。

 月曜日から金曜日まではドイツ語や英語と格闘せざるを得ない駐在員の子どもたちにとって、土曜日の補習校は楽しくてしようのない時間となっていた。昼食を終えてから親が車で送り届けるのだが、子どもたちは早く補習校へ行って友だちと校庭で遊び、母語の日本語で授業を受けるのが待ち遠しくてたまらない様子だった。

 学校へ行くのがそんなに楽しそうなのは、親にとってもうれしいことだった。また、親たちも子どもを送ったついでに、校庭の隅や学校の廊下で井戸端会議を開き、情報交換するのが常だった。そこで駐在員の人びとと知り合ったのは、海外生活を豊かにするうえでも大きかった。運営委員としての仕事はちょっと辛いときもあったが、親たちにとっても、土曜日の補習校が楽しみだったのだ。

 だが、補習校には、子どもたちの知らないところで深刻な問題を抱えていた。保護者のなかで、ドイツ人と結婚した日本人と駐在員の日本人のあいだに、目に見えない亀裂があった。日本語能力については、駐在員の子どもたちはネイティブだから得意であり、ハーフの子どもたちはついて行くのが大変だったことも理由の一つだった。現地校と補習校では立場が逆転するのだ。あるときはもめにもめて、保護者会を開き「補習校とは何か」という本質的な議論にまで至った。

 背景には、ドイツ人と結婚した親のアイデンティティーの問題があった。ドイツで長年暮らし、家庭でも主にドイツ語を話している保護者は、知らず知らずのうちにアイデンティティーが揺らぐらしい。

 一部のそうした保護者のなかに「過激派」とも言える人がいた。ことあるごとに、駐在員の保護者と衝突するのだ。ドイツ人はヨーロッパでも有数の自己主張が強い国民とされる。そのドイツ人的側面がドイツ人以上にアイデンティティーとして入り込み、自分がわからなくなっているとしか思えない人がいた。

 「その国の国民としてのアイデンティティー」の欠落が、一部の移民青年をテロに走らせるという指摘は、たしかにそうだろうと思う。フランスをはじめテロを軍事力で封じ込めようとする各国の指導者は、まだその心理学的理由に気づいていない。

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若者たちが恋愛を避けている

 もうだいぶん前のことだが、いわゆる「萌え」の市場が1兆円を超えるようになるだろうという予測に、まさかと思ったことがある。萌えは、アニメやアニメ風のゲームなどに熱中するオタクに限られた心理メカニズムだと考えていた。しかし、AKB48をはじめとするアイドルの全盛時代がつづき、それも萌えのひとつとすれば、いまでは1兆円をはるかに超える市場になっているだろう。

 それも文化だが、萌えの一般化は社会にとってある問題を提起しているとも言える。若者が実体験としての恋愛に関心を薄めている現実だ。自分や周囲の友だちなどの経験から言っても、恋心は人間ならだれでも抱く感情だと思っていたのだが、どうやらそれが当てはまらない時代がとっくに来ているらしい。

 内閣府が公表した「結婚・家族形成に関する意識調査」の結果によると、20代から30代の未婚男女の37.6%が「恋人は欲しくない」と回答した。男女別でみると、「欲しくない」と回答した男性は36.2%、女性は39.1%だった。

 幼稚園や小学校のころひそかに異性を好きになる初恋をし、思春期には実際に異性と交際する幸運な者がいて、まだ恋人のいない者はそれをうらやましく思う。それが動物の一種としての人間の自然なあり方だというのは、過去の話らしい。

 それにしても、20代から30代の未婚男女の3人にひとり以上が「恋人は欲しくない」としている事実は、日本社会がわずか30~40年のあいだに激変したことを示しているのではないか。

 恋人が欲しくない理由として挙げられたのは、「恋愛が面倒」(46.2%)、「自分の趣味に力を入れたい」(45.1%)、「仕事や勉強に力を入れたい」(32.9%)、「恋愛に興味がない(28%)だった。

 自分の趣味と恋愛は並び立たないと、若者は考えているのか。興味がないというのは、やはり草食化して性欲もほとんどないためなのだろうか。理由のなかで一番多いのが面倒だからというのは、若者も人間関係で疲れた経験があるからなのだろうか。

 日本家族計画協会がまとめたアンケートによると、セックスに関心がないか、嫌悪していると答えた男性は、16〜19代で34.0%に上った。全体では、18.3%と調査における過去最高になった。性交経験率が5割を超える年齢も、29歳と高かった。

 日本では、いわゆる草食系男子が増えていることと関係があるのかどうか。草食系化の問題で言えば、たとえば韓国ではそういう傾向はまったくないとされる。韓国には青年男子が乗り越えなければならない徴兵制があるからではないか、という説を聞いたことがある。だが、日本とおなじく徴兵制がない国でも、男子が草食化しているケースを聞いたことがない。ドイツでは5年前に徴兵制を事実上、廃止したが、その後草食化の傾向がみられるという報告はない。

 日本には少子化ジャーナリストを名乗るひとがいるそうで、その白河桃子さんが読売新聞にこう語っている。

 <日本は世界最大の「萌え」生産国で、アイドルやアニメ、ゲームなど、恋愛の代わりに「ときめき」を与えてくれるものがいくらでもある。恋愛と違い、相手から傷つけられることもない。複雑に人とつながるSNS時代の、人間関係の面倒くささも問題だ。関係を乱さないよう職場恋愛はしない。趣味や地域貢献活動などの集まりは「恋愛する場ではない」という雰囲気だ>

 白河さんは、電通総研の2010年の調査で23~49歳の男性の6割が「恋愛では受け身」と答えたデータもあげている。そう言えば、婚活に熱心なのは女性のほうらしく、縁結びで知られるわが出雲へも、若い女性がたくさん結婚祈願に訪れてにぎわっている。若い男性が婚活で出雲へ来たケースは聞いたことがない。

 和光大学准教授の高坂康雅さんは、こう語っている。<アニメや漫画、インターネットサイトなどを通じて、大量の恋愛情報に接するうち、未経験なのに経験した気になってしまう。幸せな恋物語だけでなく、失恋やトラブルに発展するケースなどマイナスの情報も多く、恋愛に憧れを抱けない。むしろ、否定的な印象を持つようになる>

 これに対し、早稲田大学教授で恋愛を科学的に探求する「恋愛学」講座を開いている森川友義さんは、今時の若者をちょっと突き放してみている。<若者はよく「恋愛は面倒くさい」「友達付き合いのほうが楽しい」と主張する。しかし、それは自己正当化にすぎない。恋愛の楽しさを認めてしまうと、恋愛ができていない自分がみじめになってしまうから、言い訳を並べるのだろう>

 恋愛学講座では、男女が引かれ合うメカニズムやデート戦術などを学生に解説しているそうだ。子どものころから、塾通いをしている若者たちには、大学で手取り足取り恋愛のノウハウまで教えなければならない時代なのか。よけいなお世話という気もするが。

 考えてみれば、恋愛をして自分に合う相手をみつけて結婚する、というのは歴史の浅い戦後の文化にすぎない。ぼくらの親たちの世代は、見合い結婚が一般的だった。1950年代でも結婚の半分はお見合いだったという。

 少子化を解消するため、“世話焼きおばさん”の復活を求めるのが手っ取り早いだろうか。

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