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イスラムのテロリスト、日本のテロリスト

 パリ同時多発テロをめぐり、よくこんなことが言われている。「イスラム教徒のほとんどは穏健で、テロリストはほんの一部だ。イスラム教の教えはテロと相容れない」と。

 サウジアラビアが主導して、2015年12月中旬、イスラム諸国34か国による「対テロ連合」が結成された。過激派組織「イスラム国」(IS)の掃討を目指すアメリカ主導の有志連合との連携を想定している。対象は、イスラム国に限定せず、あらゆるテロ組織と戦うという。イスラム諸国連合には、エジプトなどアラブ諸国の他、マレーシア、ナイジェリアなども加わった。イスラム教スンニ派の盟主を自任するサウジが、「対テロ」を旗印として、シリアに軍事介入するロシアやシーア派の大国イランに対抗する狙いがある。同じイスラム教でも、スンニ派とシーア派は犬猿の仲だ。

 日本のメディアはこのニュースを解説なしで伝えたから、国民は「やはりイスラム教徒の大半は穏健で、テロを非難しているのだ」と受けとめただろう。

 同じ文脈で、エジプトのカイロにあるスンニ派の最高権威「アズハル機関」のナンバー2、アッバース・ショーマン師は、11月21日に読売新聞などとの会見に応じ、次のように語ったという。「イスラム教徒に過激思想が拡散するのを防ぐ目的で、ヨーロッパなど16か国に宗教指導者で構成する代表団を派遣する」「穏健で寛容なイスラム社会から、『イスラム国』を孤立させることが急務だ」

 また、イスラム国がネットを駆使して過激思想を広めているのに対抗し、20言語を対象としてネット監視を行う部門を強化する考えも明らかにした。

 アズハル機関は、西暦970年に建立されたアズハル・モスクを中心とした、イスラム教スンニ派で最も権威のある学術・教育機関だ。スンニ派イスラム法学やアラビア語教育の中心拠点とされる。付属の大学は世界最古で、イスラム圏から多くの留学生を受け入れている。各国のイスラム指導者の多くがここで学び、最高指導者アハマド・タイイブ師の発言は、各国の指導者や一般信徒に影響力があるという。

 会見したショーマン師は、「穏健で寛容なイスラム社会」について言及したが、じつはそんなに単純な話ではない。ぼくが注目したのは、読売記事の最後のくだりだ。

 <民間人を無差別に殺傷するテロ行為の是非について、「反占領の抵抗運動であれば、(無差別テロも)正当な権利だ」と述べ、パレスチナ武装組織によるイスラエル市民への攻撃を容認する考えを示した>

 第2次世界大戦後、イスラム教徒の住むパレスチナの地にユダヤ教徒が強引にイスラエルを建国し、以来、両教徒のあいだで武力闘争がつづいている。ショーマン師は、「イスラエル相手の無差別テロを認める」と公言したわけで、ケースによってイスラムの教えは穏健でも寛容でもないことになる。

 読売記事のこの部分は見出しになっておらず、読み飛ばした読者も少なくないだろう。しかし、イスラムとテロとの関係を考える上で、この無差別テロ容認発言は重大な意味を持つ。イスラエルもテロを実行している。

 国際社会はきれい事だけではないという一例だが、かつて日本にも無差別テロがあったことはほとんど知られていない。そう遠い昔ではなく、幕末のことだ。

 話題の書『明治維新という過ち』(原田伊織著)によると、明治維新は長州・薩摩中心のテロによって達成されたものであり、日本の近現代史は「官軍の歴史観」で貫かれている。吉田松陰も、著者によれば「跳ね上がりのテロリスト」であり、坂本龍馬は「グラバー商会のセールスマン」に過ぎなかった。

 <西郷(隆盛)は、岩倉具視の了承を得て「赤報隊」という部隊を組織した>。慶應3(1867)年、西郷はこの部隊を使って旗本・御家人を中心とする幕臣や佐幕派諸藩を挑発した。<挑発といえはまだ聞こえがいいが、あからさまにいえば、放火・略奪・強姦・強殺である><夜毎のように、鉄砲までもった無頼の徒が徒党を組んで江戸の商家へ押し入るのである。日本橋の公儀御用達播磨屋、蔵前の札差伊勢屋、本郷の老舗高崎屋といった大店が次々とやられ、家人や近隣の住民が惨殺されたりした。そして、必ず三田の薩摩藩邸に逃げ込む。江戸の市民は、このテロ集団を「薩摩御用盗」と呼んで恐れた。夜の江戸市中からは人が消えたという>

 徳川幕府は、庄内藩酒井忠篤に江戸市中の取り締まりを命じた。しかし、<取り締まるといっても、できるだけテロ集団を刺激しないことに留意した>。そのため、赤報隊のテロはますます激化し、野州(下野)、相模、甲州などの周辺地域にまでテロの標的を拡大していった。年末には、庄内藩屯所を銃撃し、江戸城二の丸の放火も赤報隊の仕業とされた。庄内藩は堪忍袋の緒を切り、薩摩藩邸を砲撃した。<京でこの報に接した西郷隆盛は、手を打って喜んだと伝わる。自分が送り込んだ赤報隊の江戸市中での無差別テロという挑発に、幕府が乗ったのである>。これが「鳥羽伏見の戦い」から「戊辰戦争」にいたる動乱のきっかけとなった。勝った長州・薩摩は官軍であり、過去を正当化していまに至る。

 パリの同時多発テロでも、「テロリストの挑発に乗ったら負け」との声があった。だが、フランスもアメリカもロシアも、イスラム国への空爆でリベンジに出た。その帰趨は、神のみぞ知る。それがイスラム教の神かキリスト教の神かもわからない。

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