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就職活動の概念を一度ぶっ壊したらどうか

 「今の日本の就活は、昭和30年代の集団就職の時代から、あまり変わっていない。世界の潮流から企業は20~30年、大学は50~100年遅れていると思う。企業と大学が手を取り合い、あえて世界の潮流から取り残されようとしているようなものだ」。外資系企業での経営経験が豊富で経営コンサルタントなどをしている大前研一氏は、日本の企業と大学をばっさり切り捨てる。ぼくも同感だ。

 経団連は、2017年春入社組の大学生の就活について、会社説明会は3月1日、選考は「4年生の6月1日」に解禁することを決め、会員企業約1300社に新たな採用指針を公表した。16年春入社組は「4年生の8月1日から」だったから、2か月前倒しされることになる。土日や夕方にも面接をしたり、留学生向けに別枠で秋採用を行っていることを周知したりするよう求めている。

 就活ルールが毎年のように変わり、学生たちは、またも振り回されることになるだろう。採用指針では、「インターンシップ(就業体験)は、社会貢献活動の一環であり、採用選考活動とは一切関係ないことを明確にして行う必要がある」と明記した。

 こういう企業側の姿勢について、大いに疑問を持つ。経団連の会員になっているような企業は、新人社員に即戦力などはまったく期待しておらず、逆に、白無垢を身にまとった花嫁みたいにパーソナリティが「無地」の人材を求めているようだ。

 大前研一氏は「そもそも、アユ釣りやズワイガニ漁じゃあるまいし、『解禁』という考え方自体が全体主義的、工業社会的な“前世紀の遺物”である」と言い切る。

 ぼくは、大学を出るころになっても社会人になる気がさらさらなく、とりあえずアルバイトで自活する道を選んだ。そのころフリーターという言葉はなく、ぼくのような若者は「モラトリアム人間」と呼ばれた。同輩は結構いたから「モラトリアム世代」と呼ばれることもあった。大辞泉によると、「年齢では大人の仲間入りをすべき時に達していながら、精神的にはまだ自己形成の途上にあり、大人社会に同化できずにいる人間」だと定義している。モラトリアムとは、本来は刑の執行猶予のことだ。

 大学にいるころ、自分は何をすべきか、何ができるかまるでわからなかった。だから卒業後、ある福祉施設で障害のある青年たちに勉強などを教える非常勤講師をした。週に3日働けば十分生活ができたから、気楽なものだった。当時も就職難で大半の学生はあせって就活に力を入れていた。そういう姿を横目に見て、ぼくはゆったりしていたのだ。

 しかし、フリーター生活を1年半もやっていると、親兄姉から「いい加減に就職しろ」というプレッシャーがすごく、重い腰を上げて就職のことを考えるようになった。もう現役の学生ではないから、一般の大企業は受けられない。その点はいまとおなじだ。

 あの仕事はやりたくない、これもいやだと消去法でいったら、マスコミ関係しか残らなかった。新聞社は27歳くらいまで受けることができると知った。そこでちょっと伝手のある読売新聞を受験することにし、1次試験までの2か月間、猛烈に試験勉強した。大学受験でもしなかったほど勉強に打ち込んだ。1次のペーパーテストに何とか受かり、1次面接、最終面接と通った。あのころから、人生の「波」が来ていたのだと思う。

 読売に入ると、東京本社で新人研修があった。偉い人の話を聞くのが主で退屈だったが、それが終わると、毎晩毎晩、同期たちと飲みに行って親交を温めた。あるとき、国立オリンピック記念青少年総合センター で、2泊3日の研修合宿をした。ぼくたちは、適当に起床して朝食を食べ散歩してから講義を聞くといった緩い日程だった。メーカーなど他の企業の合宿は、軍隊のようにきつそうだった。早朝に一斉起床し、ラジオ体操のあとそろってランニングと柔軟体操などをこなし、返事も大声でする。

 日本の大企業が新卒学生の採用にこだわる理由が、そのときわかった。会社の規律を体と精神に刷り込んで「企業戦士」とするのだろう。

 嗚呼、ゆるいマスコミ業界に入ってほんとに良かったな、とつくづく思った。あんな特訓を連日やられたら、すぐに逃げ出していただろう。新聞社はできるだけ多彩な人材を採用することを心がけ、型にはめず、新卒にこだわらない。社会経験や挫折のある者のほうが、社会人または浪人体験を活かして深い記事が書ける。

 いまだに型にはめた人材だけを養成していて、会社が発展するだろうか。IT企業が典型だが、ベンチャー企業はクリエイティブな人材を求めている。企業の採用担当者は「個性ある人材を」などとほざいているようだが、その会社が個性を打ち砕いている。

 確かグーグルなど外資系のIT企業はクリエイティヴィティを尊重し、出社退社時間は自由、職場には健康的な食材を使ったカフェテリア、スポーツや娯楽のための施設などを完備している。

 ドイツの大学生は、8年かそれ以上かけて卒業する。在学中にインターンシップはもちろん、国外留学して見聞を広め、語学も習得して帰国する。ドイツ人の大卒ならほとんど英語はぺらぺらだ。日本の大卒でせめて英語だけでも話せる人材がどれだけいるだろうか。

 リーダーシップや創造力、発想力、耐久力、語学力などを重視した人材を育成しなければ、世界と戦うことはできない。新入社員や官僚、政治家などにも、「海外とくに途上国での生活体験」を条件として課せば、日本はうんと活力のある国になると思うのだが。

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