« 謹賀新年 | トップページ | 「鬼は外」では済まない ドイツの難民騒乱 »

転落現場に花束を もうひとつのバス事故

 長野県軽井沢町軽井沢の国道18号碓氷(うすい)バイパスで、2016年1月15日未明、スキー客を乗せたツアーバス(乗客・乗員41人)が道路脇の崖下に転落し、15人が死亡した。

 この第一報を聞いた瞬間、ある遠い記憶がよみがえった。1972年9月23日、おなじく長野県上水内郡信濃町の県道で、戸隠神社行のバスが50メートル下の鳥居川に転落大破し、観光客など15人が死亡、67人が負傷した大惨事をめぐる話だ。

 ぼくが読売新聞東京本社に入り長野支局に赴任したのは、この事故から5年半経った78年春だった。警察を担当する「サツ回り」になり、長野中央署に日参したが、署管内の昔のバス事故のことを知る機会はなかった。

 警察担当キャップになった79年、事故のときハンドルを握っていた川中島バスの元運転手に対する控訴審判決が東京高等裁判所で言い渡された。支局のデスクは、ぼくに元運転手を直接取材し、事故と裁判の全体像を特集するよう指示した。

 そこで初めて、古い記事スクラップや判決文などを読み込んで、事故と裁判の概要をつかんだ。バスがダンプカーとすれちがう際に起きた事故で、バス運転手が運転ミスとして逮捕、起訴された。現場の県道は幅4.6メートルとせまく、大型車両どうしのすれちがいはかなり困難で、未舗装でガードレールも設置されていなかった。弁護側は、「事故の誘因は危険な道路を放置していた道路管理者の責任」つまり長野県にあると主張したが、長野地方裁判所では有罪判決が下されていた。

 東京高裁では、新たな鑑定結果から一審判決を破棄し、「事故の原因は運転士の過失ではなく道路の欠陥にある」として、逆転無罪判決を出した。検察側は上告を断念し、運転士の無罪は確定した。

 元運転手はいまどこにいて何をしているのか。その情報を入手したのは長野中央署の副署長だったか弁護士だったか、もう覚えてはいないが、実家で両親と暮らしていることがわかった。実家は、事故現場よりさらに山奥の上水内郡戸隠村だったと記憶している。その家に電話をかけ、取材の目的を説明してアポイントを取った。

 取材に行く日の朝、ぼくはまず、長野市内の花屋へ寄って大きな花束を作ってもらった。それを愛車白いスカイラインの助手席に置き、事故現場へ向かった。長野市街からずっと北へ入った山中だった。

 カーブのつづく山道で、ぼくはどうやって現場を特定できたのだろうか。たぶん、そこには慰霊の地蔵があったように思う。バスが転落した谷は深く、あたりは30センチほどの雪に覆われていた。

 路肩に車を停め、花束とカメラを手に車外に出た。ドアを閉めるとき、うっかりロックしてしまった。車のキーは運転席の上にぽつんとあった。ぼくは愕然となった。日中ではあったが、車などほとんど通らない。当時、携帯電話があるはずもなく、JAFを呼ぶ手段はない。

 必死で考えた。運転してきたとき暖房で暑かったので、運転席の窓を数センチ開けていた。いいことを思いついた。花束は輪ゴムではなく紐でくくられていた。紐をほどくと十分な長さがあった。その先に自宅アパート玄関のキーをつけたキーホルダーを結びつけ、窓のすき間から垂らして車のキーを釣り上げられないか。何度かやって成功した。

 すべってころびそうになりながら谷を降り、たくさんの犠牲者が横たわっていたと思われる谷底に花束を置いて手を合わせた。

 そして車にもどり、元運転手の家に向かった。無罪になったとはいえ、何と言ってあいさつすればいいか、車のなかでずっと考えた。でも、それは杞憂だった。30歳代とまだ若い元運転手は、穏やかな顔でぼくを迎え居間に通してくれた。ご両親も純朴な感じの人たちだった。

 あいさつが済むと、お母さんがお茶を出してくれた。ぼくは事故現場へさっき行ってきたことから話し、控訴審で無罪判決が出たことの感想を尋ねた。元運転手の言葉は謙虚だった。「無罪になったとはいえ、たくさんの方々が亡くなられたりけがをされたりした責任が消えたわけではありませんから」。彼も、事故からの長い歳月を、苦しい思いで過ごしてきたのだろう。ご両親もいっしょにこたつで話していて、その日々の重さが感じられた。

 お母さんは、ぼくに思いがけないことを言った。「もうそろそろお昼ですから、いっしょにご飯を食べて行ってくれませんか」。取材さえ済めばおいとまするつもりだったが、昼食はあらかじめ用意しておいてくれたようだった。ぼくはひとりでアパート暮らしをしていたから、4人での食事は親戚の家へ遊びに行ったような気持ちだった。

 食事後、ぼくが車で帰るとき、3人は庭先でいつまでも見送ってくれた。雪の山道を運転しながら、ああ、あの人たちに会えてよかったな、と心から思った。それを昨日のことのように思い出す。信州には駆け出し記者として5年間住んだが、あのときほど取材で温かいものを感じたことはなかった。

 もし、あの日、花束を持参していなかったら、と思うとぞっとする。

|

« 謹賀新年 | トップページ | 「鬼は外」では済まない ドイツの難民騒乱 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/540025/63097039

この記事へのトラックバック一覧です: 転落現場に花束を もうひとつのバス事故:

« 謹賀新年 | トップページ | 「鬼は外」では済まない ドイツの難民騒乱 »