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ニューデリーの青空は追憶のなかに

 暦の上で春とは言え、日本列島はまだ寒い。先日は出雲でも5センチほど雪が積もった。空は、相変わらずどんよりとしている。晴れたかなと思ってもつづかず、いつの間にか雨が降り、雪になったりする。こんな季節には、ニューデリーの冬の青空が懐かしい。

 インドは暑い国だと日本人の多くは先入観を持っている。だが、少なくとも、ぼくたち一家が暮らしていた首都ニューデリーの冬の夜は、暖房が必要だった。この地方は「冬とモンスーンと夏の3季だ」とぼくのおじいさん秘書ヴァンカタヤは言っていた。

 現代日本の年の初めは、太陽暦の1月1日にはじまることになっているが、インドの年初をいつにするかは一概には決まっていないようだった。ニューデリーでは、2月後半から「1日に1度気温が上がる」と言われるほどで、3月にはもう夏の気配がただよう。暑さのピークは4月から6月にかけてで、それにつづきモンスーンがやってくれば気温はかなり下がり、インド人は大喜びする。

 日本で言えば梅雨だが、そのモンスーンが来ないと気温は下がらず農作物にも大打撃を与えて経済に致命的な悪影響をおよぼす。インドでは、かんがいなど農業技術がまだじゅうぶん発達していないから、かなりお天気次第なのだった。

 無事モンスーンが来れば、数か月にわたる猛暑で消耗した体を休めることができる。ニューデリーの8月ごろは東京などよりむしろ気温は低い。だが、9月の中旬ごろ、第2の夏「セカンドサマー」がやってくる。モンスーンの湿度をふくんでいるだけ最初の夏の暑さより「重たさ」が増しており、体にこたえる。人びとが高熱などでばたばた倒れるのがこの時期だ。

 それも10月後半には少し落ち着き、11月上旬にはずいぶん過ごしやすくなる。この季節に行われるのが、ヒンドゥー教最大の火の祭「ディワリ」だ。町中にろうそくの灯りをともし、ものすごい数の花火を打ち上げて盛大に祝う。この祭りをもって1年の始まりとする考え方もある。

 それから翌年の2月までが、もっともいい季節だ。日中は涼しく空気はさわやかで、青空が広がる。日本の中秋を思わせる日々がつづき、ああこんな季節が1年中つづいたらインドも天国なのに、と思わせるものがあった。

 ぼくの第2子となる娘が生まれたのは12月9日で、抜けるような青空の下、真っ赤なブーゲンヴィリアが咲き誇っていた。日本に一時帰国して寒い季節に産むよりよほどいい、とかみさんの両親をニューデリーに呼んで出産した。

 それから20数年が経ち、読売新聞は「ニューデリー 大気汚染 死者年1万人」という信じられないニュースを伝えていた。

 大気汚染と聞いて、日本に暮らすぼくたちがまず思い出すのは北京だ。商社マンとして上海に住んでいる甥夫婦の話だと、そこでも大気汚染はかなりひどいそうだ。偏西風などの影響で日本にも中国大陸の大気が流れて来たりするから、ぼくたちは敏感になる。急激な経済発展で工場が乱立し、車の排ガス規制も追いついていないから大気が汚染される。

 読売記事によると、インドの公的機関の調査で、ニューデリー市内だけでも大気汚染が原因とみられる肺疾患などによる死者が年間1万人を超えるという。

 WHO(世界保健機関)が2014年に発表した「主要都市のPM2.5の年間平均濃度」では、東京の10に対し北京は56だった。日本のニュースで有名な視界不良の北京は、東京より5.6倍ほど汚染されていることになる。しかし、ぼくがかつて飛び回っていたインド亜大陸の各都市は、その比ではない。ニューデリーが世界約1600都市のなかでも最悪で153、インド西隣パキスタンの商都カラチが117、東隣バングラデシュの首都ダッカが86となっている。

 ぼくたち一家は、7年前にニューデリーを再訪したが、そのときはそれほど空気が悪い印象はなかった。しかし、経済は年7%前後で成長しつづけたから、汚染は幾何級数的に進んだらしい。

 かつてのインドでは、国産車アンバサダーや日本のスズキが現地生産するマルチなど車種は限られ道路はすいていた。あるとき、対向車が反対車線を走って来てぶつかる寸前、ぼくのお抱え運転手ヘンリーは冷静にそれをかわした。交通量はそれほど少なかった。

 経済も事実上の「鎖国」に近く、工場などの数も限られていた。だが、1991年、インド政府は経済の自由化に踏み切り、98年ごろから急激に発展し出した。ぼくたちが再訪したとき、19年ぶりに会った親友のプラメシュもスズキの新車を持っていて、ぼくたち一家をあちこちに連れて行ってくれた。そして、インドで初めて交通渋滞を経験した。

 経済発展にともなって電気も慢性的に不足しており、火力発電所で石炭をがんがん焚いている。その一方で、都市周辺ではいまでも野焼きがおこなわれており、それも空気を汚す原因となっている。デリー首都圏では2016年初めからマイカー規制に乗り出し、車両ナンバーの偶数、奇数で1日おきに通行を禁止する試みを実施した。排ガスもヨーロッパと同等に規制強化する政策を打ち出した。だが、その実効性を疑問視する声は根強い。

 冬場はとくに大気が滞留するため、連日、スモッグに包まれているという。あの抜けるような青空は、もうぼくたちの追憶にしかない。

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