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2016年3月

やはり、あれは集団ヒステリーだった

 フランスの風刺週刊紙『シャルリ・エブド』本社が銃撃され、編集長ら12人が殺害されてから、1年以上が過ぎた。あの銃撃テロに対するフランス社会の反応について、ぼくは2015年1月15日のブログでこう書いた。「遠い日本の出雲の地からながめていると、フランス全土はいま、集団ヒステリーにかかっているように思えてならない」。

 ソ連の崩壊を、その20年以上も前に、乳児死亡率の上昇から予見したことで有名なフランス人歴史学者、人類学者エマニュエル・トッド氏(64)は、2016年1月に邦訳が出た『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』で、フランスのあれは集団ヒステリーだったと断定している。やはり、ぼくの見方は当たっていた。

 事件後、フランスでは何が起こったのだろうか。トッド氏は「殺戮が、われわれの国の歴史に類例のない集団的反応を引き起こした」とする。「さまざまなメディアがいつになく一致し、こぞってテロリズムを告発し、フランス人の素晴らしさを讃え、自由と共和国を神聖視した」

 「政府はあの週刊新聞の再生を支援するための補助金を出すと告知した。群衆が政府の呼びかけに応じ、フランス全国でデモ行進した」。その数は当時、日本で報道されたよりずっと多く、300万から400万人だったとされる。

 「『私はシャルリ』というロゴが黒地に白で描かれ、テレビ画面に、街頭に、レストランのメニュー表に溢れた。子供たちが中学校から帰宅すると、その手にはCの文字が書かれていた。七、八歳の子供たちが小学校の校門の前でマイクを向けられ、事件の恐ろしさと、諷刺する自由の重要性についてコメントさせられた」「高校生が政府の決めた一分間の黙禱を拒否すると、それがどんな拒否であろうとも一律に、テロリズムの暗黙の擁護、および国民共同体への参加の拒否と解釈された」「八、九歳の子供たち数人が警察に事情聴取されたのだ。全体主義の閃光であった」

 「二〇一五年一月、国家のやることなすことすべてがいささか滑稽だった。しかし、嗤うべきその滑稽さを指摘すれば、あの時期の満場一致の雰囲気の中では、テロリズムの擁護であるかのように受け取られたにちがいない」「集団ヒステリーの発作であった一月一一日のデモはわれわれに、今日のフランス社会におけるイデオロギー的・政治的権力のメカニズムを理解するために、信じられないくらい有用な鍵をもたらしてくれる」

 トッド氏によれば、フランス人の94%は「もともとキリスト教」だったが、1960年から1990年までのあいだに、教会のミサに参加するなど宗教の実践の大部分は潰え去った。「三〇年、四〇年前にはカトリック教会がなお重きを成す国だったが、今では、国民の信仰と暮らしぶりから見て(神の存在を疑う)懐疑論者たちの国になっている」「フランスでは無信仰が一気に一般化し、風俗・風習が自由化した結果、変容しつつある国民が倫理的・政治的バランスの問題に直面している」

 トッド氏と研究仲間のある人口学者は、ふたりの共著のなかで、「カトリック教会がその伝統的拠点地域において最終的に崩壊した結果として生まれた人類学的・社会学的パワー」を<ゾンビ・カトリシズム>と名づけている。

 そして、「無信仰のフランスが自らのバランスを見つけるために、もはや使えなくなってしまった自前のカトリシズムに代わるスケープゴートを必要としている」と述べ、その対象として「イスラム教の悪魔化」に走ったと分析する。

 「この仮説なしには、多めに見積もってもこの国の住民のわずか五%、しかも社会的に最も弱く、最も脆い立場にある五%の人びとにとって尊敬の対象であるムハンマド(モハメッド)という宗教的人物を諷刺する権利を絶対のものとして主張するために、数百万もの世俗的・非宗教的人間がゾンビ・カトリシズムの大統領を先頭にして街頭を行進する、などという事態は理解できない」

 現代社会では、マスメディアが集団ヒステリーを誘発する。ケント・ギルバート氏は月刊誌WiLLへの寄稿で、日本の各テレビ局が報道番組で安保法制をめぐる両論をどう取り上げたかという比較データ(2015年9月14日~18日放送分)を紹介している 。

 ・NHK「ニュースウォッチ9」賛成32%、反対68%
 ・日本テレビ「NEWS ZERO」賛成10%、反対90%
 ・テレビ朝日「報道ステーション」賛成5%、反対95%
 ・TBS「NEWS23」賛成7%、反対93%
 ・テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」賛成54%、反対46%
 ・フジテレビ「あしたのニュース」賛成22%、反対78%

 テレビ東京をのぞき、ほとんどが反対意見に圧倒的な時間を割いている。各局に意図があったかどうかは別にして、視聴者の多くはこれらの放送によってマインド・コントロールされた。「戦争法案」「徴兵制復活」などの言葉が効いた。人びとは安保法制に否定的意見を持ち、異口同音にそれを自発的な考えのように語り、集団ヒステリーにかかった。

 患者に自覚症状はなく、また、他人からそれを指摘されることをえてして拒絶する。「『フランス風』集団ヒステリーの発作は西洋のどの国の社会でも起こり得ます」とトッド氏は指摘する。西洋化した日本でもそれがみられたわけだ。

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キューバ革命の幻影

 チェ・ゲバラというあだ名は、いま60歳以上の少なからぬ人にとっては、青春の熱い思いを蘇らせる。アルゼンチン生まれの医師、政治家、革命家で、中米キューバのゲリラ指導者だった。1967年に亡くなった。本名は公表されているが、ほとんど誰も知らない。

 チェは「やぁ」「おい」「(親しみを込めた)お前」「ダチ」といったスペイン語のくだけた呼びかけだそうだ。ゲバラが、初対面の相手にしばしば「チェ。エルネスト・ゲバラだ」と挨拶していたことからついたニックネームだった。

 戦後日本では、ある時期まで、自称知識人や自称インテリ学生がマルクス主義にあこがれた。欧米などにもマルクス主義シンパはいたが、それとは本質を異にする島国独特のガラパゴス化した憧憬だった。しかし、ソ連を率いていたスターリンは暴政が明るみに出されてイメージが失墜し、中国の巨人・毛沢東の虚像も暴かれやがて地に落ちた。共産圏で、体制による虐殺や農業政策の失敗によって飢え死にした人民の総計は、軽く1億人を超えるとされる。

 1991年にソ連が崩壊し、マルクス主義へのガラパゴス化した憧憬も終焉を迎えるかと思われたが、そうではなかった。社会主義が“成功”した国としてキューバがある、と救いを求める左翼は日本にたくさんいた。

 ある日本人のウェブサイトには、現在でもこんな記述がある。

 <奇跡の革命といわれるキューバ革命。革命後も苦難を乗り越え、現在でも革命を存続させている小さな強国キューバ。アメリカに頼らないその姿勢に多くの中南米諸国がキューバを支援しています。 キューバ革命について考えると、革命闘争時のフィデル・カストロやチェ・ゲバラたちの超人的で勇敢な活躍に強い関心が向いてしまうが、革命成功後の、彼らの一貫した政策、平等主義、国民の為にとの強い思いがあります>

 これは革命の実態を知らず、勝手に美化しているとしか思えない。たしかに、チェ・ゲバラ伝などを読むと、血湧き肉躍る感がある。カリブ海に浮かぶ人口1140万人ほどの小国に、社会主義の理想郷があるかのように思っている日本人がこの21世紀にもいる。

 でも、そんなユートピアが実際に存在しうるのか。旧ソ連やいまの中国、北朝鮮は悪しき例外で、本当の社会主義はキューバでこそ実現したのだろうか。マルクス主義は、人間の本性についての理解で決定的な誤りがあったことは、すでに歴史が証明している。キューバが国民の医療や教育を無償化したのは功績だが、われわれがその他には目を背け「奇跡的に」マルクスの夢が実現したと考えたりすれば、あまりにナイーブではないのか。

 オバマ米大統領が、2016年3月20日、キューバを訪問した。現職のアメリカ大統領としてはじつに88年ぶりの訪問となった。両国は54年間にわたり断交していたが、前年7月に国交を回復した。キューバは、2013年にベネズエラの反米チャベス前大統領が死去し、安価な石油が輸入できなくなり、経済が立ち行かなくなったことなどから、対米関係改善に踏み切った。

 チェ・ゲバラとともに革命を率いたフィデル・カストロ前議長から権力を引き継いだ弟のラウル・カストロ議長は、過去10年間、国家公務員を削減し自営業を奨励するいっぽうで、国民がパソコンや携帯を持つことを認めた。だがそれは、あくまで社会主義体制を維持するための部分的な軌道修正だった。

 キューバでは依然、反体制活動家への弾圧がつづき言論や集会の自由も制限されている。アメリカによる長年の経済封鎖を、キューバ側は、「人権改善や民主化要求は内政干渉だ」として突っぱねている。言論や集会の自由もない理想郷とはなんだろう。

 アメリカがキューバ封じ込めをつづけていたあいだ、中国やロシアが中南米諸国へ進出し、アメリカの経済界は出遅れを感じていた。また、社会主義国キューバは、アメリカの安全保障にとっても懸念があった。こうした点が、両国の国交回復につながった。

 コラムニスト勝谷誠彦氏は、会員制有料日記サイトでこんなことを書いていた。<私は社会主義は嫌いだが、強靱でしなやかな国を築いたキューバは、支那よりもよほど偉いと思う。民族性だね><こんなに外交の刻一刻が面白いことはなかなかない。私が注目しているのは「ラウル」ではなく「フィデル」カストロさんとオバマさんが会うかどうかだ。「フィデル」こそキューバそのものであり、それがアメリカ大統領と握手した時に、すべての恩讐は消えるのである。これは歴史を見る作家の目と、敢えて言わせてもらう。「小説的」にはその光景がなくてはいけない。フィデルさんの体調があまり良くないのか心配だ><黒人の血が入ったアメリカ大統領がハバナの空港にさきほど降り立った映像を見て、私などはほとんど涙しそうになる。私は人権屋ではないし、途上国シンパでもない。しかし第三世界の旗手としてここまでツッパってきたキューバに、ついに超大国アメリカが膝を屈したのである>

 ??? すでにキューバでは、民営レストランも増えている。国民の月収が25㌦なのにメニューの多くは10~25㌦だそうだ。国交回復で利権を手にするのは、軍幹部や富裕層だけだという見方もある。社会主義の最良のケースがそれだとすれば…。

 いずれにせよ、一度は行ってみてこの目で確かめたいことがいろいろある。

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横文字のサインはやめたほうが…

 ドイツ銀行は、大丈夫かいな。その赤字問題が、このところ日本でもメディアをにぎわしている。日本では、ドイツ銀行が日本銀行のように金融政策をになう中央銀行だと勘ちがいしている人もいるようだ。その名前が誤解を生みやすいのはたしかだ。でも、実際はふつうの市中銀行で、窓口業務もしているしATMコーナーなどもある。

 では、日本銀行に当たるドイツの中央銀行はなにかと言えば、それはない。EUに加盟している諸国の金融政策を一括して行うのはヨーロッパ中央銀行(ECB)だ。

 ドイツ銀行は、2015年12月期に決算が過去最大の約68億ユーロ(約8300億円)の赤字におちいったことが2016年3月に発表され、不安が広がっている。なにしろ世界でも有数の大銀行で、そこが大幅赤字で傾いたりすれば、ヨーロッパだけでなく世界経済に深刻な事態となる。

 ぼくもボンに特派員として赴任したとき、真っ先にしたのがドイツ銀行に口座を開設することだった。日本とおなじく開設には、公的な身分証明証がいる。ぼくはまずドイツ連邦新聞庁へ行き、特派員証(プレッセカルテ)を作ってもらった。そのためには、パスポートと新聞社のレターヘッド(社名などを印刷した便せん)に本社のお偉いさんの署名が入った正式レターが必要だった。

 口座開設申請書には、自分のサインをしなければならない。欧米には印鑑というものがないから、この申請書へのサインはとっても重要な意味を持つ。パスポート署名とおなじで、自分が自分であることを日本の実印に代わって証明するものだから、いい加減に書いたらあとで大変な目にあうことになる。

 当時は、ユーロが導入される直前のことで、ドイツの通貨はまだマルクだった。申請書へのサインは漢字で「木佐芳男」と書いた。それを見た窓口嬢は「シェーン(Schön)!」と感心してくれた。ダンケ・シェーン(どうもありがとう)とか言うときのシェーンだが、ここでは「ステキ、きれい」というほどの意味を持つ。欧米人の漢字に対する憧れは、いまに始まるものではないらしい。

 ぼくは、マルク建てのクレジットカードは、円建てカードがあればいいから作らず、小切手帳を作ってもらった。まとまった額の支払いには小切手で払う。もちろん、その際には銀行に登録してあるのとおなじサインをしなければならない。

 ドイツ銀行の登録サインを漢字でしたのには、ふたつの理由があった。漢字ならドイツ人などがまねすることがむずかしく、万一、小切手帳を紛失しても被害にあうことが避けられる。もう一つは、ある苦い経験からだった。

 インドのニューデリーへ赴任するときのことだ。前任者から東京へ長い手紙が来て、赴任前にすべき事務手続きなどがこと細かに書かれていた。その際、「ン!」と引っかかったのが「まず、ニューヨークに米ドル口座を開くこと」という一文だった。まだメールのない時代だから、ぼくはテレックスで「ニューヨークとあるのはニューデリーのまちがいではないですか?」と問い合わせた。でも、ニューヨークに作らなければならないという。

 そこで当時の東京銀行本店に行って、横文字のサインでニューヨークの口座を開設した。現地に行かなくても海外口座を作れるとそのとき知った。

 そして、いざニューデリーへ赴任すると、東京銀行ニューデリー支店で、インド通貨ルピー建ての支局口座と個人口座を開設し、小切手帳も作った。

 お金の流れは、じつにややこしかった。まず、東京本社の経理部からニューヨークのぼく名義の口座に、米ドルで給料の一部や特派員手当、毎月ぼくが請求する支局と出張の経費が送金される。給料の残りは、東京のぼくの日本円口座に振り込まれる。

 そして、少なくとも毎月1度、ニューデリー支店へ出向いて、米ドルの小切手を切り、ニューヨークからニューデリーの支局口座に送金してもらう。その際、米ドルからルピーに変わるわけで、そのときどきの為替レートによって損したり得したりすることになる。そして、支局口座から個人口座に、ぼくの給料として決まった額を振り込むのだった。

 なぜこんな複雑なプロセスにするのか。インド税務当局に、ぼくが総額いくらを本社からもらっているかを絶対にわからないようにするためだった。当時のインドと日本では所得にものすごい格差があり、バカ正直に収入の全額を申告したら累進課税で“天文学的な”所得税を取られ、仕事も生活もできなくなるからだった。

 だから、インド人の税理士を雇い、毎月、厳密な金の管理をしてもらっていた。その方法で問題なく過ごしていたのだが、任期が終わり日本へ帰るとき、東京銀行ニューデリー支店でひともんちゃくが起きた。口座開設申請書のサインと口座閉鎖申請書の横文字サインがかなりちがっていて、「これじゃ閉鎖できない」と言われてしまった。

 ふたつの書類を比べると、まるで別人がサインしたほどちがっている。もともと字はへただし、サインを英語で書くたびに少しずつ変化していたらしい。うーん、困ったな。インド人の窓口嬢ではらちが明かないから、日本人の支店長を呼んでもらった。支店長はパーティなどでよく会っていたから顔なじみだ。「まあ、身元ははっきりしているし、これで受け付けましょう」と言ってくれた。

 それ以来、どこの国へ行っても、サインは漢字で書くことにしている。シェーンだし。

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フクシマをめぐるやっかいな先入観

 東日本大震災から5年が経つ。廃炉への作業が続く東京電力福島第1原発の敷地内で、コンビニ「ローソン東電福島大型休憩所店」が、2016年3月1日にオープンした。福島第1原発敷地内では原子炉建屋付近を除き、放射線量が大幅に減っていて、普段着で活動できるエリアも増えているという。

 メディアは、「放射線汚染水が流出した」などとの報道をくり返しおこなっていて、福島第1原発にはまだ近づけないようなイメージがある。ぼく自身もそういう誤った印象を抱いていた。これがメディアのもたらす先入観、ステレオタイプの怖さだと改めて知った。

 そういえば米有力紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)も、2015年末、福島の被曝リスクは誇張され過ぎているとした上で、「われわれはどれほど愚かだったのか」と自戒する記事を掲載していた。年間100ミリシーベルト以下では、広島や長崎の原爆の被爆者を対象とした膨大なデータをもってしても、発がんリスクの上昇は認められない。つまり、100ミリシーベルト以下の低線量では、どれだけ被曝しようと、直線的関係は成り立たないとWSJは指摘している。福島の事故以後、「被曝すればするほどリスクが高まる」という言説が流布したが、それは根拠のない風評だったことになる。

 そうした先入観・ステレオタイプについて、週刊新潮は福島県出身の社会学者・開沼博氏(31)のレポートを掲載した。

 まず、 福島県に暮らしていた人のうち、どれくらいの割合の人が震災によって、現在県外で暮らしているか? という問いかけをしている。その答えは「約2.2%」だ。流布しているイメージでは、大震災後、多くの人が県外移住を強いられいまもその多くは慣れない土地で大変な思いをしている。実際には、5年を経て、その数は激減しているのだという。もちろん、県内にいるがまだ地元に帰れる見込みのない人はたくさんいる。

 次の問いかけは、2015年11月現在で福島県の有効求人倍率は、都道府県別で全国第何位か? というものだ。その答えは「4位」だそうだ。つまり雇用の面でも実は大幅に改善され、全国トップクラスに次ぐ状況となっている。

 もう一つの問いかけは、次のようなものだ。3・11後の福島では「中絶や流産が増えた」「離婚率が上がった」「合計特殊出生率が下がった」のうち、どれが正しい? 答えは「出生率のみが正しい」だ。あとの二つはやはり風評にすぎないという。

 一般に抱かれている「福島」のイメージと実際の姿との間には、かなりのギャップがあることがわかる。

 開沼氏は大震災後、福島大学の特任研究員や、復興庁の生活復興プロジェクト委員などを務め、社会学の観点からフィールドワークや統計の分析を続け、福島の動きについて研究してきた。そのなかで「福島の問題はからみにくい」「福島難しい」「福島面倒くさい」といった言葉を耳にした。「善意もあるし、困難な問題を解決してきた実績もある人たちが、福島と付き合うことに高い壁を感じているようです」とレポートで指摘する。

 その理由として、開沼氏は3つのポイントをあげる。福島の「過剰な政治化」「過剰な科学化」「ステレオタイプ&スティグマ化」だ。

 過剰な政治化とは、「原発」「放射線」をめぐるイデオロギーだ。開沼氏は「二項対立化しやすく、違うイデオロギーを持つ人同士の溝を埋めることが困難に見える。『声の大きな人』に絡まれそうだから普通の人は意見を言わなくなる」と述べる。

 不幸にして悲惨な原発事故が起きたあと、「原発は恐い」という意識は日本だけでなく世界的に広がった。人間が扱う以上、絶対に安全とは言えないことが改めてわかった。しかし、5年が経ったいまも原発の問題があまり冷静に語られず、ともすれば極論がまかり通ってしまうのは、誰かがイメージ操作しているからではないか。

 そこで思い出すのが、たとえば朝日新聞の極端な姿勢転換だ。福島の事故以前はどちらかと言えば原発を支持していたのに、事故から2か月後、反原発に舵を切りキャンペーンを張っていまにいたる。「国民世論は“原発が恐い”というムードに傾いた。さあ、その流れに乗れば新聞が売れる」という安易で無責任な判断だったのではないか。

 だが、エネルギー政策は環境への影響、コスト、安全性などを総合的に判断しなければならない。大惨事を生み出しかねない原発がなくてもいいなら、それに超したことはない。だが、たとえば火力発電所はCO2で環境を汚染するし、万一の重大事故の悪影響は、放射線こそ出さないものの、極めて大きいとされる。

 風力発電は、安全だが問題も多い。ぼくが住む出雲市は、再生可能エネルギーで市のすべての電力をほぼまかなえるところまで迫っていて、その点では知られざるエネルギー先進自治体だ。しかし、巨大風車群が並ぶ島根半島の住民は、低周波に悩まされて夜も眠れず影響のないエリアにアパートを借りて夜を過ごしている、と聞いたことがある。

 過剰な科学化とは、放射線をめぐる専門的な議論に一般の人はついていけず、漠然と不安を感じることだ。ステレオタイプ&スティグマ化のスティグマとは、汚名や負の烙印を意味する。つまり、悪いイメージが定着してしまうことだ。

 福島は、アンラッキーにもこの3点に問題が集約される。自戒を込めて「確かな根拠もなく、思い込むな」という言葉の重要性を噛みしめたい。

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台湾のヒマワリ、日本のプリザーブドフラワー

 台湾の台北市を訪れたとき、かつて中国皇帝によって集められた美術品、工芸品を所蔵している国立故宮博物院で、有名な「翠玉白菜」などを見た。ちょうど3年前のことだ。

 素晴らしい展示品に感動を覚えたままタクシーに乗ると、日本語の達者な運転手さんは、博物院の自慢をするどころか、大陸から来る中国人旅行客の悪口を言った。「あいつらは大声で話すし、列に並ぶこともしない。金は落として行くが、はっきり言って歓迎できない」

 かつて日本に統治されていた台湾には、いい意味での日本らしさがかなり残っている。日本人観光客が台湾ファンになるのは、台湾の人びとの人柄に親近感を持つのも一因だろう。日本へ押し寄せて“爆買い”をする大陸中国人などとははっきりちがうものが、台湾の人びとにはある。

 大陸中国の共産党は、「一つの中国」をスローガンに台湾統一を狙ってきたが、いまの台湾には「台湾人アイデンティティー」が強く意識されている。それが、台湾政治の地殻変動を生んだのはつい最近だ。

 2000年から8年間つづいた民主進歩党の陳水扁政権は、台湾本土の歴史を重視する教育に力を入れ、若い世代を中心に「台湾人意識」を根付かせたとされる。その後、国民党の馬英九政権は中国へ急接近したが、2016年1月の台湾総統選で独立志向の最大野党、民進党の蔡英文氏が圧勝し、台湾新時代が幕を開けた。

 たった一度の台湾訪問でファンになったぼくも、この選挙結果は正直言ってうれしかった。とくに若者パワーが発揮されたことに注目した。

 台湾の若者と言えば「ひまわり学生運動」を抜きには語れない。2014年3月18日、日本の国会議事堂にあたる立法院を、約300人の学生が占拠したのがはじまりだった。学生たちは、審議されていた台中間のサービス分野の市場開放を目指す「サービス貿易協定」に反対して立ち上がった。それを多くの市民が支援し、11万人以上が立法院を取り囲んだ。彼らは、中国に呑み込まれることを恐れたのだ。

 院内の状況は、メディアやニコニコ生放送経由で放送され、そこにヒマワリが掲げられているのを見た支持者たちが、次々とヒマワリを贈った。さらに新北市永和區のある花屋さんが1300本のヒマワリを院内に送り込んだことにより、ヒマワリがこの社会活動の象徴となった。現在の台湾でもっとも一般的な呼び方は「太陽花学生運動」だそうだ。若者やその支持者らの心理にあったのは、「台湾と中国は別の国で、自分は台湾人」と考える台湾人アイデンティティーの昂揚だった。

 台湾の国立政治大学が2015年に実施した世論調査によると、自分は「台湾人」と答えた人が59%に上り、「中国人」と答えたのはわずか3.3%で1992年の調査開始以来最低だった。「台湾人かつ中国人」と答えた人も少しずつ減っている。数字を見ても台湾人アイデンティティー意識は急速に高まっていることがうかがえる。

 台湾の最高学術機関・中央研究院の調査では、「独立」を希望するとの答えは46%で「中台統一」の16%を大きく上回った。しかし、「中台関係は将来どうなると思うか」との問いには50%が「中国に統一される」と答え、心情は複雑だ。

 ひまわり運動を起こした若者らが中心となって、2015年1月、「時代力量」という政党が設立された。「時代の力」という意味で、英語ではNew Power Party(略称:NPP)と呼ばれている。時代力量は、2016年1月の総統選と同時に行われた立法院選挙で民進党と協力し、5議席を獲得して台湾政界に地歩を築いた。

 だが、台湾経済が中国に依存しているのはまぎれもない事実だ。台湾の輸出に占める香港をふくめた中国の比率は約4割で、中国に進出した台湾企業の社員と家族は約100万人に上るとされる。大陸中国を抜きには台湾が生きて行けないのも確かだ。

 逆に言えば、「このままでは台湾はなくなってしまうのではないか」という危機意識が、台湾人アイデンティティー意識を高めている。

 川島真・東大教授はこう語っている。「中台の人・モノの往来が深まったこの8年で台湾人意識は変わった。中国が台湾に干渉すればするほど台湾人が離れる」

 台湾の人びとが大陸中国を嫌うのは、単に中国人が大きな声で話すとか列に並ばないというだけではない。共産党一党独裁下で、言論や民主化運動、チベット族、ウイグル族などを弾圧している事実が決定的とされる。完全に民主化された台湾の人びとにとっては、全体主義はもはや受け入れられない。香港では2014年、約2か月にわたってつづいた「雨傘運動」以来、最近も急進民主派と警官隊との衝突があり、中国の圧力はひとごとではない。ひまわり運動や時代力量が民主社会・台湾の象徴になるのは必然だった。

 ひるがえって、わが日本はどうだろう。若者の政治参加と言えば、左派メディアは「シールズ」をもてはやしている。「自由と民主主義のための学生緊急行動」 (SEALDs)と立派な名前を名乗ってはいるが、彼らの言説は幼稚、情緒的で説得力がなく、社会を動かし国会で議席を取るような力量はまったくない。地に足がついた時代力量とは比べものにならない。太陽に向かって咲くヒマワリに対し、生花に左がかった保存液と赤っぽい着色料を吸わせ乾燥したプリザーブドフラワーのようなものではないか。

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