やはり、あれは集団ヒステリーだった
フランスの風刺週刊紙『シャルリ・エブド』本社が銃撃され、編集長ら12人が殺害されてから、1年以上が過ぎた。あの銃撃テロに対するフランス社会の反応について、ぼくは2015年1月15日のブログでこう書いた。「遠い日本の出雲の地からながめていると、フランス全土はいま、集団ヒステリーにかかっているように思えてならない」。
ソ連の崩壊を、その20年以上も前に、乳児死亡率の上昇から予見したことで有名なフランス人歴史学者、人類学者エマニュエル・トッド氏(64)は、2016年1月に邦訳が出た『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』で、フランスのあれは集団ヒステリーだったと断定している。やはり、ぼくの見方は当たっていた。
事件後、フランスでは何が起こったのだろうか。トッド氏は「殺戮が、われわれの国の歴史に類例のない集団的反応を引き起こした」とする。「さまざまなメディアがいつになく一致し、こぞってテロリズムを告発し、フランス人の素晴らしさを讃え、自由と共和国を神聖視した」
「政府はあの週刊新聞の再生を支援するための補助金を出すと告知した。群衆が政府の呼びかけに応じ、フランス全国でデモ行進した」。その数は当時、日本で報道されたよりずっと多く、300万から400万人だったとされる。
「『私はシャルリ』というロゴが黒地に白で描かれ、テレビ画面に、街頭に、レストランのメニュー表に溢れた。子供たちが中学校から帰宅すると、その手にはCの文字が書かれていた。七、八歳の子供たちが小学校の校門の前でマイクを向けられ、事件の恐ろしさと、諷刺する自由の重要性についてコメントさせられた」「高校生が政府の決めた一分間の黙禱を拒否すると、それがどんな拒否であろうとも一律に、テロリズムの暗黙の擁護、および国民共同体への参加の拒否と解釈された」「八、九歳の子供たち数人が警察に事情聴取されたのだ。全体主義の閃光であった」
「二〇一五年一月、国家のやることなすことすべてがいささか滑稽だった。しかし、嗤うべきその滑稽さを指摘すれば、あの時期の満場一致の雰囲気の中では、テロリズムの擁護であるかのように受け取られたにちがいない」「集団ヒステリーの発作であった一月一一日のデモはわれわれに、今日のフランス社会におけるイデオロギー的・政治的権力のメカニズムを理解するために、信じられないくらい有用な鍵をもたらしてくれる」
トッド氏によれば、フランス人の94%は「もともとキリスト教」だったが、1960年から1990年までのあいだに、教会のミサに参加するなど宗教の実践の大部分は潰え去った。「三〇年、四〇年前にはカトリック教会がなお重きを成す国だったが、今では、国民の信仰と暮らしぶりから見て(神の存在を疑う)懐疑論者たちの国になっている」「フランスでは無信仰が一気に一般化し、風俗・風習が自由化した結果、変容しつつある国民が倫理的・政治的バランスの問題に直面している」
トッド氏と研究仲間のある人口学者は、ふたりの共著のなかで、「カトリック教会がその伝統的拠点地域において最終的に崩壊した結果として生まれた人類学的・社会学的パワー」を<ゾンビ・カトリシズム>と名づけている。
そして、「無信仰のフランスが自らのバランスを見つけるために、もはや使えなくなってしまった自前のカトリシズムに代わるスケープゴートを必要としている」と述べ、その対象として「イスラム教の悪魔化」に走ったと分析する。
「この仮説なしには、多めに見積もってもこの国の住民のわずか五%、しかも社会的に最も弱く、最も脆い立場にある五%の人びとにとって尊敬の対象であるムハンマド(モハメッド)という宗教的人物を諷刺する権利を絶対のものとして主張するために、数百万もの世俗的・非宗教的人間がゾンビ・カトリシズムの大統領を先頭にして街頭を行進する、などという事態は理解できない」
現代社会では、マスメディアが集団ヒステリーを誘発する。ケント・ギルバート氏は月刊誌WiLLへの寄稿で、日本の各テレビ局が報道番組で安保法制をめぐる両論をどう取り上げたかという比較データ(2015年9月14日~18日放送分)を紹介している 。
・NHK「ニュースウォッチ9」賛成32%、反対68%
・日本テレビ「NEWS ZERO」賛成10%、反対90%
・テレビ朝日「報道ステーション」賛成5%、反対95%
・TBS「NEWS23」賛成7%、反対93%
・テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」賛成54%、反対46%
・フジテレビ「あしたのニュース」賛成22%、反対78%
テレビ東京をのぞき、ほとんどが反対意見に圧倒的な時間を割いている。各局に意図があったかどうかは別にして、視聴者の多くはこれらの放送によってマインド・コントロールされた。「戦争法案」「徴兵制復活」などの言葉が効いた。人びとは安保法制に否定的意見を持ち、異口同音にそれを自発的な考えのように語り、集団ヒステリーにかかった。
患者に自覚症状はなく、また、他人からそれを指摘されることをえてして拒絶する。「『フランス風』集団ヒステリーの発作は西洋のどの国の社会でも起こり得ます」とトッド氏は指摘する。西洋化した日本でもそれがみられたわけだ。
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