神韻縹渺 〈印象、日の出〉にまさるものはない
豪雨によりパリを貫通するセーヌ川が決壊するなどして洪水となり、2106年6月初め、ルーブル、オルセー両美術館が収蔵品の移送のため閉鎖を強いられた。
ぼくが家族を連れてルーブルへ行ったときは、3時間待ちだったので、すぐにあきらめてセーヌ河畔やノートルダム寺院を散策した。年間900万人ものひとが訪れるルーブルで、東京のラッシュアワーのように絵を見る気にはなれなかった。
絵を見るには、距離感が大切だと思う。まず、精神的な距離感としては、その絵をよく知っているか、気に入っているかという点があげられる。物理的な距離感は、作品を近づいたりちょっと離れたりして見るということだ。個人の視力によっても、適当な距離はちがう。立ち位置を変えて見ると、その絵の奥深さを感じることができる。
「ポーラ美術館コレクション モネからピカソ、シャガールへ」を見に、松江市の島根県立美術館へ行った。ぼくが子どものころにはまだこの美術館はなかったから、出雲へUターンして初めて訪れた。話には聞いていたが、ロケーションが素晴らしい。宍道湖の湖畔にあり、ロビーの全面ガラスから湖が見渡せる。特に夕陽がいいそうだ。美術館のロケーションとしては世界屈指と言っていいのではないか。
平日の午前中だったので、観覧者はちょうどいいくらいの人数だった。ガランとしているのもいい絵を見るのにはさみしいし、ラッシュアワー並みではゆっくり絵を楽しめない。
展示作品で一番有名なのは、ピカソの〈花束を持つピエロに扮したパウロ〉(1929年)かもしれないが、ぼくのお目当てはちょっとちがう。
クロード・モネの〈セーヌ河の日没、冬〉(1880年)だった。パリのど真ん中ではなく、川岸に建物もほとんどないおそらくノルマンディー地方のセーヌに沈もうとする夕陽を描いている。じかに見ると、モネにしては第1級とは言えないだろうが、暮れようとする河の濃い青、夕陽と空のオレンジが印象的ないい作品だ。
この絵を見たかったのは、ほぼおなじ色調で描かれた有名な1枚〈印象、日の出〉が、世界中の絵のなかでぼくの一番のお気に入りだからだ。モネ33歳、ぼくが生まれるよりちょうど80年前の1873年の作品だ。
安井裕雄著『モネ 生涯と作品』(東京美術)で知ったのだが、この絵は、1874年に開かれた「画家、版画家、彫刻家等芸術家による“共同出資会社”第1回展」にモネが出品した12枚のうちの1点だった。
セーヌ河が大西洋へと注ぐ郷里ル・アーヴルの港町を描いたもので、「一見、未完成かのような筆致を残した表現が、非難の的になった」という。当時としては、あまりにも斬新な画法だったのかもしれない。
だが、そのタイトルから、モネやルノアールなどは後世「印象派」と呼ばれることになる。「――“共同出資会社”第1回展」も、絵画史では「第1回印象派展」と呼ばれていまにいたる。もっとも、ある批評家が〈印象、日の出〉を揶揄した言葉が定着したとされる。
〈印象、日の出〉は、写実の対極にある。空と海が濃いブルーに染まるころ、鮮やかなオレンジの日の出が中空に浮かんでいる。モネは、あくまで脳裏に浮かぶ日の出の印象を描いたのではないだろうか、とも思っていた。だが、実際に港に向かって絵筆をとったらしい。まさに神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる1枚だ。
モネの父は若いときに船員見習いをしていたが、モネ誕生時の職業は明らかではない。経済的な理由から、モネが5歳のとき、一家は父の異母姉を頼ってル・アーヴルに移り住んだ。
のちにモネが画家を志望したのは、絵画を愛し自らも描いていたその伯母の影響があったかららしい。中学生だったころから、本格的にカリカチュア(似顔絵)を描いて売るようになった。1枚あたり20フラン、いまの貨幣価値で約2万円にもなったという。
「15歳にして私はカリカチュアリストとしてル・アーヴル中に知られるようになったのです。もしそのまま続けていれば、今頃は億万長者になっていたでしょう」
しかし、19歳のときに画家を目指してパリに出て、1歳下のルノアールなどと知り合った。モネとルノアールは、27歳のころいっしょに住んでいたこともある。やがて、後世に言う印象派が誕生する。
だが、パリのサロン(官展)は、モネらの新しい試みに対して冷淡な反応しか示さず、仲間たちは相次いで落選した。そのため彼らは、サロン以外の発表の場を求めてグループ展の開催を考えはじめるようになった。
運悪く1870年に普仏戦争がはじまり、モネは兵役を避けるために妻子とロンドンに逃れた。モネ、ルノアールを自宅に招き入れて支えてくれた画家仲間のバジールは、前線に赴き戦死してしまった。
戦争とパリ・コミューンの打撃からフランス経済が急速に復興し、だぶついた金が美術市場にも流入してきた。「第1回印象派展」の開催にこぎつけ、フランス美術界に衝撃を与えたのには、そうした時代背景があった。
モネには晩年の連作〈睡蓮〉など傑作はいくらでもある。そうした作品の一部は、松江市でも出品されていた。しかし、ぼくのなかでは〈印象、日の出〉にまさるものはない。
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