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憲法9条2項による殺人未遂事件

 ニューデリーで特派員をしているころ、アフガニスタンやパキスタンに空路でくり返し入った。万一、情勢が悪化すれば、家族の待つニューデリーへ帰れなくなる。もし、ニューデリーで騒乱があったら…。そんな緊急時にはどうするか、自分なりの心構えはあった。どう考えてもアメリカ軍に頼るしかない。

 わが自衛隊は素晴らしい装備と技術を持っているが、憲法9条2項の制約のために、海外紛争地の邦人などを救出することはできない。国家の最大の責務は、国土と国民の生命、財産を守ることだが、その意味で、日本は国家ではなかった。

 ベトナム戦争末期にサイゴンが陥落したとき、現地で取材をしていたぼくの大先輩記者は、間一髪でアメリカ軍機に乗せてもらうことができ、九死に一生を得たと語っていた。24時間、銃声・砲声の絶えないアフガニスタンの首都カブールにいて、先輩の体験談を思い出し身震いしたこともある。

 ノンフィクション作家・門田隆将氏の傑作『日本、遙かなり エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』を読んだとき、ふたたびその体験談を思い出した。

 1985年のイラン・イラク戦争のさなか、イランの首都テヘランには215人の日本人がいた。主に日本企業の駐在員とその家族だった。

 テヘランの日本大使館でナンバー2の公使は「いざという時には日本政府は頼りにならない」ということを率直に口にする、珍しいタイプの外交官だった。他国とちがい、日本から救援機は飛んでこないので「ふだんから、自分でいざという時の努力をお願いします」と語っていたという。

 世界の常識としては、緊急事態になったとき、通常の民間フライトはすべてキャンセルして特別便を仕立て、軍人が操縦して飛んできてくれる。

 日本人外交官には在留邦人を助ける職務があるはずだったが、実際には、やりたくても法的システムはなく、そのための飛行機も用意されてはいなかった。それに、自衛隊機が海外に行くことには、世論の反発が予想された。「戦争」や「軍隊」への国民のアレルギーがあるからだった。

 では、どうやって在留邦人はわが身を守ればいいのか。その公使がアドバイスしたのは、パリなどどこか国外の都市に飛べるチケットを家族分買い、それを一度キャンセルして手元に置いておくという方法だった。

 チケットは1年間有効であり、緊急時にそれを持って国際空港に行き、どこ行きでもいいから脱出できそうなフライトに乗せてもらうのだ。

 そして、テヘランの日本人外交官は他国の外交官に、いざという時には日本人を助けてくれとお願いしていたという。

 1985年3月17日午後8時、イラク空軍司令部は「いまから48時間後、イラン全土を戦争空域に指定する。すべての民間航空機が攻撃を受ける可能性が或る」と発表した。

 日本政府は、日本航空機(JAL)を救援に飛ばすことを考えたが、それは当然ながら実現しなかった。

 しかし、奇跡的なことが起こった。伊藤忠のトルコ・イスタンブールに駐在している森永堯(43)という人物は、トルコ首相と緊密な仲だった。その森永氏に東京の伊藤忠本社から国際電話が入った。「なんとかトルコ政府を動かして、イラン在留邦人のために、トルコ航空機を出してもらってくれ」

 その無茶な指示が実現した。イラクによる空爆開始の寸前、在留邦人はトルコ航空機によって脱出し九死に一生を得たのだった。

 日本の護憲派メディアは、9条こそが平和を保ってきたと言う。それはとんでもないプロパガンダだ。トルコからの救援機が来なかったら、どれだけの在留邦人に犠牲者が出たことか。インド亜大陸での自分の経験から言っても、ぞっとする。

 イラン脱出の件は、ある見方をすれば「未必の故意」による殺人未遂事件ではなかったか。犯人は、戦力不保持を定めた憲法9条2項だ。邦人らは危うく見殺しにされるところだった。1990年の湾岸戦争で「人間の盾」とされた日本人、1994年のイエメン内戦から脱出した日本人、2011年のリビア動乱からの日本人脱出などでもおなじことがくり返された。いずれのケースでも、在留邦人は、自衛隊ではなく第三国によって救出された。

 2015年9月、安保法制の一翼である自衛隊法も改正された。だが、当該国が安全と秩序を「維持」しており、当該国の「同意」があり、さらに当該国との「連携・協力」の確保が見込まれる場合にのみ、自衛隊は、在外邦人の「救出・保護」をおこなえるとされた。

 つまり、戦争や紛争の地では、そういう条件が満たされず、自衛隊は動けない。不幸にして、おびただしい数の日本人が犠牲にでもならないかぎり、護憲派の目を覚まし憲法9条2項を改正することはできないのかもしれない。

 門田氏はこう書いている。「自衛のための武力の行使は、憲法でも認められ、そのために自衛隊も現に存在している。だた、そのことを認めず、『命は見殺しにしていい』という人々やマスコミが大手を振っているのが日本である」

 参院選で安保法制の廃止を訴える候補者は、一度、海外で九死に一生を得てみればいい。

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コメント

初めまして。
先日、映画「海難1890」鑑賞と門田隆将氏の講演を聴く機会があり、関連の言葉で検索中にこちらをみつけました。
記事に共感いたしました。
「憲法9条2項による殺人未遂事件」というタイトルは刺激的ですが、その通りと思いました。
「『とと姉ちゃん』にみるNHKの欺瞞」も同様に思っていました。
NHK朝ドラはああいう台詞を織り込む傾向がありますね。
私は、日本人が戦後70年の思い込みから何とか解放されないものかと、ブログを綴り続けてもう10年以上になります。
コメント一覧がないので、このコメントに気づかれるかどうかわかりませんが。

投稿: robita | 2016年10月18日 (火) 23時17分

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