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2016年10月

人工知能でいらなくなる職業、生き残る職業

 人工知能(AI)についてのニュースが、このところ急激に増えている。2016年夏、60代の女性患者の白血病が治療のむずかしい特殊なタイプだと、人工知能が見抜き、医師に適切な治療法の助言をして、患者の回復に貢献していたというニュースが伝わった。

 人工知能が膨大な医学論文を学習し、治療法を提示した。治療した東大医科学研究所は「医療へのAI応用に大きな手応えを感じた」としている。産経新聞が伝えた。

 あまり大きなニュースとはならなかったようだが、これは大変なことが起きていることを示唆している。近い将来、病院へ行っても医師の診察をまず受けるのではなく、MRIやCTなど医療器具に体を預け、膨大な医学分野のビッグデータをもとに診断を受け、その補助として人間の医師がアドバイスする日がやってくる。

 東大医科学研究所が使ったのは、アメリカのクイズ番組で人間のチャンピオンを破った米IBM製の「ワトソン」という人工知能だった。東大は昨年からIBMと共同で、がんに関連する約2千万件の論文(ビッグデータ)をワトソンに学習させ、臨床研究を実施した。

  女性患者のがんに関係する遺伝子情報をワトソンに入力したら、急性骨髄性白血病のうち、診断や治療が難しい「二次性白血病」という特殊なタイプだとわずか10分で見抜いた。

 ワトソンと言えば、名探偵シャーロック・ホームズの助手である元軍医の名前だ。人工知能のワトソンが治療法の変更を提案し、臨床チームは別の抗がん剤を採用した。その結果、女性は数か月で回復して退院し、現在は通院治療を続けているという。

 ここではすでに、人工知能が主役であり人間の医師はアシスタントのような立場に甘んじている。つまり、助手のワトソンが主役で名探偵ならぬ人間のベテラン主治医は助手のような役どころとなっている。こうしたケースは決して例外ではなくなりつつあるようだ。

 中央公論は、「人工知能は仕事を奪うのか」という特集を組んだ。あるページには「人工知能やロボット等による代替可能性が低い100の職業」のリストが掲載されている。これは、人工知能やロボットがいくら発達しても、仕事をおびやかされる恐れの少ない専門職の一覧とも言える。

 リストにある医療関係をみると、まずまず安泰な職業として外科医、内科医、産婦人科医、精神科医、小児科医、歯科医師、獣医師、助産婦、医療ソーシャルワーカーがあげられている。

 とは言え、ワトソンの活躍にみられるように、これまでは内科医が個人の知識と経験から診断し治療法を考えてきたが、これからはその主体が主に人工知能になる。医療用ロボットも日進月歩で開発が進んでいる。外科医なども安泰ではなくなるかもしれない。

 医療以外で生き残れそうなのは、いずれも専門職だ。アナウンサー、アロマセラピスト、インテリアのコーディネーターやデザイナー、音楽教室講師、映画監督、映画カメラマン、博物館・美術館の学芸員(キュレーター)、広告ディレクター、コピーライターなどなどがある。

 作詞家、作曲家、ミュージシャンも代替可能性が低いリストにいちおうは入っているが、果たしてそうだろうか。すでに、パソコンでも作詞や作曲のソフトはそうとう優れものが出回っている。それに人工知能を搭載すれば、天才的作詞家や奇才の作曲家が誕生する可能性はある。「以前は、人間の作詞家や作曲家がいたよねぇ」という時代がくるかもしれない。

 スポーツ関係では、インストラクターやスポーツライターがリストに入っている。しかし、この分野でもビッグデータを利用した鍛錬法や筋肉運動がすでに一部で取り入れられており、そうした最先端の技術を実践指導で使いこなせないインストラクターなどは、すぐお払い箱になるかもしれない。

 マスメディア関係ではどうだろう。リストにあがっているのは、放送記者や放送ディレクター、報道カメラマンなどいずれもテレビ関係だ。

 しかし、ぼくの知る限り、インターネットが普及してから、放送関係者の総合的な能力はかなり落ちている。放送記者を例にとれば、まず現場へ行くのが主務だし、こまめに人に会って体温のある情報を集めなければ、存在意義は失われてしまう。すでに、ネット情報を集めて小器用に「料理」してニュースを仕立てる「足腰のない」幽霊のような記者がたくさんみうけられる。

 スパイ・諜報の世界には「ヒューミント」と言って生身の人間からもたらされる情報を重視する伝統がある。いまのメディア界ではそのヒューミントがあまりにも軽んじられているように感じる。ネットで集めた情報やビッグデータを参考とし、それにヒューミントを加味すれば完璧なのだが。

 中央公論のリストには、なぜか新聞記者も雑誌記者も、その総称としてのジャーナリストという言葉も入っていない。紙の新聞はたしかに斜陽産業だが、紙がネット上のメディアに代わったとしても、本当に価値のある情報を発掘して広く伝える使命をもつのは、やはりジャーナリストであろうと、ぼくは自負している。

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タクシー事情、東西南北

 初めての国や日本国内の都市へ行ったとき、最初の地元情報をもたらしてくれるのは、タクシー運転手さんの場合がよくある。何と言っても街をよく知っているし、毎日、さまざまなお客さんを乗せているから口コミ情報にも通じている。

 ぼくは、特派員をしているころ、どこかの国の街で取材の時間がぽっかり空いたときなどには、タクシーに乗ってその運転手さんの自宅へ連れて行ってもらったりした。「お宅をみせてくれませんか?」と頼むと、まずたいていの運転手さんはびっくりするが、こちらが日本の特派員であることを話し、「この街のふつうの人びとの暮らしぶりを知りたいので、それにはあなたの家庭をみせてもらうのが一番てっとり早いから」と説得する。

 もちろん、ある程度、言葉が通じるときに限られるが、だいたい運転手さんはOKしてくれる。

 あるときは、インド洋に浮かぶスリランカの最大都市コロンボで、運転手さんの自宅へ行った。街中心部から約20分郊外に走った緑豊かなところにある、かなりゆったりした一軒家だった。突然の訪問だったのに奥さんが快く迎えて、お茶を出してくれた。奥さんは英語があまり話せないようだったが、運転手さんに、街のこと、家庭のこと、タクシー会社のこと、そしていま学校へ行っている子どもたちなどのことを聞いた。

 運転手さんは日本のことを知りたがったので、ぼくもいろいろ話をした。取材では、どうしても政府の官僚や政治家などに会うことが多いが、こうして庶民の本音を聞き出すと、その国の事情が立体的にわかり、記事に厚みが出せるような気がした。

 おなじタクシーと言っても、国によって事情は大きくちがう。パキスタンでタクシーに乗ると、運転手さんは必ずと言っていいほど、こちらの行きたい目的地に直行してはくれなかった。まず、ガソリンスタンドに寄って走行にとりあえず必要なだけ給油し、それから目的地に向かう。

 パキスタンはまだ貧しい国で、ガソリンを常に満タンにして客を待つ金銭的な余裕がないからのようだった。こっちが急いでいるときには頭に来るが、「郷に入っては郷に従え」でしようがない。でも、運転手さんのマナーは良く、親日国家だから不愉快な思いをしたことはなかった。

 国や都市によっては、タクシー運転手が、密かに提携している土産物店などへ客を誘導しようとするケースがあるが、パキスタンではそんなこともなかった。料金をぼったくられたこともほとんどない。そういう意味では、料金制があってないような東となりのインドよりずっとましだった。

 さて、タクシーと言えば、あるとき、世界各国の特派員がつくる団体が、「どの国のどこの都市のタクシー事情がいいか」アンケートをとったことがある。その結果、東京のタクシーがベストに選ばれた。料金が明朗で、運転手のサービスもいいことが理由だった。

 しかし、ぼくはドイツへ赴任しヨーロッパ各国へ出張する機会をもつにつれ、ドイツのタクシー事情こそ世界一だろうと思った。

 まず何と言っても、ドイツのタクシーのほとんどはメルセデス・ベンツで高級感がある。たまにアウディやBMWのタクシーに出会うと、これは珍しいなと思ってしまう。料金はもちろんメーター通りだけ払えばいいから、日本とおなじ明朗会計だ。

 こちらがスーツケースなど大きな荷物をもっていると、運転手さんはさっと車を降りてトランクに入れてくれる。その身のこなしは、東京の運転手さんよりよほどさっそうとしている。

 ある運転手さんに聞いた話だが、ドイツではタクシー運転手になるとき、日本で言う2種免許取得とは別に資格試験があるという。都市によってはトルコ人など移民の運転手も多いから、まず、ドイツ語の基本会話ができなければならない。それに加え、テリトリーとする都市の道路状況もある程度覚えておかなければならないそうだ。

 もちろん、露地まですべて頭に入っている運転手さんは少ないが、そこそこの通りだったら「よく知っているな」とこちらが感心するほどの知識がある。

 ドイツ語には、じつに多彩なあいさつ言葉がある。「良い夕方をお過ごしください」「素晴らしい週末になりますように」などなどだ。乗ったとき、降りるときに、運転手さんに一声かけてもらうとフレンドリーな空気が生まれる。これは東京のタクシーではあまり期待できない点だろう。

 ドイツのタクシーにひとりで乗る場合、習慣として客は助手席に乗る。運転手は男性が多いから、若い女性がひとりのときは後部座席に乗ることもあるが、ぼくにとっては運転手さんとおしゃべりしながら走行できて、じつに楽しかった。

 あるとき、運転手さんがこう言った。「日本にはまだ行ったことはないけど、この夏、1か月ほどタイに滞在しましたよ。東洋はエキゾチックで楽しかったな」

 ドイツ人やドイツへの移民はモーレツに働くが、それはウアラウプ(長期休暇)を楽しむためだ、という有力な説がある。タクシー運転手さんでも、1か月以上の休みを取り、ゆったりと海外のリゾート地で時間を過ごす人生の余裕がある。

 この点で、東京のタクシー事情は完敗ではないだろうか。

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『とと姉ちゃん』にみるNHKの欺瞞

 連続テレビ小説『とと姉ちゃん』が終わった。実際に発行されていた生活雑誌『暮しの手帖』がモデルとされる。雑誌社を作った3姉妹の長女・常子は、若くして病死したとと(父親)の代わりに妹ふたりを育て、「とと姉ちゃん」と呼ばれていた。

 わが家でも毎朝、予約録画しておいて、たいていはお昼を食べながらみた。最大100万部を突破したあの有名な雑誌が、どんないきさつでどんな人たちによって作られていたか、興味があった。ドラマは基本的にはフィクションだが、敗戦から高度成長期に至る時代の空気というか活気が感じられるのではないかと楽しみながらみていた。

 メイド・イン・ジャパンの製品がまだ粗悪で、公正な商品テストをくり返すエピソードなどは、現実でも『暮しの手帖』の真骨頂だった。天才肌で編集部員にきびしい花山編集長(唐沢寿明さん)とぶつかりながらも、いい雑誌、理想の雑誌を作り上げようとする常子(高畑充希さん)の物語には好感がもてた。

 ドラマの最終盤、花山編集長がひとりで広島へ取材にいく。戦地体験のある自分が、広島の人びとは戦時中、何を考え、何を体験し、どう暮していたか、特に被爆の体験を自分で取材して書き残しておきたいという気持からだった。

 この展開をみて、ぼくは、NHKがどんな結末にしたいのか、ちょっと不審に思った。持病をもつ花山は広島の帰り東京駅で倒れ、常子らは、もうこれ以上、現地取材には行かないで欲しいと望む。そこで、読者から戦時体験の手記を募集して『あなたの暮し』に掲載することになった。

 花山は、読者の体験談を公募する記事を自分で書くことにこだわり、こうつづる。

 「あの戦争は、昭和16年にはじまり20年に終わりました。それは言語に絶する暮らしでした。あのいまわしくてむなしかった戦争のころの暮らしを記憶を私たちは残したいのです。あのころまだ生まれていなかった人たちにも戦争を知ってもらいたくて、貧しい一冊を残したいのです。もう二度と戦争をしない世の中にしていくために。もう二度とだまされないように、ペンをとり私たちのもとへお届けください」

 ぼくの推察通り、NHKは変なほうへ話をゆがめていった。モデルとなった『暮しの手帖』が読者から戦時体験談を募集したのは実際の話だろうが、その公募記事はドラマにあったような内容だったのだろうか。

 ぼくが一番引っかかったのは「もう二度とだまされないように」というくだりだった。誰が誰にだまされたと言うのか。1931年の満州事変から45年の大戦敗戦までを戦時中として、その時代に、誰が誰をだましたと言うのだろうか。

 ここは、日本現代史の核心の部分だ。

 満州事変前後、日本の世論は沸騰していた。マスメディアも大多数の知識人も、一般国民も主戦論を叫んでいた。当時の主導的メディアだったNHKや毎日新聞、朝日新聞はスクープ合戦を展開し、それいけどんどんと国民を煽り、また、政府・軍部を煽った。決して、戦後言われたように、「軍部の圧力」があったからマスメディアは冷静な紙面が作れなかった、というような話ではない。

 毎日新聞が煽りで先行して部数を伸ばし、それに対抗すべく朝日新聞も国民を煽りに煽って毎日を超す部数を獲得し大もうけした。軍部は、むしろメディアに引っ張られて、戦火を拡大した面が否定できない。

 もう一度書く。「もう二度とだまされないように」とは、誰が誰にだまされたと言うのか。『暮しの手帖』に殺到した体験談では、われわれ一般国民は政府や軍部にだまされた、という内容がやはり圧倒的だったのだろうか。

 しかし、それは史実ではない。だました主体があったとすれば、NHKであり毎日新聞、朝日新聞などだった。そして、メディアをそう仕向けた世論があった。

 では、なぜ「国民はだまされた」という発想が戦後の日本に定着したのだろうか。その元凶は、現代史の研究によってはっきりしている。

 日本の敗戦後、占領し日本政府の背後から間接統治したGHQこそ、そういう偽の記憶を日本人の脳裏に刷り込んだ張本人だった。その最初の手段は、日本のすべての新聞にGHQが掲載を命じた『太平洋戦争史』という長大な連載記事だった。1945(昭和20)年、12月8日から10回にわたって連載された。

 日本人はあの大戦を「大東亜戦争」と一貫して呼んでいたが、この新聞強制連載以来、「太平洋戦争」という呼称で統一されいまに至る。いま、ほとんどの日本人は太平洋戦争という呼称に違和感をもたないだろう。連載はそれだけ心理に強く作用した。ぼくは国立国会図書館に保管されている『太平洋戦争史』の書き出しを読み、心底びっくりした。

 「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙にいとまがないほどであるが……」

 軍国主義者と国民がはっきり分けて示されている。満州事変以降、国民のほとんど全員が軍国主義者だったという史実は、国民を被害者にする論法で“上書き”されている。しかも、メディアはどっちだったかということも、この大連載ではまったくふれられていない。

 GHQによる現代史の重大な捏造を、NHKは自ら反省することなく、国民的番組『とと姉ちゃん』で、またも追認したのだった。その欺瞞は、若い世代に継承されていく。

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