人工知能でいらなくなる職業、生き残る職業
人工知能(AI)についてのニュースが、このところ急激に増えている。2016年夏、60代の女性患者の白血病が治療のむずかしい特殊なタイプだと、人工知能が見抜き、医師に適切な治療法の助言をして、患者の回復に貢献していたというニュースが伝わった。
人工知能が膨大な医学論文を学習し、治療法を提示した。治療した東大医科学研究所は「医療へのAI応用に大きな手応えを感じた」としている。産経新聞が伝えた。
あまり大きなニュースとはならなかったようだが、これは大変なことが起きていることを示唆している。近い将来、病院へ行っても医師の診察をまず受けるのではなく、MRIやCTなど医療器具に体を預け、膨大な医学分野のビッグデータをもとに診断を受け、その補助として人間の医師がアドバイスする日がやってくる。
東大医科学研究所が使ったのは、アメリカのクイズ番組で人間のチャンピオンを破った米IBM製の「ワトソン」という人工知能だった。東大は昨年からIBMと共同で、がんに関連する約2千万件の論文(ビッグデータ)をワトソンに学習させ、臨床研究を実施した。
女性患者のがんに関係する遺伝子情報をワトソンに入力したら、急性骨髄性白血病のうち、診断や治療が難しい「二次性白血病」という特殊なタイプだとわずか10分で見抜いた。
ワトソンと言えば、名探偵シャーロック・ホームズの助手である元軍医の名前だ。人工知能のワトソンが治療法の変更を提案し、臨床チームは別の抗がん剤を採用した。その結果、女性は数か月で回復して退院し、現在は通院治療を続けているという。
ここではすでに、人工知能が主役であり人間の医師はアシスタントのような立場に甘んじている。つまり、助手のワトソンが主役で名探偵ならぬ人間のベテラン主治医は助手のような役どころとなっている。こうしたケースは決して例外ではなくなりつつあるようだ。
中央公論は、「人工知能は仕事を奪うのか」という特集を組んだ。あるページには「人工知能やロボット等による代替可能性が低い100の職業」のリストが掲載されている。これは、人工知能やロボットがいくら発達しても、仕事をおびやかされる恐れの少ない専門職の一覧とも言える。
リストにある医療関係をみると、まずまず安泰な職業として外科医、内科医、産婦人科医、精神科医、小児科医、歯科医師、獣医師、助産婦、医療ソーシャルワーカーがあげられている。
とは言え、ワトソンの活躍にみられるように、これまでは内科医が個人の知識と経験から診断し治療法を考えてきたが、これからはその主体が主に人工知能になる。医療用ロボットも日進月歩で開発が進んでいる。外科医なども安泰ではなくなるかもしれない。
医療以外で生き残れそうなのは、いずれも専門職だ。アナウンサー、アロマセラピスト、インテリアのコーディネーターやデザイナー、音楽教室講師、映画監督、映画カメラマン、博物館・美術館の学芸員(キュレーター)、広告ディレクター、コピーライターなどなどがある。
作詞家、作曲家、ミュージシャンも代替可能性が低いリストにいちおうは入っているが、果たしてそうだろうか。すでに、パソコンでも作詞や作曲のソフトはそうとう優れものが出回っている。それに人工知能を搭載すれば、天才的作詞家や奇才の作曲家が誕生する可能性はある。「以前は、人間の作詞家や作曲家がいたよねぇ」という時代がくるかもしれない。
スポーツ関係では、インストラクターやスポーツライターがリストに入っている。しかし、この分野でもビッグデータを利用した鍛錬法や筋肉運動がすでに一部で取り入れられており、そうした最先端の技術を実践指導で使いこなせないインストラクターなどは、すぐお払い箱になるかもしれない。
マスメディア関係ではどうだろう。リストにあがっているのは、放送記者や放送ディレクター、報道カメラマンなどいずれもテレビ関係だ。
しかし、ぼくの知る限り、インターネットが普及してから、放送関係者の総合的な能力はかなり落ちている。放送記者を例にとれば、まず現場へ行くのが主務だし、こまめに人に会って体温のある情報を集めなければ、存在意義は失われてしまう。すでに、ネット情報を集めて小器用に「料理」してニュースを仕立てる「足腰のない」幽霊のような記者がたくさんみうけられる。
スパイ・諜報の世界には「ヒューミント」と言って生身の人間からもたらされる情報を重視する伝統がある。いまのメディア界ではそのヒューミントがあまりにも軽んじられているように感じる。ネットで集めた情報やビッグデータを参考とし、それにヒューミントを加味すれば完璧なのだが。
中央公論のリストには、なぜか新聞記者も雑誌記者も、その総称としてのジャーナリストという言葉も入っていない。紙の新聞はたしかに斜陽産業だが、紙がネット上のメディアに代わったとしても、本当に価値のある情報を発掘して広く伝える使命をもつのは、やはりジャーナリストであろうと、ぼくは自負している。
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