タクシー事情、東西南北
初めての国や日本国内の都市へ行ったとき、最初の地元情報をもたらしてくれるのは、タクシー運転手さんの場合がよくある。何と言っても街をよく知っているし、毎日、さまざまなお客さんを乗せているから口コミ情報にも通じている。
ぼくは、特派員をしているころ、どこかの国の街で取材の時間がぽっかり空いたときなどには、タクシーに乗ってその運転手さんの自宅へ連れて行ってもらったりした。「お宅をみせてくれませんか?」と頼むと、まずたいていの運転手さんはびっくりするが、こちらが日本の特派員であることを話し、「この街のふつうの人びとの暮らしぶりを知りたいので、それにはあなたの家庭をみせてもらうのが一番てっとり早いから」と説得する。
もちろん、ある程度、言葉が通じるときに限られるが、だいたい運転手さんはOKしてくれる。
あるときは、インド洋に浮かぶスリランカの最大都市コロンボで、運転手さんの自宅へ行った。街中心部から約20分郊外に走った緑豊かなところにある、かなりゆったりした一軒家だった。突然の訪問だったのに奥さんが快く迎えて、お茶を出してくれた。奥さんは英語があまり話せないようだったが、運転手さんに、街のこと、家庭のこと、タクシー会社のこと、そしていま学校へ行っている子どもたちなどのことを聞いた。
運転手さんは日本のことを知りたがったので、ぼくもいろいろ話をした。取材では、どうしても政府の官僚や政治家などに会うことが多いが、こうして庶民の本音を聞き出すと、その国の事情が立体的にわかり、記事に厚みが出せるような気がした。
おなじタクシーと言っても、国によって事情は大きくちがう。パキスタンでタクシーに乗ると、運転手さんは必ずと言っていいほど、こちらの行きたい目的地に直行してはくれなかった。まず、ガソリンスタンドに寄って走行にとりあえず必要なだけ給油し、それから目的地に向かう。
パキスタンはまだ貧しい国で、ガソリンを常に満タンにして客を待つ金銭的な余裕がないからのようだった。こっちが急いでいるときには頭に来るが、「郷に入っては郷に従え」でしようがない。でも、運転手さんのマナーは良く、親日国家だから不愉快な思いをしたことはなかった。
国や都市によっては、タクシー運転手が、密かに提携している土産物店などへ客を誘導しようとするケースがあるが、パキスタンではそんなこともなかった。料金をぼったくられたこともほとんどない。そういう意味では、料金制があってないような東となりのインドよりずっとましだった。
さて、タクシーと言えば、あるとき、世界各国の特派員がつくる団体が、「どの国のどこの都市のタクシー事情がいいか」アンケートをとったことがある。その結果、東京のタクシーがベストに選ばれた。料金が明朗で、運転手のサービスもいいことが理由だった。
しかし、ぼくはドイツへ赴任しヨーロッパ各国へ出張する機会をもつにつれ、ドイツのタクシー事情こそ世界一だろうと思った。
まず何と言っても、ドイツのタクシーのほとんどはメルセデス・ベンツで高級感がある。たまにアウディやBMWのタクシーに出会うと、これは珍しいなと思ってしまう。料金はもちろんメーター通りだけ払えばいいから、日本とおなじ明朗会計だ。
こちらがスーツケースなど大きな荷物をもっていると、運転手さんはさっと車を降りてトランクに入れてくれる。その身のこなしは、東京の運転手さんよりよほどさっそうとしている。
ある運転手さんに聞いた話だが、ドイツではタクシー運転手になるとき、日本で言う2種免許取得とは別に資格試験があるという。都市によってはトルコ人など移民の運転手も多いから、まず、ドイツ語の基本会話ができなければならない。それに加え、テリトリーとする都市の道路状況もある程度覚えておかなければならないそうだ。
もちろん、露地まですべて頭に入っている運転手さんは少ないが、そこそこの通りだったら「よく知っているな」とこちらが感心するほどの知識がある。
ドイツ語には、じつに多彩なあいさつ言葉がある。「良い夕方をお過ごしください」「素晴らしい週末になりますように」などなどだ。乗ったとき、降りるときに、運転手さんに一声かけてもらうとフレンドリーな空気が生まれる。これは東京のタクシーではあまり期待できない点だろう。
ドイツのタクシーにひとりで乗る場合、習慣として客は助手席に乗る。運転手は男性が多いから、若い女性がひとりのときは後部座席に乗ることもあるが、ぼくにとっては運転手さんとおしゃべりしながら走行できて、じつに楽しかった。
あるとき、運転手さんがこう言った。「日本にはまだ行ったことはないけど、この夏、1か月ほどタイに滞在しましたよ。東洋はエキゾチックで楽しかったな」
ドイツ人やドイツへの移民はモーレツに働くが、それはウアラウプ(長期休暇)を楽しむためだ、という有力な説がある。タクシー運転手さんでも、1か月以上の休みを取り、ゆったりと海外のリゾート地で時間を過ごす人生の余裕がある。
この点で、東京のタクシー事情は完敗ではないだろうか。
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