書評・映画評・メディア評

米大統領選では、既存メディアも敗北した

 2015年はテロの年だった。2016年はどうなるかと思っていたら、政治激動の年になった。イギリスのEU脱退を決めた国民投票、韓国の朴槿恵大統領をめぐるみっともない国家的スキャンダルときて、最後はアメリカ大統領選でドナルド・トランプ勝利の激震が世界に走った。

 いつ以来かと考えてみたら、まちがいなく1989年以来だろう。あのころ、ぼくはニューデリー特派員として担当エリアの南アジア8か国、さらに、東南アジアへの出張に明け暮れた。硬直していたアフガニスタン情勢が動き出し、それにともなって地域の政情が混迷した。天安門事件があり、ベルリンの壁が崩れた。

 トランプの辛勝を受け、選挙中の「トランプ劇場」から勝利後の「トランプ革命」へと連載タイトルが変遷した新聞もある。

 アメリカの大統領選が、あれほど面白くなるとは思ってもみなかった。開票の日、フジテレビ系の『バイキング』をみながら、かみさんと昼食を食べていた。日本時間の午後1時ごろには当落が判明されると言われていたが、とてもそんな状況ではなかった。NHKに変えると、しかめ面をして開票状況を伝えるだけで、面白くない。お昼の時間帯に大統領選をやっている民放は、どうやらフジだけで、夕方まで観つづける結果になった。

 スタジオのタレントがボケを入れたりそれに突っ込んだりして、視聴者の興味をつないでいく。出色だったのは、NHK出身のジャーナリスト木村太郎氏が、1年前から一貫してトランプ勝利を主張し、どうやらその予測が現実になりそうなことだった。

 今回の大統領選で、アメリカのテレビやタブロイド紙は、トランプをとことん取り上げた。人種差別や女性蔑視の発言を「視聴率が取れればいい」「新聞が売れればいい」と面白おかしく報じた。

 アメリカのマスメディアの8割はリベラルとされる。リベラルとは本来「自由主義的な」という意味で、政治的に穏健な革新を目指す立場をとることを意味する。だが、CNNテレビやニューヨーク・タイムズといった主力メディアは「左翼」と言ったほうが実態に近いのではないか。

 その自称リベラルなマスメディアは、ヒラリーの巨額金銭疑惑には口をぬぐい、そろいもそろってヒラリー優勢を伝えていた。その根拠は各種世論調査のデータだった。

 ぼくも新聞社で世論調査の設計や分析に当たっていたことがあり、ある程度は裏表を知っている。いまの世論調査は統計学によりかかり過ぎていて、回答者がなぜそう答えたのかといった心理学的な分析はほとんどしない。

 現在のアメリカでは、人種差別や女性蔑視を否定するのが“良識”とされている。しかし、日本史も研究する米歴史学者ジェイソン・モーガン氏などによれば、アフリカから大量の黒人を奴隷として連れてきたのも、アメリカン・インディアンを千万人単位で虐殺したのも新大陸へやってきた白人だった。その血まみれの歴史は人種差別どころの話ではない。そして、いまも人種差別は厳然としてある。

 また、経済学者の高橋洋一氏はこう書いている。「ちょっといいにくいが、筆者としてはクリントン氏が女性であったことも(負けた)一因だと思っている。アメリカで数年も暮らした経験があれば、建前は自由平等であるが、実は偏見に満ちた差別社会であることを体感しているはずだ。筆者のある友人が、こっそり本音を言ってくれた。(大統領には)黒人(オバマ)だけでいいだろ、女性は勘弁して欲しい、と」

 トランプの女性蔑視を「ある程度問題」と考える人の75%が、トランプに一票を入れたそうだ。自称リベラル・メディアのきれい事とは別に、有権者の多くは本音で投票した。こういう本音は世論調査データには表れない。

 左傾化したアメリカの大半のマスメディアは、反トランプで足並みをそろえていた。有力100紙のうち57紙がヒラリー支持を打ち出し、トランプ支持はわずか2紙だった。

 ニューヨーク・タイムズの発行人、アーサー・サルツバーガー会長は、今後、トランプを「公正に」かつ「偏向せずに」報道することを約束した。つまり、敗北宣言だ。

 トランプ陣営は、既存のメディアに対抗しネット戦略に訴えた。東大教授でアメリカ研究者の矢口祐人氏は、こう述べている。

 「どこまで意識的にやっていたかはわかりませんが、トランプ支持者にとっては、インテリが読むニューヨーク・タイムズの何ページにもわたる検証記事より、彼のSNSでの発信のほうが圧倒的に読まれている。そして、強く突き刺さり、シェアもされていく」

 トランプ自身、当選後、あるテレビでこう自慢げに語った。ソーシャルメディアは「最高のコミュニケーション手段」であり、「フォロワーは2800万人に上り、このインタビューの前日にも新たに10万人増えた」

 既存のメディアとネットメディアの対決で、後者が勝ったとも言える。

 実は、朴槿恵大統領の絡むスキャンダルを、韓国の既存メディア関係者は知っていたとされる。そのなかで醜聞をスクープしたのは、新興メディアのケーブルテレビJTBCだった。既存の政治・エスタブリッシュメントの失墜と既存メディアの失墜が重なるのは、偶然ではない。

 わが国でも、近く、おなじことが起きるだろう。

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あの韓国メディアが、手のひらを返しはじめた

 NHKのBS1で、サッカー皇后杯3回戦のAC長野パルセイロ(なでしこリーグ1部)と日体大女子サッカー部(同2部)の試合を中継していた。かみさんは長野市の生まれ育ちで、長野パルセイロの男女チームを応援している。

 好ゲームで延長戦の末、長野が2:1で逆転勝ちをした。かみさんと観ていて、ほんとに面白かった。日本の女子サッカーは、底辺が広がった上にここまでレベルも高くなったのかと感心した。

 そうすると、どうしても、お隣韓国のことを思い出してしまう。かの国では、スポーツの裾野を広げようという発想も政策もなく、小学生で運動神経がいい子だけを選んで、ひとつのスポーツに集中するコースを歩ませる。日本には全国4000校以上に野球部があるが、韓国では50数校しかない。それでも、WBCなどでは強いものの、大半の子どもたちは、スポーツの楽しさや青春を賭けて勝負に挑む〈汗と涙の体験〉も知らないまま、大人になるわけだ。韓国女子サッカーの事情もだいたいおなじだろう。

 スポーツエリートとしての道を歩み、世界で活躍できればいい。だが、怪我などでスポーツを断念するしかなくなった若者は、一般社会で生きて行ける学業や常識に欠け、一生を棒に振ることになると、ある有名バレーボール選手が言っていた。

 この一点集中方式は、スポーツにかぎらない。政治でも大統領に強大な権力が集中している。その権力が国民のため公平に行使されていればいいが、そうではなくなったときがもろい。  いま、朴槿恵大統領の親友とされる女性が国政に介入し、さまざまな利権を漁っていた疑惑が持ち上がり、大騒ぎになっている。一点集中方式の弱点が、最悪の形で出てしまった。

 さらに、韓国人の自信とプライドをずたずたにする不祥事も起きた。日本のトヨタにも匹敵する韓国経済界の雄・サムスン電子が、考えられないほどの窮地におちいっている。まず、新型スマートフォン「ギャラクシーノート7」の発火・爆発トラブルが問題となり、回収と発売停止を余儀なくされた。

 さらに、アメリカで販売している洗濯機の一部が、洗濯中に爆発してふたが吹き飛びけがをするおそれがあるとして、リコールすると発表した。約730件のトラブルが報告され、9人があごなどにけがをしたという。リコールの対象となるのは、2011年3月以降に製造された34のモデルの洗濯機で、およそ280万台にのぼるという。

 現代自動車の業績もひどいとされる。政治も経済もがたがたの韓国で、いま人びとは何を考えているだろうかと思っていたら、産経新聞電子版が興味深い記事を載せていた。韓国メディアが、安倍晋三内閣の「アベノミクス」を称賛しはじめたというのだ。

 韓国のメディアは、これまで首相を「タカ派」と呼ぶのはまだいいとして、「極右」「軍国主義者」などとさんざんののしってきた。  ところが、評価を一変させ、返す刀で「長引く不況から抜け出せない自国の経済政策に批判の矛先を向けている」というのだ。

 中央日報日本語版コラムのタイトルはズバリこうだった。

 「安倍首相の経済リーダーシップがうらやましい」

 日本語版は、韓国語版から日本に関係のある記事をピックアップし翻訳したものだ。

 反日で見栄っぱりの韓国人ジャーナリストが、ここまで率直に日本の保守政治家を称賛した例を、ぼくは知らない。

 コラムは第二次安倍内閣が実施した金融緩和、財政出動、成長戦略の3本の矢による経済政策について、「デフレからは抜け出せていない」としながらも、「アベノミクスがなければ日本経済の沈滞はさらに深刻だっただろう」と推測する。そして「安倍首相の指揮の下、日本経済はあちこちで閉塞感が消え、活力を取り戻している」とした。

 さらに、安倍政権が進める農業改革、外国人労働者受け入れ策、子育て支援を中心とした少子化対策、インバウンド消費拡大を狙う外国人旅行者受け入れ策などを積極的に評価し、一方で、ロシアとの北方領土返還交渉にも触れ、「日露の経済協力が進めば、日本企業は新たな投資先を開拓できる」と分析した。

 朝鮮日報日本語版も「赤信号の韓国経済、政府は非常対策委を設置せよ」と題した社説で、韓国経済は危機的な状況にあるとした上で、「日本は20年間の長期不況の泥沼を脱し、活力を取り戻した。これも安倍首相の強く一貫したリーダーシップのおかげだ」と指摘した。  朝鮮日報は、別の日にも、「経済と社会の活力は、わずか数年で韓国が日本に逆転された。韓国に最も必要とされているのは、まさにこうしたリーダーシップだ」と書いた。

 ついこのあいだまで、日米を無視し中国にすり寄っていたのは何だったのか。ここまで手のひら返しをされると、あきれるほかはない。

 反安倍の朝日新聞は、こういう記事を絶対に載せない。いかに安倍首相が内外で高く評価されているのか、なぜ内閣支持率が6割を超すほど高いのか、朝日しか読まない読者は決してわからないだろう。

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『とと姉ちゃん』にみるNHKの欺瞞

 連続テレビ小説『とと姉ちゃん』が終わった。実際に発行されていた生活雑誌『暮しの手帖』がモデルとされる。雑誌社を作った3姉妹の長女・常子は、若くして病死したとと(父親)の代わりに妹ふたりを育て、「とと姉ちゃん」と呼ばれていた。

 わが家でも毎朝、予約録画しておいて、たいていはお昼を食べながらみた。最大100万部を突破したあの有名な雑誌が、どんないきさつでどんな人たちによって作られていたか、興味があった。ドラマは基本的にはフィクションだが、敗戦から高度成長期に至る時代の空気というか活気が感じられるのではないかと楽しみながらみていた。

 メイド・イン・ジャパンの製品がまだ粗悪で、公正な商品テストをくり返すエピソードなどは、現実でも『暮しの手帖』の真骨頂だった。天才肌で編集部員にきびしい花山編集長(唐沢寿明さん)とぶつかりながらも、いい雑誌、理想の雑誌を作り上げようとする常子(高畑充希さん)の物語には好感がもてた。

 ドラマの最終盤、花山編集長がひとりで広島へ取材にいく。戦地体験のある自分が、広島の人びとは戦時中、何を考え、何を体験し、どう暮していたか、特に被爆の体験を自分で取材して書き残しておきたいという気持からだった。

 この展開をみて、ぼくは、NHKがどんな結末にしたいのか、ちょっと不審に思った。持病をもつ花山は広島の帰り東京駅で倒れ、常子らは、もうこれ以上、現地取材には行かないで欲しいと望む。そこで、読者から戦時体験の手記を募集して『あなたの暮し』に掲載することになった。

 花山は、読者の体験談を公募する記事を自分で書くことにこだわり、こうつづる。

 「あの戦争は、昭和16年にはじまり20年に終わりました。それは言語に絶する暮らしでした。あのいまわしくてむなしかった戦争のころの暮らしを記憶を私たちは残したいのです。あのころまだ生まれていなかった人たちにも戦争を知ってもらいたくて、貧しい一冊を残したいのです。もう二度と戦争をしない世の中にしていくために。もう二度とだまされないように、ペンをとり私たちのもとへお届けください」

 ぼくの推察通り、NHKは変なほうへ話をゆがめていった。モデルとなった『暮しの手帖』が読者から戦時体験談を募集したのは実際の話だろうが、その公募記事はドラマにあったような内容だったのだろうか。

 ぼくが一番引っかかったのは「もう二度とだまされないように」というくだりだった。誰が誰にだまされたと言うのか。1931年の満州事変から45年の大戦敗戦までを戦時中として、その時代に、誰が誰をだましたと言うのだろうか。

 ここは、日本現代史の核心の部分だ。

 満州事変前後、日本の世論は沸騰していた。マスメディアも大多数の知識人も、一般国民も主戦論を叫んでいた。当時の主導的メディアだったNHKや毎日新聞、朝日新聞はスクープ合戦を展開し、それいけどんどんと国民を煽り、また、政府・軍部を煽った。決して、戦後言われたように、「軍部の圧力」があったからマスメディアは冷静な紙面が作れなかった、というような話ではない。

 毎日新聞が煽りで先行して部数を伸ばし、それに対抗すべく朝日新聞も国民を煽りに煽って毎日を超す部数を獲得し大もうけした。軍部は、むしろメディアに引っ張られて、戦火を拡大した面が否定できない。

 もう一度書く。「もう二度とだまされないように」とは、誰が誰にだまされたと言うのか。『暮しの手帖』に殺到した体験談では、われわれ一般国民は政府や軍部にだまされた、という内容がやはり圧倒的だったのだろうか。

 しかし、それは史実ではない。だました主体があったとすれば、NHKであり毎日新聞、朝日新聞などだった。そして、メディアをそう仕向けた世論があった。

 では、なぜ「国民はだまされた」という発想が戦後の日本に定着したのだろうか。その元凶は、現代史の研究によってはっきりしている。

 日本の敗戦後、占領し日本政府の背後から間接統治したGHQこそ、そういう偽の記憶を日本人の脳裏に刷り込んだ張本人だった。その最初の手段は、日本のすべての新聞にGHQが掲載を命じた『太平洋戦争史』という長大な連載記事だった。1945(昭和20)年、12月8日から10回にわたって連載された。

 日本人はあの大戦を「大東亜戦争」と一貫して呼んでいたが、この新聞強制連載以来、「太平洋戦争」という呼称で統一されいまに至る。いま、ほとんどの日本人は太平洋戦争という呼称に違和感をもたないだろう。連載はそれだけ心理に強く作用した。ぼくは国立国会図書館に保管されている『太平洋戦争史』の書き出しを読み、心底びっくりした。

 「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙にいとまがないほどであるが……」

 軍国主義者と国民がはっきり分けて示されている。満州事変以降、国民のほとんど全員が軍国主義者だったという史実は、国民を被害者にする論法で“上書き”されている。しかも、メディアはどっちだったかということも、この大連載ではまったくふれられていない。

 GHQによる現代史の重大な捏造を、NHKは自ら反省することなく、国民的番組『とと姉ちゃん』で、またも追認したのだった。その欺瞞は、若い世代に継承されていく。

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日本の教科書とはまるでちがう戦争観

 第3次世界大戦は、すでに数十年前に勃発しその勝敗は決している――。こんなことを語った人びとがいた、と聞いたことがある。インドネシアの初代大統領スカルノやシンガポールの初代首相リー・クアンユーなどがそう言っていたというのだ。

 その大戦とは、アジア・アフリカ諸国が欧米の植民地から独立した闘いのことを意味する。民族によっては血の犠牲を払って独立し、また、無血で独立を勝ち取った民族もいた。

 では、なぜ、これらの独立が実現したのか。その理由をこれでもかというほど証言を集めて書いた本がある。2015年に上梓された『人種戦争――レイス・ウォー 太平洋戦争 もう一つの真実』(邦訳:祥伝社)で、著者は米ヒューストン大学のジェラルド・ホーン教授だ。

 タイトルからも推察されるように、日本が戦った第2次世界大戦は、じつは人種問題をはらんでおり、日本軍が欧米植民地主義と戦ったことがきっかけでアジア・アフリカの独立が成し遂げられ、また戦後、「人種差別は克服されなければならない」という新しい価値観を国際社会にもたらした、とする。

 ホーン教授はこの著書で、「白人の優越」という共同幻想が日本軍によって崩されていく様を活写している。アメリカ人の著作だけに、それだけ説得力がある。

 大戦のさなかから日本敗戦後の東京裁判にいたるまで、「日本人がアジア人に対してありとあらゆる残虐行為におよんだ」とされた。しかし、著者は、それが白人のプロパガンダにすぎなかったと断じている。

 著者は、著名なコラムニストJ.A.ロジャーズのこんな言葉を紹介している。「日本の残虐性は、最悪のケースでさえ、白人にはるかに及ばない。南北アメリカのインディアンの抹殺や、アフリカの奴隷貿易などに、誰が肩を並べられようか」

 日本軍は、真珠湾攻撃とほぼ同時にアジアへ進軍し占領した。その際に残虐行為をしたとされたものの、じっさいには、アジアの民衆は白人を標的とする日本軍を歓呼して迎え入れたというのだ。

 そもそもは日露戦争で日本がロシアを破ったときまでさかのぼるという。

 <一九〇五年の日本のロシアに対する劇的な勝利は、多くのアメリカの白人や西洋人を恐怖に陥れた。同様に、黒人や、アジア人を歓喜させた出来事だった>

 アメリカにアフリカから奴隷として連れてこられ厳しい人種差別にあっていた黒人にとって、日本は憧れの対象となり日本製品なら何でも手に入れたがるほどのブームを呼んだ。欧米の植民地にされ搾取されていたアジアの人びとも同様だった。その記憶はずっと残っていた。

 日本軍は、1941年末、真珠湾攻撃と同時に香港を占領支配した。それまで香港は大英帝国が統治し、中国人や居住していたインド人などは虐げられていた。残虐な行為をくり返していたのは白人のほうだった。日本軍はそれを逆転させた。白人を収容所に押し込め苛酷な待遇を味わわせた。さらに、白人の男女に行列を作らせ、みじめな姿でアジア人の目の前で行進させた。日本軍は、「白人の優越」は幻想にすぎず、もう白人の言いなりになる必要などないことをアジア人に理解させた。

 日本軍はアジアの占領各地でおなじようなことを実行した。それによって、白人への幻想は吹き飛んだ。

 <1943(昭和18)年、戦時下の東京で、フィリピン、ビルマ、インド、タイ、中国(南京政権)、満州国と日本の首脳が一堂に会して、人類史上最初の有色民族の歴史的なサミットとなった大東亜会議を開いた><連合国は大東亜会議を、日本が占領地の傀儡(かいらい)を集めて行なった会議だったと、呼んでいる>

 日本はアジアの植民地からの解放を戦争目的のひとつとした。戦後、旧連合国や日本国内の左派は、「それは最初から掲げていたものではなく、途中から持ち出した大義にすぎなかった」とした。ぼくたちは、学校の授業でも、当然のようにそう教えられた。

 しかし、事実はそんなに単純ではない。この著書によると、日本はすでに1920年代から、アジアの指導者・活動家らを招いて「アジアの会」をくり返し開いていた。その目的は、アジアから白人を追い出しアジア民族が自決することにあった。だから、日本はあの戦争を「大東亜戦争」と呼んだ。そこに「アジア解放」の意志が込められていた。

 アメリカの南北戦争でも、北軍が「南部の奴隷解放」を戦争目的のひとつとしたのは開戦後のことだった、と聞いたことがある。じっさいの歴史とはそんなものだ。

 日本は大戦で惨敗したが、その戦争目的のひとつ「独立」はアジアの人びとによって実現された。さらに大戦後、欧米諸国はアジア・アフリカに融和策をとり、少なくとも、タテマエとしての人種差別はなくなった。

 長編『人種戦争』の末尾には、昭和天皇のこんな戦後の言葉が紹介されている。

 <太平洋戦争の原因として、人種問題があった。列強は、第一次大戦後のパリ講和会議で、日本代表が訴えた「人種平等提案」を、却下した。その結果、カリフォルニアへの移民拒否や、オーストラリアの「白豪」主義にみられるように、世界中で有色人種に対する差別が続いた。日本人が憤慨した十分な根拠がある>

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神韻縹渺 〈印象、日の出〉にまさるものはない

 豪雨によりパリを貫通するセーヌ川が決壊するなどして洪水となり、2106年6月初め、ルーブル、オルセー両美術館が収蔵品の移送のため閉鎖を強いられた。

 ぼくが家族を連れてルーブルへ行ったときは、3時間待ちだったので、すぐにあきらめてセーヌ河畔やノートルダム寺院を散策した。年間900万人ものひとが訪れるルーブルで、東京のラッシュアワーのように絵を見る気にはなれなかった。

 絵を見るには、距離感が大切だと思う。まず、精神的な距離感としては、その絵をよく知っているか、気に入っているかという点があげられる。物理的な距離感は、作品を近づいたりちょっと離れたりして見るということだ。個人の視力によっても、適当な距離はちがう。立ち位置を変えて見ると、その絵の奥深さを感じることができる。

 「ポーラ美術館コレクション モネからピカソ、シャガールへ」を見に、松江市の島根県立美術館へ行った。ぼくが子どものころにはまだこの美術館はなかったから、出雲へUターンして初めて訪れた。話には聞いていたが、ロケーションが素晴らしい。宍道湖の湖畔にあり、ロビーの全面ガラスから湖が見渡せる。特に夕陽がいいそうだ。美術館のロケーションとしては世界屈指と言っていいのではないか。

 平日の午前中だったので、観覧者はちょうどいいくらいの人数だった。ガランとしているのもいい絵を見るのにはさみしいし、ラッシュアワー並みではゆっくり絵を楽しめない。

 展示作品で一番有名なのは、ピカソの〈花束を持つピエロに扮したパウロ〉(1929年)かもしれないが、ぼくのお目当てはちょっとちがう。

 クロード・モネの〈セーヌ河の日没、冬〉(1880年)だった。パリのど真ん中ではなく、川岸に建物もほとんどないおそらくノルマンディー地方のセーヌに沈もうとする夕陽を描いている。じかに見ると、モネにしては第1級とは言えないだろうが、暮れようとする河の濃い青、夕陽と空のオレンジが印象的ないい作品だ。

 この絵を見たかったのは、ほぼおなじ色調で描かれた有名な1枚〈印象、日の出〉が、世界中の絵のなかでぼくの一番のお気に入りだからだ。モネ33歳、ぼくが生まれるよりちょうど80年前の1873年の作品だ。

 安井裕雄著『モネ 生涯と作品』(東京美術)で知ったのだが、この絵は、1874年に開かれた「画家、版画家、彫刻家等芸術家による“共同出資会社”第1回展」にモネが出品した12枚のうちの1点だった。

 セーヌ河が大西洋へと注ぐ郷里ル・アーヴルの港町を描いたもので、「一見、未完成かのような筆致を残した表現が、非難の的になった」という。当時としては、あまりにも斬新な画法だったのかもしれない。

 だが、そのタイトルから、モネやルノアールなどは後世「印象派」と呼ばれることになる。「――“共同出資会社”第1回展」も、絵画史では「第1回印象派展」と呼ばれていまにいたる。もっとも、ある批評家が〈印象、日の出〉を揶揄した言葉が定着したとされる。

 〈印象、日の出〉は、写実の対極にある。空と海が濃いブルーに染まるころ、鮮やかなオレンジの日の出が中空に浮かんでいる。モネは、あくまで脳裏に浮かぶ日の出の印象を描いたのではないだろうか、とも思っていた。だが、実際に港に向かって絵筆をとったらしい。まさに神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる1枚だ。

 モネの父は若いときに船員見習いをしていたが、モネ誕生時の職業は明らかではない。経済的な理由から、モネが5歳のとき、一家は父の異母姉を頼ってル・アーヴルに移り住んだ。

 のちにモネが画家を志望したのは、絵画を愛し自らも描いていたその伯母の影響があったかららしい。中学生だったころから、本格的にカリカチュア(似顔絵)を描いて売るようになった。1枚あたり20フラン、いまの貨幣価値で約2万円にもなったという。

 「15歳にして私はカリカチュアリストとしてル・アーヴル中に知られるようになったのです。もしそのまま続けていれば、今頃は億万長者になっていたでしょう」

 しかし、19歳のときに画家を目指してパリに出て、1歳下のルノアールなどと知り合った。モネとルノアールは、27歳のころいっしょに住んでいたこともある。やがて、後世に言う印象派が誕生する。

 だが、パリのサロン(官展)は、モネらの新しい試みに対して冷淡な反応しか示さず、仲間たちは相次いで落選した。そのため彼らは、サロン以外の発表の場を求めてグループ展の開催を考えはじめるようになった。

 運悪く1870年に普仏戦争がはじまり、モネは兵役を避けるために妻子とロンドンに逃れた。モネ、ルノアールを自宅に招き入れて支えてくれた画家仲間のバジールは、前線に赴き戦死してしまった。

 戦争とパリ・コミューンの打撃からフランス経済が急速に復興し、だぶついた金が美術市場にも流入してきた。「第1回印象派展」の開催にこぎつけ、フランス美術界に衝撃を与えたのには、そうした時代背景があった。

 モネには晩年の連作〈睡蓮〉など傑作はいくらでもある。そうした作品の一部は、松江市でも出品されていた。しかし、ぼくのなかでは〈印象、日の出〉にまさるものはない。

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日本のそこにテロリストがいる

 昭和文学全集(小学館)の巻26を本棚から引っ張り出して、吉村昭の小説『星への旅』を読んだ。この作品は、昭和41年(1966年)、第2回太宰治賞を受賞したそうだ。もしこの作品が2016年のいま発表されていたらどうだろう、と思いながらページをめくっていった。

 小説であり展開は複雑だが、あえて筋立てを整理すると、以下のようになる。

 主人公の光岡圭一は、大学受験に失敗し予備校生となった。朝、家を出ても予備校へ行く気にはなれず駅のベンチに座っていたところ、画塾に通っているという三宅と知り合う。彼は、美容学校生の槙子、予備校生の有川、定時制高校生の望月の4人グループに圭一を誘った。彼らは、まったく何もすることがない点で、圭一と共通していた。

 圭一の父親は大学教授で帰宅しても書斎に閉じこもり、主婦の母親は稽古事に外出しがちで、彼は広い邸のなかで放置されていた。予備校生となって2か月後、いまで言う五月病にかかった。

 <体が晩春の夕空に浮上して行くような、内部に満ちていたものが跡形もなく気化してまたたく間に自分の体が一つの形骸に化していくような、虚ろな気分であった>

 予備校生・有川の口癖は「戦争でもおっぱじまらねえかな」だった。<かれの観測によれば戦争の発生は目前のことで、その発端はアジア地区にあって日本でもクーデターが起り、戦争の渦中にかれらも積極的に参加させられることになるのだという。戦争は、壮大な破壊であることにはちがいないが、破壊こそ人間社会の進化を推しすすめてきた原動力であることを考えれば、その破壊行為に自分はすすんで参加する意義を感じる……と、かれは力説するのだ>

 槙子は美容整形をくり返し<自分の過去と全く絶縁した新しい女の顔を持ちたい>という願望を持っていた。望月は、阿片の吸煙に憧れ、その資金をつかむため金庫破りを空想していた。三宅は、人を集めて組織化することばかり考えていた。

 <かれらは、こんな風にそれぞれに異った意見をいだいて、時折思いついたように倦怠感を追い払おうと突飛な企てを口にし合っていた>。あるとき、望月が「死んじゃおうか」と投げやりに言った。それをきっかけに、<或る思いもかけない熱っぽいものが、かれらを支配しはじめていたのだ><仲間たちの間に、今までには感じられなかった得体の知れぬ活気のようなものが流れはじめていることはたしかだった>

 <旅立ちが、いつの間にか自然の成り行きのように圭一たちの間で決定され、三宅を中心にしてその内容が積み木細工のように入念に組み立てられていった。初めの頃感じられた死に対する悲壮感は徐々に影をうすめ、かれらは、死という言葉を陽気にもてあそびながら旅の企てを熱心に検討し合った>

 <旅の目的地は、簡単に北国の海辺ときまり、地図の上で、圭一たちは、小さな漁村を探し出した>

 有川がホロつきのトラックを確保し、運転手役に名乗り出た。ガソリンを入れたドラム缶、毛布、食料などを荷台に積み、5人そろって出発した。ほかに三宅が知り合った自殺志望の男女3人も同乗させ、旅の途中で降ろしてやった。その男は貨物列車に飛び込んで死に、女性ふたりは手に手を取って森のなかへ消えた。

 圭一は、<幼い頃、死者は昇天して星の群の一つに化するのだという話を、祖母からきいた記憶がある>。5人は北国の漁村へ着き、海に入ってはしゃいだりしながら、死に場所を探した。場所が決まると、服のポケットに石を詰め、互いの体をロープで縛り合って、断崖から身を投げた――。

 アメリカのフロリダ州で2016年6月、銃乱射テロによって100人以上を死傷したアフガニスタン系の容疑者(29)は、フェイスブックに「イスラム国への空爆に対する復讐だ」などと書き込んでいたとされる。

 もし、圭一たちがいまの時代に生きていて、ただ、集団自殺するだけでなく、何らかの「大義」を掲げ「どうせ死ぬなら派手にいこうぜ」と考えたらどうだろう。たとえば「イスラム国(IS)指導者に忠誠を誓う」という口実とおなじようなものを見つけたら。
 

  死を覚悟すれば、どんなことでもできる。日本で自動小銃や爆弾を手に入れるのは、アメリカとちがいたやすくはないが、凶器はその気になればいくらでもある。

 2008年6月に起きた秋葉原無差別殺傷事件の凶器は、車だった。25歳の青年が2トントラックで歩行者5人をはねとばし、通行人・警察官ら17人を、両刃のダガーナイフで立て続けに殺傷した。

 2016年6月21日には、北海道の釧路で、男(33)が女性らに包丁で切りつけ、ひとりが死亡3人が負傷した。犯人は「ぼくの人生を終わらせたくて、殺人が一番死刑になると思ってひとを刺した」と供述したという。精神疾患に悩んでいたとされる。

 もし、ふたつの事件の犯行動機が政治的なものだったら、立派なテロリストだった。

 いま50年の時を経て、『星への旅』に映画化またはマンガ化の話が浮上すればどうだろう。若者たちの「寝た子を起こす」ことにはならないか。圭一たちは、ホームグロウン(自国育ち)のテロリストまであと一歩、という気がしてならない。

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量子力学で生命の謎を探る

 ぼくには「三種の神器」がある。仕事で使うのはノート・パソコン、スマホにプリンター兼スキャナーの三つだ。以前はこれにファクスも加わっていたが、いまでは出版社からのゲラ刷りも、ネット経由のPDFで送ってもらう。

 この三つの神器に共通しているのは、いずれも量子力学があってはじめて製品として開発されたことだ。

 量子力学はざっと1世紀前、分子や原子、それよりさらに小さい電子、物質の最小単位とされる素粒子などをあつかう物理学理論として誕生した。

 原子や電子が「粒子」としての特徴を示す一方で「波」としての特徴も示す。光や電波のような電磁波もまた、「波」と「粒子」としての特徴を示す。これらの粒子性と波動性は同時には現れず、粒子的な振る舞いをする場合には波動的な性格を失い、逆に波動的な振る舞いをする場合には粒子的な性格を失う。

 それよりもっと不思議なのは、量子力学が示す自然現象つまり量子現象では、ある対象を観察しているときと観察していないときでは、その対象のあり方が変わってしまうという現実だ。観察という行為そのものが対象に作用してしまうのだ。

 観察とは何かと考えさせられる。それが「意識」を持つ人間のものであるか、「意識」を持たない猫であるか、あるいは無生物であるかによって現象が区別される。つまり、常識では理解しずらいことが起きる。

 ぼくたちの常識とはこうだ。北極星であれ海のイソギンチャクであれ、物理的な存在は、人間が観察しようがしまいが星でありイソギンチャクだ。もし、観察者の「意識」がそれに作用するのだとすれば、物質と意識(ないし心)はある種の相互作用をしていることになる。

 量子力学は、哲学的というか宗教的というか、ぼくたちに「この世界はどうなっているのか」と立ち止まって考えることを要求する。この世は物質と意識が互いに干渉せず別々に存在している、とする考え方を根本から変えてしまう。物質と心を分けて考えなかった古代の素朴な宇宙観にもどっていくのか。

 『量子力学で生命の謎を解く』という本を読んだ。イギリスの理論物理学者と分子生物学者が共著として出版した。一般向けに書かれたものではあるが、細かい活字の分厚い著作で、仕事のあいまあいまに4か月近くかけてゆっくり読んでいった。

 理論物理学としてはアインシュタインの相対性理論があまりにも有名だが、著者ふたりは、それを「古典物理学」と呼んでいる。量子力学からみれば、相対論は「もう古い」ということらしい。

 著者らは、量子世界の「不気味さ」について語る。波動と粒子の二重性が第一で、第二は粒子が壁を通り抜けるということ、第三は粒子が同時に二通りあるいは100通りや100万通りの振る舞いをすることができる「重ね合わせ」と呼ばれる現象だ。この第三の現象では、1個の粒子がふたつの穴を平気で同時に通過したりする。

 さらに興味をそそるのは、量子もつれという現象だ。「それは量子力学のなかでもおそらくもっとも奇妙な性質だ」とされていて、「いったん一緒になった粒子どうしは、互いにどれだけ遠くに引き離されていても、魔法のように瞬時にコミュニケーションを取れる」というのだ。

 高校生のころぼくが読んだ相対論の本では「宇宙でもっとも速いのは光だ」とされていた。だからたとえば、地球と北極星までの距離を表すのに光年という単位を使う。光が到達する時間で距離を測るのだ。

 地球と北極星ほど離れていても瞬時にコミュニケーションを取れるのなら、相対論などぶっ飛ばしてしまう。共著者によると、ブラックホールや時空の湾曲を理論で導いたアインシュタインでさえ、この現象を受け入れようとはせず、「不気味な遠隔作用」と呼んでバカにしたという。

 こういう現象が確認されると、テレパシーなどの超常現象も量子理論で説明できるのではないか、と素人の身では考える。だが、この本の著者らは「突拍子もない主張」だとし「量子もつれを引き合いに出してテレパシーの存在を証明することはできない」と釘を刺す。とはいえ、将来、そっちの研究も進んで、テレパシーのメカニズムが量子理論で解明される日が来ないとはいえない、ともぼくは思う。

 この本では、主に生物学に焦点を合わせて書かれている。特に、生命とはなにかを量子理論によって探求する。「どうやら生命は、一方の足を日常の物体からなる古典的世界に置き、もう一方の足を奇妙で変わった量子の世界の深淵に据えているらしい」「生命は量子の縁(ふち)に生きているのだ」

 生命が誕生したメカニズムが解明できれば、われわれの手で生命を創り出すことができる。そのために、量子理論でアプローチする。量子生物学は急速なスピードで発展し大きな盛り上がりをみせているという。

 だが、本書の結論として、現段階では生命の謎はまだ解かれてはいない。原書のタイトルは”Life on the Edge(縁の上の生命)"となっている。

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明治維新を逆から見ると

 山口県萩市、松陰神社境内の一画にある売店という名の土産物屋は、修学旅行の高校生らでにぎわい、「松陰先生まんじゅう」や「松陰餅」が売れていく。棚には、松陰の辞世の一首をつづった絵皿が飾られている。

 吉田松陰が再興した私塾・松下村塾は、その境内にある。というより、いまも建物がのこる塾の土地に神社が創建された。明治40年、松陰は神になった。そして、昭和30年、大きな松陰神社が建てられ、創建当初の社はおなじ敷地内の奥に移築され、松門神社とされて塾生や門下生など53人を祀っている。

 松下村塾は、松陰の実家・杉家の小屋を改造して作られ、のちに松陰や塾生が自分たちの手で増築した。みすぼらしい造りだが、そこで1年余り、松陰は塾生らに『孟子』や兵学などを教えたと伝えられる。塾生には、全国の倒幕の志士の総元締の役割を果たした久坂玄瑞らがおり、その死後に、藩論を倒幕にまとめ幕府軍を打ち破った高杉晋作がいた。

 明治維新を成し遂げた「官軍」側からみれば、松下村塾は文字通り聖地であり、そこに松陰神社が建てられるのは、自然な成り行きだったのだろう。かつて、インド人の親友プラメシュからこう聞いたとき、面白いと思った。「ヒンドゥー教では、新しい神がどんどん生まれているんだ」。だが、考えてみれば、神道でも、菅原道真や吉田松陰などの御霊が新しい神として祀られてきたわけだ。

 そして、時が経つとともに、ますます神格化されていく。われわれは、松陰神社や「松陰先生まんじゅう」を抵抗もなく受け入れる。境内にある「至誠館」に展示されている、獄中の松陰が刑死直前に書き残した「留魂録」の現物をみて、幕末には偉い人がいたんだと感心する。NHK大河ドラマ『花燃ゆ』で、イメージはさらに固定された。

 だが、それは官軍側からみた歴史観にすぎない。明治維新とは本当は何だったのか、と問いかける書物がある。作家の原田伊織氏が書いた『明治維新という過ち~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~』だ。

 <そもそも長州・薩摩は、徳川政権を倒すために天皇を利用しようとしたに過ぎない。そのために「尊皇攘夷」という大義名分が必要となった>。長州藩が京都御所に攻撃を仕掛けた蛤御門の変をみてもわかるように、松陰らは心底、天皇を崇敬していたのではないとする。

 <「尊皇攘夷」を便法として喚き続けているうちに本当に気狂いを起こし「王政復古」を唱え、何でもかでも「復古」「復古」となり、大和朝廷時代が本来のあるべき姿であるとなってしまった。その結果、寺を壊せ、仏像を壊せ、経典を焼け、坊主を成敗せよ、となってしまった>

 廃仏毀釈として知られるこの政治運動は、<古来の仏教文化でさえ「外来」であるとして排斥した>。奈良の興福寺だけで2千体以上の仏像が破壊されたり焼かれたりしたという。批判的にみれば、毛沢東の文化大革命や現代のイスラム国(IS)と似ている。

 そして、<政権を奪うや否や一転して西洋崇拝に走った>。原田氏は、そこに、朝日新聞を知的基準とする「戦後知識人」や「ユーミン世代」とおなじメンタリティーを指摘する。あるとき、180度豹変するのだ。歴史を精神分析する心理学者の岸田秀先生は、「それが統合失調症の特徴だ」とぼくに解説してくれた。

 原田氏はこう述べる。<日本人は、テンション民族だといわれる。いわゆる「明治維新」時と大東亜戦争敗戦時に、この特性が顕著に表われた。その悪しき性癖は、今もそのまま治癒することなく慢性病として日本社会を左右するほど悪化していることに気づく人は少ない>

 松下村塾の歴史的意義についても、原田氏は手厳しい。<師が何かを講義して教育するという場ではなく、よくいって仲間が集まって談論風発、『尊皇攘夷』論で大いに盛り上がるという場であったようだ>

 ずっとのちに、松陰を師として崇め出したのは山縣有朋だった。その動機として原田氏は、自分に自信のない権力者、<現代でいえば、学歴、学閥に異常に執着する政治化や官僚、大企業幹部や一部の学者と同様>だとする。有朋を<長州閥の元凶にして日本軍閥の祖>と呼び、<日本の軍国主義化に乗って、雪だるまが坂道を転がるようなもので、気がつけば松陰は「神様」になっていた>と断じる。

 <百歩譲って、松陰が何らかの思想をもっていたとしても、それは将来に向けて何の展望もない、虚妄と呼ぶに近いもので、ひたすら倒幕の機会を窺っていた長州藩そのものにとっても松陰は単なる厄介者に過ぎなかった>

 明治という新しい国・時代を築いていこうとするとき、人びとには「神話」が必要だった。それが、萩であり吉田松陰であり松下村塾だった。

 原田氏はこう指摘する。<私たちは、明治から昭和にかけての軍国日本の侵略史というものを、御一新の時点から一貫してなぞって振り返ってみるという作業を全く怠っているのである>

 原田氏は、京都・伏見に生まれ滋賀県で幼少期を過ごした。この書物は、戊辰戦争に敗れ薩長に恨みをもつ土地の生まれではない人物による「もうひとつの日本近代史」だ。

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「臭いものへの蓋」が吹き飛ぶとき

 スマホを開くと、フェイスブックにこんな投稿があった。

 <熊本の地震は人工地震だよ。安倍政権の陰謀で><パナマ文書から国民の目をそらすためと考えるのが自然。国民を顧みないアベ独裁政権打倒!>

 「友達」をあえて制限しているぼくのフェイスブックに表示されるほどだから、この投稿はかなり拡散しているのだろう。

 こんなガセネタがどうして広がっていくのか。ガセと知っていながら、面白がってシェアするのか。それとも本当だと信じているのか。

 こうしたときに問われるのがメディアリテラシーだ。ここでいうメディアとは、報道機関だけでなくフェイスブックなど広く伝達する能力を持つ「媒体」すべてが対象となる。リテラシーとは読み書き能力の意味だ。

 したがって、メディアリテラシーは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のことを指す。「情報を評価・識別する能力」とも言える。欧米では、その能力をつけるための教育が行われている国もある。

 わが国でそうした意味でのメディアリテラシーが広まったきっかけは、2002年のサッカーW杯日韓大会だったとされる。マスメディアは、韓国の試合での相次ぐ疑惑判定やスタジアムでの韓国人観客による反日行為をいっさい報道しなかった。一般の日本人サポーターの多くは、日韓友好だけを重視し事実を報じないマスメディアを見限り、自分たちでネット情報などを集めるようになったとされる。ジャーナリスト西村幸祐氏の著書『「反日」の構造』に詳しく書かれている。

 この場合は、メディアリテラシーが良い意味で強化されたが、冒頭に引用したフェイスブックの例などをみると、日本人のメディアリテラシーはまだまだといった感じだ。

 事実を報じないマスメディアの大新聞を見限る、という言葉を連想させるニュースが、2016年4月にもあった。週間ポストが書いた記事だ。見出しはこうだった。<朝日新聞またも危機! 「押し紙問題」の不可解な裏事情>

 公正取引委員会の委員長が、日本記者クラブで会見をした際、朝日記者が「押し紙」について質問したのがきっかけだったという。「新聞社から配達されて、(新聞が)ビニール袋にくるまったまま古紙回収業者が回収していく。私が見聞したところだと、25%から30%くらいが押し紙になっている」。そして、「毎日、読売など他の新聞も同じような問題を抱えているのではないか」と言った。

 押し紙というのは、実際に各戸配達するよりかなり多くの部数を新聞社が販売店に押しつける行為で、もちろん独占禁止法に違反する。新聞業界の最大のタブーとされる。新聞社は水増しした公称部数で広告主から水増し収入が得られるし、販売店も折り込みチラシの部数をかさ上げでき手数料を稼ぐメリットがある。

 いわゆる拡販競争のなかで生まれた悪しき慣習だ。さらに、若い世代を中心に新聞を読まないひとが増え、新聞業界全体が斜陽化している現実を背景に、その水増し率が上がったようだ。週間ポストによると、ホリエモンこと堀江貴文氏は「てかこれ完全に詐欺やん。ぜんぜん問題にならないのはそれだけマスコミの力が強いからだけど弱くなったらヤバイよね」とツイートした。

 販売店は押し紙代を新聞社に払わなければならないが、これまでは折り込みチラシ収入で補って利益も出ていた。しかし、近年は不況やネット広告のあおりで折り込み件数が減り、押し紙代が経営を圧迫するようになって、新聞社に押し紙を断るケースも多い。それに対し、朝日は押し紙1部当たりの補助金を出し、それがいまでは月額1500円にものぼるという。

 公取委は、朝日記者の“公開内部告発”とある販売店からの苦情を受け、朝日に対して口頭で「注意」を行った。これはイエローカードと受けとめられている。公取委は総理大臣直属の機関で、独禁法に違反した事業者に排除措置命令を出し、課徴金を課す強大な権限がある。

 本格的に摘発されたら、朝日の部数は一気に200万部近くが吹っ飛ぶことになる。他紙も他人事ではすまない。加えて、スポンサーから広告費水増し分を過去10年間さかのぼって返還要求されることもあり得る。潰れる新聞社も出て来るかもしれない。

 週刊新潮も、この問題を取り上げた。水増し部数は2割から4割との見方があり、関東のある毎日販売店では約74%が配達されていなかったという極端な例も紹介されている。一般的にはどれほど行われているのだろうか。

 一番の問題は、それを新聞やテレビがまったく報道しないことだ。日本のテレビ局はたいてい新聞社が大株主で、事実上のオーナーが共通する「クロスオーナー制度」の弊害が指摘されて久しい。メディアはことあるごとに「知る権利」という言葉を振りかざすが、自社や系列会社に都合の悪いことは国民に知らせない。

 朝日の押し紙問題もネットを中心に広がった。近いうちに「臭いものにかぶせた蓋」が吹き飛ぶ気配がある。そのきっかけは、やはりネット情報ではないか。そのときこそ、われわれのメディアリテラシーが問われることになる。

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大統領指名候補フランケンシュタイン

 「トランプは共和党が創造したフランケンシュタインの怪物」。アメリカ新保守主義の代表的論客は、こういう強烈なタイトルの論説を、ワシントン・ポスト紙に寄せた。

 トランプ氏は、共和党の「茶会派」に育てられたとされる。この派は、共和党保守派を支持する人びとの政治運動で、オバマ民主党政権とは逆に「小さな政府」を志向している。不動産王ドナルド・トランプ氏は、大統領選に向けた共和党指名候補争いで、いまやその茶会派から共和党を奪うと警戒されている。

 なぜ、虚言、妄言オンパレードの彼は「トランプ現象」「トランプ劇場」と世界が注目するほど、有権者の支持を集めるのだろうか。

 発言が過激だからこそ人気を博している。「メキシコ国境に壁を築き、費用はメキシコ政府に負担させよ」「当分のあいだ、イスラム教徒のアメリカ訪問を拒否せよ」。他の候補がこんなことを言えば暴言として非難されるが、トランプ氏の場合は、候補討論を生中継するテレビ番組の視聴率を稼ぎ、ネット上でも「面白い」とブームにつながっている。

 テレビ討論会はクイズ番組のようになり、大統領にふさわしい識見よりパフォーマンスが重視されてしまう。政治理念よりイメージの争いになったのだ。その傾向は以前からあったが、トランプ氏の登場でそれが究極まで高まった。

 彼は自著で「少々の誇張はかまわない。非常に効果的な宣伝方法だ」と語っているという。まさに、プロパガンダの申し子のような人物だ。メキシコ国境の壁の話も、実現できないと知りながら「強い指導者」のイメージ作りを狙ったのだろう。ニューヨーク・タイムズ紙は「メディアがトランプ氏を作った」とし、テレビは視聴率優先で「事実や経歴をよく精査しないまま発言を許している」と批判した。

 読売新聞によると、ある著名なアメリカ議会政治の研究者は、ウェブサイトの発展が政治を変容させたとする。「膨大な意見や情報源の喧噪に埋もれる世界では、誰もが自分の声を聞いてもらおうと努力するので、敵対者をののしったり、過激な発言をしたりするのは当たり前になった」

 トランプ氏は、背の低い対立候補を「チビのマルコ」「軽量級」と呼び、また他の候補を「うそつきテッド」と攻めた。相手もおなじような汚い言葉を使って対抗したが、トランプ氏のほうがポイントを稼いでいた。ワシントン・ポスト紙は「アメリカ大統領選史上、もっとも下劣な論戦」と書いた。

 アメリカでも、情報を一方的に伝えるテレビや新聞の影響力は相対的に弱まった。そして、ネットユーザーは自分の好きな情報を追い、嫌いな情報は拒絶する傾向が強い。多くの国民は自ら選んだ情報空間に閉じこもり、その空間を客観的裏づけのない情報が「事実」として拡散する。

 テレビは視聴率を重視し、ネットメディアはアクセス数を重視する。トランプ氏の過激発言は、ライブ番組やネットの世界にフィットし目立つのだ。

 「われわれが攻撃されても日本は何もする必要がないのに、日本が攻撃されればアメリカは全力で防衛しなければいけない。これは極めて一方的な合意だ」と日米安保条約に不満を示した。そして、在日米軍について、「日本が駐留費用の全額を払わないなら撤退する」と語った。

 毎日新聞は社説でこう書いた。「トランプ氏の発言は、米国の国力の低下による内向き志向を反映している。過剰反応すべきではないが、『日米安保ただ乗り論』を公然と語る人物が、大統領指名候補をうかがう時代になったことには注意を払う必要があるだろう」

 社説の締めはこうだ。「日米同盟は重要だ。だが、同盟強化一辺倒では、国際秩序の大きな構造変化に対応できないだろう。日本は思考停止に陥ってはならない。外交と防衛のバランスをとりながら安全保障政策のあり方を点検していく必要がある」

 沖縄問題での報道姿勢をみると、毎日新聞にとって在日米軍の撤退は歓迎すべきことではないのか。いざ、トランプ氏が撤退論を口にすると、「日米同盟は重要だ」とする。その立場と、普天間飛行場の辺野古移設反対論はどう整合性があるのか。日米は軍事同盟であり、集団的自衛権はその絆を固くするもののはずだが、反対論と同盟の重要性はどう整合性を持つのか。

 朝日新聞の社説は、論理破綻が露呈するのを恐れているのか、トランプ氏発言と在日米軍の話については沈黙しているようだ。思考停止しているのは、左派メディアのほうではないか。

 安倍政権は、日米同盟強化一辺倒ではない。朝日や毎日が書かないだけで、「地球儀外交」は国際社会から高く評価されている。そのバランス感覚は、歴代日本政府のなかでも群を抜いている、とぼくは思う。だから、G7外相の広島平和記念公園訪問も実現した。

 トランプ氏が大統領にならなくても、一定数のアメリカ国民が彼の主張を支持した現実は重く残る。アメリカにすがって来た日本は、近い将来、真に「独立」しなければならない時がくるかもしれない。在日米軍なしの祖国防衛をどうするのか。核は持たなくていいのか。それとも、自衛隊解体・非武装中立の夢想に立ち返るのか。

 フランケンシュタインが突きつけた激辛の現実に、日本の各メディアは、どう論陣を張っていくのだろうか。

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